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なぜ死刑制度反対の方が多いのでしょうか?
わたしはどんな形であれ人を殺したら自分の命を投げ捨てるべきだと思います。
情状酌量の余地があるのであれば減刑をすればよいことで、自己快楽や理由無き殺人などは死刑でいいと思います。
冤罪などは証言のみを鵜呑みにせず科学的物的証拠や状況証拠などをそろえれば問題ないと思います。
裁判で人が人を裁いて死刑で人を殺すのはよくないと言う方がいますが、それを言ったら法律や裁判の意味がないと思います。それに判決を出すのは人ですが、裁くのは法律と思います。執行するのは人ですが・・・これは執行する人間も死刑囚にさせればいいかと・・・

死刑制度反対の方はこの質問の回答よりも死刑に変わる刑罰を教えてください。
終身刑などもありますが、たとえば、自分の身内を殺した犯人が終身刑になったとしますが、刑務所の運営費は主に税金です
家族を殺された悲しみをこらえながら毎日働いて収めた税金で家族を殺した犯人に一生めしを食わせていく苦痛をあなたは耐えれますか?

A 回答 (19件中1~10件)

こんにちは


僕は死刑制度賛成なんですが
反対の人の意見は人が死ぬことに気持ちのいい思いは
しないからということから始まってそれにいろいろ
付加的なものがついてるんじゃないかと僕は推測します。
中には本当に冤罪で死刑にされた方の家族の方なんかも
制度自体が無ければ生きていてくれたのに・・・という感じで
いるかもしれません。
僕は今法律で決められている刑罰のほとんどが軽いと
思ってるので、この犯罪者だらけの世の中がかなり嫌ですね。
更生の可能性とかいいますけど人間て早々簡単には
変わりませんからね~・・・
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私は死刑制度反対に反対です。

要は死刑制度賛成です。

やはり罪にはそれに対する対価、つまり罰を与えるのは当然であり
理由はどうであれ他人の生命を己の理由で奪うなど、言語道断。
死をもって償うのは当然だと思います。
ただ被害者の身内の方々などは、死刑でも軽いとお考えの方もおられるのも事実でしょう。
ですから私は、アメリカのように減刑なしの懲役200年などの刑も視野に入れて検討していくべきだと思います。
また確かに囚人の管理費・生活費などは税金で賄われていますが、刑務所内でも服役囚の人が社会復帰のため社会に貢献できるよう何らかの活動もしているので、一概に税金での運営は否定できません。
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私は死刑制度反対派ではないのですが。



 感情論による死刑制度存続の主張はさほど意味がありません。死刑制度によって、冤罪は例えわずかであれ、起こる可能性はあります(絶対に0にはなりません)。冤罪事件で死刑になったその人が自分の身内であった場合どうしますか?感情論による死刑制度存続の主張はこのように矛盾を内包します。
 また、感情論を主張している人は別に被害者でも何でもない第三者が殆どです(被害者や遺族が主張する分には、それは仕方のないことです。感情論なんて止めろと責めることはできません。)。想像だけで、被害者や遺族の気持ちが全面的に分かる気になって、被告に死刑を与えろと言い、死刑判決が出たら後は知らんぷりという行動を取るような第三者が感情論で死刑賛成を主張しても、説得力はありません。
 
 被害者救済は別の面で捉えた方が良い気がします。例えば、マスコミによる二次被害防止、犯罪被害給付制度の拡大、犯罪被害者に対しての心理的ケアの斡旋、社会的な犯罪防止への取り組み(起こってしまった事件はどうしようもないですが、これから起こる事件を減らすことで社会全体として被害を少なくすることが可能です)などです。

 私としては、加害者の更生可能性がないと思われる場合にまで死刑適用をしないのは反対です。確かに更生可能性はどんな犯罪者であろうと0ではないですが、更生制度が十分に機能するかも分からないような加害者の場合にまで0ではない可能性にかけて死刑を反対すべきではありません(但し18歳未満への死刑・終身刑適用は国際法違反も構成するのでこの問題が解決するか、国際的に大して重要問題とならない限り反対です)。
 これだけならば、別に終身刑でも良いのですが、罪にふさわしいだけの罰となると、場合によっては、死刑適用も量刑としてあった方が良いと思います。無期懲役と死刑の間の刑という意味でも終身刑(冤罪発覚などの要因以外での減刑、特赦、恩赦、仮釈放禁止の)や特別無期刑導入には賛成です。
 また、私としては、一部の重大犯罪だけに対してであれ、死刑制度が存続し、これが執行されていくということだけで、ある種の秩序が保たれていると思うので死刑制度存続に賛成です。別に死刑があろうと、死刑になるような殺人事件はなくならないのも確かですが、死刑があることによって、殺人は重大な犯罪で、社会的には絶対に許されないんだと多くの国民に認識させることが可能なのではないかと思います。加害者の人権は別の問題として大事ですが、殺人が社会的に許されていないことをこれまで以上に訴えていくことの方が重要問題といえます。

