
第二次世界大戦での日本の軍事作戦について質問です。昭和16(1941)年12月8日の早朝(日本時間)、日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊基地の奇襲に成功した。これを皮切りに日本とアメリカは戦争状態に入った。というのが、戦後の長い間の定説だったと思います。私もそう信じていました。
ところが一方で、日本海軍は奇襲に「成功した」のではなくて、アメリカに「成功させてもらった」のだという説があります。つまり、機動部隊がハワイへ向う途中、無線電波を発しながら航行したためアメリカ政府の首脳は機動部隊がハワイに近づくのを知っていた。ローズベルト大統領は既に始まっていた大戦に参戦したかったのだが、アメリカの世論が参戦反対だったため、その機会がなかった。
で、日本に第一発を打たせれば(ハワイを奇襲させれば)参戦の口実ができるので、ローズベルトは機動部隊がハワイに近づいていることを太平洋艦隊に知らせなかった。そのためハワイの米軍は警戒態勢を取らなかった。そして、日本の航空部隊は奇襲に成功した。だから、日本海軍は真珠湾を奇襲できたのだというのです。
日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した』のでしょうか、それとも『成功させてもらった』のでしょうか。
No.9
- 回答日時:
No4です。
>奇襲のたしか数十分前に、湾外でイ号潜水艦が撃沈されています。
1時間以上も前だったようです。連絡が遅れたのも暗号解析に手間取っただけと(ここには)書いてあります。
というわけで相変わらず真相はしりませんが、お詫びして訂正いたします。
参考URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~nkgw/history43.htm
No.8
- 回答日時:
空母機動部隊各艦は、内地各地の基地から出港し、単冠湾へ集合する十一月段階で、すでに厳重な電波封止を行なっていました。
それをいざハワイへ向かうとなって、わざわざ無線を発するものでしょうか。あまりに日本軍を馬鹿にしすぎの説だと思います。また、航空攻撃より前(前日の昼)に、真珠湾へ突入しようとした甲標的(特殊潜航艇)が爆雷で沈められていますが、これをもって航空攻撃を予測し、「奇襲させてやろう」と決定したとすれば、ルーズベルト大統領は千里眼の持ち主でしょう。21世紀と比べて、この時代の情報伝達速度は、カメのごとく遅いです。
この回答への補足
ハワイへ向う日本の空母機動部隊が無線封止の命令を守ったという説は誤まりだと思います。ロバート・B・スティネット著「真珠湾の真実…ルーズベルト欺瞞の日々…」(文藝春秋刊)には、機動部隊の旗艦「赤城」を初め複数の艦船が電波を発信しながら航行したと書かれています。この本は、米国の政府や海軍の豊富な公文書に基づいて書かれており、信頼度が高い内容です。
昭和16(1941)年11月26日午前6時、択捉島の単冠湾を出撃した機動部隊は一路、ハワイへ向いました。先ず東方に進み、12月4日、西経165度付近で方位を南東に向けました。そして同7日、北緯30度西経157度付近で方位を南へ向けオアフ島に近づきました。
米国海軍は日本の機動部隊がハワイへ近づくのを知っておりました。サンフランシスコにあった第12海軍区情報部では機動部隊が発信する電波から発信場所を割り出し、太平洋の大圏図に機動部隊の航跡を記入しました。その航跡は、機動部隊がハワイに向っていることを明瞭に示しておりました。(同書334~355ページ)
No.7
- 回答日時:
アメリカが、日本の真珠湾攻撃を事前に知っていた可能性は高いとは
思われます。
この説は、戦後すぐにささやかれていましたが
ベトナム戦争後に、おおっぴらに言われ始め、
多少議論の余地はあるものの
80年代からは、ほぼ常識化された話になっています。
日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した』?『成功させてもらった』?
の問いでしたら『成功させてもらった』が答えになるのでしょうが、
「アメリカにはめられた」という一面もあるものの、
見逃してはならないのは、
外務省官僚のお粗末な仕事ぶり、戦略や指針を示せない政治家、
場当たり的な動きの海軍、米ソの軍事力を直視しようとしない陸軍、
自己利益しか考えない企業や財界、日和見で無責任なマスコミ、
そして盲目的な思想にすがる国民・・・等、
はめられた当時の日本の「愚か者ぶり」です。
現在の日本の「翻弄される対北朝鮮政策」や
「官僚やマスコミの腐敗」、「土建国家と依存体質の国民」
「自己保身と社会性のない企業」「迷走する教育改革」等と
よく似てませんか?
はめた「詐欺師」の手口を把握することも大切ですが
はめられた「被害者」の愚か者ぶりも、見直さなければなりません。
この回答への補足
>この説は、戦後すぐにささやかれていましたが
昭和16(1941)年4月に始まった日米交渉は難航しましたが、日米開戦の2週間前に到って、コーデル・ハル国務長官は、ローズベルト大統領の指示に従い、アメリカ側の最終回答というべき「ハル・ノート」と呼ばれる文書を在米日本大使に手交しました。その内容は日本としてはとうてい受け容れられない強硬なものでした。
戦後に行われた東京裁判で国務省の関係者が、ハル長官がハル・ノートを日本大使に渡したあと、「日本はハルノートを受け容れないであろう。」と言っていたと証言しました。つまり、ローズベルトを初めとするアメリカ政府首脳が日米戦争を期待していたとしか考えられないのです。
しかし、世論は参戦反対だからアメリカが日本に宣戦するわけには行かない。だから日本からの先制攻撃を期待したのではないか、という見方も説得力があると思うのです。
No.6
- 回答日時:
目的はアメリカ太平洋艦隊撲滅の元に、作られた作戦、
飛行機による、軍艦撃沈方法等合わせて、海中からの攻撃、練られましたが、結果として、「日本の航空作戦奇襲成功」でした。
その為の、ゼロ戦造り、鹿児島湾を「ハワイ」に見立ての、訓練等
まさか、飛行機で軍艦沈めると、驚いていた、記憶あります。
この回答への補足
鹿児島の錦江湾は真珠湾に似ているので、日米開戦直前に海軍航空隊が訓練をしたようですね。
kmue70様は、ハワイ海戦(真珠港攻撃)に参加されたのでしょうか?また、この海戦に投入されたゼロ戦は、最新式のものだったのでしょうか。
ゼロ戦(零式艦上戦闘機):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD% …
No.5
- 回答日時:
#1さんのおっしゃるとおりだと思います。
奇襲させてやって という作戦だったと思いますが
とてつもない被害に驚愕したと思います。
それまでの歴史では、飛行機が戦艦を沈めることは
なかったのですから、甘く考えていたのでしょうね
しかも1-2年ぐらいで日本が降参するだろうと
思っていたのに、石油をインドシナあたりから
調達し、しかもゼロ戦を始めとする飛行機が
多く存在しつづけたので、なかなか日本本土へ
攻め込めなかったということで3年9カ月も
かかったのは、アメリカの大きな誤算だったと思います。
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