アリストテレスにおける「支配」の概念について教えてください。

A 回答 (1件)

現実主義者のアリストテレスは、まず何よりも人間関係の根本にある第一は男と女であり、もう一つは支配と非支配の上下関係であると言いました。



種の保存のための男女関係は当然として、人間が自己保存を図っていくためには平等であってはならない、誰かが指導して誰かがそれに従うという関係に立たなければならない、そして知恵あるものが指導者に、知恵なきものは部下になって汗を出すという関係が欠かせないと彼は言います。上下関係のない社会つまり平等な社会は全員が奴隷になってしまう社会だとも言っています。民主主義社会でも同じことで、民主的とはもちろん全員が奴隷になることではないが、さりとて全員が指導者になることでもない、誰か一人が指導者となり他のものたちはその指示に従っていかなければならない、それが嫌ならその組織は滅びるほかないと彼は考えているのです。そして、その被支配者の最下層にいるのが奴隷だ、という奴隷肯定論が出てくるわけです。

「支配」の概念については、このURLも参考になるかと思います。
http://cosmicus.terrashare.com/book05/5-3-1.html

参考URL:http://www.117.ne.jp/~t-hnfs/aristetle_int.html
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この回答へのお礼

丁寧に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2001/01/21 21:59

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Qアリストテレス・ガリレオの魅力とは

ここ数ヶ月、アリストテレスやガリレオに興味を持って勉強をしていましたが、ガリレオはすごいなぁと思うところがあったのですが、アリストテレスはどうなのかなぁと思っています。
例えば、アリストテレスは四元素で色々な物質を説明していましたが、火・土・水・空気だけで新しい物質ができるというのは、ちょっと適当じゃない?とか思ってしまいました。また、落下運動にしても、落ちる物質は自然に加速されると適当なことをいっていたように思い、なぜ当時アリストテレスが支持を集めていたのかと思います。
批判ばかりしているのは頭が固いせいかもしれません。せっかく勉強もしてきたので、アリストテレスの魅力というのも感じてみたいです。
というわけで、アリストテレス・ガリレオのそれぞれの魅力というのを聞いてみたいと思っています。どうぞ宜しくお願いします。

Aベストアンサー

アリストテレスとガリレイじゃ2000年近く時代が違いますからね。
アリストテレスというのはギリシア総合学みたいな人です。プラトンの弟子ですが、プラトン主義者というよりそれまでのギリシアの培った学問全てを承け継ぎ、まとめようとした人のように思えます。
たとえば仰る四元素説ですが、こういう事を言い出したのはエンペドクレスです。プラトンはエンペドクレスの四元素説を受けて、この四元素は多面体であるという説を唱えています。(これも別に珍説ではなく、世界が正多面体で考えられる、というのはピュタゴラスにもありますし、ガリレイより後の時代のケプラーにもあります)
世界の根源となる物を最初に考えた、とされるのはタレースですがアリストテレスより200~300年ぐらい前の人です。私たちからいえば江戸時代の人みたいな。そういうかんがえを継承し発展させているわけです。
いわば、ある程度哲学者たちの間で常識になっていた事を踏まえ、その上に総合的な「何でも知ってやろう」「何でも考えてみよう」的な学問をうちたてたわけです。
まあもちろん当時の自然学というものは実用とはかけ離れていたため(アルキメデスとかは少々別でしょうが、こっちは魔術師の系譜につながっていく)運動学とかはたしかに妙な事も言っています。これは時代の限界というものでしょう。
のちに中世になっていくにしたがって、スコラ派あたりではむしろ(新)アリストテレス主義や(新)プラトン主義が、その特徴をむしろ誇張した形で展開していきますが、なんといっても学者、というものが神学者でもあったような時代にはこういうものを金科玉条にする傾向がでるのはしかたのないことです。一方で魔術的な思考というものが発展してゆき、ヨーロッパで最終的にこういう古代的な思考をのりこえていくのは18世紀頃です。(ニュートンとかライプニッツとかの頃。元素で言うとドルトンは19世紀初め、アヴォガドロも19世紀初めです。それまでは?そう四元素説も健在だったんですよ。

