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もしドイツがモスクワ攻略作戦を成功させていたらどうなっていたのでしょうか。おそらくスターリンは脱出するでしょうが、やはりドイツに降伏するのでしょうか。

A 回答 (8件)

首都を占領すれば戦争は勝利で終わるというのは近代総力戦においては幻想にしかすぎません。



日本軍も日中戦争で南京を占領すれば戦争は終わりという幻想を抱いて無理な強行軍までして南京を陥落させましたが、戦争は終わるどころか始まりにすぎませんでした。

これは近代先進国の陥りやすい誤りで、政治機構が首都に一極集中している状態の場合にだけ成立する事でしかありません。
しかも国土が狭く移転の余地がないケースだけにしか当てはまらないのです。

当時のソ連では祖国防衛戦争と称し戦争継続の意志は強制されたにしろ旺盛でした。
モスクワの後背地は農奴解放令で奴隷状態から解放された地帯で保守的で、先進国の理解を超越した状態の広大な国土を有していたのです。

さらにドイツ軍には既に息切れの状態が迫っていました。 
占領地の状態は交通事情は最悪でしたし補給の維持は極めて困難で、その上異常な寒気に装備が対応していませんでした。
モスクワの攻略はシベリア軍団の来援なしでも無理でした。
シベリア軍団の来援で反攻が始まりドイツ軍を押し返す事ができたのです。

さらにドイツの政策がまずくソ連国民を味方につけられなかった点が皆さんのご指摘のとうり決定的な誤りでした。
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 東部戦線に300万も新たな兵が加わったら食べさせることができませんがな。

すでにソ連軍に根こそぎ食料を略奪された白ロシア、バルト三国の人間が、戦いながら自分の食料を用意するなんてまず無理だし、穀倉地帯のウクライナでも難しいでしょう。それに東部戦線の難しさは補給の難しさです。鉄道がきちんと整備されていない、整備したってドイツには広軌の機関車がない、雪や泥でトラックがまともに走れない、そもそもトラックが圧倒的に足りない、そういった状況です。トラックどころか飛行機さえ根こそぎ動員して輸送に当たっていたのです。よそで食料を挑発すればすむという問題ではありません。。史実でさえ輸送に苦戦したのにあらたに300万も食い扶持が増えたらまじめに餓死者が出ます。そしてそもそも中欧自体にヨーロッパ人を食わす食料がなく、貿易で不足をカバーしていたのです。日本ほどひどくないにしてもその構図は同じです。その輸入の海路を失ったままドイツは戦争をしていたのです。徴発しても徴発しても食料は不足していたのです。
 あとナチスの政策自体が、ユダヤ人を絶滅させ、スラブ人を文字通り奴隷化し、彼らと彼らの土地をアーリア人(ドイツ人)が支配するというものです。根本的な思想をひっくりかえしてまで戦略を語るところにも無理があるように思えます。
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ドイツ軍が「腐ったドアを蹴破って」ソ連に侵攻した際、スターリンの恐怖政治(今の金正日のやり方に酷似)に苦しんでいたソ連人、特に北朝鮮で言う「敵対階層」に分類されていたと言えるウクライナ人は、ドイツ軍を解放軍として迎えてドイツ軍に協力する態度を示しました。



しかし、ドイツ軍がソ連軍の捕虜をこの上なく酷く扱い、かつ占領地の民間物資を徹底して略奪、かつ住民を奴隷化の対象としてしか見ないことが明らかになりました。ポーランドで行なったのと同等以上の「スラブ民族奴隷化政策」が行なわれたようです。当初はドイツ軍の味方だったソ連人たちも急速にドイツの敵になっていきました。これは、ある意味スターリンを大きく助けたと言えます。

ドイツがソ連に攻め込んで直面したのは「扇広がりのソ連の想像を絶した広さ」と「殺しても殺しても湧いてくるソ連兵」でした。元来ソ連はドイツの3倍の人口を持ち、スターリンは若者や女性まで根こそぎ召集して銃も持たせずに督戦隊の恐怖でドイツ軍に突撃させたのですから、殺しても捕虜にしてもソ連兵が減らないのは当たり前なのですが。

