東武野田線沿線に住んでますがこの線の車両はかなり古いと思います。
40年くらい前の車両のようで、結構うるさいし、経済的にも環境的にも時代に逆行していると思います。
何故東武鉄道は野田線を置き去りにしているのでしょうか?
採算が取れないだけなのでしょうか?
それとも近々新型の導入でもあるのでしょうか?

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A 回答 (13件中11~13件)

#1です。


単線だから回生ブレーキが使えないわけではありません。
JRでもほとんど単線の相模線に205系を使ってます。
回生ブレーキを使いながら架線より電圧が低い分を発電ブレーキと併用するブレーキチョッパを使用すれば失効を防ぐことはできます。

ただ、回生ブレーキを使用すれば架線電圧が上がる為、変電所がそれに対応する必要があります。
実は5070系がまだ健在だったころに試験的に10000系が入線したことがあります。
その結果、変電所の負担が大きいため回生車の使用を見送ったという経緯があります。
今いる8000系が引退の時期には変電所の改装も終え、10000系が入線できるようになると思います。

最後に8000系の車体の色は2度変わってますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
変電所の問題が解決すれば回生車両が導入される可能性がありそうですね。
色について、2度も変わっているのですか?
現在の白地に青のラインのイメージしかありませんでした。
8000系の引退時期って何時頃なのでしょうか?
40年以上の車両ですが、まだまだ使用するのでしょうか?

お礼日時:2007/07/22 20:18

No,2です。


補足になります。

野田線は単線区間もあり、回生車を導入しにくい環境です。

電車の架線は、DC1500Vではありますが、列車が加速するためにノッチを進段させれば、その分電圧が下がります。

回生車の場合、ブレーキを掛けた際、モーターを発電機にし、電気を架線に返す仕組みとなります。実際のところ、DC1700V程まで上がる事もあります。

しかし、DC1750V程度を超えると、それ以上の回生電力は、変電所を守るため架線は受け付けません。

野田線は単線区間があるのですが、その際、ダイヤを見ると、同じで加速し、同じタイミングでブレーキを掛けるケースが多いのが野田線の特徴。
回生車両を導入した場合、架線電圧がDC1800V位まで上がってしまい回生失効→空制のみの停車となり、結局8000系と何ら変わらないのです。むしろ、回生が効く、効かない、飛ぶ(失効)で、運転が逆に難しくなり、乗り心地も悪くなってしまうのです。

野田線に回生車両(ステンレス車)が入らないのは、そういう事情もあります。路線性格上、むしろ8000系の方が望ましいのです。

対策としては、発生電力をフライホイールなどで回収し、電力消費が多い時に架線に戻す仕組みなどが必要になります。
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この回答へのお礼

補足の説明ありがとうございます。
回生ブレーキが問題なのはわかりました。
しかし鋼鉄製より、ステンレスやアルミの車体の方が経済的にも有利ですよね?
回生車両を回生ブレーキを使用しないで運用したり、車体だけでもステンレスやアルミに変えたり出来ないものなのでしょうかね?
吊かけ式の車両とデザインがほとんど同じ8000系だからなおさら古めかしく感じてしまいます。

お礼日時:2007/07/22 18:07

東武野田線はついこの間、5070系という釣りかけ電車を廃止したばかりです。


なので、しばらくは8000系が走ることになります。
それに最も問題なのは設備面での問題です。
10000系以降の電車は回生ブレーキがついてますが、この回生ブレーキに変電所が対応していないため
10000系以降の電車は入線できません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
回生ブレーキが問題でしたか。
せめて色だけでも変えてくれると家の窓から見える景色にも変化があって楽しめるのですがね

お礼日時:2007/07/22 17:52

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Q南にあるのに”北”を名乗る駅

京浜急行品川駅の次の駅は「北品川駅」である。
同駅は品川駅の南にあり、”南品川駅”にすべきではないのか?
なぜ”北品川駅”にしたのか?