戻りますが、アリストテレスの凄さは総合の凄さでしょう。一つ一つは他の人が既に言ったことでも、それとこれとを組み合わせて、全世界的な認識、というものを考えた点だと思います。彼の弟子であるアレクサンドロス大王が、地中海世界の征服者となったのもそういう精神が共通しているようにも思うのですが。

アリストテレスとガリレイじゃ2000年近く時代が違いますからね。
アリストテレスというのはギリシア総合学みたいな人です。プラトンの弟子ですが、プラトン主義者というよりそれまでのギリシアの培った学問全てを承け継ぎ、まとめようとした人のように思えます。
たとえば仰る四元素説ですが、こういう事を言い出したのはエンペドクレスです。プラトンはエンペドクレスの四元素説を受けて、この四元素は多面体であるという説を唱えています。(これも別に珍説ではなく、世界が正多面体で考えられる、というのは...続きを読む

Q「美」と「崇高」という芸術の概念にをご教示下さい

10年ほど前なのですが、坂本龍一氏がつくった「LIFE」という
オペラに関し、これは「崇高」ではなく「美」なんだという論評を
見ました。私は坂本氏の音楽はそれなりに聴き続けてきたもの
の、哲学用語には疎いので、いわばスルーしたのですが、なんだ
か最近またとても気になっています。(その後も何度か「日曜美術館」
などでこの言葉を聞きました)。

ここからが質問なのですが、芸術論、および哲学の中で(おそらくカントで
しょうか)「崇高」と「美」という言葉はどういう文脈で使われるのでしょうか。

専門の方にとっては初歩的なことかと思いますので、申し訳ございませんが、
ご教示いただけると幸いです。坂本氏のオペラとは関係ない一般論のご回答
でかまいませんので、ご教示いただきたく、よろしくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

「美と崇高」について書かれた初めは1759年のエドマンド・バークの「崇高と美の観念の起源」で、それに次いだのが1764年のカントの論文「美と崇高との感情に関する考察」です。
バークは美と崇高を区別して、崇高は人間に恐怖と畏怖の念と不安をもたらすが、美は人間に安らぎと陶酔をもたらすといっています。
ともに人間の感性を超えている点では共通しますが、方向がまったく逆です。
カントが論文を書く際にバークの本を参照していたかどうかは定かではありません。
カントは崇高の感情を、恐怖と高貴と豪華に区分しました。
そしてその堕落した形態として怪奇と茶番があり、豪華は崇高と美の中間の感情であるといいました。
それに対してカントのいう美は芸術作品の美が挙げられますが、それよりもかれは道徳的な人間の在り方、人間の尊厳を美の模範と考えました。
そのような考え方に当てはめてみると、坂本龍一がオペラを「崇高」ではなく、「美」といったのも当然だと思われます。
なぜなら、オペラを観て「恐怖感」に駆られたり、「畏怖の念」を抱くことは稀だと思うからです。

Qアリストテレスは1元論なんですか?

プラトンは2元論を唱えたのに対してアリストテレスは1元論であるという説明を聞きましたが、本当ですか?アリストテレスも2元論だったんじゃないですか?

Aベストアンサー

プラトンとかアリストテレスというビッグネームが何論かなどに答える任ではないのですが、賑やかしに一言。

一元論対二元論という対抗軸は、近代になって取上げられるようになったものですね。古代の彼らになかった考えをとり出すのですから、どういった視点を持って見るのかということを明確にしておく必要があるでしょう。プラトンを二元論だという方は多いようですが、その場合でも何を論ずるときに何を二元としていると見ているのか。例えば、プラトン中期のイデア論で、イデア界と現実界の二世界説を二元論という方も居られるかもしれません。その場合、後期になってイデアを否定するようになったら、一元論に変ったと見るのか。その場合アリストテレスは始めっから一元論ということになりますね。

あるいは、アリストテレスを二元論であるというときに、形相ー質料という見方を言うのなら、心身の二実体という見方とは本質的に違うことを言うことになりますね。アリストテレスの形相ー質料は、コインの裏表のように一体であり且つ、入れ子になってもいる。レンガという形相をもったものは、建築物に対しては質料になる、というように。潜勢態・現勢態との絡みも考えると「二元論」と言えるのか。
kgat0769さんが「アリストテレスも2元論だったんじゃないですか」と言われるのは、二元を見て居られるからでしょう。そこははっきり、アリストテレスが斯々論ずる上で、何と何の二元としている、と示されて問われると良いのではないか。あるいは、一元論だという説明の何処に不信を持ったのか、を示されて問われると良いのではないか。

