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先日ある大学の心理相談室に行ってきました。
最初のインテークは臨床心理士・・・といっても私より若い女性でしたが、
もともと、大学のこの手の相談室の相談者の多くは子供なので、いまいち
頼れるという印象は受けませんでした。
話の中で気になたことは、過去の質問内でも触れたかも知れませんが、
私が自分の現状は全て自分が悪いのであって、社会の性でも学校のせいでも、会社、上司、同僚のせいでもないと思っている。
自分の不遇を他の責任にするのは卑怯だし、自己欺瞞だと思うと言ったところ、心理士がとても感心していた点です。
「ご自分のせいだということをちゃんとわかってらっしゃる訳ですね」

しかしわたしはそう言われて複雑な思いです。

本当に何もかも悪いのは私なのか?
人のせいにすることは絶対に許されないことなのか?
時に人のせい、社会のせい、○○のせいに出来たら随分楽だろうなと思うことがあります。

けれども心理士に「人のせいにしない」という姿勢を最初に評価されてしまって・・・

「人のせいにする」ことは一般に悪いこととされていますが、
その根拠は一体何処から発せられているのでしょう・・・

A 回答 (25件中11~20件)

「>人のせいにする」ことが絶対的な悪とも思えませんが、(他者との)関係性について考慮する必要がないために(一見すると)解決法を簡略化できるという便宜上のものではないかと思います。


理念や論理といったようなこととは無縁でしょう。
これが今回のご質問に対する直接的な私の回答です。

以下は余談です。
>時に人のせい、社会のせい、○○のせいに出来たら随分楽だろうなと思うことがあります。
:そうでしょうか。
「せい」という言葉には、「理不尽な言いがかりで相手に責任をなすりつける」というニュアンスが込められていますが、本質はちょっと違うような気がします。
「せい」にするのは結果的に問題点を曖昧にすることを示しています。
そうではなく「原因」あるいは「理由」を明確にする場合が必要なこともあるのではないでしょうか。
明確にするのは相手を追及するためではなく、それによって蒙った影響を冷静に見つめることによって、自己の中に何らかの納得感を得るためです。
曖昧性が存在するとかりそめの納得がすぐに不信に変質してしまいますから良くないのです。(人間は自分で思っているほど馬鹿ではないので)
そういう意味で「せい」にするのも一種の甘え(本物ではないので何度でもやり直しが利く)と言えるでしょう。
それに対し、原因を明確にした場合、問題点は全て自らの責任において処理するしかありません。
 
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この回答へのお礼

hakobuluさん。こんばんは。

成る程確かに「○○のせいだ」としてしまえばそこでお終いになって、
ひとまずの解決は可能な訳です。
でもそこには当然検証された「理由」が不在なままですから、
その結果は「曖昧」です。

「どうせおれが悪いんだよ!」「みんなあいつが悪いんだ!」はかりそめの納得でしかなく、それが便宜的なものでなく(その人の中で)本質的な解決になればラッキーですが、本来原因(理由)を検証しない限り確信は生まれないわけですね。

>>時に人のせい、社会のせい、○○のせいに出来たら随分楽だろうなと思うことがあります。

これは確かに質問文にも書いたように自己欺瞞であり、便宜上の解決であり
プラグマティズムでもあります。

私の従来の主張と矛盾します。

けれども今回の私のトラップは、「検証を経ずして」何もかも「自分のせい」にしてしまうという思考回路から抜け出して、
時に自分のせいではない場合もあるという事実を直視したいという気持ちから出た質問でした。

・・・何故私は冷静に判断することが出来ないのか?
きっと何もかも自分の非とすることで、何らかの「利」があるという意識が働いているのでしょう。
これを「AUTOMATIC NEGATIVE THOUGHT 」
と言えるのでしょうか・・・

今回はちょっと質問がいつのまにか一般論として
「人のせいにすることは・・・」という風になってしまいました。

本来はもっと個人的な質問のはずでした。
私のミスです。

度々ご回答頂き感謝しています。

お礼日時:2007/08/26 23:34

単純に他人に迷惑が掛かるからじゃないでしょうか?


