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初めて質問します。
小さい頃からずっと分からなかったことです。人は人を殺したり、自殺をすると地獄へいくと云いますよね(これはキリスト教の考え方なのかも知れないけど)。しかし、やむを得ぬ状況で殺害したり自殺した場合も有無をいわさずに地獄いきなのでしょうか?
例えば、殺人をすると分かっている人間がいたとして、その人の犯行を止める方法がその人を殺害するしかなかったとします。その場合、その人(悪人と定義します)を殺した人は地獄へいくのでしょうか。殺された方はそれまでに罪がなかったら天国へいくなんてことあるのでしょうか。

また、それと同様に、自分が自殺することで他に助かる人がいるとした場合(通常ではあまりあり得ませんが、食料や水がないとか空気がない状況など)も自殺した人は地獄へいくのでしょうか…?
もしそうだとしたら不条理を感じずにはいられません。

一応天国や地獄を存在するものと考えていますので、それらの存在を問う質問ではありません。カテ違いだったらごめんなさい。
くだらない質問ですが、どうぞお付き合いください。
拙文ご容赦ください。

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A 回答 (15件中1~10件)

天国と地獄という考え方は、死後と言う事ではないと思います。

生きている「今」の事を言っているのかと思います。人生という有限の世界の中で、何時か死んでゆく事が決まっています。それが何時なのか、誰も知りません。その事で人間は「永遠」のものにある種の憧れを抱きたいという希望を持ちます。

その事を、強く「希求」する時に悩みが生じます。「死」と「永遠の命」その対立するもの。矛盾と云っても良いかもしれませんが。その矛盾を「悩み、人間苦」と云って{地獄}と呼んできたように思われます。その悩みを「超越」して「安心」の世界で生きてゆく事を{天国}と呼んできたのかと、思います。

「魂の救済」と言う事を説明します。  

お釈迦様の悩みは「この無常の、移り変わってゆく世界の中で、自分も滅びてゆく世界の中で、永遠の命を得て安心したい。」というありふれた、叶わない自分の悩み、苦しみから出発したように感じられます。誰もが思い描くことかと思われます。普通の人は叶わない事として諦めます。ところが性格が粘着質なのか、神経症的なのかこの問題が頭から離れなくなったのでしょう。

「人間の悩みは何処から来るのか」
それはその人の心の中から湧き出してくる「疑問」からです。他の人が押し付けてくるものではありません。ではその「疑問」は何処から来るのでしょうか。それはその人の心から湧き出してきます。その人の心の対立、或いは矛盾からです。心の中で対立しているものが、在るからなのです。その事を「二元論」と呼んでいます。

「二元論はどうして起こるのか」
「現意識」と「ある意識」と二つのものの対立からきます。言い方を替えれば、「今の意識」と「無意識の中に在る意識」です。お釈迦様は{仏性}と言いました。その二つのものの意識のズレ、矛盾が悩みとして感じられるのです。そのために矛盾が大きい程悩みも深くなります。

「二元論を超越すると言う事」
その事を、現代の脳科学の観点から説明します。1,981年、今から27年前になりますが、「分離脳」の研究でノーベル賞を授与されたスペリー博士の研究の成果を挙げてみます。
I  左脳に今の意識が在る、右脳にも一つの意識が在る(殆ど意識出
   来ない)
   左脳の人格と右脳の人格は全く別なものである。
II  左脳の機能は言語を持っていて、論理的、知的、分別的である。
   右脳の機能は言語を持っていない事、イメージ的、喜怒哀楽、芸   術、スポーツ、体を使う事全般、(無意識界を統率してい事。)
   (是は私の想像です。)

この事によって「禅」なるものが説明できるのです。「禅問答」と言えば、分からないものの代名詞になっていますが、「禅問答」が何故難しいのか、と言えば、我々は、自分の分別で生きていてそれが、全てと勘違いしている。そのことのようです。
「禅問答」は我々の分別意識(左脳)では無理なのです。脳の機能から言えば不可能なのです。この事と「神経症、うつ、その他の精神疾患」などにも当てはまります。

「禅問答」を解くカギは分別を捨てるところに在ります。それは命掛けで取り組む時に叶います。分別し尽してもう今の意識が本当にギブアップする時です。一遍「我」を殺さないと無理な事なのです。我が死んだ事を「大死一番」と言います。その時に無意識の中の意識である「仏性」が出て来て、その問題を解いてくれる。ということです。その事を「見性」すると言います。

