初めて質問します。
小さい頃からずっと分からなかったことです。人は人を殺したり、自殺をすると地獄へいくと云いますよね(これはキリスト教の考え方なのかも知れないけど)。しかし、やむを得ぬ状況で殺害したり自殺した場合も有無をいわさずに地獄いきなのでしょうか?
例えば、殺人をすると分かっている人間がいたとして、その人の犯行を止める方法がその人を殺害するしかなかったとします。その場合、その人(悪人と定義します)を殺した人は地獄へいくのでしょうか。殺された方はそれまでに罪がなかったら天国へいくなんてことあるのでしょうか。

また、それと同様に、自分が自殺することで他に助かる人がいるとした場合(通常ではあまりあり得ませんが、食料や水がないとか空気がない状況など)も自殺した人は地獄へいくのでしょうか…?
もしそうだとしたら不条理を感じずにはいられません。

一応天国や地獄を存在するものと考えていますので、それらの存在を問う質問ではありません。カテ違いだったらごめんなさい。
くだらない質問ですが、どうぞお付き合いください。
拙文ご容赦ください。

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A 回答 (15件中11~15件)

追伸まで


[誰だって愛されたいし、幸せになりたいだけのはずです。嗜好や環境の違い、または時代の違いで愛を得ることができなかった(失くしてしまった)・幸せになれなかった。それ故に凶行に及んだ人、義に適わなかった人は多いと思います。根は善人だったのに、その人生の過程で歪んでしまい、条件をクリアすることができなかったという人もいると思います。]

天国の法則は単純なものです、愛を与えて生きた人は天国にいき愛を奪って生きた人は地獄にいくだけのことです。欲しい欲しいというのは天国では愛ではないのです。天国もこの世も全てが与えられているのです。仏神の恩寵で全てが生かされていることを忘れたことが罪なのでしょうね。どんなに幸せでも、どんなに不幸でも天変地異であっけなく善人も悪人もなくなってしまいます。これも仏神の恩寵への感謝を忘れたことへの反作用なのですね。
つまり愛とは感謝できる心ですね。そんな小さなことを忘れてしまったが故の地獄ですから、思い出せばみんな天国に入れるのですね。地獄というのはその程度のところです。反省場所ということだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
地獄におちたものは地獄で永遠に苦しみ続ける、というように思っていました。単なる反省場所とのことで驚きました。

少し考えたのですが、天国地獄は文化や歴史・宗教といったものによって多大に影響されていますよね。堂々と、天国とはこうゆうものだ、と語られている「種類」が多すぎるように思います。
あっちではこう云われている、しかしこっちではこう云われているといった感じです。
そうなっては結局何を信じればいいのかよく分かりません。なぜ天国や地獄の考え方が違うかといえば、やはり歴史や宗教に強く影響されたからなのでしょう。それは理解できますが、考えれば考えるほど混乱してしまいます。

私の父は、「天国地獄は、その人自身が考えている場所がつくられる」と言っておりました。ここに質問させていただき、紆余曲折を経ながら思い至った先には、これが一番近いのではないかと感じました。
良心の呵責が強いものは、潜在的に地獄へいくと考えているため地獄がつくられるということだと思います。また宗教に強く感化された人も、その宗教が示す場所を想像しているため、そのような場所にいくということです。
この考え方なら、多くの種類の天国地獄があるのも納得できないこともないです。

文章が下手ですみません。言いたいことを伝えるのって難しいですね。

お礼日時:2007/07/26 15:45

最後の審判において 審査される項目。




http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/sisy …

弁護士のバッジみたいな概念。


http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/god/ …

【天秤の片方にマアトの羽根、もう片方に死者の心臓をのせ、つりあわなかったら(重すぎたら)、その心臓は罪に穢れて重くなっていると見なされてしまう。】



>やむを得ぬ状況で殺害したり自殺した場合も有無をいわさずに地獄いきなのでしょうか?


そんなこといったら、イエスは人類のために自殺したとも解釈できるわけで、地獄に行ったことになってしまいます。

42の項目に違反していなければ、どういう死に方だろうとOKってことじゃないかと。


ちなみに、死者の書の簡略版が10戒。


今のはエジプトの死者の書でしたが、チベットにもある。

http://reijin32yoshi.blogzine.jp/shinsey/2007/05 …



>自分が自殺することで他に助かる人がいるとした場合

自己犠牲を人間がするか。
しないと思います。
ドラマではありますが、現実は無いと思います。
昆虫はありますが、あれは自己保存の本能からくるもの。
利己的な本能によって自己犠牲をする。

人間でも他人の代わりに死ぬとしたら、やはり人間も利己的本能により自ら命を絶つんだと思います。




>食料や水がないとか空気がない状況など)も自殺した人は地獄へいくのでしょうか…?

