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先日ある大学の心理相談室に行ってきました。
最初のインテークは臨床心理士・・・といっても私より若い女性でしたが、
もともと、大学のこの手の相談室の相談者の多くは子供なので、いまいち
頼れるという印象は受けませんでした。
話の中で気になたことは、過去の質問内でも触れたかも知れませんが、
私が自分の現状は全て自分が悪いのであって、社会の性でも学校のせいでも、会社、上司、同僚のせいでもないと思っている。
自分の不遇を他の責任にするのは卑怯だし、自己欺瞞だと思うと言ったところ、心理士がとても感心していた点です。
「ご自分のせいだということをちゃんとわかってらっしゃる訳ですね」

しかしわたしはそう言われて複雑な思いです。

本当に何もかも悪いのは私なのか?
人のせいにすることは絶対に許されないことなのか?
時に人のせい、社会のせい、○○のせいに出来たら随分楽だろうなと思うことがあります。

けれども心理士に「人のせいにしない」という姿勢を最初に評価されてしまって・・・

「人のせいにする」ことは一般に悪いこととされていますが、
その根拠は一体何処から発せられているのでしょう・・・

A 回答 (25件中21~25件)

無学者の独り言と、流してください。



自己責任を放棄して、涼しい顔をしているひとが、ときにいるからでしょうか。
その文脈では、「自己責任を認めること」は、ある意味「立派」なのかもしれません。

ただ、「自分のせいにする」というのも、ある事物が自分の責任にある、つまり、すべてが自分の手の内に在ったのだ、という万能感の表れと読むことも可能かと、思われます。

「ひとのせい」というより、「仕方がなかった」と思うことって、たくさんありそうですが。

善悪を超えて、錯綜したものごとに何かしらの因果関係を、冷静に読み取る努力をすることが必要なのでしょう。
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この回答へのお礼

>無学者の独り言と、流してください。

私は本当はこの言葉を「質問」の最後に書き添えたい気持ちなのですが、
それでは「質問」が成立しません。
でも気持ちはそんな感じです。

皆さんからのアドバイスを頂くのももう何回目でしょう?
それでもまだ足掻いている。
「狼少年」になってしまったのかもしれません・・・

>善悪を超えて、錯綜したものごとに何かしらの因果関係を、冷静に読み取る努力をすることが必要なのでしょう。

けれども「我が事」となるとなかなか冷静に判断することは難しく感じます・・・

いつもご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/26 03:55

「人の所為にすることは無駄だ」とは、浅い推論で愚かな発言をする者に宛てた手紙であり、さほど重要ではありません。



一番大事なことは、「これからどうするか?」を考え、実行により試行錯誤を繰り返すことだと思います。
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この回答へのお礼

>一番大事なことは、「これからどうするか?」を考え、実行により試行錯誤を繰り返すことだと思います。

仰る通りかもしれません。

一番シンプルであって、私に一番欠けている部分だと反省しています。

再度のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/26 03:49

私は「人の所為(セイ)にすることは悪いことだ」とすることが悪いことだと思います。



人の所為(セイ)にすることは悪いことではなく、無意味なことだと思います。ですが、これを悟るのは苦悩の中だけです。

過去は変えられません。問題は、出来る事は、「これからどうするか?」です。

経験(過去)から要因を推論し、排除するか逃避するか、はたまた……

「人の所為にすることは無駄だ」
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この回答へのお礼

>「人の所為にすることは無駄だ」

ちょっと難解ですがよく考えてみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/25 23:52

難しいことはわかりませんが、


「人のせいにすること」が悪いのではなく、「自分のせいなのに、人のせいにすること」が悪いのでしょう。

本当に「人のせい」なら、「人のせいにすること」は、悪くないでしょう。

ちなみに、「自分のせいでもあり、人のせいでもある」のなら、「少しは人のせいにする」ことも許されるでしょうね。
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この回答へのお礼

>「人のせいにすること」が悪いのではなく、「自分のせいなのに、人のせいにすること」が悪いのでしょう。

確かに仰る通りですね。

ただ、世の中、人間の幸・不幸など、
(この際「幸福なる種族」はおいておくとして)
不幸な人間に関しては「気持ちの持って行き場」がないような気がするのです。
精神衛生上の問題でしょうか・・・

#1さんの言うように。
「言葉の定義」に拠るかもしれませんね。

簡潔で鋭いご指摘、ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/25 23:46

半分哲学だと思いますが、


「自分じゃなく他人に原因がある」と考えるということは、あなたの言ってるとおり「楽」なのです。
もちろん現実には客観的に見て自分だけに100%の原因があるなんてことはあり得ませんし、自分に全く非がないという状況もありえないでしょう。
物事はえてしてアナログであり、さらにいうと全員が共通の非のパーセンテージを持つわけでもありません。
(たとえば、あなたが大学受験に落ちたとすると、あなたの勉強不足が原因のほとんどだ、と考える人もいれば、そもそも大学受験の形態がおかしい、と考える人もいるでしょう。)
とすると、もしみんながみんな「ひとのせいにする」考え方を持ってしまったら、
みんながみんな原因を自分じゃないところにおいてしまったら、世の中が成り立たなくなります。
たとえば、ある乗り物に不備があって事故があったとき、だいたいその会社のトップが全責任を負って辞職したり記者会見したりするでしょう。でも普通に考えれば、一番悪いのは乗り物の整備を怠った技術者です。このように、いわゆる「人のせいにする(ほんとは原因とはあまり思えないとこに原因を置く)」という概念は、世の中の混乱からすくっているわけです。

ようするに他に理由なんてありません。
大げさな言い方ですが、「世の中がめちゃくちゃにならないため」に、「人のせいにするな」という概念があるわけです。

あなたが悪いとかどうとかは、実は二の次なのです。


あと日本語の意味の捕らえ方の違いとかいろいろあるでしょう
そもそもひとのせいにする、をどのように定義するか、とか。

(ちょっとあなたの質問の意図とはずれてしまったような気もしますが・・・すみません。)
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この回答へのお礼

なるほど。
哲学的な視点からのアプローチ、とても面白く読ませていただきました。
(面白く・・・なんて失礼ですね)

それに私は無意識に白か黒か的な思考をするようで

>物事はえてしてアナログであり
という部分、ふと立ち止まってしまいました・・・

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/25 23:36

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