「見性」とは自分の性を見るということです。自分自身を知ると言っても良いかと思います。禅宗の本の中で「生死の問題を解決したか、どうか?」と言われるのは、今言ったことです。それに対して「自分の親に会ったみたいなもの、妻に会ったみたいなもの」ようするに、本当は前から知っていた者に会っただけ。

鈴木大拙の禅仏教入門の引用ですが。
「禅 は決して論理、分析の上に築き上げた体系ではない。禅は何も教えない。禅に何か教えるものがあるとしてもそれは各人の心から出るものである。禅は神を持たず、儀式も無く、死者が転生して行く来世といったものも持たず、禅は全てのこうした教理的、宗教的邪魔者から解放されている」

その時に心の中で起こった事は死んでゆくと思っていた自我が仏性の持つ永遠性に抱き抱えられて、死でもなんでも受け入れる事が出来る様になれる事です。その時に「絶対に相入れないものの対立、矛盾」が解消されるのです。心の中の対立、矛盾が悩み、苦しみですからそれらを超越した時と言っても良いです。或いは言い方を替えれば不安と悩みの完全解消と言っても良いです。その事によって得られた平和な、穏やかな、心に波が立たない、静かな心の事を「涅槃」と云ってよいかと思います。

お釈迦様の教えは「宗教」ではありません。精神療法、或いは究極の心理学と言っても良いかと思います。悩みの解消が「魂の救済」かと思います。
ですから、この事が分かった時には、「神経症、うつ、その他の精神疾患、悩みと不安」などの解消に役立ちます。欧米では「禅」が精神衛生には良いものとされています。日本でそういう認識がされていない事は不思議な事と思います。医療体質と仏教という宗教の関係かもしれません。宗教の本来の目的は、「魂の救済」であってそれは、生きている人の心を対象にするのが、本来の目的かと思います。
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危機にあるというのは、どのようにしてもいけなければどうするかという状況を危機にあるといいます。

危機を乗り越えるとは、どのようにしてもいけなければどうするかという(八方塞の)状況において、為し得べき事を見出し、それを成し遂げることを言います。
その為し得べき事は、精神的な意味でも肉体的な意味でもないけれど、(それらを超えた)、心を護ることによって成し遂げられます。
 心を護る人は、他の人を、精神的にも、身体的にも害しません。怒らせません。人は、自ら犯す過ちによって自らを苦しめます。自ら過ちを犯すことの無くなった人は、自分も他人も苦しめることがありません。
 人が、人の心の純粋なるすがた(哀しみ)を観じて、真にはそれを取り除くことが自分の望みであると知り、思惑を越えた浄い心、「想いを超えた心のありよう(想いの理解と解脱)」によってその望みを果たそうと決心し、そして全く為し遂げたときに、人は、自分の心をも他人の心をも(完全に)護りえたのだと言えます。他の人も自分のことも護ろうと決意する人は、もろもろの思惑と虚妄とを離れて捨て去り、自らの不覚をもって自らを縛る情の絡みを解きほごして、如何なる人も悲しませず、如何なる情(おもい)も煩わせることの無い、安穏の境地に至れかし。
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 私は無宗教ですし、死後世界の有無に関しても知らないとしか言えぬ凡人なのですが…



 質問者様の問いを見て、80年代以降の欧米医学界の潮流をきっかけに活発化したいわゆる「臨死体験」諸問題について思い出しました。これについては多くの書籍が出版され、NHKも第一放送と教育テレビで特集番組を制作、社会的話題にもなりましたから質問者様もご存知かも知れません。念のため一応簡潔に説明しますと…

【緊急救命医療の発達に伴い、一度は死の認定をされた人が蘇生するケースが急増してきた。これら「蘇った人々」が「死んでいる間」に非常に似た体験を共有していることに気づいた医学博士レイモンド・A・ムーディーが70年代に著作を発表、これを末期医療の世界的権威・エリザベス=キューブラー=ロス博士が全面的に同意したことも加わり欧米医学界に衝撃を与える。体外離脱・トンネル体験・生涯の回顧・光り輝く神聖な存在との遭遇…これら臨死体験と名づけられた現象は世界的調査機関も生むなど社会現象にまで発展、多くの研究者が何十万というケースを調査した結果、文化・宗教を問わぬ人類共通の現象であることが判明。また、臨死体験が脳の側頭葉にある「シルビウス裂」といわれる部位に関連し、ここに電気的刺激を与えることで体外離脱体験や見神体験が生じることも明らかになった。これらにより90年代には「臨死体験」そのものを疑う医学者はいなくなったものの、臨死体験は脳内幻覚とする説と、体外離脱体験の不可解きわまる特異性や進化論的見地などから霊魂の存在を前提にせねば説明できないとする説に二分、いまだ未解決のテーマとなっている…】