Aベストアンサー

こんばんは。電車運転士をしております。

北品川駅、確かに品川駅の南にあります。
しかし、江戸時代から続く元々の「品川宿」(品川の街)、本当は今の京急の新馬場駅付近なのです。

品川宿の北なので、「北品川」という駅名なのです。

これは、明治時代の人々の鉄道に対するイメージとも関係してきます。
今でこそ、駅近の不動産は人気ですが、明治時代は蒸気機関車の時代でして、その煙害から人々は鉄道駅が近くに出来る事を反対していました。
例えば、東海道線の藤沢駅もその一つ。
元々の藤沢宿(藤沢の中心街)は遊行寺の近くだったのですが、鉄道駅の建設を反対し、海よりの何も無い松林に造られました。
他、有名なトコロでは、流山もそうですね。

流山も常磐線が通る予定だったところ、反対運動があり馬橋から柏に抜けるルートに。
後の時代になり、鉄道が便利なモノという認識が浸透し、流山⇔馬橋で5キロ程度の鉄道(今の流山線)を敷設した歴史があります。

品川でも同じように反対運動があり、明治政府は「品川駅」を品川から北に外れた高輪に造ったのです。
駅名を高輪にしても良かったのかもしれませんが、当時の東海道線の駅は川崎・大森・品川と駅間があいており、命名由来も大よその位置で明治政府は付けたようです。
その結果、港区にある「品川駅」と相成ったわけです。

東海道線は煙害から街の人から避けられ、人気のないトコロを走っていたのに対し、京急(当時の京浜電気鉄道)が旧東海道にそって街中に線路を敷設できたのは、明治中期で既に鉄道が浸透し始めていた時期だったのと同時に、最初から電気鉄道(電車)で建設されたから。
煙害の心配がなかったからになります。

そのため、品川宿の近辺、
乗り継ぎの馬のある付近⇒「南馬場」「北馬場」(今は統合され、新馬場)
品川宿の北にある駅⇒「北品川」
・・・・になったのです。

時代が変わり、鉄道が浸透する明治以降、
都市形成に鉄道が大きくかかわってきます。
その結果、駅近辺が発達し、駅から離れた昔ながらの宿場町は寂れていきます。
それは、北品川~青物横丁の旧東海道を歩かれると実感できるかと思います。

昭和40年代の横浜といえば、野毛や桜木町、伊勢佐木町が代名詞だったのが、
現代の横浜といえば、みなとみらいや横浜駅近辺が代名詞なのと同じ現象です。

そんな経緯からになります。

こんばんは。電車運転士をしております。

北品川駅、確かに品川駅の南にあります。
しかし、江戸時代から続く元々の「品川宿」(品川の街)、本当は今の京急の新馬場駅付近なのです。

品川宿の北なので、「北品川」という駅名なのです。

これは、明治時代の人々の鉄道に対するイメージとも関係してきます。
今でこそ、駅近の不動産は人気ですが、明治時代は蒸気機関車の時代でして、その煙害から人々は鉄道駅が近くに出来る事を反対していました。
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Q東急東横線・東京メトロ日比谷線相互乗り入れ廃止なぜ

東急東横線は来年3月東京メトロ副都心線・西武池袋線・東武東上線と相互乗り入れを開始します。しかしこれと引き換えに日比谷線との相互乗り入れが廃止することになりました。日中の菊名発着の列車は残るということで日比谷線との乗り入れはまだできると思いますが・・・なぜでしょう?需要の低さや今後設置するホームドアの影響でしょうか?