そのカウンセラーは頭がいいですね。
心理学をやっているのですからその答えはカウンセラーは知っています。
その答えを言いますと、自分をAとしてくださいそれ以外の存在をBとしてくだい。世の中はAとBの組み合わせです。AとBに因果関係を求めても結局どちらが悪いのではなくAとBとの関係に過ぎないのです。
意味分かりますかね、
例えば花瓶に虫があたって壊れたとしましょう。そしたら誰のせいにしますか?・・・虫ですか?その虫が育つ環境が存在することが悪ですか?それとも花瓶そのものが割れやすいからダメなのでしょうか?・・・?
そうではありません全ては因果関係です。
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この回答へのお礼

大変判り易いお答えありがとうございます。

お礼日時:2007/08/26 23:42

こんにちは。

暑い日が続いていますね。

カウンセリングに行ってこられたんですね。

>「ご自分のせいだということをちゃんとわかってらっしゃる訳ですね」
残念ながらカウンセラーさんはloser_blueさんのトラップにかかってしまったのでしょうか・・・。私なら発言があまりにも奇麗事過ぎて疑問に思っちゃいますね。

ポイントはそこから生じる疑問でしょうか。
>本当に何もかも悪いのは私なのか?
との疑問が生じ
>「人のせいにする」ことは一般に悪いこととされていますが、
>その根拠は一体何処から発せられているのでしょう・・・
と一般化した質問になっていますが、こうしていくと自分の問題が社会の問題へと転化されてしまいます。そして自分の問題はいつまでも取り残されます。

>しかしわたしはそう言われて複雑な思いです。
ここから先、どう考えるかだと思います。例えば、「すべて自分の責任だと言ってしまったのはなぜ(何の目的で、何を期待して)だろう?」「自分で言った事について同調(強化)されて複雑な思いになるのはなぜ(生じた感情は何、生じた葛藤は何)だろう?」「人のせいにすることは絶対に許されないことなのか?と極論に走ってしまうのはなぜだろう?」「カウンセラーの評価に過敏になってしまうのはなぜだろう?」など、自分を知る作業に向けてはどうでしょうか。

社会を知る、真理を知るということはすばらしいことだと思いますが、自己を知ることと混同しない方がいいと思います。

以前にも言いましたが、右往左往していいんですよ。反発したければ反発してもいいと思います。他人に素直になる必要はないけれど、自分に素直になっていけるといいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

snakesoulさん。こんにちは。

ご指摘の通り、自分の感じた個人的感情がいつのまにか一般論になっちゃってますね。

過去にsnakesoulさんのご指摘があったように、
私は自分が「ダメな人間であるということを意地でも証明させたい」ところがある。その為には過去から現在に至る自分の不遇は人のせいではなく、
自分の能力の欠落であり、人間的な至らなさであると強調すべきだ。

けれど心のどこかでそれを否定するフィードバックを求めていた。
つまり「あなたはダメ人間なんかじゃない」という強いフィードバックを得るためには、作用ー反作用の法則に則り、先手として強い「自己否定」が必要だった。

けれども、先方は私の言葉を素直に認めた。「自分をよく知っている」と。
「私は馬鹿なんです」「いいえあなたは決して馬鹿なんかじゃありませんよ。Because・・・」というレスポンスを期待していたのに「自分をよく判っている」と「ネガティヴな自己評価を肯定されてしまい」戸惑っている。

ああ、「そうじゃない」という言葉を期待したのは愚かな自惚れだったのか・・・カッとして混乱し問題が一般論に飛躍した。

今後カウンセラーはこの「自分が至らないことを弁えているクライエント」というのを対象にカウンセリングを進めていくとすれば問題だ・・・

>他人に素直になる必要はないけれど、自分に素直になっていけるといいのではないかと思います。

本当にそう願います。
過去の質問で「人に嫌われないことばかり気を遣っていると自分を見失う」
といわれたのが、snakesoulさんではなかったとしても、何故か印象的でした。

「自分に素直」ということは、どういうことか考えてみたいと思います。

今回も引き続きのご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/26 18:05

#ANo5です。



先の冒頭の発言(「無学者の独り言と、流してください。」)失礼しました。
自分の意見に責任をもてないなら、回答するべきでないかもしれませんね。
「回答に責任を持たない回答者」になってました。
お許しください。

>#9さんは、自分のルールを変えるのに誰の許可も要らないと仰っています。けれどもやはりもっと楽になっていいんだよというメッセージを、許可を求めているのだと思います。