 社会生活を行う以上、リスクは必ず存在します。殺人事件に巻き込まれるリスク、交通事故死するリスク、冤罪事件で死刑になるリスク、自らが加害者となって死刑となるリスク、出所した殺人前科者が再犯を犯すリスクなど。これらについては、国に生活をある程度委ねている以上、場合によっては国民全体で許容していかなければならない問題です(リスクが現実となるときに、被害者や遺族に全て降り注ぐのは問題なので、社会として救済をしっかり行うことも必要です。)。死刑制度が社会的に必要かどうかという点で議論し、必要ならばそれに付随するリスクはある程度受け入れていかなければならないと思います。
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>冤罪などは証言のみを鵜呑みにせず科学的物的証拠や状況証拠などをそろえれば問題ないと思います。



↑が事実上出来ないから問題になってるわけで・・・。

検察側が不利になるような証拠は無いものとして扱うケースが多いようですし、今後始まる予定の裁判員制度における取調室可視化の問題も骨抜きの状態で進んでますので、死刑を審理しなければならないケースにおいて冤罪が減らせるとは考え難いです。
参考
「裁判員制度と取調室の可視化~現職裁判員に緊急アンケート~」
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/special_b …
経験者ら「えん罪を生み出す取り調べ」~東京でシンポ
http://www.janjan.jp/living/0706/0706096990/1.php
代用監獄問題とは何か
http://news.livedoor.com/article/detail/1903200/
http://news.livedoor.com/article/detail/1904530/

現状の取調べにおける問題の具体的な対策を何かお考えですか?

その対策が明確にならない事には、単に厳罰化を叫んでも住み難い世の中になるだけではないでしょうか?

もう一点お聞きしたいのですが、私たちが冤罪で逮捕されないと言い切れますか?
言い切れるとすれば、その根拠は何でしょうか?


私は、刑罰の問題よりも、司法が出来る限り客観かつ公正に運用される仕組みを議論しながら作り上げていく事の方が非常に重要だと考えます。
(それを徹底させた上での結論が死刑に至るのであれば、それで問題は無いだろうとも考えてます。)
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冤罪などは証言のみを鵜呑みにせず科学的物的証拠や状況証拠などをそろえれば問題ないと思います。



上ができていないのが現場でして,過去の事例を調べてみると分かりますが、冤罪で死刑になることが確定していたはずの冤罪死刑囚が無罪方面されたという事例も珍しいことではないです。
また,警察がズサンな捜査を行なったため,冤罪逮捕に至ったということはときどきニュースでも報道されていますね。

なので,反対者が多いのだと思います
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今は光市の母子殺人事件が話題になっていますから、ちょっと世間がヒステリックになっているな、と思っています。

最も、あの弁護団の主張は私も常識を疑いますが。
問題は、制度そのものの是非ですね。殺人はいうまでもなく犯罪です。しかし殺人は罪なのにその犯人が国家によって殺されることは問題ないのか、国家と司法の下なら正当化されるのか、というのが一点。
もうひとつは、この問題と関連するんですが、肉体罰を容認するのか、という問題があります。人を殺したんだから自分も殺される、が通用するなら、暴行罪で捕まった奴は同じく暴行される、もアリなのかどうかですね。これがアリになってしまうと、「暴行罰を与えた奴が打ち所が悪くて手当てしたけど死んじゃった」ってこともままあります。実際問題、何年か前に刑務官が受刑者に指導の名の下に暴行し、死に至らせたという事件が起きています。

あと、一般的にはほとんど知られていないのですが、死刑の確定囚というのは案外自由な生活を送っています。まず刑務所に送られない。拘置所に置かれます。ですのでいわゆる刑務作業もしなくて済みます。一日中だらだらしていてもお咎めなし。これが刑務所だと正座を強要させられたりと結構厳しいんですけどね。髪型も比較的自由で、死刑囚だからということで差し入れも比較的大目に見られます。グラビアアイドルが水着で出る雑誌くらいはOKみたいですよ。それでいて過去30年の執行数は76年に12人執行されていますが、それ以降で最も多くて93年の7人。90年から92年までの3年間は執行はゼロです。2004年の死刑判決が15人も出てるのに執行はわずか2人、うちひとりがあの大阪の小学校児童殺人の宅間守です。05年が判決11人に対し執行はたった1人、06年が20人も判決が出ているのに執行は4人です。ちなみに、20人もの死刑判決が出ているのは1961年以来です。ちなみに犯罪件数そのものは2002年をピークに減少傾向です。ついでに、凶悪化するといわれ続けている少年犯罪もここ数年は対前年比70%みたいなものすごい減り方をしています。
つまりどうやらどうせ罪人になるなら、ひとり殺す(死刑の判決は通常出ない)よりたくさん殺したほうがかえって気楽(死刑判決が出ても執行される確率は低い。運が良ければ拘置所で天寿が全うできる)というパラドックスが起きているのが現状です。

