啓蒙主義って何ですか?
啓蒙思想とは違うのですか?
詳しく教えてください。

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哲学 辞典」に関するQ&A: 哲学用語辞典

A 回答 (1件)

 ご質問が漠然としすぎているように思います。

まずは、手ごろな百科事典とか哲学辞典などで「啓蒙主義」「啓蒙思想」という箇所をお調べになるのが、手始めとしてはよいのではないでしょうか。全体的な特徴を知るだけならば、それで充分なはずです。
 その上で「この時代の、この国の、この人の思想は?」という形でご質問されれば、答えられる人はたくさんいるでしょう。

この回答への補足

哲学辞典は図書館にありますか?

補足日時:2001/01/25 22:35
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    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございました。
いきなり、啓蒙主義って何?と課題が出されて、どんな本を読んでいいのかも分からなかったので、助かりました。哲学辞典探してみます。

お礼日時:2001/01/25 22:54

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Q啓蒙の意味

啓蒙の原義は「光で照らされること(蒙(くら)きを啓(あき)らむ)」とあります。

知人からこの蒙は蒙古を示し、中国から見た蒙古人に対して、「暗く物知らずで道理がわからない人に、合理的な考え方をするようにわからないことを教えて導く」ことを示し、中国語であり、差別用語と聞きました。調べると同様な質問が多かったです。たしかに中国語で啓蒙は「文化的な後れを取り除いて進歩的な方向へ導く」という意味でした。

他には「人々に過酷な現実を見せつけるという、極めて残酷な行為である」ということも書いてありました。この場合は、蒙古人ではなく自国民になります。

英語だと、Enlightenment (spiritual)であり、啓発・啓蒙か、精神的は崇高な恩恵的な意味であり、日本で和訳されたときに中国語を良く知っている人によってつけられた言葉に感じます。

たしかに、昔の中国人は何かと蒙古人の侵略に苦しめられ、万里の長城をつくったり、元の時代は侵略されたり、野蛮人とそしり敵対心を持っていたので仕方無い気もしました。

ご存知の方いらっしゃればお教えください。

Aベストアンサー

具体的に何をお知りになりたいのか、質問がないのですが……。

要は、「啓蒙とは、モンゴルに対する差別用語ではないのか」ということでしょうか……?

ネット等で調べますと、「蒙古」というのは、「モンゴル」の音写であるとか。つまり「蒙」という字は、「モンゴル」という国(民族?)の存在よりも前からあった字であり、「啓蒙」の「蒙」を「蒙古人」のみを表わす……と解釈するのは如何なものかと思います。

そのような解釈が学術的に確定しているならばともかく、そうでないならば、「啓蒙の蒙はモンゴルの蒙だ」と言うこと自体、差別的な気分を助長することになりかねないと思います。

私も、「《啓蒙》は差別的な用語なのでなるべく使わない」ということは聞いたことがあります。
しかしそれは、「蒙」の字が「モンゴル」を表わすからではなく、「蒙昧な奴ら(知識のないバカ)の目を覚まさせてやる」という非常に尊大な意味合いが、場合によっては読み取れるから、使う場合は注意が必要だ……ということでした。

ちなみに、私は趣味で仏教書(禅の語録など)を読みますが、そういった書物の中にも「啓蒙」は頻出します。
しかしその中に、「モンゴルの人はものを知らないから、道理を教えてやるのだ」といった意味合いで出てくることは皆無です。
すべて、「衆生は(仏教の)道理にくらく、そういう人を導くのだ」という意味合いで出て来ます。

つまり、最初に明示された「蒙きを啓らむ」(私は「蒙きを啓(ひら)く」と習いましたが)という意味での使われ方です。
モンゴルは全く関係ありません。

あえて「差別」的な要素を見いだすならば、民族に関係なく、「学のない人」「知識のない人」を「バカ・アホ」呼ばわりしているということでしょう。

たぶんもっと漢語に詳しい方の回答があると思いますが、ちょっと気になったので回答した次第です。

具体的に何をお知りになりたいのか、質問がないのですが……。

要は、「啓蒙とは、モンゴルに対する差別用語ではないのか」ということでしょうか……?

ネット等で調べますと、「蒙古」というのは、「モンゴル」の音写であるとか。つまり「蒙」という字は、「モンゴル」という国(民族?)の存在よりも前からあった字であり、「啓蒙」の「蒙」を「蒙古人」のみを表わす……と解釈するのは如何なものかと思います。

そのような解釈が学術的に確定しているならばともかく、そうでないならば、「啓蒙の蒙はモンゴルの蒙...続きを読む

Q【哲学思想・構造主義】今の主流は何主義ですか?古代ギリシャのプラトン(イデア)→ニーチェ(ニヒリ

【哲学思想・構造主義】今の主流は何主義ですか?

