最速怪談選手権

拉致問題の事件が起きった時、このような事が、米国ならば即戦争みたいな状態になるという意見を聞きました。現実にセオドア・ルーズベルト大統領の時代の時に1人の国民が拉致をされたのかのような事件が起きたとき、即軍隊を送ったということを聞きました。
その事件て何でしょうか?もしかしたら自分の間違え
ったことを聞いてるかもしれないので訂正もお願いします。

A 回答 (4件)

国は 領土と人民から成り立っており


どちらも侵略(拉致)されれば 戦争状態になります。

別に アメリカに限らず ごく一般的な常識ですが?
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これは1904年、モロッコにて「元」アメリカ人の息子が誘拐された事を発端に、当時の合衆国大統領セオドア・”テディー”・ルーズベルトが戦艦数隻を派遣した「ペルディカリス事件」のことかと思います。



1800年代、モロッコは元々そのエグゾチックな環境とヨーロッパからの近さから、ヨーロッパ諸国・アメリカからの観光客に人気のある場所であり、アメリカ合衆国とも同盟関係にありました。
 しかしながら20世紀に入ってから、モロッコでは国内で勢力争いが始まり、モロッコの本来の君主である国王(スルタン)や地域の指導者らの間でのぶつかり合いが次第に表面化しつつありました。
 また同時期にヨーロッパ各国もモロッコにおけるその影響力を強めようと様々な政治的なやり取りを行っており、そのためかこれら国々に取り入るスルタンが一部国民から売国奴としてレッテルを貼られていたようです。

そんな中、1904年5月18日にモロッコ人ムライ・アフメド・エル・ライスリ率いる武装集団が、当時モロッコ・タンジールにて住んでいたクロムウェル・ペルディカリスというギリシャ系アメリカ人(と思われていた)資産家の息子を自宅の農園から誘拐。
 ライスリはムリア・アブデルアジズ国王に対し、「モロッコでの外国人の安全」という国の名誉と交換に、7万ドル(当時)の身代金と、ライスリ達のモロッコにおける安全通行権、そしてタンジールの一部地域の統治権を要求しました。

大統領選挙を控えていたルーズベルトは、この報を聞いて、「人質の救出」という曖昧な理由を基に、すぐさま大西洋艦隊から戦艦7隻を派遣しました。
 ただルーズベルトが知らなかったのは、ペルディカリスはアメリカ南北戦争中(1862年)にアメリカ国籍を放棄しており現在はギリシャ国籍であるという事、そしてその息子もまたアメリカ人ではないという事でした。
 大統領選挙を控えていたルーズベルト政権は、後日この事実に気づき、この失敗を隠蔽する目的で「この政府が望むはペルディカリスの生か、もしくはライスリの死である」と発表。

アメリカはイギリス、フランスの各政府を通して圧力を、アブデルアジズ国王は6月21日、ライスリの要求を受け入れました。
 これを請けてライスリはペルディカリスを釈放。
 ルーズベルトはこの「救出劇」のおかげで選挙に勝利し、もう四年間ホワイトハウスに留まる事となります。

ちなみに1930年代になってから、この「ミス」に関する公文書が発見され、隠蔽の事実は世間に知れ渡りました。
 その嫌悪すべき虚偽行為はともかく、この呆れるような大胆さは「カウボーイ」としてのアグレッシブなイメージの強かったテディー・ルーズベルトならではの政治的行動だったと思います。

他に何かありましたら、遠慮なく補足ください。

○参考にした記事:
http://www.capitalcentury.com/1904.html(英文)
http://en.wikipedia.org/wiki/Perdicaris_incident(英文)
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アメリカよりも、日本でこの事件があった時の事を知ってますか。


警察は書類送検をしましたが、検察が犯人は北に逃げてしまったから{国交がない}とほごにしてしまいました。それで、その後ずっとほったらかしになりました。{それはないだろう}
キム・ジョンイルの息子が日本で捕まった時も自民党の総意みたいで帰してしまったけど、これをきっかけに交渉を始めるぐらいの事は当たり前だと思うし、なんでそんな発想になるんですかねえ~情けないっすヨ。{中、韓に付け込まれるのは当たり前だよ!}
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モロッコ事件と言うようです。

1900年頃の話のようです。
映画化された「風とライオン」の説明に、欧米列強の陰謀渦巻くウンタラカンタラ、と書かれています。アメリカを引き込むために拉致が行われたようです。戦争は金勘定で行われるので、建前の理由でしょう。
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