末期癌で医者にお願いして命を止めてもらう人もいますが、あれは絶望の淵で、もうどんなに医療を受けてもあと1ヶ月とかで、ものすごい激痛で、安楽を臨んで医者にすがって助けてもらうために依頼したのであって、それをわたしは攻めることはできません。



>一応天国や地獄を存在するものと考えていますので、それらの存在を問う質問ではありません。

ここをもっと明確にしなければ、つきつめて深く考えなければ、永遠に彷徨うわけですが、やるべき重要な事を故意に無視する理由はなんでしょうか?

彷徨いたいから?


イラク問題ありましたよね。
「イラクは 核兵器を持っている<かも>しれない国だから、攻撃をする」

これ日本も賛同しました。

でもこの文章 おかしくないですか?
核兵器を持っているのか もっていないのか、わからない状態であるとわかっているのに、仮定を現実だと置き換えて、攻撃してしまいました。

あなたが「あなたは人を殺した<かもしれない>から死刑」って処刑されたら、浮かばれませんよね。


イラクを占領して、隅から隅まで探して、核兵器は無かったことが明確になった。


死んだ後にしか天国や地獄があるかどうかわからない。
誰も死なないとわからない。
いや 脳がこの世を作っているのであれば、脳が死んだら世界も死ぬ。
空想上の天国も地獄もありえないことになる。


チベットの死者の書のリンクを上に張りましたが、要するに思い煩わされる状態を悟りによって打ち砕くって説明だと思うんですね。

人は一回きりの人生において何度も再生する。
何度も崩れながら、生きているのでまた立ち上がって、反省したり後悔して、失敗を参考に又最終目標の死に向かって生きるわけです。

煩わされたことも幻にすぎない。
幻に苦しむ必要は無いってわけですね。

これが究極になると無関心となり、全ての感覚が停止して、本当に死者になっちゃうと思いますが。


人は天と地の間に存在するしかない。

幸福と不幸の狭間に存在するので、両方あり、やはり苦しみは幻であるとは言いがたい。
だが、中間に存在するので、100なことはありえず、50じゃないか って思うと、ちょっと楽になるかも。


これが死んだら100になる?
死んだら死者ですので、感覚器官が全てを創造する以上、それが停止したら、この世も空想上のあの世すら創造することはできない。


死者の書を書いた人も生きている内、書いたわけで、死んだ後書いたわけじゃないですよね。
死んだら話せない、書けない。


いやいや 霊魂となり死者に語りかけたんじゃないか?
エジプトも中東も神殿にいたひとたちは、麻薬を使っていた。
麻薬 つまり 幻覚剤。幻覚剤は幻を生む。


日本でもイタコの口移しってものがある。
代々その能力を持っているという家系もある。

でも、それは能力というより・・・・・ ここで言うと削除対象になるので言えませんが、能力とするか・・・・とするか。


以前テレビで悪霊に乗り移られた人が「わらわは桃山時代の菊姫じゃ」って言ったんですね。
「桃山時代は後世の人が命名したわけで、生きている人たちは桃山時代に後世で呼ばれることになるって知らなかったんですが、、、、、」ってある芸能人が言ったら、「くるしー くるしーー」って誤魔化しやがりました。笑。

観察していて、人に注目されたい、自分は凡人ではなく特別な存在であると他人から認めて欲しいという強い願望が、彼女の脳を支配し、行動を変化させてしまった、と思えました。



祈祷してぶったたいてお祓いしたところ、悪霊は退散したって番組ではなっていますが、あれだけぶったたかれたら、「このままだともっとぶったたかれるから、演技やめよう」って思うのが普通じゃないかと。
これが判断できるんだから正常ですね。 
演技することも止めることもできるので、正常。



裁判で悪魔の存在が立証された事件として、エミリー・ローズって映画ありましたが、あれは本当に悪魔がいるんじゃなく精神病だと思います。

エクソシストのモデルになった人も、悪魔つきのようになったが、精神病。

普通の上品な主婦が、恐ろしい声でうめき、悪魔に体を乗っ取られたとしか思えない状態になりましたが、あれも病気が原因であって、悪魔が実在して、主婦の体を乗っ取ったわけじゃない。