古代ギリシャのプラトン(イデア)→ニーチェ(ニヒリズム=虚無主義)→サルトル(実存主義)→構造主義→?

今は構造主義の時代?

もう構造主義は古い?

構造主義ってどういう思想なのか簡単に分かりやすく教えてください。

今の主流主流思想も教えてください。

どういう思想の流れですか?

思想の歴史の流れも簡単に分かりやすく教えてください。

Aベストアンサー

OKWaveのマルチポストの質問にも回答がついてゐましたとほり、流行を追ふことではなく、自分で考へること、それが哲学です。特別変つたことが述べられてゐるわけでもなく、部分にこだはるなとか、主体性を持てとか、生きる意味はむづかしいとか、現実ではつかめないすばらしい世界があるとか、そんな常識的に考へられることがいかにも高尚な思想であるかのやうに、もてはやされてゐるだけなのかもしれません。

Q『啓蒙』の言葉の意味は?

先日、友人に冗談で『お前を啓蒙してやる!』と言ったところ、その使い方は間違っていると指摘されました。個人に対する言葉ではないと。
恐らく一般的には「大衆に知識を教え広める」というような意味合いで使うケースが多いと思いますが、
私は『啓蒙』という言葉の語源といいますか、漢字の成り立ちからしても、個人に向けて使える言葉ではないかと思うのです。

辞書で調べますと、多くは複数向けの意味を説明していますが、
三省堂 デイリーコンサイス国語辞典では、「無知な人に知識を与えること」と載っていました。
http://www.weblio.jp/content/%E5%95%93%E8%92%99%E3%80%80
それとも、ここの「人」も複数と捉えるべきでしょうか?

瑣末なことではありますが、指摘されて以来、どうもそのことが気になっています。
皆様の御意見、お考えを是非お聞かせください。

Aベストアンサー

「蒙」という漢字を調べてみますと、一番の原義は「獣の皮」のようです。そこから、それを頭からかぶると、「覆いかぶさるように暗い」ということになって、「暗い」や「無知な」という意味になったそうです。
従いまして、「啓蒙」という漢語は、理屈では個人相手でもいいはずなんですが、大抵の場合「大勢の無知な人に知識を与える」という使われ方をしていまして、私は個人相手に使われた例を知りません(冗談以外は)。

ですので、無知蒙昧な個人の目をこじ開けるのに、啓蒙はチョッとヘンだというのが、現在の日本語の相場なんだろうと思います。

とにかく言葉の使い方には理屈に合わないことが多いです。
「○○さんは留守です」といったら、○○さんは家にいないことを意味します。
しかし、これは「留守」という言葉の意味からいうと明らかな誤用です。
「留守」は、留まって守るということです。
古代の中国では「天子が外征するとき、都に留まって守る役目」が「留守」でした。
ところが、室町時代の末期には「留守守(ルスモリ)」というヘンな言葉が出てきます。今の留守番のことです。
室町時代の末期に、留守=不在 という誤用が始まっていて、そしてそれが現在の「留守番」、すなわち、留まって守る人を更に番するという明らかな誤用につながっています。
言葉の真の意味を知らない庶民が使い始め、それが国中に広まっていって、誤用が定着してしまったわけです。

誤用が定着して、それが社会的に承認されてしまうと、もうどうしようもありません。
現在、「『留守番』なんて言葉は誤用だ!」と大声で糾弾しても変人だと思われるだけです。

そういうわけで、言葉は理屈ではなく多数決です。
無知蒙昧者の多数決でも、それはそれで決まりです。
現在、啓蒙という言葉が「大勢の無知な人に知識を与える」という使い方しかされていないと思いますので、これはもう、これで定着しているんでしょうね。しょうがありません。

「蒙」という漢字を調べてみますと、一番の原義は「獣の皮」のようです。そこから、それを頭からかぶると、「覆いかぶさるように暗い」ということになって、「暗い」や「無知な」という意味になったそうです。
従いまして、「啓蒙」という漢語は、理屈では個人相手でもいいはずなんですが、大抵の場合「大勢の無知な人に知識を与える」という使われ方をしていまして、私は個人相手に使われた例を知りません(冗談以外は)。

ですので、無知蒙昧な個人の目をこじ開けるのに、啓蒙はチョッとヘンだというのが、...続きを読む

Q啓蒙主義と進歩主義

啓蒙主義と進歩主義の関係について教えてください。

wikipediaには啓蒙思想は「世界に何らかの根本法則があり、それは理性によって認知可能であるとする考え方」とあります。一方、進歩主義の説明をみても結局のところ同じのような気がします。

