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カテちがいとは思いますが、ここで聞いた方が正確な答えをいただける
かと思い質問させていただきます。

父親に聞いた話ですが、
昔(70年代)は日本ではスパゲティの種類は
「ミートソース」「ナポリタン」の2種類しか無かった。
それが、「シーフードスパゲティ」「クリームスパゲティ」を経て
「ペスカトーレ」「カルボナーラ」「ペペロンティーノ」といった
現在のように本場イタリアと同じ名前と種類が定着した・・・
らしいのですが、
それは何年ごろに大きく変化したのでしょう?
また、発端や仕掛けた(日本に紹介した?)のは誰だったのでしょう?

A 回答 (7件)

何が原因で普及したかは分かりませんが,普及しだした年代について述べさせていただきます.



手元に「マイライフシリーズNo.20スパゲッティとマカロニ」という家庭用の料理本があります.昭和48年11月(73年)に発行され,翌49年1月には重版が出ています.このマイライフシリーズは,当時かなり売れた本で,未だに古本屋などでも見かけることがあります.当時の中流家庭では料理本としては広く読まれていたのではないかと私は考えております(一億総中流の時代でしたが).この本は,家庭向けとしてはそこそこ本格的なパスタ料理の本で,ボロネーゼの他にマリラーナ,ボンゴレ,ペスカトーレなどのソースのレシピもあり,カルボラーナも載っています.

さて,この本の冒頭で太木光一が「スパゲッティ物語」なるものを書いています.そこには「日本でも最近,若い人々に好まれ,スパゲッティは急激に伸びています.」あり,その理由として「肉や魚介類ばかりではなく,チーズや野菜など,自分の好きな食べものとスパゲッティの組み合わせで味のT・P・Oが楽しめること」を一番に挙げています.

この文から読み取れることは,当時既にスパゲッティの色々な料理が普及しつつあった,ということです.ボロネーゼとボンゴレだけなら,味のT・P・Oも何もありません.また,全日本マカロニ協会が協賛した本ですので,既に十分普及していたのではなく,これから普及の兆しを受けて,それを後押しする目的でこのような本が出たのだろうと考えられます.

私もボロネーゼの他にカルボラーナや魚介類の入ったホワイトソースなどのスパゲッティを,家庭料理として70年後半には食べていました.場所は,関東の外れの地方都市です.東京では70年代前半くらいが「普及し始め」だったのではないかと思います.今思えば,70年後半に地方都市でそんなものを食べていたのは少数派だったとは思います.当時はまだスパイスやチーズなどが今ほど手軽に入手できなかったですから.お父上のように「70年代は2種類しか無かった」と感じていた人はかなりの数に上ると思いますが,少し言い過ぎでしょう.

それが広く浸透するには80年後半から90年くらいまで待たなければならなかったと思います.この頃には地方でも手軽にスパイスが入手できるようになっていましたが,外食もずっと気軽にできるようになってきました.特に,チェーンのファミリーレストランの展開が大きな要因ではないかと私は想像しています.広く浸透するには料理本を頼りに新しい料理に挑戦する主婦の存在だけでは不十分で,近所で気軽に外食できる環境が必要だと思うからです.

外食で覚えた人が十分に増えた頃に,レトルトソースなどが発売されれば,家庭で食卓に上る機会も各段に上昇しただろうと思われます.現在でも,ペスカトーレやペペロンチーノなどは外食かレトルトで食べるものでしょう.21世紀の現在でも,それらを家庭料理として食べていることに限定してしまえば,広く浸透しているとはとても言えないのではないでしょうか.

お父上がおっしゃった定着した順番ですが,私の感覚でもだいたい同じです.ファミレスのメニューの変遷やレトルト食品の販売時期と照らし合わせると,何らかの関係が見えてくるかもしれませんよ?

余談ですが,冒頭で紹介した料理本には納豆,イクラ,たらこ,とろろこんぶ,お新香などの身近な食材を茹でたてスパゲッティと合わせる料理が紹介されています.それらの和風パスタが話題に上るようになったのは,平成に入ってからでした.随分と時間がかかったものです.
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
詳しいご説明、感謝申し上げます。
73年には、すでに日本に紹介されファミレスが世間に広げて行った
過程が想像できました。

お礼日時:2007/08/24 01:06

「レナウン・ミラノ」や「壁の穴」、「Capri」といったパスタ主体のイタリア料理店が展開し始めた時期からで、それが70年代中葉から後半だったと思います。



いくつかのパスタメーカー(オー・マイやマ・マーなど)のアンテナショップも関わっているかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/24 01:03

70年代の後半に大学の食堂で、カルボナーラを食べた記憶があります。

もちろん、今のようなトロトロの本格的なものではなく、食堂のおばちゃんが作った「卵炒めの混じった塩スパゲッティ」という雰囲気でしたが、一応カルボナーラという名前は付いていました(当時はそれがカルボナーラだと思っていた)。
皆さんの回答を見ると、これは結構早い方のようですね。

その後、80年代半ばには、都下の某市あたりでもスパゲッティ専門店が生まれ、スープスパゲッティとかクリームスパゲッティ、ペペロンチーノなども食べられるようになりました。当時は、ペペロンチーノなどは、「何も入っていない塩スパゲッティなのにどうしてこんなに高いんだ?」とみんな思っていました。
その頃からアルデンテなどという言葉も普通の人が口にするようになってきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そんな前からカルボナーラという名前が出ていたんですね。
認識を改めます。

お礼日時:2007/08/24 01:03

80年代末頃だったと思うのですが、イタメシブームってのがありましたね。

ちょうどバブルの頃です。それがミートソースとナポリタン以外のパスタ料理を世に知らしめるきっかけになったと思います。
70年代は、ピザもチーズピザとサラミソーセージとマッシュルームがのったミックスピザしかなかったように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/24 01:01

発端は日本のバブル経済です。


日本経済が世界最強とされたので、世界のありとあらゆる文化が東京に流れてきました。その一端がイタリアのスパゲティです。

景気が良くなると、儲けるために各種が進出してきます
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/ …

バブル期は特に強烈でした
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この回答へのお礼

ありがとうごじました。

お礼日時:2007/08/24 01:01

ウィキにも記載がありますが、私見では


1983年ごろ都内の洋食屋では「シーフードスパゲティ」とか「クリームス
パゲティ」とか、他に「森のきのこスパゲティ」「たらこ入りスパゲティ
」とかがちらほら見かけた記憶がありますね。
1982年、池袋駅の地下食堂街では「ミートソース」「ナポリタン」しか
なかったような記憶なので、このころから変化が出て来たような気が
します。
1988年には、新宿紀伊国屋地下のスパゲティ屋で「ボンゴレ」とか
「ペスカトーレ」を食べた記憶があるので
1985~88年ごろにカルボナーラなどが出そろったのでしょう。

仕掛人?
女性雑誌とかじゃないですか?
HANAKOとかananとか。
1987年には、女子大生やOLの間では「壁の穴」とか話題になって
ましたからね。
だいたいおいしい食べ物に真っ先に飛びつくのは女性でしょうから。
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1990年に発行されたグルメ漫画『美味しんぼ』で、


「カルボナーラ」に全卵を使ったエセ・イタリアン料理人を
海原雄山が料理に口もつけずに一喝する話が出て来ます。
なので、少なくとも90年にはお店で出されていたのは確かかも(笑)

http://www.amazon.co.jp/dp/4091820352
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/24 01:00

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