プラトンとかアリストテレスというビッグネームが何論かなどに答える任ではないのですが、賑やかしに一言。

一元論対二元論という対抗軸は、近代になって取上げられるようになったものですね。古代の彼らになかった考えをとり出すのですから、どういった視点を持って見るのかということを明確にしておく必要があるでしょう。プラトンを二元論だという方は多いようですが、その場合でも何を論ずるときに何を二元としていると見ているのか。例えば、プラトン中期のイデア論で、イデア界と現実界の二世界説を二元...続きを読む

Qキリスト教の予定説に何故「悪魔」の概念が必要なのですか。

予定説によれば、たとえ善行したとしても、それによって救いがもたらされるわけではありませんよね。
誰に迷惑をかけるでもなく、真面目に働き家族を養っていたとしても、結果として家族が残酷な犯罪に巻き込まれ、辱められ、皆殺しにされ、その家族も自分も魂の救済も得られずに地獄に行く場合もあると考えるのですよね。

そういう人間の側の論理でみれば徹底して理不尽で無慈悲な存在が神というものであると考えるのが予定説だと理解しているのですが、であるならば、「悪魔」は別に必要ありませんよね。
何故、予定説を採用した場合でも、「悪魔」の概念が必要なのでしょうか。

御回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

> そういう人間の側の論理でみれば徹底して理不尽で無慈悲な存在が
> 神というものであると考えるのが予定説だと理解しているのですが、

そもそも、予定説の「理解」が違うのではないでしょうか。

予定説は神様の救いに関する「説」なので、神様が理不尽だとか、
無慈悲だとかいうことは、この際、主観的な感想だと思います。

敢えていうならば、予定説によれば、神様は、その救いにあずかる
人たちを(聖書には「求めよ、さらば与えられん」と書いてあるので、
つまるところ、救いを求める人たちを)決して見捨てることがないと
いっているわけですから、むしろ神様は、理不尽なくらい慈悲深いと
いえるのではないでしょうか?

No. 8 >> 調べてみたところ、予定説を考え付いた人はジャン・カルヴァン。

そういうわけではありません。例えば、Goo 辞書(国語)を調べて
みてください。http://dictionary.goo.ne.jp/
あるいは、Wikipedia 英語版で “Predestination” を調べてみてください。

No. 8 >> で、予定説を採る人は「自分達が救われるかどうかはわからない。」
No. 8 >> ではなく、【自分こそ救済されるべき選ばれた人である】としたわけ
No. 8 >> ですね。

これは、「予定説を採る人」の考えとは、相容れないように私には
思われます。ぜひ、よく調べていただきたいように思います。

> 何故、予定説を採用した場合でも、「悪魔」の概念が必要なのでしょうか。

予定説というのは、救いに関して聖書に書かれていることから導かれた
説なわけですから、聖書に悪魔について書かれているときに、「悪魔の
概念が必要」かどうかという質問は、あまり、意味をなしていないように
思います。

> そういう人間の側の論理でみれば徹底して理不尽で無慈悲な存在が
> 神というものであると考えるのが予定説だと理解しているのですが、

そもそも、予定説の「理解」が違うのではないでしょうか。

予定説は神様の救いに関する「説」なので、神様が理不尽だとか、
無慈悲だとかいうことは、この際、主観的な感想だと思います。

敢えていうならば、予定説によれば、神様は、その救いにあずかる
人たちを(聖書には「求めよ、さらば与えられん」と書いてあるので、
つまるところ、救いを求める人たちを...続きを読む

Qアリストテレスの力学について

アリストテレスの力学について詳しく教えてください!

