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社会主義・共産主義・マルクス主義・国粋主義についてそれぞれの意味や関係性を教えていただけませんか??
辞書を調べたのですが、難しく理解できませんでした。特に社会主義と共産主義と資本主義の関係性を知りたいです。
また、それが現代にどのような影響を及ぼしているのか知りたいです。

A 回答 (6件)

マルクス主義は社会主義および共産主義の基本となる考え方を提唱した人です。


対極に当たるのがケインズだと思います。

マルクスは労働者と資本家の不平等について意義を申し立てた学者です。
それを推進して理想の国を作ろうとしたレイニー(ソ連)・毛沢東(中国)・金日成(北朝鮮)などが居りますが、ことごとく独裁政治となり。反対意見の人の命を奪う、粛清が行われています。
最も顕著なのが北朝鮮だったわけです。
さらに表現の自由や民主主義などありません。

マルクスが読み間違いをしたのは、人間の根本にある心を忘れたことです。

同じだけしか保障されない生活で、どれだけサボるかを競うことになります。
これでは産業や経済の発展は有り得ないのです。

共産主義はすべての土地や会社などを国のものとしました。国民には、その中から平等に配分すると言う考えです。
日本でも公営は立ち行かなくなります。すべてが公営である国がまともにいくわけがないのです。

社会主義とは資本主義の反対で階級的不平等の克服を目的とし経済的平等と共に政治的平等をも同時に追求する。
ですが、結局、権力のピラミッドが出来ただけでした。
人間が際限の無い権力を得たとき、それを平等に与えるという理性を持っていないことにきずかなかった、マルクスが唯一理想的な、マルクス主義が体現できたのは日本だと思うことでしょう。
日本は国民総中流意識という時代がありました。今は多少変わっていますが、それでも、国民がすべて豊かで中流、これはマルクスの理想だったかもしれません。
当然、ケインズも自分の理想だと言うでしょうが!
あまり答えになっていません。ごめんなさい

この回答への補足

分かりやすい回答ありがとうございます。
一つ気になったのは、どうして、独裁政治に移行してしまったのでしょうか??

補足日時:2007/02/17 12:03
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この回答へのお礼

ありがとうございました。勉強になりました。

お礼日時:2007/03/08 20:37

では、簡単にご説明します。


資本主義経済とは貧富の差が増えるが、市場における競争は促進される(私有財産制)。マルクスの社会主義とは、貧富の差はなくなるが、財産が国有化されるため市場における競争は見込めない(国有財産制)ということです。
この二つのイデオロギーに対して、その後今日までさまざまな主義、主張が生まれました。社会民主主義や修正資本主義などがその例です。
ですから、社会主義、資本主義といってもさまざまな考えがあり、社会主義の中でも、右、左と分かれています。ちなみに共産主義とは社会主義の中の左に位置する思想(革命による政権奪取など)を指します。
現在の日本では、資本主義の中でも左より社会主義に近い考えを取り入れた修正資本主義が採用されております。

続いて、国粋主義の説明をします。
国粋主義とは右翼思想の一つで、国民よりも国家体制を重視する思想です。戦時中の日本ではよく用いられた思想であり、大川周明など多くの思想家が国粋主義を標榜しました。国民の権利は国家体制の維持のためには犠牲になっても仕方がないという思想は、個人主義の現在の世の中では廃れているのが現状です。

以上、簡単に説明しましたが、もっと詳しく理解されたいのであればやはり専門書を読むことをおすすめします。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。勉強になりました。
難しいですね・・・。調べてみます。

お礼日時:2007/03/08 20:38

・社会主義


現実にある貧富の差などを解消する為に社会システムを作り直そうという主義です。
余り知られていない話ですが、社会主義には2種類あります。

一つは、キリスト教的思想から来る社会主義。
今では社会民主主義といわれており、北欧の国々が採用しているシステムです。
つまりは人々は経済的にも平等であるべきというキリスト教の教えをもとに重い累進課税や手厚い福祉などで経済的平等を実現しようとしています。昔のイギリスなども同じようなことをやっていましたが、現在では別の道に行っています。その点北欧の国々が社会保障で焼け太りしないのは何故なのか非常に興味がありますが、何故かは知りません。

もう一つは、マルクス系の社会主義。
共産主義に移行する繋ぎのシステムだと考えられていました。
一般的に想像される社会主義と考えてくれて構いません。
今まともなマルクス系社会主義国が残っていない事からも、マルクス系社会主義は欠陥品だったといえます。

・共産主義
マルクスが理想として掲げた社会制度です。
土地や資本などの生産手段を金持ちに握らせておくと、金持ちばかりが美味しい思いをするだけだから、生産手段を社会の公共物として共有しようという思想です。
しかし、人間の本質、つまり利己主義や所有欲を全く考慮に入れていない傲慢な思想だったので、当然上手く行きませんでした。