 ということで前置きが長くなりましたが、餅は餅屋といいますし、死後のことは死んだことのある奴に聞け(笑)ってことで本の紹介です。

「続 かいまみた死後の世界」(レイモンド・A・ムーディ著、評論社)

 前著「かいまみた死後の世界」発表後、自殺者の体験はないのか、という質問が著者に殺到したそうで、それに答えるためにこの続編では自殺を試み蘇生したケースを比較的クローズ・アップしています。また質問者様とまったく同じ疑問…心ならずも自殺・他殺をやむなく犯してしまったらどうなるかというテーマに対する著者の見解等も述べられています。

 予断ながらこの臨死体験騒動で、最も困惑したのが教会関係者だったという点は興味深いです。
 これは臨死体験者が語る「想像を絶する至福に満ちた死後の世界」が聖職者たちが説く教えと大きく異なっていたということ…具体的には臨死体験者が遭遇した光の生命(文化的背景によりキリスト、仏さま、ヤマ神、天使、光などさまざまに表現された)がきわめて寛大で慈愛に満ち、同性愛者・無信仰者・異教徒や殺人を含む犯罪者さえも無条件の愛に包まれたという体験談が、怒れる神・永遠の断罪を下す裁きの神という教義とまったく異なっていたこと、地獄の業火や悪人を苛む悪魔たちといった「絵に描いたような地獄」を見た体験談が全くないこと等がキリスト教界に衝撃を与えたといいます。
 この結果、保守的な宗派ほど臨死体験は神の教えをねじまげようとする悪魔の計略である、という見解を示す傾向があるようですね。

 私はかなりの懐疑主義者で、自分が体験せぬことは否定・肯定を控える人間ですが、臨死体験モノはどれも面白く気軽に読めました。著者がみな医者なので宗教・哲学的見解を求める人には物足りないかもしれませんが…もしまだお読みでなければ、ご一読をオススメします。ちなみに逃避を目的とした自殺は基本的にイヤ~な体験をもたらす傾向が述べられてます。
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> 神に対する罪とおっしゃいますが、


 因果応報の理念に基づけば矛盾していませんでしょうか。

地球という星は、
我(が)と欲が強い霊魂たちがそれらを捨て去る修行のための道場として、
神が設定なされた星です。
septemberさんも、私も地球に降ろされる前には、神に繋がる霊魂の導師から訓諭を受け、
自ら我欲を捨て去る誓いを立てたはずです。
このことは、普段の生活する意識では忘れていますが、
心の奥の魂では知っているはずです。
自らの良心に深く問い続けると何となく分ってくるように思います。
地球地上体験を希望する霊魂はたくさんいるわけで、
順番待ちの状態の中、魂の進化のために今の自分があるわけです。
これを有り難く感じられないでしょうか?
それを途中で投げ出す、ということは
神様の御愛念を蔑ろにすることになると思いませんか?
これを私は神に対する罪と言ったのです。

> 因果によって決められているなら殺人は止めようがありません。

因果を止める為に、因果の理法を学んだ上で(これが重要!)
もし自分が殺されたなら、
「ああ、報いを受けて殺されたんだ。殺した相手を憎んではならない。
 相手は、私の業を償還してくれたのだ。だから恩人である。」
と思い、もう相手を憎むことをしないのです。
そのようなことを繰り返し、業生を脱出し、地球という道場を卒業するのです。
次はもっとレベルの高い星でもっと高度なことを学ぶのです。
(ただ地球もこれから高度になりつつあります。)

> それに、戦争で人を殺したくないのに殺さざるをえなかった、戦争に行くことを拒否すれば、家族もろとも世間から迫害される(戦時中の日本)といったこともありえました。

まず、「戦争に行かなければならない自分」というものを考えてください。
それは受け入れなければなりません。
全て、己の魂に一番相応しい進化向上のための場が与えられるのです。
どんな悲惨な状況からも魂は体験学習するのです。
それを卒業している魂はもう学習する必要はないので、二度と戦争に行くような状況にはならないでしょう。