・アリストテレスはどのような力学を説いたのか
・今の力学はどうなっているのか
などなど

あと、詳しく説明してあるページなどを教えていただけたら幸いです。

Aベストアンサー

物理学はおおよそ3つのステージに分解できます。
第一ステージがアリストテレス派が活躍した西暦1500年くらいまで。
第二ステージが古典力学(ニュートン力学)の1900年くらいまで
第三ステージが量子力学と相対性理論の現代物理学です。

アリストテレスの古代ギリシアでは自然科学が大いに発達したのですが、
それが即西洋に取り入れられたわけではなく、1200年頃に神学として紹介されてからです。
アリストテレスは不動の神が最上位におり、地球は動かないと天動説を唱え、
これが当時のキリスト教観にあっていたことから採用されます。

アリストテレスの力学を簡単にいえば見た感じ、触った感じ重視の感覚主義です。
約300年ほどアリストテレス派が幅を利かせていましたが、
1500年頃から観測技術、微積分の概念、対数などが整い初め、実験による物理学が登場してきました。
こうしてアリストテレス派に反抗していったのがコペルニクス、ガリレオであり、
天才ニュートンがそれらの理論を体系化し、新しい物理学が始まります。

アリストテレス派の考えは哲学なので非常に難しいので、それは別途勉強して頂くとして
天動説の考えとなった事例を紹介しましょう。

ニュートンはりんごが落ちることから万有引力を発見したという故事は
日常生活での発想の大切さを説いたものですが、実は裏があるのです。
アリストテレス派はリンゴを高いところから落とした時、地球が動いていれば
時間差で別のところへ落ちる筈だと説いていました。これが天動説の根拠です。

ニュートンの成人した頃には地動説が当たり前になっていますが、
これに対してニュートンは万有引力という概念を導入することによって
上記のりんごの件は勿論、惑星の運行も応用できると考えました。
ニュートンはリンゴのことは予め知っていたので、発想の転換とは少し違いますね。

もう1つアリストテレス派の理論を紹介しておきます。
重たいものは軽いものより早く落下するというものです。
しかし、これもガリレオのピサの斜塔からの落下実験で否定されています。
重力加速度は物体に関わらず一様にかかりますから当然ですね。

物理学はおおよそ3つのステージに分解できます。
第一ステージがアリストテレス派が活躍した西暦1500年くらいまで。
第二ステージが古典力学(ニュートン力学)の1900年くらいまで
第三ステージが量子力学と相対性理論の現代物理学です。

アリストテレスの古代ギリシアでは自然科学が大いに発達したのですが、
それが即西洋に取り入れられたわけではなく、1200年頃に神学として紹介されてからです。
アリストテレスは不動の神が最上位におり、地球は動かないと天動説を唱え、
これが当時のキリスト教観...続きを読む

Q支配を望む、それとも支配されるのを望みますか?

人は、支配を欲するのか、支配されることを欲するのか?

世の中の出来事を見ていると、
人は、意外に、他者に支配されることを望んでいるのではないか?
と思えることが多々あります。

人は、他者を支配することを欲するのか、他者に支配されることを欲しているのか?

教えてください。
よろしくお願いします。

わたし、SMのSです、Mでも結構です。
わたしの考えるSM論でもOK。
ファッションなどの流行に敏感です、
ホニャララさんは、わたしの《神》です、
ニーチェは間違っている、
などなど、
この質問に関係することならば、どのような内容でも大歓迎です。

Aベストアンサー

基本的には、人は「支配されたい」という欲求はなく、あるのは、「所属したい」「つながっていたい」という欲求だと言われています。

アメリカの心理学者のアブラハム・マズローは、人間の基本的欲求を低次から述べると、以下の通りであると述べています。
1.生理的欲求(Physiological needs)
2.安全の欲求(Safety needs)
3.所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
4.承認(尊重)の欲求(Esteem)
5.自己実現の欲求(Self-actualization)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96

1と2は生物の本能的な欲求で、3番目から社会的欲求と言われます。
この「所属したい」「つながっていたい」という欲求の中で、このルールに従わないと仲間に入れないとか、この人の言うことを聞かないとつながっていられないという場合に、支配されているような状態になるわけです。

ただ、欲求の大きさが大きいほど、支配の幅が広がり、欲求が小さいほど、支配されない状態になると言えると思います。


4が「認められたい」という欲求で、高じて支配への欲求となります。
5は自己実現で、これは支配への欲求がさらに高じて、支配を使命と考えるようになる時の欲求といえます。