全ては脳の仕業。

天国や地獄、神が存在すると知覚するのも、誰がさせているのかというと脳。


悪いことをしたら地獄に行くんじゃないかと思わせるのも脳。

脳が壊れてしまった人。
どんなに健康な時 すばらしい思想を持っていたとしても、脳が壊れてしまったら、、、、

脳が壊れたら人格が変わる人もいれば、変わらない人もいる。
どこにダメージがきたかで違ってくる。

脳次第なわけですね。

麻薬など使えば、人が悲しんでいる場面でも陽気になることが可能。
薬物は人の自然の身体反応を変える。

で、人は自分らしさってポジションを持っており、一時的に不健康になっても、自己治癒力があれば、また 元のポジションに戻れる。

だから、宗教とか自己開発セミナーで、一時的に「やるぞー」って思っていた人も、時間とともに、元のポジションに戻ってしまうわけです。
元のポジションに戻らず、傾いていて欲しかったら、ずっと洗脳し続けるしかない。
元のポジションに戻らないようにするため。

これが他者によって引き起こされる自己喪失。
長く傾かされると脳の可塑化が起こり、傾いた状態が正常な状態だと脳が記憶し、連れ戻しにきた家族が説得しても、傾いた状態が自分の状態だと思って、家族をサタンが使わした僕だと思い込んでしまうわけです。

乗っ取られちゃた。
誰が乗っ取ったか? 他者。

でも、どんなに洗脳めいたことを言われても、乗っ取られない人もいる。
性格による。
摩訶不思議なことが本来好きな性格の人は、すぐ他者の摩訶不思議洗脳によって脳を傾ける。


わたしも摩訶不思議なことが大好き。
小さい頃から幽霊やUFOの本を読み漁っていました。
超常現象などもう 目をきらきらさせて読んでいました。

ただし、「どうしてそのようなことが現実起こるのか」にすごく興味が沸いたんです。

そしてトリックを知ると、今度はではこの超常現象のトリックはなんだろう?とクイズに答えるように、考えるようになった。

どんどん謎が謎ではなくなり、「おもしろい!」ってなっちゃいました。
何故か? わたし固有の唯一無二のもって生まれた性格が原因だと思います。


一度 自分はどういう特徴があるのだろう? って考えてみると、どうして、天国や地獄の存在を肯定するのか、その思想にどうして影響され、生きかたを模索するようになったのか、わかってくるかもしれません。
自分を知るチャンスですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。深い意見で考えさせられました。
自分も天国や地獄を心から信じているというと、そうではありません。
ただなんとなく、そうゆう概念に感化されたといえばそうなのかも知れません。

以前までは「善行をしたものは救われ、悪行を働いたものは罰を受ける」というのは、非常に分かりやすく因果応報にも即しているので、なるほどと考えるようになっていたのだと思います。
しかしながら、人の世とはそのように単純に割り切れるものではないといことを最近になってようやく気づき始めました。
そのため、これまで人類が考えてきた「天国」や「地獄」といったものはどういったものなのか興味を持ったのです。

天国や地獄、魂などといった概念的なものや、超自然的なものは「ない」といえばそうなのかも知れません。これは確かに死者の為というよりは、生きている人の為に考え出された気がします。
教訓や生き方の規範になりますし、大切な人は天国で悠々自適に暮らしていると考えれば、慰みになるし許された気分にもなれます。また輪廻転生して、再び巡りあえると思えば寂しさがまぎれます。
霊界と現世をいったりきたりして、霊魂の次元をより高める修行と考えれば、今生きる人生が無駄ではないような気がします。
因果応報という考え方もそうですね。自分がしたことが還ってくるのならば、不幸も納得するしかないと考えられますし。よりよい行いを心がけるようになるでしょう。

うーん…。でも完全にないと考えてしまうのもなんだか寂しいです。
真相は死んでから確かめることにします(笑)