つまり、質問者さんがおっしゃるような、死刑囚に税金で一生メシを食わせているということが既に起きているわけです。だから、死刑判決を与えて「よかったよかった。これで被害者も浮かばれる」と思うのは単なる独りよがりに過ぎなかったりするわけです。
また帝銀事件を始めとして一度死刑判決が出た人の差し戻し裁判というのは極めて難しいのが現状です。最近も、無実を訴える死刑囚の差し戻し裁判請求で、死刑の判決を与えた元裁判官(すでに引退)が「やっぱり彼は無実だと思う」と差し戻し請求に名前を連ねるという異例の出来事がありました。その裁判官は「当時から無実じゃないかと思っていたが検察からプレッシャーをかけられて言い出せなかった」と実に今頃になっていっています。そして、その死刑囚はすでに70歳を過ぎているそうです。

物事は、感情に囚われることなく冷静に事実を見つめることが肝要です。
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>なぜ死刑制度反対の方が多いのでしょうか?


 いいえ、死刑制度賛成の方が多いのです。ただし、賛成者は大声で叫んだりしません。もっと、もっと反対者が多くなったら「死刑制度を維持せよ」と叫ぶでしょう。
 廃止論者のポイントは、(1)制度がある限り、冤罪はなくならない。(2)人の命は地球より重い。その命を国家が奪うことは許せない。
 代表的な廃止論者は、団藤重光、菊田幸一、ホセ・ヨンパルトなどでしょう。この人たちの主張を読んでみると、廃止論者の主張が理解できます。
 「死刑制度が存続する限り、冤罪の危険性はなくならない」は論破できないでしょう。問題は、死刑制度を廃止することによる、メリットとデメリットを比べることだと思います。私は、「死刑制度を廃止すると、法体系と現実の社会とに矛盾が生じるので、死刑制度は存続させるべきだ」と考えています。
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人々の中に、おそらく死刑存続論者にも、進歩することは良いことである。

そして死刑廃止は進歩である。
と考えられているからです。

死刑存続論者も罪人をじゃんじゃん死刑台に送り込むべきだという人はほとんどいません、
状況を鑑みて死刑はやむなしと考える人がほとんどです。
つまり、死刑存続論者も死刑制度を維持することに何らかの後ろめたさを感じています。

良いこと(死刑廃止)を主張することは快感です。それに比べて良くないこと(死刑存続)を主張することは苦痛です。
快楽を求める人は、当然、苦痛を求める人に比べて圧倒的多いです。
それ故、死刑制度反対を主張する人は多いわけです。
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>わたしはどんな形であれ人を殺したら自分の命を投げ捨てるべきだと思います。



人を殺すことと結果的に死に至らしめることを、一緒にしてはいけません。#7さんのリンクにある銀行強盗の話は、被害拡大を防止するための行為の結果、死者がでたのであって、死刑とは関係の無い危機管理の状態での話しです。
また、もし犯人を死に至らしめる可能性がなく且つ完全に犯人を無力化できる道具を使用できるなら、このような問題は解決します。
ですので単純に「死んだ」ということを「殺人」に睦びつけてはいけないのです。
その意味で、自動車を運転中に轢いてしまった場合も、殺人ではありません。


>裁判で人が人を裁いて死刑で人を殺すのはよくないと言う方がいますが、それを言ったら法律や裁判の意味がないと思います。(中略)執行するのは人ですが・・・これは執行する人間も死刑囚にさせればいいかと・・・