ドイツが、ソ連で「解放軍」として振舞うことが出来れば、多くのソ連人がスターリン政権打倒のためにドイツ軍に加わり、勇敢に戦ったでしょう。これにより、ドイツ軍の兵員不足は大幅に緩和されます。ドイツ軍が1941年にかなりの部分を占領した白ロシア、ウクライナ、バルト三国など。これらの地域から数百万単位で戦意に燃える「ドイツ兵」を調達できたはずです。

これは、元来圧制が敷かれていなかった欧州のほかの占領地、フランス、ベネルクス、デンマーク、ポーランドとは異なる所です。これらの地域からも、武装SSに志願兵として加わる者は史実で結構な数(万人単位)が出ました。「ロシアに自由を与える」とドイツが真摯に約束した場合、ドイツ軍に加わるソ連人の数は100万人単位となったことが確実です。

ドイツ軍に、自らの意思でソ連と戦う「ロシア軍団」「ウクライナ軍団」「白ロシア軍団」「バルト軍団」がそれぞれ100万人単位で加わったとすれば、その数は本来のドイツ軍に匹敵したでしょう。戦意の点では、イタリア、ハンガリー、ルーマニアなどの同盟軍より遥かに上だったでしょう。識字率や武器や訓練の問題がありますから、ソ連正面軍にぶつけることが難しいとしても、側面や後方の警備には歩兵装備のみで十分使えたでしょう。工兵として、鉄道や道路の保守に当たることも出来たでしょう。ドイツ軍を苦しめた「補給難」がかなり解消されるはずです。

さらに、緒戦期に100万単位で捕獲されたソ連軍の捕虜は、現実には柵で囲っただけの「収容所」で餓死するに任され、ソ連人のドイツへの幻想を打ち砕き、結果的にスターリンを大きく助けました。戦争後半にドイツ兵がソ連の手に落ちたとき、人類史上最も残酷な復仇を受ける理由にもなりました。(北朝鮮でやられていることの方がさらに残酷でしょうが)

これら元ソ連兵の中にも、スターリンへの憎しみに燃え、ドイツ軍の「ロシア軍団」等に参加を熱望する者は相当数いたはずです。ドイツ側にそれを献策し、ウラソフ将軍を長とする「自由ロシア軍」が一応結成されましたが、ドイツ軍がソ連捕虜の自由ロシア軍への参加を認めなかったため全く実効性なく終わりました。100万の元ソ連兵が、ドイツ軍の将軍・ドイツに忠誠を誓うソ連将校の下で100万人の「ドイツ軍ロシア軍団」にそっくり変身したとしたら…とてつもない戦力になります。彼らは元々ソ連兵ですから、ほとんど再訓練をせずに武器を与えるだけでソ連軍の正規兵と堂々と戦えたはずです。

上記のように、独ソ戦はドイツのやり方次第で将棋のように「相手のコマを自分のコマに換えて戦う」ことが可能な非常に珍しい戦いでした。ドイツに勝機があるとすれば、「ロシアの敵スターリンはロシア人に攻撃させる」と割り切り、ソ連人のスターリンへの憎しみを最大限利用することだったでしょう。「モスクワ攻略の影響」などは遥かに重要性の低い話です。

食料などは、ドイツに決して忠誠を誓わないヨーロッパのドイツ占領地域で生産させて徴発すれば良いのです。何もソ連で根こそぎ徴発する必要はないですし、ドイツのソ連軍団の食料程度は彼らが自分で用意できたでしょう。

「腐ったドアを蹴破る」が「ソ連に攻め込み、スターリンに苛まれていたソ連人をドイツ軍に取り込んでスターリンと戦わせる」ことだったのであればヒトラーは真の天才と評価できますが、実際は違いました。