Aベストアンサー

回答を拝読しました。

抽象的な話になりますが、たとえばヴィトゲンシュタインが言っているように、言葉の意味は、原理的には定義不可能だと思います。
言葉は、使用されることを通じて意味を持つのです。
質問者様が気にしていらっしゃる「進歩主義」と「啓蒙主義」という言語についても同様です。

私たちは、辞書的に言葉の意味を決定しようとするとき、その言葉がある言語行為において持ちうるかもしれない意味を除外して、便宜的に、定義するしかありません。

私が核心が異なると書いたのは、そのような辞書的な定義が、「進歩主義」と「啓蒙主義」とでは異なっているということを言いたかったからです。

「反古典の政治経済学要綱」は読んだことはありませんが、村上氏は、「進歩主義」を「究極の唯一の理想的秩序が、(中略)、人間によって認識可能であると共に、人間の努力によって(現世で)実現可能でもあると信じる思考上の姿勢」として使用しているのでしょう。そして、この文脈における「進歩主義」は「啓蒙主義」と類似していると言えると思います。
しかし、そうだからといって、村上氏のこの文献の文脈を離れて、いつも「進歩主義」が「啓蒙主義」と重なるとは言えないでしょう。

一度批判したwikipediaを引き合いに出してしまって申し訳ないのですが、たとえばwikipediaの「進歩主義」のページは、「進歩主義」、「進歩主義(政治)」、「進歩主義(教育)」と三つあり、それぞれ意味が違いますね。文脈によって言葉の意味は変わるということです。
進歩主義は、たしかに進歩の先に何らかの真理や「理想的状態」を想定しているものと考えられますが、その想定の度合いも文脈によって違います。

ある言葉を知るためには、辞書的な定義だけではなく、その言葉が使われている文章や発話に数多く当たって、自らの中でその言葉を涵養することが必要だと思います。

少しでもご参考になれば幸いです。

回答を拝読しました。

抽象的な話になりますが、たとえばヴィトゲンシュタインが言っているように、言葉の意味は、原理的には定義不可能だと思います。
言葉は、使用されることを通じて意味を持つのです。
質問者様が気にしていらっしゃる「進歩主義」と「啓蒙主義」という言語についても同様です。

私たちは、辞書的に言葉の意味を決定しようとするとき、その言葉がある言語行為において持ちうるかもしれない意味を除外して、便宜的に、定義するしかありません。

私が核心が異なると書いたのは、そのような辞...続きを読む

Q「啓蒙」は差別用語なのか

よく、いろんな場で「啓蒙活動」という言葉を使いますが、啓蒙という時は蒙(めしい:盲目)を啓(ひらく)という意味で、「めしい」という字が差別用語であるとの見解のようです。
実際にはよく耳にする言葉ですし、目にもとまりますよね。実際どうなんでしょうか?知っている方教えて下さい。

Aベストアンサー

#6です。「啓」の意味ですが、ここでの「啓(ひらく)」は「あける」という意味ではなく、「教え導く」「諭し明かす」という意味です。他に「啓示」「啓発」「啓導」という語があります。漢文では「ひらく」という訓読みが普通なのでしょうが、「くらきをあかす」「くらきをさとす」としたら分かりやすいかもしれません。

Q啓蒙思想

啓蒙主義の本質は何であるとお考えですか?それにより人間の理性が現代文明に果たす役割とは何だと思いますか?長めの文でもかまわないのでご意見お聞かせください。

Aベストアンサー

 
もう少しきちんと調べてから回答した方がよいのですが、急いでいると言われますので、大体、こう考えているという私念を述べます。

「啓蒙主義」の本質というと、「知識は力である」 「人間は理性的生物である」というこの二つの命題に、もう一つ「教育は人間を変える」というオプティミズムでしょう。実は、これらの背後に、知識や教育の大衆化、庶民もまた知識・政治に参画し、理性的な自己判断ができるようになるはずだ、また、その時代が目前に訪れたという時代認識があったのだと思います。

「啓蒙」とは文字通り、「蒙昧」を「啓く」ということで、無知な者を知ある者に変えるということです。上の「知識は力である」と「理性的生物」のテーゼは、古代哲学においてもすでにあったものです。

しかし、近世西欧の社会変化は、古代においては、賢人・エリートが「理性的生物」として「理性と知」をみずからのものにできるに対し、一般庶民は、理性的存在たりえない、という事実認識があったのに対し、教育の可能性で、一般庶民もまた、理性でものごとを考え、判断できるようになるはずだ、という期待があったのです。

