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  青丘先生今世に在れば靖国のこの混迷をいかに詠むらん
  久びさに碁盤ぬぐはば輝きぬ在らば百歳の父と対ひし
 この2首はいずれもある地方紙の短歌投稿欄のトップに入選していたものですが、両歌とも2句目は文語表現なので「今世に在らば」「碁盤ぬぐへば」でなければならないのではないでしょうか(後者は結句も疑問)。明らかに仮定条件と既定条件の混同だと思うのですが、ただ選者はどちらも高名な歌人なのでこれで良いということなのでしょうか。教えてください。

A 回答 (7件)

漢文では仮定時用件と確定条件の区別がありません。


漢文的な表現だということなのではないでしようか。

二首目の結句は文法的に明らかに変だと私も思います。
が、文学は必ずしも文法どおりというわけではありません。
高名な歌人の心境は燕雀には計り知れないのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

漢文のご指摘有難うございます。一般に詩歌などで漢文的表現がこのような形で使われているものなのでしょうか。

お礼日時:2007/03/11 15:28

え? 一首目はおっしゃるとおり、でも二首目の誤りは「ぬぐはば」ですぜ。

「ぬぐへば」とあるべきところ。ちゃんと仮定の「在らば」になってるじゃないですか。どういう疑問なんでしょう?

名が売れていようといるまいと、歌人の類が文語文法に疎いのはべつに今に始まることじゃござんせん。それにしてもいい恥さらしですな。なんて人ですか選者は。

教育勅語の誤り、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ」が「アラハ」とあるべきところであるのは有名な話ですけどね。漢学者も国文法には疎いってことで。漢文脈だろうが詩的表現だろうが文法に従わなくてはならないのは当然のことです。

第二首の「対ひし」はまったくの誤り。字数を度外視すれば「今あらませば百歳の父と対はまし」とでもすべきところですな。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2% …
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この回答へのお礼

後者も誤りは二句目で、四句目「在らば百歳の」は原歌で正しいわけです。私も内心恥さらしでなければいいが・・と思っています。教育勅語のご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2007/03/11 15:41

めちゃくちゃだね。


要するに教養がない。それだけでしょ。
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この回答へのお礼

結局そういうことですかね・・。

お礼日時:2007/03/11 15:43

第1首


 「在れば」→「在らば」
第2首
 「ぬぐはば」→「ぬぐへば」
 最後はあまり上手な纏め方とは言えませんが、文法的には合っています。「し」は「き」の連体形で、いわゆる「連体形止め」となり、感動や余情を表します。
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この回答へのお礼

 後者の結句は上句からの流れからすれば「父と対はむ」などと推量にした方が自然かと思うのですが、想起とも取れるのでその場合は原歌でいいわけですね。有難うございます。

お礼日時:2007/03/11 18:54

#2です。

失礼。質問文を斜めに読んで、とんちんかんな回答をしてしまいました。でも、内容的には間違いではありません。念のためもう一度申しておきますが、二首目の末尾に助動詞「き」は使えません。どうしてこんなところに使えると思うのか見当もつきません。
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この回答へのお礼

 結句は「今生きていたら百歳になる父と昔対局したことがあったなあ」という感慨を含む想起と取れないことはないということでしょう(前の回答者の方もそういう解釈と思います)。“高名選者”の見解はわかりませんが、流れから言って推量とする方が自然とは思うのですが・・。重ねてのご回答有難うございます。

お礼日時:2007/03/11 19:23

 質問者がおっしゃるとおり、文語文法では「今世に在らば」「碁盤ぬぐへば」が正しく、ここは選者が添削すべきだと考えます。


 確かに漢文では仮定条件・確定条件の区別が厳密ではありませんが、特に漢文脈の表現とも感じられませんし、うっかり見逃したか、文語文法に詳しくないか、のどちらかでしょう。
 二句目の結句に関しては、推量よりも完了の方が適していると思います。「り」「つ」(「ぬ」)といった一音の完了の助動詞を(リズムは崩れますが、それでもよければ「たり」も)用いるべき箇所ではないでしょうか。「(きれいになった碁盤を隔てて)もし生きていれば百歳となっている父と(しばし)むかいあったことだ。」という感じです。
 現代語の「た」が過去・完了・存続のいずれにも用いられるために、完了・存続の場合も短絡的に「た」=「き」と考えて、過去の助動詞である「き」を用いるケースが歌壇に蔓延しているように思います。
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この回答へのお礼

 結句については、私は「推量」ないし「意志」が自然と思ったのですが、成る程「完了」が合いそうですね。教えられました。
 仮定条件、確定条件の混同ですが、この程度のことは文法云々以前に一読すれば語感として当然違和感を覚える筈のこととを、“有名歌人”が見逃すということがあるんですね。信じられない、というのが私の正直な気持ちです。
 有難うございました。

お礼日時:2007/03/12 07:43

#5です。

恐れ入りました。確かにそういう読み方、言い方はあるかもしれない。いや、あるんでしょう。じゃなくて、はい、そう読めますな。それで連体形だったか。おっしゃるとおりです。偉そうな口吻のみっともなさ、慙愧に耐えません。

でも。でも、そりゃどんな歌だよ、って思う。それ歌になってねえよ、と云いたい。死児ならぬ先考の齢を数えたことは宙に消えてしまうではないですか。どこから百歳って計算が出てきて、それをどこに繋げようというのだろう。

厭世感がこう、じわっと。

しかし漢文訓読の語法を規範のごとくに考えることは、どうしたって無理ですよ。
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この回答へのお礼

 貴兄に結論的には同感できます。実はこの「在らば」程度の基本的な誤りは短歌界の方々で散見します。かつて上田三四二が日本語の底荷を担うのが歌人だという意味のことを言ったと思いますが、今や歌人は船を転覆させる張本人なのかも・・と思ってしまいます。重ね重ね有難うございます。

お礼日時:2007/03/12 08:03

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