Aベストアンサー

この不況で寄り厳しくなりましたからね。
鉄道とはいえ、公共的な立場よりも金が惜しいのでしょう。

まずはホームドア。
日比谷線は18m3扉、東横線の主力は20m4扉。
ホームドアの位置は扉の数が違うのはなんとかなりますが、車体長が違う場合、今の人間のもてる技術ではかなり難しい。
入れるとすると、普通のホームドアより高価になりそうだし維持も大変そうです。
日中だと30分に1本の日比谷線のためにこれに対応したホームドアを入れるなんてことは、投資の無駄でしょう。

また車体が違うということは、日比谷線専用の車両を用意しなければいけません。
これもコストの無駄でしょうね。
まぁ、直通に関する走行距離調整に関しては東急とメトロだったらどうにでもなると思うので、これは大したことではないのだろうけど、輸送力はどうにもならない。
今度20m10両編成が入る東横線に、18m8両の日比谷線だと、昼間はともかく朝夕方のラッシュはきついのでは。

まぁとにかく東横線では日比谷線直通はかなり扱い困っていたのかもしれません。

さて、ここから先はあくまでも予測です。

まずは相鉄の絡みがあります。
将来、相鉄と東急は直通を行うことにしていますが、この場合の受け皿となる路線は目黒線だろうと言われています。
しかし、この直通に於いて新横浜を通過することになります。
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現状、特急4、急行4、各駅停車8に日比谷線2という構成ですが、ここに副都心線-新横浜系統を入れるのはかなり無理がありそうです。
そのため、いろいろな理由を付けて日比谷線をやめることができそうな今のタイミングで、敢えて直通をやめて菊名行きに変更。
これが相鉄直通が始まった時に新横浜行きに変更になるかと思います。

ですが、これらはあくまでも予想です。

この不況で寄り厳しくなりましたからね。
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QE233系がE209系よりも重い?

京浜東北線に使われてる列車の編成質量(10両編成)を比較してみたところと、なんとE233系が209系よりも、60トンも重たくなってる事が分かりました。

103系(6M4T)  363.1t
205系(6M4T) 294.5t
209系(4M6T) 249.0t
E233系(6M4T) 310.4t

質問1:
省エネ省電力を目標に設計されたE233型で、昔の209系や205系よりも重量が大きいのは何が原因でしょうか?とくに6M4T編成同士の比較で205系よりも重量が嵩む理由を知りたいです。

質問2:
東京メトロなど省エネ、省電力に熱心な企業では、古くから車両の軽量化・アルミ化に取り組み、すでに全車両アルミ化・軽量化が完了しております。
JR東日本の首都圏通勤線で車両の軽量化・アルミ化が進まない原因はなんでしょうか?

Aベストアンサー

設問1 まず、車体幅が違うことでしょう。
また、209系の頃と比べ外板の厚みが増していると聞きます。これは初期型の209が外板が薄くてベコベコになってしまったことによります。
http://marilyns-room.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/2092007-d6bf.html

なお、E217/E231/E233は成田線事故以降の車両で、近郊形/通勤形とも乗務員を守るために運転席回りが大幅に強化されています。
205との差は幅と運転席強化で吸収できるのではないでしょうか、運転機器、制御機器の重量は似たようなものかと思います。ただ、最近の車両は誘導電動機の採用でバネ下は軽量化しているはずです。

設問2 アルミ車は雨の当たらない地下を走る地下鉄車両ならいいですが、ほとんど外を走る場合は塗装が必須です。また、アルミは電気の固まりですから、電気料金が上昇している現在、アルミ車を通勤車両として大量に製造するのはJR東としても厳しいのでは
それに比べればステンレス車は作り馴れていて新津や系列の総合車両で量産可能、塗装不要(通勤形全部塗るとなると・・・)、鉄より軽いと言うことも含めコストと比べれば十分という判断ではないでしょうか。

なお、特急形車両はE653以降はアルミ構体になっています。

設問1 まず、車体幅が違うことでしょう。
また、209系の頃と比べ外板の厚みが増していると聞きます。これは初期型の209が外板が薄くてベコベコになってしまったことによります。
http://marilyns-room.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/2092007-d6bf.html

なお、E217/E231/E233は成田線事故以降の車両で、近郊形/通勤形とも乗務員を守るために運転席回りが大幅に強化されています。
205との差は幅と運転席強化で吸収できるのではないでしょうか、運転機器、制御機器の重量は似たようなものかと思います。ただ、...続きを読む


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