カントやヘーゲルにも、この基本的な「進歩史観的構想」がありますし、カントは「啓蒙とは何か」を著しています。またヘーゲルの、ただ一人が自由な社会(アジア的専制国家)、少数が自由な社会(古典ギリシア・ローマの貴族国家、西欧社会)、そして西欧社会が更に展開すれば、万民が自由な社会が来るのだ、というのは、啓蒙思想のラインにあります。

フランスの百科全書派は、庶民の啓蒙を目指し、広く知識の集積を試みたので、そのような思想は、コンドルセなどの進歩思想に継承され、フランス革命後の、国家的国民義務教育制度の構想にまでつながります。

>それにより人間の理性が現代文明に果たす役割とは何だと思いますか?

「啓蒙主義」は歴史的には失敗したのだと思います。教育によって、民衆が知識を持ち、各自が理性的判断を行うようになれば、カント的格率のトートロジーのようなことになり、内面の理性の真理命令によって、人々は博愛や平和や善を志向すると考えたのですが、知識を得て、「理性」を得ても、人は、それを、エゴイズムの道具としてしまいます。

また、民主主義あるいは多数決原理のパラドックスも発見されています。民意を最高の決定原理とすれば、もし、多数決で、或る個人を最高指導者として、独裁権限を与えるのが、もっとも適切だと決まると、民主主義や多数決原理に矛盾する社会体制が成立するのです。

これは理論的にではなく、ナチスの擡頭と、ワイマール憲法から独裁者ヒットラーが選ばれたことに歴史の事実があります。

現代アメリカでも、コマーシャリズムや金権政治や軍産複合体の世論操作・情報操作が、きわめて露骨にあるのであり、どこまでが、理性的に判断できているのか、与えられている「世界についての情報」そのものが歪曲されているのが実状で、独裁国家だった旧ソ連よりも、何が「おかしいか」が見えないだけに、余計に問題だとも言えます。

しかし、フランス革命の標語ではありませんが、「平和・博愛・自由」を目指して、私たちは、努力すべきだということでは、道は決まっているとも言えるのです。「自由」は、独裁や強制からの「自由」であるべきで、好き勝手なことをする「自由」は、抑制されねばならないでしょう。

寧ろ、「博愛・平和・平等」をこそ標語とせねばならないでしょう。そこで、歴史的啓蒙主義の失敗と問題点を反省し、「啓蒙」は、個人の啓蒙だけではなく、とりわけ、社会や文化や伝統の啓蒙であらねばならないということが、より明らかになったとも言えます。

過去の啓蒙主義も、旧社会の悪弊や悪しき社会慣習の廃絶を目指したのですが、それこそが、もっとも難しい問題でもあるのです。旧弊な文化が、個人の可能性を歪曲し、啓蒙を不完全なものとしてしまうということが問題でしょう。

ここでいう「旧弊な文化」とは、実は、先進知識人が唱える、個人の自由とか、権利とか、機会の均等と言った、一見、それはよりよい社会を築く前提となる原理に見えるような文化規定、イデオロギーでしょう。

こういった文化規定は、アメリカが典型的にそうであるように、あまりに「無限定」的過ぎるとところがあるのです。「自由」は、アメリカにとって、他人を殺す自由や、他国の内政に干渉する自由になってしまっています。権利も同様で、自己の権利を守るためなら、他人の権利や、地球の環境資源を破壊しても構わないという理屈になっています。

本来そうではないはずで、国家的エゴイズムは、実は、その社会や文化の体制のエートスの現れだとも言えます。従って、旧弊たるエートスが、イデオロギーを生み出し、それが、視野の狭い個人の世界観・価値観を生み出し、このような個人がまた、イデオロギーやエートスの頑迷な維持者・墨守者となり、悪循環がやまないということを、どこかで止めねばならないのです。

個人はあくまで「理性的」であることが望ましいのです。しかし、理性的であることを阻害する理由が、国家イデオロギーや悪しきエートスに内在するのです。「革命」が起こるのではなく、何百年・何千年の展望における、「社会や文化の啓蒙」が必要なのでしょう。社会や文化、制度やエートスが「理性化」せねばならないとも言えます。

個人を教育する方法は様々に考案され、実行されていますが、社会や文化やエートスのようなものを教育し、啓蒙するのは、どうすればよいのか、方法が分かりません。しかし、だからと言って、「理性への信頼」を失うことは、より悪しき状況への後退になるので、「理性主義」は断固維持せねばならないでしょう。

「平和」「博愛」「平等」を、根拠付ける論理は、「理性」によってしか出てこないからです。また、理性ではたりない判断もあり、それは、「叡智理性」とでも呼ぶ、宗教を越えた、人類的な博愛のヴィジョンでもって対処せねばならないでしょう。

