dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

医療現場で働いていて思うのですが、患者さんの為になること利益になることと思えることが、患者さんの意思に反することであった場合、どの程度、患者さんの意思を尊重すべきでしょうか。具体例を出せば、たとえば入院患者さんの生活習慣病を改善するために、あまり乗り気でないのに、ほぼ強制的に運動プログラムを取り入れるとか、うつ病の入院患者さんの自殺を拘束して阻止するとか、そういうような場合です。

倫理学において、パターナリズムと呼ばれていることだと思うのですが、医療倫理学では、どのような回答があるのでしょうか。

A 回答 (12件中11~12件)

医療の究極とも言える本質的な問題だと思います。

私は究極的には結局生きているということをわれわれあはどういうものか知ることができないというところまでいくと思います。つまりこの答えは将来得られるだろうと期待ができない回答不能問題だと思っています。医療は、患者をこの問題に直面させないように努力する作業です。普通の人は死に直面しないとこの問題を考えません。つまり医療を提供する側に立つ人が提供する方法もこの問題を回避させるだけなのです。多くの患者は本能的にこの問題には答えがないから回避するに越したことはないと医療従事者の命令に従います。しかし一方患者は生きていることを実感したいのです(わからないからこそ!)。体のため、健康の為にやれということは殆ど生きているという実感を禁止するものです。パターナリズムに従っている患者はいつの間にか父親役の医療従事者を自分の代わりに生きてくれていると錯覚してしまうことも多いのです。「信頼できるお医者さん」という表現に相当することです。信頼と依存は医療において本質的な問題です。「私も生きていることがどういうことかは分かりませんが、こういう難しい問題を考えないでも済むようにここ当分は生きていられるように私のいうことを聞いてください」ということになるのかなと思います。

この回答への補足

ちょっとよくわからなかったのですが、

>医療は、患者を「この問題」に直面させないように努力する作業
>普通の人は死に直面しないと「この問題」を考えません・・
>つまり医療を提供する側に立つ人が提供する方法も「この問題」を回避させるだけなのです。

などなどで書かれている「この問題」ということは、具体的にどういうことなのでしょうか?

補足日時:2007/07/01 22:11
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お答えいただき、ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/01 22:11

現在の医療では、患者の意思を尊重しているのではないですか。


栄養指導はしても、入院させて食事制限をするところまではしない。
鬱病の方でも、希望退院は出来ると思います。

完全に食事制限を管理下においたり、鬱病の患者さんを自殺企図があるから、ベッドに縛り付けたり、個室での生活の様子を監視カメラに映す、というのは人権の問題があると思います。
ただ、治療を受ける意思が本人にあり、入院に同意が取れるなら、ある程度可能ではないでしょうか。
あくまで自由意志と、人権が尊重された上です。
家ではこういった管理はできませんが、自分の病院に入院させるなら、本人の承諾がある上ではできるでしょう。
治療を受ける意思が、あるかないかは、本人の自由な決断の上だと思います。

この回答への補足

確かに、自律尊重の原則は守られるべき大原則ですね。しかし、通常の判断力をもつ患者さんならばよいのですが、痴呆の患者さんや精神疾患の患者さんが拒否する場合に、どう対応するべきなのか迷ってしまいます。

補足日時:2007/07/01 22:09
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お答えいただき、ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/01 22:09

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す