・マルクス主義
マルクスが唱えていた思想の事。
共産主義の事を言う事もありますし、社会主義の事を言う事もあります。まあどちらにしろ上手く行きませんでした。
某亡国の共産党元幹部の話を例に挙げます。
『誰しもが平等に働き生きていける社会を作ろうという社会主義の理想は素晴らしかった。しかし、それは国家の権力によって強制されるべきものではなく。慈愛や博愛によって齎されるものだったのです』
つまりはこういうことだと思います。

ただ一つだけ、マルクスという研究材料兼競争相手がいたからこそ、資本主義の福祉や戦後の経済復興がスムーズに進んだという点もあるとは思います。
そういう意味ではマルクス主義は資本主義が止揚するための踏み台としての価値はあったと思います。

国粋主義
No.2さんのお話で大体正しいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。勉強になりました。
難しいですね・・・。

お礼日時:2007/03/08 20:38

こういった言葉は定義に大きいばらつきがあるので難しい点がありますね。

人間の意識の中には学術的でない政治宣伝が混入する傾向もあるので、できるだけ中立的立場から理解したいならば近代ヨーロッパ史の大学生向け教科書でも読むのが無難かもしれません。開発という視点で、功罪両面から説明を試みてみます。

今日ではこういった事項は以前のように重要性を持たなくなってきているでしょうけれど、1840年代から1970年代当たりまで、社会主義とナショナリズムが世界の政治史に極めて広範な影響を与えたとはいえましょうね。

「社会主義」運動は、生産手段の公有化、経済的平等を目指す広い意味の言葉です。私は社会主義哲学には詳しくないので軽率な説明しかできません。マルクス主義の方面の人間が説明した方が正確かとは思います。

・資本主義・社会主義・共産主義の違い
資本主義・社会主義・共産主義は、カール・マルクスの歴史観(階級闘争史観)に由来し、
(原始)共産制社会→(古代)奴隷制社会→(中世)封建社会→(近代)資本主義社会
→<暴力革命>→社会主義社会→共産主義社会
という方向に社会が進化するという考え方です。そして経済発達によって政治が変わると主張したところが特徴です。社会主義の運動自体はマルクス以前からあったのですが、マルクス以後の運動はこの影響を強く受けることになりました。

「共産主義社会」は「能力に応じ働き、必要に応じ受け取る」社会で、元々は、高度に発達した経済によって可能になる理想社会の構想でした。「社会主義社会」はその前段階で、「能力に応じ働き、能力に応じ受け取る」社会です。この資本主義より後の変化は一般には受け入れられませんでした。こういった考え方やその修正版の枠組みを支持するのが「マルクス主義者」ですね。ただ一応名誉のために言っておくと、マルクスは「資本主義」を規定した最重要人物の1人でもあって、マルクスの業績を全否定することはできないのです。

・西ヨーロッパへの影響・・・社会民主主義
マルクスが生きたのは19世紀の荒々しい資本主義の世の中です。今日では貧しい途上国で見られるような過酷な労働環境が背景にあります。初期の共産主義運動の考え方では、資本主義社会は、資本家階級(ブルジョワジー)と労働者階級(プロレタリアート)に身分が分かれ、富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなる。こうなると労働者の不満意識が高まるため、暴力革命が起こるというように予言しました。しかし実際にはこの流れは起こらなかった。なぜでしょうか。ドイツの宰相ビスマルクは社会主義者を弾圧すると共に、保険制度を確立して労働者の懐柔に努め、その他の国家でも同様の労働者への懐柔を行っていきます。こういった流れから「社会民主主義」が起こります。マルクスの当初の予想に反して階級の二極化は起こらず、労働者の中で「中産階級」の占める割合が大きくなっていきます。1900年辺りにはドイツのベルンシュタインが革命を否定する議論を展開し、民主主義の選挙の枠組みの中で「社会民主的」政策を掲げるドイツ社会民主党が結成されます。イギリスでもフェビアン協会という知識人団体がやはり暴力革命を行わない社会民主主義を唱えます(今日の労働党)。西ヨーロッパ諸国では、共産党は政権を掌握しなかった一方で、社会民主型の政党は二大政党として度々政権を担っています。第二次世界大戦が終わってからは、「ゆりかごから墓場まで」といった福祉制度の充実が進みました。この福祉を重視する態度がアメリカとヨーロッパの間の文化的差異でもあります。しかし今日はこの考え方はやや衰退しがちです。イギリスの社会学の大御所アンソニー・ギデンズなどは新しい社会民主主義の形を議論しています。