お礼日時:2007/07/25 15:33

他人を殺すことや自分を殺すという言葉だけで地獄へ行く(=悪いこと)とは判断できませんよね。

september_さんが記述されているように、「自分が自殺することで他に助かる人がいるとした場合・・・」とありますが、同じ『自分を殺す』表現ではありますが過程が異なります。記述されている内容では『自己犠牲』に基づいたものですね。つまりは他の人を助けることとなります。
天国か地獄か、それは自分自身(他人でもいいですが)がどのような過程を過ごして生きてきたのかが示される場です。
自分自身で納得して地獄にいけば、それは本人にとっては“天国”なのかも知れませんね(^-^)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「自己犠牲」という言葉、いい言葉だと思います。実行しすぎると精神を病みそうですけどね。
ただ、自己犠牲(いいこと?)をしたからといって天国へいけるとは限らないようです。それならば一体、何を基準にしていけば…?と感じてしまいます。自分の良心に恥じないように生きていくことが良いのでしょうか。
それとも最終的には自分自身で納得するしかないのでしょうかね…。

お礼日時:2007/07/25 09:46

死後天国に行くか地獄に行くかは世の中の法律や常識で決まるわけではありません。


あの世の法律によって裁かれるというのが正しいのですね。
あの世の法律はその人の心の状態のみに適用されますので、死に方には無関係なのです。自殺者が全員地獄へ行くわけでもないし、逆に大往生と言われる人が全員天国に行くわけでもありません。キリスト教徒だから仏教とだからといって全員天国にいけるわけでもないのですね。坊さんも神父にも例外はないですよ。
人を殺すと地獄に行くといえば軍人などは全員地獄行きですね。これも間違いですね。殺されたからと言って全員地獄に行くわけでもないですね。つまり、この世が全てだと思って心がこの世の何かに執着していることが天国に入れない一番の理由なんですね。
なんだか判らないと思うでしょう。例を挙げましょう。障害に100人切り殺した剣豪、宮本武蔵は天国で軍神になっています。生涯で一度だけ負けた佐々木小次郎は、武蔵は卑怯だといい続けていまだ地獄にいます。東郷平八郎も天国にいますし、暗殺された坂本竜馬も天国にいます。
つまりあの世から見て義があるかどうかなんですね。あの世の義ですからこの世の義と間違ってはいけません。この世の義で多くが地獄に行ってますね。仏神の心に沿った義があれば天国にいけるということは確かです。この世は仮の自分であの世の自分が本当の自分ということに気づけば全てが舞台劇のようなもので、主役に殺される脇役もいれば、いろいろな役を演じているだけということですね。役にこだわることはないということですね。1つ付け加えると、死ねば全員その心が裁かれます。その裁きの結果が悪ければ、監獄に入るより厳しいことは確かですね。だから宗教は人生80年ぐらいやさしく、心穏やかに過ごしなさいと教えているのですね。悪さをした人は生きている間に反省をすれば魂は救われるようになってます。これは天国の法則ですから天国に戻れるということです。誤って人を殺しても同じですよ。しっかり反省して人のために尽くした人は天国に戻ってます。逆に殺されたといって恨み続けている人は地獄なんです、小次郎のように。これが事実なんですね。この世の常識ではないですね。
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この回答へのお礼

興味深いご意見です。回答ありがとうございます。
その人生に義がある・許す・悔い改める(天国には天国の常識がある)ということが天国へいく条件…という感じでしょうか。

やはりなんとなく不条理を感じてしまいました。まるで天国へいける人をふるいにかけて選んでいるような気がします。
誰だって愛されたいし、幸せになりたいだけのはずです。嗜好や環境の違い、または時代の違いで愛を得ることができなかった(失くしてしまった)・幸せになれなかった。それ故に凶行に及んだ人、義に適わなかった人は多いと思います。根は善人だったのに、その人生の過程で歪んでしまい、条件をクリアすることができなかったという人もいると思います。

お礼日時:2007/07/25 09:35

魂の救済とは 何をしたから得られる かにをしたから得られないというものではありません。

殺人をしようが 人助けをしようが いっさい関係ありません。

ですから この今から どうすれば得られるとか またどうあれば得られないか こういう問題でもありません。

いままで 自分はどうしてきたから得られないとか こうしてきたから得られるだろうとか こういうものでもありません。

いっさい分かりません。救われたいと思うかどうか これが問題なのです。

救われたい人は 救いたまえと祈ればよろしいのです。しかも祈ったから救われるのか これは わたしたちに分かるようには 決まっていませんし 決まるものでもありません。

疑いが起きれば ふたたび祈ればよいのです。そしてみたび よたびとそうすればよいのです。いやなら やめればよいのです。

天国も地獄もありません。わたしたちに分かるようには決まっていません。むしろ ないと受け取ったほうがよいでしょう。祈りに必要だと思ったら そういう表現を用いればよいでしょう。