反理性・反動・反啓蒙と対抗しつつ、理性主義を維持し、しかし、なおかつ理性の限界を自覚し、古代の哲人たちが問題としてやまなかった「叡智」を、地球世界市民的ヴィジョンで、新しいエートスとして築くことが、望まれる展望でしょう。

「理性」しか「平和・博愛・平等」の根拠を整合的に提示できるものはなく、理性でさえも、時にそれは困難なのです。しかし、理性を棄てれば、理性への信頼を失えば、もっと難しい、悲惨な事態となり、社会や文化は退行して、巨大な悪へと沈んで行くでしょう。
 

 
もう少しきちんと調べてから回答した方がよいのですが、急いでいると言われますので、大体、こう考えているという私念を述べます。

「啓蒙主義」の本質というと、「知識は力である」 「人間は理性的生物である」というこの二つの命題に、もう一つ「教育は人間を変える」というオプティミズムでしょう。実は、これらの背後に、知識や教育の大衆化、庶民もまた知識・政治に参画し、理性的な自己判断ができるようになるはずだ、また、その時代が目前に訪れたという時代認識があったのだと思います。

「啓蒙...続きを読む

Q「啓蒙」と「啓発」

ある認識を「一般に広めたい」活動をするとき
・○○の啓蒙活動
・○○の啓発活動
どちらが良いでしょうか?

「○○」部分が、やや学術的な内容だったので
「啓蒙活動」という記述にしたら、
その文書の受領先から、
「<啓発>の方がいい」といわれました。
(聞きづてのため理由不明)
「啓蒙」だとエラそーな(上からものを言うような)
感じで受けてとめられるのか、とも思いますが、
いかがでしょうか?

Aベストアンサー

少し聞いたことがあるのですが、
「啓蒙」というのは知識のない人に対して、そのことに関する「知識」を授けることで、「啓発」は知識の有無に関係なく、それまで気づいていなかったことを「気づかせる」といったような意味であったと思います。
ある意味「啓蒙」は、相手を無知扱いすることになりかねませんので、受領先様の真意はそのあたりではないでしょうか。
そういった意味で、経験上、官公庁などでは「啓発」という文言を好まれる傾向にあるようです。

Q社会主義と共産主義とどう違うの?

社会主義と共産主義とどう違うの?
(私は原始共産制を地球規模でやるべきという立場)

Aベストアンサー

社会主義は、資本主義から共産主義へ移行する途上の教義と考えられています。

Q啓蒙主義について教えてください。

啓蒙主義って何ですか?
啓蒙思想とは違うのですか?
詳しく教えてください。

Aベストアンサー

 ご質問が漠然としすぎているように思います。まずは、手ごろな百科事典とか哲学辞典などで「啓蒙主義」「啓蒙思想」という箇所をお調べになるのが、手始めとしてはよいのではないでしょうか。全体的な特徴を知るだけならば、それで充分なはずです。
 その上で「この時代の、この国の、この人の思想は?」という形でご質問されれば、答えられる人はたくさんいるでしょう。

Q資本主義、共産主義、次は何主義?

資本主義も共産主義も問題が多いです。もっと良い主義はないのでしょうか?

考えたことありませんか?

資本主義も修正し共産主義も修正し人口爆発、資源の争奪戦をやてますが

何か・・・ボランティア主義?世界宗教?の様な 新しい思想はないものでしょうか?

僕は存在性思想を掲げましたが 桜咲かず 梅咲かず

何か良い主義ありませんか?

ちなみに当方病人のため、要点を教えて下さると有難いですm(_ _)m

Aベストアンサー

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。
あくまで控え目で謙虚に、そして、宿主さまへの感謝の念を忘れない。

実際の人間⇔サナダムシの関係は宿主⇔寄生虫の固定的な関係ですけれども、
人間社会においては、時に、宿主がサナダムシになり、サナダムシが宿主になったりと、その都度、その役割を変えますがね。宿主とサナダムシの役割は流動的であり、同時に流動的でなければならない。固定的になってはいけない。


ちなみに、西洋の海に住むサナダムシは凶暴で宿主から栄養を一方的に搾取して宿主を劇ヤセさせたり、宿主に様々な健康障害をもたらします。
西洋のものは、思想、原理・原則だけではなく、サナダムシまで凶暴なんですよ。
Win-Winの関係を目指したりしない。
そこにあるのは一方的な搾取であり、相手を根絶やしてまでも自身の利益や正義(?)のみを追求しようとする貪欲で非情な論理。

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。...続きを読む


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