・ソビエトへの影響・・・プロレタリア独裁
先ほど革命が起こらなかったと言いましたが、1917年にロシアで暴力革命が起こっていますね。ロシアでは実際には資本主義は発達しておらず人口の8割が農民であり、マルクスの予言した革命が起こるような場所ではなかった。しかし、第一次世界大戦の下、民衆の嫌戦ムードや軍部の意向やらが重なって革命が成立してしまう。ここから「プロレタリア独裁」という共産党一党支配体制が出現します。プロレタリア独裁というのは元来、革命の当初だけは、革命転覆を防止するために強権体制が許されるといった考え方だったのですが、ソビエトではこの独裁体制が恒常化しました。何故だったかというと意見が分かれるでしょうけれども(1)ロシアは貧しい専制君主国家で民主主義の土台がなかった(2)権力抑制の手段が欠乏した(3)急進的な経済発展のためには犠牲は厭わないという考えがあった…といったことを挙げればよいでしょうか。その後、独裁者スターリンによって「残酷な」開発政策が推し進められ、大量の死者を出すと共に工業大国となります。「共産主義によって貧しくなった」というのは開発経済的には必ずしも事実ではなく、共産主義になる前から貧しかったのです。しかし職業の強制、国家の過剰な経済介入、官僚の腐敗、政治言論の弾圧など負の側面に対する不満が蓄積していきます。ある程度の所得水準に達した段階で社会に停滞が生じ、80年代からの民主化ラッシュが起こってソビエト・東欧の共産党独裁政権は消滅しました。なお、現在のロシアで、社会主義の復活というようなことがまた言われています。90年代に資本主義陣営の指導を仰いだ経済政策があまりにも失敗したため不満が蓄積したのでしょう。資本主義を一気に導入した結果は…平均寿命が大幅に縮んだという情けない業績だったのです。何事も足元を直視しなければうまくいきません。それでも近年は経済は回復に向かっており、こういった回帰願望は一時的なものに留まると希望的に観測したいところですが。

・アメリカへの影響・・・修正資本主義
第一次世界大戦の後は世界で最も社会主義が流行した時期です。当時は戦争と植民地主義を批判したソビエトの革命指導者レーニンに大義があるとされ、知識人がこぞって社会主義を擁護しました。社会主義的な経済政策とは国家による経済介入です。こういった背景の下で、アメリカの民主党政権はニューディール政策を立て、国家による経済介入を強化して景気をコントロールします。こうして過度の景気浮揚が抑えられるようになり、修正資本主義といわれる今日の経済の枠組みが成立します。ただ今日先進国では公共事業の効率が下がっていることがよく批判されます。

・第三世界への影響・・・反植民地主義
かつて植民地であった地域・侵略に巻き込まれた地域で大量に共産党政権が成立しました。こういった地域は、地球で最も貧しかったのに社会主義を掲げる政権が林立し、しかも大きい部分が独裁型になりました。植民地主義への怒りは民衆(大半は農民)に反響が大きかったのですが、文化としては民主主義の土台を欠いていました。ソビエトと同じく大規模な公共事業が掲げられはしましたが、なかなか成功はしませんでした。市場統制や過度の福祉制度、貿易の拒絶は経済開発への重荷となりやすいです。擁護するならば、教育・平均寿命といった分野では成績は悪くなかったということです。あるいは地主制や奴隷制の解体が行われた国が多いかと思います。中国・ベトナムなど今日でもプロレタリア独裁が続いている地域もありますが、こういった地域では市場の経済の活性化が政策に掲げられています。

・アンチグローバリズム
新しい傾向として、グローバル化への反対運動に対しての影響力があります。いくつか学者の名前を挙げると、アントニオ・ネグリの《帝国》は、従来の階級対立とは異なった、今日の社会での搾取の構造を描きます。あるいはイマニュエル・ウォーラーステインは世界の覇権構造の限界を掲げています。

・ナショナリズム
若干解りづらい説明になるかもしれません。国民主義・民族主義・国粋主義など言葉にばらつきがありますし、捉え方にもばらつきがあります。マルクス主義者にはナショナリズムを強く敵視する人が多いですし、逆にナショナリストはマルクス主義を憎む傾向がありますね。理由としては、マルクスが全ての国家の消滅による世界統一を唱えたということ、その反発からマルクス主義が憎まれたこと、今日のナショナリストが保守的・伝統的な立場を取りやすいことを挙げればよいでしょうか。

ナショナリズムの学術的な研究者というのはマルクス主義よりの学者が多いようですが、ナショナリズムが近代の産物だと考える傾向が強いです。つまり、各国の言語による出版文化の確立、国家による義務教育制度・徴兵制度の確立によって創り出されたものだと考えます(中国・北朝鮮・韓国・台湾・日本・ベトナムでは朱子学にも関係あるかもしれませんが、西洋のものとの違いを体系的・包括的に論じた資料を見かけません)。こういった文化の進歩によって、国内での意思疎通が円滑になり民衆の政治参加が可能になったという功の部分は大きいのですが、負の側面として現れた「狂信的愛国主義」が二度の世界大戦に結びついたととらえます。あるいはナショナリズムは孤独感や自殺願望と結びついているという指摘もあります。