ヒトラーは、ソ連人をスターリンと戦わせる「必勝策」を取らず、限られた数のドイツ軍だけでソ連軍を制圧してソ連人を全て奴隷化し、ソ連の物資を全てドイツの者にしようとしました。「必敗策」を取ったといえます。ドイツ軍がいかに強くとも、無限の広さのロシアではこれでは負けるしかありません。
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1941年7月のヒトラーの決定(モスクワ攻撃をやめて、軍を南のキエフ方面へ送る)がなかったとすれば、モスクワ攻略は可能でしょうが、キエフの包囲がうまくいかなかった可能性が高いです。


史実のソ連軍はキエフで60万人以上の損害を受けましたから、これがないと、史実よりもドイツ軍は苦戦するかもしれません。

なお、当時のソ連は530万人を召集し、新たに291個師団を編成している最中なので、降伏はありえないと思います。
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スターリンはウラル以東に一部工場の疎開を行っています。

もちろんそううまくは機能しませんでした。ただこれは一時スターリンがヨーロッパ部分が制圧されることさえ覚悟して、その後の戦争に備えた行動であると見て取れます。つまりモスクワが落ちたところで戦争は続くのでしょう。皆さんがおっしゃるようにどこまで進撃してもいつかは息切れを起こして押し返されるだけでしょう。
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講和であるなら国家の重要拠点を占拠することにより有利に進めることはできます。


ですが降伏するということは勝つ(負けないというべきか)見込みが無いと判断した場合するものです。
首都は確かに国家の中心として重要な場所ですが、首都陥落=敗北、とは限らないでしょう。
何故なら戦争継続能力は失われてはいないからであり、やはりドイツが考えたように最低でも「アルハンゲリスク-アストラハン」いわゆるA-Aラインまで進出、普通に考えるなら多分ウラル工業地帯を占領しないことには降伏は見込めないと思われます。

無論、ドイツがそこまで行くことはできませんし、いずれくるソ連の反撃に耐え切れないことは確実でしょう。
当たり前ですが、そのことはスターリンも理解しているので降伏はおろか講和すらしようとしないでしょうね。

まあかなり乱暴に言ってしまえば、太平洋戦争となんら変わりません。
つまり絶対に負けちゃう戦争なわけで、WW1のドイツ首脳部やシュリーフェンあたりからしてドイツ人の戦争計画の見通し甘々なんだなと思わずにはいられません。
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降伏する事はないでしょう、モスクワを捨てて逃げればよいのです、ヒットラーも全土を征服するつもりはありませんでした、“ドアを蹴破ればよい”あとは内部崩壊を誘うつもりでした(甘い考えだったでしょうが)、国土が広いとこうゆう事が可能です、中国も同じです。

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劇的な変化は無いのでは無いでしょうか?



人格的にも降伏するようには思えないし。。。
ウラル地方へでも遷都して、遮二無二極東部隊を転送して防衛戦を継続したのではないかな?
(ナポレオンのロシア侵攻の故事もあるし)

万一関東軍が進行しても、広大なシベリアを背景にすれば所詮ノモンハンの繰り返しみたいなものだろうし。。。
東西共に、冬から春の期間は攻防も停滞せざるを得ないから、その間に戦線の整理や戦力の蓄積など行い、
持久戦に持ち込めば結局は史実通りに反転攻勢が可能なのでは無いだろうか?

勝敗の要因としては、何処に主目的に攻勢を掛けるかも確かに重要ですが、広大なロシア国内に戦線が延びてもそれを支えられる補給能力とか戦力を途切れなく増強出来る資源、生産力がドイツには不足していた点の方が重要だったと考えています。
その辺を十分に準備していれば、いかなスターリンでも感づいていたでしょうから、そうすれば電撃戦にはならなかっただろうから。
何れにしろ完全な勝利は望み薄だと思いますけど。
(ロシア国内に強力な反乱勢力とか第二戦線とかでも発生しない限り)
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