> 自殺も、自分はそれほど悪いことだとは考えていません。

これは先に説明させて頂きました修行放棄ということです。

> 神は人生において、その人が耐えられない程の苦痛は与えてはならないと言っていると聞いたことがありますが、だったらなぜ自殺者が出るんだ…と不思議に思っています。

人間という形態に宿るまでに進化した霊魂には、
「自由意志」というものが与えられています。
動物にはこれが与えられていません。
私達地球人はこの自由意志が未熟な状態にあります。
すなわち自分中心、我欲中心に働く傾向があります。
自殺はその最たるものです。
自由意志をより神の意識に近づけていくのが人間の進化なのです。
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魂の救済について われわれ人間がその裁きのあり方や最終判断を決めることが出来るという考えでいるかぎり 残念ながら この世の中では 不条理なことがなくなるだろうかという気遣いは無用になります。



条理つまり救済についての規範を 人間が自分で決めるというのですから 何が条理で かにが不条理なのか わかったものではありません。
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仏教的な発想の方が楽なので、そちらでお話します。


地獄に行くといっても、地獄と言う限られた場所ではなく「地獄界」という世界に行くという意味です。
地獄の中にも輪廻から外れた真の地獄と、輪廻のある地獄があります。
真の外道でない限り、輪廻のある地獄界に堕ちると解釈して下さい。
輪廻のある地獄界では輪廻によって刑に服せばやがて現世に来る事が出来ます。

説法の中に二つの噺があります。
一つは「蜘蛛の糸」です。地獄に落されたドロボウが、生前クモを助けた事によって菩薩様から救われると言う噺です。彼は結果的に我欲に勝てずに再び落されてしまいますが、人は善行によって救われるという事です。
もう一つは、釈尊が餓えた虎に我が身を投じて虎を救ったと言う噺です。これは慈悲心を解説する為の噺だと思いますが…

私は善悪の判断は現象だけで決められるものではないと考えています。
行動そのものが正しいかと言う基準もあり、自殺は善行ではありませんが、それ一つを以って真の地獄に堕ちると言う事もないでしょう。
「罪に問われても、最後には評価される」それはあの世もこの世も同じだと思います。

ちなみにキリスト教の世界でも輪廻のある地獄界に似たような解釈で「煉獄」があります。これは些細な悪行や行動そのものは善くないが、評価されるべき現業として、一定期間の苦しみを経て天国に入れられると言う世界です。
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たぶん地獄に落ちますね。

理由はどうであれ地獄に落ちると思います。だから、正義のために人を殺さなければならない時は地獄に落ちる覚悟でやらないといけないと思います。こういう例えがあります。不動明王はなぜ火を背負うのか。それは正義のために生き物を殺さないといけないときがある。たとえ相手が悪人でも殺せば悪行のため地獄に落ちる。しかし、地獄に落ちれば仕事ができない。だから、いつも地獄の炎を背中にしょってその報いを受けながら働いているのだ。という話です。
皆さん勘違いしているのは、地獄に落ちればもうそれまでと思っている人がほとんどのようですが、そうではありません。お経の地獄のところを読んでみると、地獄にも刑期のようなものがあって、1日とか7日(長いと何万年)とかで地獄から出て、その後、善業があれば天界などに行けるということです。ある仏教信者は大変尊敬されたすばらしい人だったのですが、ただ一度不倫をしたそうです。その報いで7日間地獄に落ちましたが、その後天界に行ったという話がお経の中にあります。
要は、悪行云々というより、汚れた魂は天界にいけないのです。まず、地獄で魂をクリーニングしてからということでしょう。生きたまま洗濯機にいれられたらどうなります。それが地獄です。
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他者のためには、自分を犠牲としてもよいのか、


自分のためには、他者を犠牲としてもよいのか、
どちらも窮した状況ですが、
心の正しいありようと言うのは、
慎みあることによって、自分も他者も護ることです。
どうしてもいけなければというときに、他者への思いやりの心にもとづいて行為する人、そのようにするとき、人は危機の中にあっても、それを乗り越えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
危機に面しても、他者を思いやって行動すれば危機を乗り越えることができるということですね。危機を乗り越えるとはどのように定義をしていますか?
精神的な面ですか、それとも身体的な面でしょうか。

お礼日時:2007/07/30 09:49

親鸞だったと思いますが、「我が心の良くて殺さぬにはあらず。

」というようなことを言っています。
私が人を殺さないのは、心がよいからではなくて、そういう縁がなかっただけだというわけです。

地獄へ行くか天国へ行くかの判断を偉大な力(神さまでも仏様でも閻魔様でも)がするのであれば、その判断は私たちが考え得る範囲など遙かに超えた判断だろうと思います。

もちろん小さな子どもには善悪を教えるために、単純明快に悪いことをすると地獄…というような教え方をします。
でも、ほんとうのところは、地獄だ天国だと私たちが考えなくても、偉大な力が、一番良い判断をしてくださるに違いないと受けとめることだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。少し他力本願な気もしますが、天国地獄は我々には想像も及ばないところで、想像できないような裁きをしているんだったらそれが一番いいのかも知れません。
ちょっとなごみました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/26 16:25