ナショナリズムを拠り所とする負の政権体制として挙げられるのが全体主義です。国家の利益のためには、個人は服従しなければいけない、個人の利益は否定されるといった思想を持ちます。全体主義政権の生成は、伝統的な社会が崩壊している時期に、不安と孤独感に苛まれた大衆が、ナショナリズムと道徳的義憤を掲げる政党を選び取るものとされます。アドルフ・ヒトラーは彼なりの正義・・・つまり自民族の優越、他民族への憎悪、ベルサイユ体制への憤慨・・・を訴えて民主主義的な選挙で当選したのです。もう1つの独裁政権の生成の形として、貧しい開発途上国では度々の軍部のクーデターが政権を揺るがしています。もっとも、善悪の問題の前に、貧しい地域では独裁政権なるものは無数に存在しています。その下の人間が苦しんでいると一概に言えたものでもありません。歴史的に見れば先進国もかつては独裁政権だったのですから…。

社会主義と国家主義は必ずしも対極にあるわけではありません。反共産主義・愛国主義を掲げる独裁政権と、共産主義の独裁政権の間には共通項が多いと指摘する人もいます。スターリンの独裁体制を全体主義として扱う場合もあります。社会主義型の独裁政権(中国・ベトナム・かつてのロシア)でもナショナリズムが非常に強烈です。左でも右でも独裁型の政権は強力なナショナリズムを支配機構に組み込みます。さらに、民主主義の政体であればナショナリズムが沈静かというと必ずしもそうでもありません。かつて植民地となっていた地域では広く反欧米主義を掲げるナショナリズムが旺盛な現状です。

このように知識人からは批判の対象となることが多いナショナリズムですが、ナショナリズム=諸悪の根源というような極端な主張が出回りすぎている感がなくもありません。ナショナリズムはどこにでも存在します。今日では伝統の喪失・道徳的規範の喪失が世界の嘆きでもあります。

ナショナリズムの功の部分の歴史的影響としては、国民の平等性と文化共有を深めたこと、植民地支配からの解放に繋がったこと、規範や公共意識の成立に寄与したことなどは挙げられるでしょうか。ナショナリズムの「生まれる」前は、言語が身分や地域によってまちまちで交信が難しく、国民は身分が分かれて不平等だったのです。あるいは、国連やEU(ヨーロッパ連合)、集団安全保障体制といった国家の上にある機構は、世界大戦の反省から生まれたものです。もう1つ、第一次世界大戦で過酷な賠償金を払わされたドイツでナショナリズムが爆発したという反省から、戦争に勝った国は負けた国に膨大な賠償金を要求するのではなく復興を援助するというように価値観が変わっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。勉強になりました。
難しいですね・・・。調べてみます。

お礼日時:2007/03/08 20:38

>特に社会主義と共産主義と資本主義の関係性を知りたいです。



知りたいときには本を何冊も読んで徹底的に調べます。
それらの思想が政治的にいかに歪められたか、それは
きちんと資本論を読んでいないからです。
要約で把握できるような概念ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。勉強になりました。
難しいですね・・・。調べてみます。

お礼日時:2007/03/08 20:39

#4:付記



見返してみると、言葉がまずく相当の駄文になってますね。一部の開発に関することを書きたかったものの、弊害が大きいはずなので捨てておいてくださいませ。
国民主義や社会主義運動の一連の歴史的流れを背景に今日の多くの政治思想が成立したわけですから、及ぼしている影響は回答困難なのではないかと。

・「社会主義社会」や「プロレタリア独裁」とは何かという事は争点だったはずで、解釈が一通りには収まらないはず。
・ドイツ社会民主党が正式にマルクス主義からの決別を謳ったのは1959年のバート・ゴーデスベルク綱領で、ベルンシュタインが当初から認められたというわけではないです。その前に1919年にドイツ社会民主党が選挙によって政権与党となりました。ワイマール憲法によって男女20歳以上普通選挙や社会権がいち早く定められています。フランスでは1936年、ファシズムに対抗するための共産党の社会党に対する協力戦略(人民戦線)によってブルム内閣が成立し、週40時間労働・有給休暇が定められます。スペインでは人民戦線が成立した後にフランコ将軍との内戦で敗北します。
・大陸ヨーロッパは少数多党の力が強い点でイギリス・アメリカとは事情が異なります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。勉強になりました。
難しいですね・・・。調べてみます。

お礼日時:2007/03/08 20:39

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