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社会人の皆さんに質問です。
大学では様々なことを学びますが、学んだ内容が具体的にどのように役立つのかがイメージできなくて困っています。
どの教科がどんな職業においてどんな場面でどのように役立つのかを、ぜひ教えてください。
文系理系を問わず、できるだけたくさんのご回答をお待ちしております。

A 回答 (8件)

こんにちわ。


たぶん多くの人が一度は疑問に思いそうな質問ですね。
役に立つのか?ということを追求すれば、直接役に立つことはないと思います。
が、こんなことは言ってしまえば、きりがありません。
直接役に立つというなら、読み・書き・そろばんだけで十分だから、小学校だけでもいいはずです。
それよりも「勉強をする」という行為が役に立つのです。
勉強しない奴らが、いわゆる3Kとか単純労働、パート労働とかするんじゃないの?
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大学の勉強が役に立つかどうかはあまり関係ないのではないでしょうか?


ようは覚えたことを使えばいいだけのことだと思います。
実際に社会に出て使っている知識や技術は中学校時代や高校のバイトで得た知識です。大学はいままで覚えてきたことやあるいは興味があることを行なえばいいと思いますよ。
実際、こんなこと役に立たないと思っていたことが仕事を変わるときの面接や業界での集まり、会報や投稿等に使えることとかありました。これも役立ったことになるのではないでしょうか?
実際学校で役に立つ知識は数学・算数とその考え方だと思います。物事の判断の決定なんかに凄く役立ちます。
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No.5のBokkemonです。



> 大卒の方が高卒よりも給料が高いのは、この能力が相対的に高いことを買っていると
> 考えて問題はないでしょうか?

「選抜試験に合格し、専門教育を受けてきたのだから、相対的に高いはず」という予測を元に、「高いであろう能力」を駆使して「生産性の高い仕事、知的難度の高い仕事を任せられるだろう」という目論見で採用しますから、期待値を含めて高卒の方よりも高い給与設定になっているのでしょう。ただ、現実には分数の計算すらできない大学生、歴史の因果に無知な大学生、漢字の読み書きも満足に出来ない大学生はかなりの数に達すると言われていますので、虚構・幻想に過ぎないとも言えます。「社会性」に至っては、繁華街で騒いで周囲の迷惑を顧みない大学生は今に始まったことではありませんし、有名一流大学の卒業生というプライドばかりが高い「お荷物社員」も珍しい話ではありません。このため、昨今では学歴を伏せて採用面接をしたり、「能力・成果主義」を採用して入社後の働きに応じて報いるようにしたりといった企業が増えてきています。無能な「看板倒れ」の人に高給をむしられて平気なほどには、企業に余力がなくなっているのかもしれません。

> また、「専門領域に進路を求めた人」というのは、具体的には何学科を卒業して
> どのような職についている方を指すのでしょうか?

いわゆる学部・学科が専門領域を表しているという意味で申し上げました。「雇われ人」で例えば、薬学部⇒製薬会社の研究者、工学部⇒ゼネコンの開発者、文学部⇒編集者、経済学部⇒トレーダー、教育学部⇒教師といった例が考えられます。もちろん、専門を活かすという場はもっと様々なシチュエーションがありますので、自分の得意分野で力を発揮するイメージを膨らませることができると思います。
企業に職を求めた場合、営業・宣伝・製造・物流・調達・総務・経理・庶務など、様々な職種があります。いわゆる「正社員」で入社する場合は職種の限定が無いのが一般的でしょうから、製造に関する専門知識を修得してきた人が営業の部隊に配属されることもあるように、必ずしも専門領域で働く機会に恵まれる人ばかりではありませんし、最初の配属が専門領域であったからといって、その後もずっとその職域であるとは限りません。異動がありうるのが一般的です。それでも、自分を磨くことに前向きであれば、どんな経験も成長の糧になるものと思います。

大学の教養課程を例に考えてみますと、外国語は「汎用性が高い」もので、専門領域で用いることになる専門的な表現を学ぶチャンスになります。統計学などは企業での顧客や市場の変化を捉えるツールになります。心理学は対人交渉の助けになります。具体的に目に見えて役に立ったような気がしなくても、真剣に向き合えば得るものがあるはずです。専門課程はそれこそ自分の得意領域を深めていくものです。

自分に何かの強みがあると認識できると、得意分野に身をおいていなくても自分を見失わずにいられると思いませんか。そういう意味では、専門教育で自信がもてるだけの知識・思考力を修得しておけば、自分の力を発揮する場はかなり広がると思います。
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この回答へのお礼

とても丁寧なご回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2002/06/16 14:15

義務教育を含めて、教育によって得るものには段階があるものと思います。

私なりに振り返ってみると、自分の成長過程は次のように括れるかもしれません。
小学校:基礎的知力(読み・書き・計算・基礎知識)
中学校:基礎的思考力(ものごとの起承転結を理解する)
高 校:論理的思考力(関連する諸事象の相関を理解し、表現する)
大 学:論理的説得力(専門知識を深め、自己の知識を論理的に組み立てて表現する)

専門領域に進路を求めた人であれば、大学で学んだ知識を発揮する機会はあるはずです。そうでない人でも、まじめに学んだ人ならロジックの立て方、自己表現の仕方、経済社会構造への理解など、役に立つことは多いはずです。

大学というのは、もともとは高等教育を施して即戦力を養成する機関なのですが、「学力低下」世代が社会人になる時期にさしかかり、リクルーターと思しき学生たちを見ていると理解力・思考力・判断力・表現力で疑問符がつくように思います(とりわけ、電車内で見かける「いかにも」という人たちを見たり、その人たちの会話を聞いていると、とても成人とは思えません)。

学んだことが役に立つか立たないかは、その人の取り組み姿勢によるものと思います。
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この回答へのお礼

ご返信ありがとうございます。
論理的説得力(専門知識を深め、自己の知識を論理的に組み立てて表現する) という考え方は一つ参考になりました。
大卒の方が高卒よりも給料が高いのは、この能力が相対的に高いことを買っていると考えて問題はないでしょうか?
また、「専門領域に進路を求めた人」というのは、具体的には何学科を卒業してどのような職についている方を指すのでしょうか?