人間の本体は魂(本当の私)です。


これに心底気づくことが「魂の救済」なのだと思います。
「私」という魂は、いわば、肉体という上着と霊体という下着を着て、
この世で修行中です。
「死」とはすなわち上着を脱ぎ捨てることです。そして霊界での修行(反省)に移行します。
霊界はこの世と違い、同じ心の波長を有する魂の者同士が創る世界です。
自分の心が即反映される世界です。ですから、自ら作り出している世界といえます。
人と争うことを常としていた者は周りもそのような者たちばかりで、
争う世界を創りだします。警察や取り締まる人はいません。
この程度はピンからキリまで・・・、俗に地獄の一丁目から百丁目??
まで様々。
また、例えば人に親切にして上げる人なら周りの人も同じく・・ということです。これもピンキリですね。天国。
ですから、あの世(霊界)はこの世での行状を反省する場といえます。
反省がいきとどけば、過去を一旦記憶消去してまたこの世に下りて来て
次のレベルの修行をするわけです。
こうして、輪廻転生転生を繰り返し、「私」という魂=生命体は
一歩一歩進化していくのです。

さて、もう一つ、「自分から発したものは、自分に返ってくる」という天則があります。
「他を生かす者は生かされる」「他を殺した者は殺される」等等‥。
すなわち業(カルマ)償還の法則です。
この世で殺される人は、先々の世で人を殺したのです。
殺されることにより、業を償還するのです。
これを知れば、たとえ自分が殺されそうな場合でも、相手を殺してはいけないなぁ、と思えるのではないでしょうか?
ご質問に対する答えは、
これを参考にご自分で考えてみられるといいと思います。

自殺は神様から与えられた、進化するための尊い修行を自ら放棄することですので、
他人の修行を止める殺人と同じく
神に対する罪なのです。

ちなみに、救命ボートに5人しか乗れず、
自分が6人目で海に飛び込むことは、自殺という概念ではないと思いますし、尊い犠牲で地獄に行くはずがありません!
要は、心が自分中心、我欲中心でなければいいわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
神に対する罪とおっしゃいますが、因果応報の理念に基づけば矛盾していませんでしょうか。
殺したので殺される、殺されたのでまた殺すという因果が働き、いつまでもこの業から抜け出せません。だから人を殺してはならない、と考えればそうかも知れませんが、因果によって決められているなら殺人は止めようがありません。

それに、戦争で人を殺したくないのに殺さざるをえなかった、戦争に行くことを拒否すれば、家族もろとも世間から迫害される(戦時中の日本)といったこともありえました。
それでも「人を殺すな、戦争に行くな。若しくは武器を捨て殺されるのを待て。たとえその結果国が負けて、本国が・家族が蹂躙されようとも耐え忍べ、それが修行だ」そうおっしゃるなら神とは本当に無慈悲で、それこそ救いようのないものだと思います。
自殺も、自分はそれほど悪いことだとは考えていません。以前ある質問で[自殺はそんなに悪いことか]とゆうような質問を見たことがあります。
そこでは世間が自殺を悪いことと考えているから、一般的に止めようとしたり、親が悲しむといった考え方をするようになるといったことが書かれていました。最終的には、霊魂の修行が…云々と書かれていました。
神は人生において、その人が耐えられない程の苦痛は与えてはならないと言っていると聞いたことがありますが、だったらなぜ自殺者が出るんだ…と不思議に思っています。

生きている人にとって人の死はつらいものなので、因果応報を持ち出して人の悪行を止めようとしたり、魂の修行といって自殺をやめさせようとしている気がします。この考え方はやはり生きている人に都合の良いようにできているという点で、天国地獄と共通しているんじゃないかなぁ…。

生意気なことを言ってすみませんでした。少し話題がそれてしまい申し訳ありませんでした。

お礼日時:2007/07/26 16:19

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他罰・他者否定・他者批判は、とりあえず自分の不満をあらわすときに便利ですよね。
一から自分で考えることより、誰かの意見を批判することは(その批判がまっとうなものであるかどうかは別にして)簡単です。

で、私はそのような人が増えたとわけではなくて、PCや携帯電話、インタネットの普及により誰でも手軽に意見表明をできるようになったために、見掛け上、そのようなひとが増えたように感じられるのだと思っています。

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