不条理の問題は その不条理の事態にある当事者でないと分からないところがあります。ですが その事態に遭ってどうするかは 救いの問題とつなげて考える必要がありません。最後の最後まで あくまで合理的に考え 妥当な解決策を 考え抜くことです。

だめだと思っても さらに考え抜きます。もうだめだというときにも さらに生命の問題として理性で考えてまいります。祈る必要もありません。あるいは 言いかえれば 死ぬまで 話し合いです。死んでも 民主主義の話し合いです。救いは考える必要がありません。

そういうふうになっていると思います。
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この回答へのお礼

非常に貴重な意見ありがとうございます。参考に致します。
人の身では魂の救済ということは計り知れないということですね。
人は祈り(信仰のみ)によって救われるという考え方に近いように思いました。
回答は魂の救済如何というよりは、生を受けている今現在の精神を楽にするという意味合いにも取れるような気がします。難しいものですね。

お礼日時:2007/07/25 08:56

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確かにテレビなどで北島事務所の若い衆が出てくると、北島三郎さんのことを
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アメリカのやり方を見てどう思いますか?
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わたしの主張は、
「ヒトを殺さない、ヒトが殺されない体制を作ることが重要だ」
です。
「ヒトを殺す、ヒトが殺される」状況が現出したら、その時点で負けなのです。

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☆日本に原爆二個も落としておいて あれは必要だった 正しかった
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http://www.sizen.net/tane23.html


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大切なのは、精神の有無よりも、生や生の尊厳、命ではないのですか?

質問者は、
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質問者は、「こんなものには理性がないから」と、デカルトのように犬を蹴るのですか?



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◇ここでおっしゃっている同じ目的とは何ですか?
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◇そもそも、
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まず、ここでいう《平和》を定義してください。

お礼、ありがとうございます。


☆アメリカと安保を結んでいて 集団的自衛権と言うのも多分アメリカとの関係上必要になると思います。
アメリカのやり方を見てどう思いますか?
◇わたしは、アメリカの外交・戦略が正しいとは言っていません。
わたしの主張は、
「ヒトを殺さない、ヒトが殺されない体制を作ることが重要だ」
です。
「ヒトを殺す、ヒトが殺される」状況が現出したら、その時点で負けなのです。

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Q北島康介

北島康介選手が世界新で金メダルを獲得しましたね!
僕も鳥肌が立ちました!!

それでなのですが、北島選手はコカコーラ所属となってい
るのですが、具体的にコカコーラでどのような仕事をして
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Aベストアンサー

実業団選手の場合であればNo.1様のご回答どおりですが、北島康介さんはれっきとしたプロ選手です。日本コカ・コーラの純粋な正社員ではありません。

日本コカ・コーラは、2005年より競泳の北島康介選手と契約を結び、北島選手の活動をサポートしています。

また、企業理念を共有する「スポーツアンバサダー」として、コカ・コーラのCSR(企業の社会的責任)プログラム「コカ・コーラ 未来への夢はじめよう。」プロジェクトにおいて学校訪問企画「フロッグタウン ミーティング」を共に立ち上げ、活動は2008年で2年目を迎えています。

所属は確かに日本コカ・コーラですが、選手活動資金のスポンサーとしての所属であり、資金提供の見返りに、スポンサーである日本コカ・コーラのCSR事業(企業の社会的責任としての対外的なPR事業)へ協力するという図式です。

選手としては完全なプロフェッショナルです。これによって北島選手は資金の心配なく選手活動ができますし、日本コカ・コーラとしても宣伝になります。お互いビジネスとして利用し合っているわけですね。

http://www.cocacola.co.jp/study/olympic/kitajima.html

実業団選手の場合であればNo.1様のご回答どおりですが、北島康介さんはれっきとしたプロ選手です。日本コカ・コーラの純粋な正社員ではありません。

日本コカ・コーラは、2005年より競泳の北島康介選手と契約を結び、北島選手の活動をサポートしています。

また、企業理念を共有する「スポーツアンバサダー」として、コカ・コーラのCSR(企業の社会的責任)プログラム「コカ・コーラ 未来への夢はじめよう。」プロジェクトにおいて学校訪問企画「フロッグタウン ミーティング」を共に立ち上げ、活動は2008...続きを読む

Q肉体が亡びても魂は永遠なら、永遠の世界に魂が溢れてしまいます。輪廻転生

肉体が亡びても魂は永遠なら、永遠の世界に魂が溢れてしまいます。輪廻転生で説くなら世界人口の増加に伴い新しい魂が生まれているのでしょうか?個人が誕生したときその魂はそこから始まった真新しいものなのか、輪廻転生により繰り返す生への歩みなのか悩んでしまいます。学のない私ですが、『それでも僕はいきてゆく』という野田啓介さんの本を読み哲学の魅力を感じています。