お暇がございましたら、ぜひご回答をよろしくお願い致します。

お礼日時:2002/06/15 11:07

その道のプロになるのでなければ、大学どころか中学校で習った科目でさえ、実社会で役立つかどうか疑問視していました。


が、10年程前にバブリーな新規事業を立ち上げた頃、カビの生長阻害因子の知識(実は大学での専門でした)と球の容積(これは中学校の算数ですね)を求める必要が発生し、なにがどこでつながってるのかわからんもんだな、と実感しました。
卒業後も情報を収集する姿勢がないと大学での学問は飾りになってしまうようです。
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この回答へのお礼

ご返信ありがとうございます。
新規事業など、新しいことをするときは、大学などで習った知識が必要になると考えてよいということなのでしょうか?
逆に、以前と変わらない業務をおこなうときには、業務の中で得た知識の方が大切になると考えてよろしいのでしょうか?

お暇がございましたら、またのご回答よろしくお願い致します。

お礼日時:2002/06/15 11:12

わたしはインド哲学というまったく仕事には役に立たなそうな学問を大学でやってました。


在学中、司書の資格を取っていまは工学系の図書館に勤務しています。
具体的に大学の講義で得た知識が仕事の役に立ったことは一度しかありません。タイ語の本が入ってきたとき奥付の発行年が西暦にしてはおかしかったのですが、すぐに仏暦だと気づいたことくらいです。
ただ、大学でサンスクリット語とかチベット語のような文字がローマ字でない言語をやってたので、たとえ見慣れない文字でもパニックになりません。入門者用のテキストと辞書があればなんとかなるものです。
もちろん司書課程で学んだことは直接仕事に関係のあることでしたが、就職してから学んだことのほうがはるかに多いです。
ただ職業に対する考え方のようなものは大学で学ぶうちに固まってきたように思います。それは技術的なことを学んでというより先生たちの経験を聞いたことが大きいです。
 
医者や弁護士のような仕事でも大学で学んだことがすぐに役に立つわけではありません。プロは必ず卒業してからも勉強を続けています。大学で学ぶのは学問の方法なのだと思います。
情報を集めたりレポートを書いたり研究発表したり。それはどの教科でも変わらないし、社会人になれば企画書を書いたりプレゼンしたりということに役立ちます。

ちなみにいま仕事で一番役に立っているのは、趣味でやってたパソコンです。インド哲学やっててよかったと思うのは、アジアや京都などに旅行に行って知ったかぶりできることです。
大学で学ぶことがかならず仕事に役立たねばならないってこともないと思いますよ。
お金がなければ生活できませんが、人生は仕事ばかりではないですから。 
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大学に限らず、学校で学んだことの大半は仕事で使うことが少ないと思います。

実際、仕事をしながらその仕事の知識を付けていくような場面は多々あります。(職業訓練校などは別でしょうが)
それは、学校というものの性格上しょうがないことですが、私は無意味では無いと思っています。よく、微分積分など生活していく上で殆どの人は必要ないので学ぶ必要はないと言いますが、僅かでも思考に関わってくると思います。
人は生きていく上で色々なことを考えますが、その根底には、数学的思考、歴史的思考、倫理的思考、芸術的思考等々・・・あり、その思考の観点が多いほど、仕事をする上で良い判断や考え方が出来るのではないかと思います。
必要がないからと言って、単に切り捨てるのでは世界(考え方)が狭まるだけです。
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難しい質問ですね。



大学を出て20年以上経ちますが、今になって思えば大学で学んだことで、社会に出てから役に立たなかったことは皆無ですね。

すべて何らかの形で役に立っています。特に40歳を過ぎてからは「嫌々でも大学に行っておいて良かった」と思うことがよくあります。
具体例で示せないのが辛いところですが、いちいち具体例で示せないほど、すべてが役立っていると感じています。

ただ、私は社会に出てから勤務先の倒産など、不運が続きましたから、却ってありがたみを感じているのかも知れません。そして、その後運良く自分で経営者となることもできましたから・・・.

一つ、大学で学んだ一番の大きなことは、「一定レベル以上の受験勉強を通ってきた人間でも、価値観の違いで物の見方が大きく変わる」と言う経験ですね。

高校までは、どうしても地域性が出てくるため、世界が狭いのですが、大学に進むと全国から人間が集まってきます。

学生という立場で、社会的にはまだ甘やかされている4年間に、そうした「世の中にはいろんな人がいることを知り、それを容認できる自分」を育てられたのは非常に大きなことだと思います。

ですから、若い人には経済的な事情が許す限り、大学への進学をお奨めしたいですね。

今はセンター試験とやらで、自分の合格できそうな大学を選ぶチャンスが与えられているのですからなおさらです。

ちなみに私は『二期校』出身の、入試の際には一発勝負×2と言う時代の人間です。一期校には・・・来なくて良いと言われました。(笑)
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