例えば、無人島で二人しかいない場合、相手を殺しても誰も罪に問いません。また米国のように自己防衛を権利としてる国では、自己防衛であれば、日本よりも殺人罪に問われる可能性が低くなります。
このように、法律で人を裁くというためには、それなりの社会が出来上がっている必要があります、またその社会の有り方によって法律の内容が変わってきます。
つまり法律は人々が作るものであって、「人を裁く」という行為には、その社会に属する人々の考え方が如実に反映されるということです。判決を出すのは人間ですし、その法律を作るのも人間です。
さらに社会は法律を作った以上、その責任を取らなくてはなりません。もし冤罪で死刑にするようなことがあれば、それはその社会の責任になります。このような責任というものを積み上げるために、社会は裁判官に裁判をおこなう権利(義務)を与え、執行人は死刑を執行をおこなうのです。それを、死刑囚同士でおこなわせるというのは、社会が(そこに属する人々が)秩序維持の責任を放置するということなのです。
質問者様は、裁判員またはアメリカの陪審員のように、裁判で死刑判決(評決)を出すことができますか。そのとき貴方は、どのような形であれ、人を殺めることに手を貸すことになるのです。またそれが社会に対する責任でもあります。

私は死刑には基本的に反対です(だからと言って、光市の弁護団には同調しかねますが)
それは、社会の秩序維持・公平性ということを考えたときに死刑がバランスをかく刑だと思っているからです。
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 No.1 の回答が、日本の大半のケースでは図星というところでしょうね。


 所詮、情緒的な話です。
 バランスを欠くなんてことを言っている人も居ますが、いったい何と何のバランスをどうやって定量的に比較したのかを言えない状態ですから、所詮は感情論を言い換えているに過ぎません。

 定量的とはどういうことか。例を上げましょう。
 冤罪があろうが、死刑によって犯罪者(=秩序紊乱者)を社会から葬って潜在的な被害者を救えるのなら、あとはどちらが多いかというだけの問題です。
 まず前者の冤罪による死刑の件数が何件あるのか、反対論者は上げていませんね。変わりに私が上げると、現状の、法務大臣が執行をサボるという状況下では、限りなくゼロに近い数字であることは間違いありません。毎年、10件以下の一桁として良いでしょう。
 他方、犯罪による被害者は、認知された殺人事件だけで、毎年1200~1300件です。一件一殺とは限りませんから、最低でも毎年1200~1300人が殺されているわけです。
 最低でも、冤罪死と殺人者による殺人は、4桁違うわけですね。
 再犯するかどうかは分かりませんが、一度人を殺した人間をあなたがどう見るか、考えてください。その事件と類似の問題に再度であったとき、その殺人者が殺人を躊躇うかどうか。
 甘く見積もって、10人に9人が躊躇うとしても、3桁違うわけです。

 ちなみにこの数字は、警察庁の統計です。下記文書の p.53 をご覧ください。
http://www.npa.go.jp/toukei/seianki4/20070521.pdf

 これでお分かりのように、なんら定量的な検証を経ず、情緒的に反対している人が、日本の死刑制度反対者の大半です。

 他方、外国ですと、イスラム教徒やキリスト教徒が人口の大半を占めます。ユダヤ教も、数は少ないのですが、政治的・経済的影響力は大きいですね。これらに共通するのは、造物主を神とし、ヒトは被造物であるというコンセプトです。
 彼らにとっては、ヒトの命を奪うことは、神の権限を侵す行為であるという認識になるのです。
 陶芸家は、自分の失敗作を叩き割ることができます。しかし、その陶芸家だって他人が自分の作品を、仮令失敗作だと思っていても、叩き割ったら不快でしょう。そういう感覚です。

 「人権派」という人々がいます。光市の弁護団のような人たちですね。彼らが声高に叫ぶ人権というものが、なぜ存在するのか、ご存知でしょうか。
 そもそもは、造物主が被造物に対して人権を認めたからです。
 だから、ヒトがヒトの人権を侵すことは、神の権限を侵すがゆえに禁じることができるのです。ちなみに、神とヒトの間が隔絶しているゆえに、神と比べたらヒト同士は平等になります。平等に、基本的人権があるわけですね。
 そのような前提に立てば、死刑は人権の根本である生存権を奪うことですから、とんでもない越権行為になるわけです。それが、日本を除く世界における、死刑廃止という思想の背景です。

 で、あえて残しておきましたが、日本における死刑反対派の「大半」の残りは何かというと、共産主義者です。左翼やサヨクと呼んでもいいのですが。
 共産主義の社会観も、造物主を頂く世界と実は良く似ています。
 トップに神が居ないというだけで、ヒトはみな平等なのですから。
 そんなコンセプトではヒトの社会は安定しないし、ヒトの心も安定しないということは、ソ連の崩壊や共産党中国の経済主義へのシフトを見れば明らかなのですが、それが理解できない or 理解したくない or 理解すると都合が悪いため、未だに共産主義思想を頭の根っこに抱えている人たちが、現代の共産主義者です。

 ヒトは平等だから、ヒトの基本的人権を奪えない、というのが彼らのナイーブな主張です。禁固などの身体の自由は奪ってもいいのに、勝手な線引きをしているものですね。
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