Aベストアンサー

>肉体が亡びても魂は永遠なら、永遠の世界に魂が溢れてしまいます。

○ そうですね。放置すると永遠の世界に魂が溢れてしまうのですね。そこで、そうならないように転生輪廻のシステムが構築されたのですね。このシステム作ったのがお釈迦様なんですよ。日本人の殆どの人は数十万回以上の転生を経験していますね。
でもまだまだ迷っているでしょ。システムを知らない人は洗濯機を回すようにぐるぐるやられるのです。洗濯機の転生と呼んでますね。このシステムに気づいた人はちょっと別格で扱われるようになりますね。洗濯機から出て、生まれたい時を自分で選べるようになるということですね。これを解脱といいますね。
こんなのがあの世の常識ですね。

>輪廻転生で説くなら世界人口の増加に伴い新しい魂が生まれているのでしょうか?

○ ある程度魂修行が進むと、つまり霊格があがるとあなたが二人、三人に分かれるのですね。分光とかみたまわけ、と呼んでますね。分かれたあなたたちがまた転生して個性化していくのですね。つまり、鼠算式に増えているのです。
進化した魂は地球も飽きてくるでしょうから他の星にということもあるのですね。
中国やインド、アフリカで人口が増えているのは、ちょっと違って宇宙からの魂の移民を受け入れているからなんですね。だからあの人達は少し変わっているのですね。
こんなのがあちらの世界の常識ですね。
あの世の常識を知るものもいますから、気軽に質問してくださいね。

>肉体が亡びても魂は永遠なら、永遠の世界に魂が溢れてしまいます。

○ そうですね。放置すると永遠の世界に魂が溢れてしまうのですね。そこで、そうならないように転生輪廻のシステムが構築されたのですね。このシステム作ったのがお釈迦様なんですよ。日本人の殆どの人は数十万回以上の転生を経験していますね。
でもまだまだ迷っているでしょ。システムを知らない人は洗濯機を回すようにぐるぐるやられるのです。洗濯機の転生と呼んでますね。このシステムに気づいた人はちょっと別格で扱われるようになりま...続きを読む

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北島三郎は偉大だといわれてますが、
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Aベストアンサー

北島三郎が偉大だと言われているというのは
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思わせることがあります

人生を歌っているというより
日本(とくに風土)を歌っているところに
関心することがあります

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古来からの日本の職業ー農業、漁業、山林等々

もちろん恋の歌もあったかもしれませんが
(今は思いつきませんが)
日本の風土対それに従事する日本人
風土の風景とそれに対する日本人の心情
人を歌うのではなく
日本を歌う

だいたい演歌、流行歌といわれる歌には
失恋などをテーマとする歌が多いものですが
このサブちゃんはそうではない

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この傾向はあったのですが
(この人は、日本の歌がどこから来たかまで理解して歌っていた)
現在は北島三郎氏が
いちばん日本の歌を理解して歌っているのではないですか

偉大という表現はわかりませんが
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魂の概念をおしえてください!
僕は肉体という器を魂というエネルギーで動かしてるとかていしています。
つまり、魂のない肉体は欲のままにうごくわけでもなく機能しないとかんがえています。また、魂が肉体に入るタイミングは産まれてくる瞬間とかていしていて、死んだ人を甦らせることは二つのかていにより、生き返るが動かないという命題をたてました。
そして、性格というのはまた自分というのは他人の集合体であると結びつけます。すなわち、自分に尽くすことも他人に尽くすことと同じだと結論にたどりつきました。
死んだら、肉体と魂は別れ再び魂は霊界にいき次なる目的をきめて地球におりてくる。
このスピリチュアルてきな考えはよくないですかね?大学一年です
どうしても霊界を作らないと自分が五体満足でうまれたことがラッキーという感覚になってしまうので霊界をつくりました。
つまり、我々は人のためにすることが生きる意味ではないかと。また、その先のことは次なる肉体でミッションとして生きる。それはきっと遺伝子操作をした肉体だとかんがえています。
ばかですかね?笑

Aベストアンサー

バカではないと思います。

どのようなテーマに関しても、自分で考えることは大切です。それがバカバカしく思えることでも、真実である可能性はあります。相対性理論も不確定性原理も、提示されたときにはバカバカしく思われたものです。

魂の概念ですが、それは一人一人違うものであり、唯一の正解はないのではと思ってます。貴方の提示する概念も、正解の一つだと思います。

私にとっての魂の概念としましては、身体とともに成長していく自覚だと思ってます。

Q「北島のメンチカツ」の売っているデパートは?