基本的には、人は「支配されたい」という欲求はなく、あるのは、「所属したい」「つながっていたい」という欲求だと言われています。

アメリカの心理学者のアブラハム・マズローは、人間の基本的欲求を低次から述べると、以下の通りであると述べています。
1.生理的欲求(Physiological needs)
2.安全の欲求(Safety needs)
3.所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
4.承認(尊重)の欲求(Esteem)
5.自己実現の欲求(Self-actualization)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E...続きを読む

Qアリストテレスの「不動の動者」

アリストテレス哲学に「不動の動者」という概念がありますね。
目的論的自然観の頂点に位置する純粋形相、完全な現実態のことです。

ところが、八木雄二『神を哲学した中世』という本を読むと、
「アリストテレスの形相質料論が新プラトン主義と結びついて、純粋な形相や、上位の形相と下位の質料という考え方が生まれた」
と書かれています。
つまり、「不動の動者」という考え方は新プラトン主義の産物とのことです。

しかし、私の記憶では、「不動の動者」「上位の形相と下位の質料」という考え方は、『形而上学』において示されていたはずです。
つまり、アリストテレスの自然観は新プラトン主義の産物ではなく、アリストテレス自身の思想だと思うのですが、どうでしょうか?
あるいは、「不動の動者」の箇所はアリストテレス自身が書いたのではなく、後世に加筆されたのでしょうか。

Aベストアンサー

☆> そもそも、アリストテレスと新プラトン主義では、時代が合いませんし。。。
アリストテレスが新プラトン主義と結びついたものがアラビアに伝えられ、イブン・ルシュド(アヴェロエス)の注釈を経て、13世紀にヨーロッパに逆輸入された、と八木雄二の本に書いてありました。

◇よく、ご存知で。
イスラム哲学では、アリストテレスの哲学が新プラトン主義的に理解されました。アヴェロエスによって、アリストテレスの哲学と新プラトン主義的なそれとを分離しようという試みが行われたけれど、アヴェロエスはギリシア語が読めなかった。アラビア語の翻訳に頼らざるをえなかった。自ずとそこには限界があった。

このアヴェロエスの過ちを指摘し、ただしたとされるのが、有名なトマス・アクィナス。
しかし、Wikipediaのトマス・アクィナスの説明などを読むと、十分すぎるほど新プラトン主義的な考え方が混入しているようですが・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9



☆上位の形相や不動の動者という考えになったと述べている
◇これが新プラトン主義の《流出論》的な解釈なわけですよね。
こうした《不動の動者》や《純粋形相》のとらえ方は、アリストテレスのオリジナルではない、と言っているわけでしょう。
八木氏は、《不動の動者》や《純粋形相》といった概念がアリストテレスのものではない、と言っているわけではないと思います。

そうでないとすれば、八木氏が誤解なさっているのではないでしょうか。

☆> そもそも、アリストテレスと新プラトン主義では、時代が合いませんし。。。
アリストテレスが新プラトン主義と結びついたものがアラビアに伝えられ、イブン・ルシュド(アヴェロエス)の注釈を経て、13世紀にヨーロッパに逆輸入された、と八木雄二の本に書いてありました。

◇よく、ご存知で。
イスラム哲学では、アリストテレスの哲学が新プラトン主義的に理解されました。アヴェロエスによって、アリストテレスの哲学と新プラトン主義的なそれとを分離しようという試みが行われたけれど、アヴェロエスはギリ...続きを読む

Q主体という概念と主権という概念はどういう相互関係にあるのですか?

主体という概念と主権という概念はどういう相互関係にあるのですか?

Aベストアンサー

主体と主権は主が存在すること、主体は体がメイン主権は権利がメイン
ただ主権を実行しようと思えば必然と主軸が存在する主軸が人であればそれは主権と合一化し客観的にみて主体と合一しているように見える、主体も同じように思い込んでいれば主体と主権が合一していると言えなくは無い。

Qアリストテレスの政治学について

アリストテレスの政治学について

アリストテレスはなぜ倫理と政治学を一緒に学ぶ必要があると考えたのでしょうか。
参考になるサイト、個人的な考察や意見など教えてください。

Aベストアンサー

それが人間的な事柄であるから、というのが答えになるでしょうか。

実践学としての政治学は、『国家において、何をどれだけ学ぶべきか、あるいは為すべきか』と言った事柄を規定する棟梁的な学問の性質を持っていると、(有斐閣:政治思想史 33Pあたり)に書いてあります。