新聞に、水泳の北島康介選手の店のメンチカツを銀座と日本橋のデパート以外に上野松坂屋でも期間限定で売る、とあったのですが、銀座と日本橋のデパートというのは、何処を言っているのでしょうか?
また、そこでは常時、北島のメンチカツを買えるのでしょうか?
教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。私も北島のメンチは食べてみたい一人です。8/19まで期間限定で恵比寿三越で販売されていたようなので、日本橋&銀座ももしかすると三越かもしれませんね。詳しいことわからなくてすみません。ご参考までに。

Q死後の世界や魂などの存在がないとゆうのは本当に悪魔の証明なのでしょうか? もし魂のようなものがあると

死後の世界や魂などの存在がないとゆうのは本当に悪魔の証明なのでしょうか?
もし魂のようなものがあるとしたらそれは意識や記憶を持つことになります しかしそれが脳にある証明されれば死後の世界や魂はないとゆうことになるのではないでしょうか?

Aベストアンサー

魂が存在する=魂は意識や記憶を持つ=脳は意識や記憶を持たない

という関係が不可分である(一部が否定されればその全てが否定される)構造を想定しているのですよね
それで脳に意識や記憶があることが証明されれば魂の存在が否定されると

仮に脳に意識や記憶があるとしたらこの構造の否定が正しいことになりますよね
つまり 魂は存在しない=魂は意識や記憶を持たない=脳は意識や記憶を持つ

ここで引っかかるのですが魂は意識や記憶を持たないというのは魂は意識や記憶を持つの否定だから正しいはずですが
そもそも魂が存在しないとすれば魂に関する言明は全て真偽不明になってしまわないでしょうか?
真偽不明の言明をこの構造は正しいと言ってしまってることになります
これってちょっとおかしくないですか?

一部が否定されればその全てが否定されるような構造を想定してないのであれば
今挙げたおかしさは生じないと思いますが
それだと脳に意識や記憶があるとしたときに魂の存在が否定されるかもしくは魂は意識や記憶を持つことが否定されるか
いずれも否定されないか論理的に決定することができなくなってしまうという問題が生じると思います

魂が存在する=魂は意識や記憶を持つ=脳は意識や記憶を持たない

という関係が不可分である(一部が否定されればその全てが否定される)構造を想定しているのですよね
それで脳に意識や記憶があることが証明されれば魂の存在が否定されると

仮に脳に意識や記憶があるとしたらこの構造の否定が正しいことになりますよね
つまり 魂は存在しない=魂は意識や記憶を持たない=脳は意識や記憶を持つ

ここで引っかかるのですが魂は意識や記憶を持たないというのは魂は意識や記憶を持つの否定だから正しいはずですが
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Q北島康介選手「I AM THE SWIMMER」について

去年の話を今更なんですが、疑問に思ったので質問します。

北京オリンピック前にスピード社のレーザーレーサーという水着で大騒ぎになりました。
この騒動に終止符をうつべく、北島康介選手が「I AM THE SWIMMER」という文字を入れたTシャツをきて日本の大会に登場したことがありました。

僕はこれを見たとき、ミズノの水着を着た北島選手は、多くの選手がレーザーレーサーを着て泳ぐと記録が出るということで、水着にばかり目が行ってしまっているマスコミや選手、関係者に対して「水着が泳ぐのではない、人間が泳ぐのだ」ということを主張したのだと思いました。
そのときは、さすがと思ったのですが、、、

その後、北島選手はレーザーレーサーを着ることを決めて記録を更新しました。
僕はそれを見て「結局、北島も他の人と同じじゃん!」と思ったのですが、彼の主張はどのように受け止めれればよかったのでしょうか?


「I AM THE SWIMMER」という主張をした時点で、北島はレーザーレーサーは着ないつもりなんだと思っていました。

みなさんはそう思いませんでしたか?

去年の話を今更なんですが、疑問に思ったので質問します。

北京オリンピック前にスピード社のレーザーレーサーという水着で大騒ぎになりました。
この騒動に終止符をうつべく、北島康介選手が「I AM THE SWIMMER」という文字を入れたTシャツをきて日本の大会に登場したことがありました。

僕はこれを見たとき、ミズノの水着を着た北島選手は、多くの選手がレーザーレーサーを着て泳ぐと記録が出るということで、水着にばかり目が行ってしまっているマスコミや選手、関係者に対して「水着が泳ぐのではない、...続きを読む

Aベストアンサー

結局は水着はなんであれ、泳ぐのは選手本人なんです。
いくら水着がよくても選手自身がいい水着があるからといって、練習をさぼっていてはタイムは出ません。
なので北島選手が言いたかったのは水着の力も借りるけども、「泳ぐのは本人だ」ということです。

Q人を殺すか殺さないか?

自衛隊は軍隊です。知らないのですが自衛隊はこれまで人を殺した事があるのでしょうか?

もしないとすれば 今度の安保法制では 殺す事もあるという事になります

アメリカ軍は今までに何人殺して来たでしょうか?100万人?300万人?500万人?それ以上?

この違いは大きいです。人を殺すか殺さないかが問われているのです。

自衛隊は軍隊になるべきなのでしょうか?平和憲法は人を殺してもいいように変えるつもりでしょうか

もうすぐ選挙 日本人は人を殺すか?

Aベストアンサー

「日本人は人を殺すか?」というのは、自衛隊の問題を考えるとき、なかなか優れた視点であると思います。
自衛隊員=日本人ですが、日本人=自衛隊員と言うわけではありません。
自衛隊員とは、日本人に包含されています。
「自衛隊員が人を殺す」問題のみを殊更に取り上げて、それを問題視する人達が多く居ますが、そこを問うならば、正にこの質問にある、「日本人は人を殺すのかどうか?」というそもそも論を考えるべきでしょう。

日本人は人を殺さないにもかかわらず、それが自衛隊員になった瞬間、「場合によっては人も殺す」と言うことなのかどうか?

そこが重要でしょう。

この国において、殺人事件は普通に起きます。
現代社会においては人を殺せば殺すほど重罪に処される傾向があると思いますが、時代背景が違う場合は、殺せば殺すほど褒められる、ということだってあったわけです。
こうしたことは、そうしたことを頭に置いて考えた方が良いように思います。
自衛隊員も人を殺すかも知れないけれど、それ以前に、日本人は、場合によっては人を殺します。

現在の憲法は、実に理想的なものだと私は思います。
憲法論議、特に安全保障の話題になると、各条項を一気に飛び越えて、いきなり9条が持ち出される傾向にあると思いますが、現憲法の理念が書かれている前文に、安全保障に対する考えかたが書かれています。
9条を論議する場合、この前文に書かれている理念の意味をよく考えることが必要だと思います。
そこにあるのは、簡単な言葉で言えば、「他国も戦争は望んでいるはずが無い。我々はそれを信じる。そこに信頼することによって自国の安全を保つ」です。
「平和を望む皆さんを信じます」と憲法に書いたのですから、勇気があると思います。
そしてこれは実に崇高な理念だと思うのですが、現状から考えれば「ユートピア思想」という匂いも禁じ得ません。
現憲法が、現状のこの国の実態からやや乖離してしまっている感は、否めないと思います。

自衛隊について語るときに、国際法における「自衛権」を持ち出す人が居ます。
その考え方に則れば、日本にも交戦権があることになるでしょう。

そして、「自衛権」を持ってして、「自衛隊はだから合法なのだ」とするのも、やや強引のように感じます。
自衛権とは、あくまでも自衛する権利のことであって、武力行使に直結はしていないでしょう。
実際問題として、この国では自衛隊が防衛出動したことがありません。
では、自衛行為をしていないのか?と言えばそれは違うでしょう。
外交などはその有効な手段のひとつです。
それは、憲法前文に書かれている、この国の安全を保証する手段、そのものだろうと思います。

「日本人は人を殺すか?」というのは、自衛隊の問題を考えるとき、なかなか優れた視点であると思います。
自衛隊員=日本人ですが、日本人=自衛隊員と言うわけではありません。
自衛隊員とは、日本人に包含されています。
「自衛隊員が人を殺す」問題のみを殊更に取り上げて、それを問題視する人達が多く居ますが、そこを問うならば、正にこの質問にある、「日本人は人を殺すのかどうか?」というそもそも論を考えるべきでしょう。

日本人は人を殺さないにもかかわらず、それが自衛隊員になった瞬間、「場合によ...続きを読む


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