形而上学は、真理を追究して、人間的というよりは真理に従順であって、それは実践学より理論学の仲間に入るのに比べ、政治学は実際に人間によって為される事柄であり、諸学問をどのように、何のために駆使するかもこれによって規定される。したがって、諸学問の目的を包括したその学問の究極目的は、人間的善であらねばらならない、と。

ちなみに、倫理学と政治学の両者を含む全体をポリティケーと言うそうです。
 
浅学ですが、このような感じです。○○すべきである、あるいはすべきでない、といった善の動機が、政治学の根本にあり政治学を動機づけているのではないでしょうか。

Q「聞く」「考える」「カンガエル」「考える」「発話」

言葉を通して考える事について。

「聞く」
誰かの発話を空気の振動を経由し聴覚神経を経て
(あるいは何かの本を読んで)
「考える」
発話された意味を言葉に翻訳して理解する、
「カンガエル」
発話による刺激と、脳の中の記憶により、信号に変換
01.01.01.・・・又は、同じ、違う、同じ、違う・・・
この繰り返しの結果
「考える」
脳の中の信号の結果を、言葉に再度翻訳して、
「発話」
『言語のない世界に生きた男』の話は本当ですか?

大変大雑把な図式ですが、
質問は、「カンガエル」と言う部分が、
カントの言葉を借りれば「物自体」にあたり、
感性的な理解は不可能であり、結果として、
思考に言語が必要かどうかを問う事は、断念せざるを得ない。

皆さん、どう思われますか。

Aベストアンサー

関係ない話ですみません。
だって意味がよくわからないものですから。(;;)

でも犬を飼っていると、このあたりの事情がなんとなくわかります。
ノンバーバルコミュニケーションというか、動物との意思疎通というのは
なんとなくありそうな気がします。

犬は考えていないかというと、結構考えているのです。
行動を選択しその結果を喜んだり、落胆したりします。

主人の行動を観察して、「散歩かな?散歩に連れていってくれるかな?」
と目をきょろきょろ、おちつかないそぶりを見せます。
台所でカンッという、皿のふれあう音がすれば「条件反射」で駆け寄って
餌を催促するように吠え続けます。

この条件反射なるものが、実は「カンガエル」の原型であるかのように
思うのです。
記号論的に言えば、意味作用とでもいうのでしょうか、
事象やモノに意味を付与する(意味を選択する)行為が、
「思考」の実体であると思えます。

次に記憶ということがあげられます。
学習といいかえてもいいです。
条件反射は記憶による学習ですが、そこに言語は介在しません。
嗅覚と音などがおりなす気配が、次のおこりうる事象を予感させる
から、犬は吠えたり、そわそわしたりします。

ただ、そこに、いわゆる人間の言語は介在しないのは間違いない
けど、犬は犬なりに一連の気配を、グーとがガルルとか◎$)(’&%$
とか名前はないにしろ感性的に識別してる可能性はあるかもしれない

しかし、一方でそういう行動を観察する人間が「ゴン太。ごはんよ」
とか「ポチ。散歩だよ」と「発話」することで、音を聞き取って、この
僥倖は「ごはん」という発話でもって確定するという学習をしている
という可能性があります。
おそらく、感性的な思考はあると思います。
記憶と密接にむすびついていて瞬間的に一定の結論を導きだします。
それが未来の記憶(デジャヴュや潜在意識)であったりするから
不思議で楽しいのでしょうね。

なんか的外れで恥ずかしいなぁ(^^;

関係ない話ですみません。
だって意味がよくわからないものですから。(;;)

でも犬を飼っていると、このあたりの事情がなんとなくわかります。
ノンバーバルコミュニケーションというか、動物との意思疎通というのは
なんとなくありそうな気がします。

犬は考えていないかというと、結構考えているのです。
行動を選択しその結果を喜んだり、落胆したりします。

主人の行動を観察して、「散歩かな?散歩に連れていってくれるかな?」
と目をきょろきょろ、おちつかないそぶりを見せます。
台所...続きを読む


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