おっしゃるとおり、求めているのは、論理性ではないかもしれませんね。
何かのせいにするのでなく、自分とのあたたかい交流を、こころの中で続けられること、でしょうか。
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この回答へのお礼

>「回答に責任を持たない回答者」になってました。
お許しください。

iyeさんのことを皮肉った訳ではありませんよ。
第一責任なんて感じてたら怖くて回答なんか出来ません。
「無学者」はご謙遜ですが、「独り言」歓迎します。

>求めているのは、論理性ではないかもしれませんね。
何かのせいにするのでなく、自分とのあたたかい交流を、こころの中で続けられること、でしょうか。

その通りです。
別に#9さんのご意見を否定するつもりは更々ありませんが、

存在を丸ごと許されたいという気持ちはあります。

じゃあ逆に誰が「許してないのか?」と訊かれると言葉に詰まってしまいますが・・・

お答え(独り言)ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/26 17:35

>本当に何もかも悪いのは私なのか?


見ているところ違ってると思うけど。
>「人のせいにする」ことは一般に悪いこととされていますが、...
それはそれ。これはこれ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/26 18:07

人のせいにするのでも、自分のせいにするのでも、その分析、反省、次の実践への生かしがしっかりしていないと、うまくいかないでしょう。



歴史論争のようにイデオロギッシュな決疑論は別として、上記のようなプラグマティズムで考えれば、上手に結果や因果関係をバランス良くとらえるのが上手な思考でしょう。

ある場合は、何が悪いのか分からないが、さしあたりこう手当、総括しておこうってこともあるでしょう。
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この回答へのお礼

お答え、正論だと思いますが、こういうプラグマティックな思考方法って一番私は苦手なんです。
無論どちらが正しくてどちらが間違っているというような確証がない以上。
=私に非があるという証明が為されない以上。自分に都合のいい風に考えた方が「得」なのですが、どうもそのような実利的というか、実用主義的な考え方は少なくともこの場合に応用できそうにありません。

反論するつもりはありません。
ご気分を害されましたらお詫びします。

わざわざお答えをいただきありがとうございました。

お礼日時:2007/08/26 17:28

自分が悪いと感じたのは自分がそう思ったからです。



自分の行動や誰かの行動を良いこと悪いことと感じるのは
自分の中にそれが良いこと悪いことだとしているルールが
あるからです。
だから、ルールを変えることが出来れば感じ方を変えることは出来ます。

つまり誰かのせいで自分がそう感じなければならなくなったのでは
なく、自分が今までに築きあげてきた自分の中のルールによって
そう感じることを余儀なくされているということです。

誰かがしている行動が悪いのではなく、自分の物事の捉え方が
悪いのかもしれないのです。
もちろん、全ての行動が良いことだと言っているわけではありませんよ。

人が悪いと言っている間は、自分の問題点を見つける必要はないはずです。
自分が悪いと思ったら、自分の中のルールに問題がないか見直してみましょう。
自分のルールは自分が楽しく過ごせるように作り変えても何も問題は
ないはずです。
もしそれを問題だと思うのならば、それを問題とするルールが自分の中に
隠れているのだと思います。
もしかしたら、誰かがそう言ったからかも知れません。
でも今もそれを信じつづけなければいけない訳ではありません。
自分にとって問題があるルールは誰かの許可を得ることなく変えて
構わないはずです。
もちろん自分が新しく作ったルールが問題になるかもしれません。
そうしたら、さっさと自分の都合の良いルールに作り変えることです。
間違えながら自分のルール作りをすることです。
自分のせいだからこそ自分を変えることができるのです。
誰かのせいなら自分を変えようとは思わないはずです。
それより誰かを変えようと思い問題を深刻にしてしまうのかもしれません。
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この回答へのお礼

>自分が今までに築きあげてきた自分の中のルールによって
そう感じることを余儀なくされているということです。

そうですね。「人のせいにしてはいけない!」という禁制が確かにあります。

>自分のルールは自分が楽しく過ごせるように作り変えても何も問題は
ないはずです。
もしそれを問題だと思うのならば、それを問題とするルールが自分の中に
隠れているのだと思います。

う~ん。
この場合「ルール」という言葉を視点、思考と置き換えてもいいと思いますが、ここが私が過去の質問「認知療法に対する疑問」で書いたことに引っかかるんです。

あっちのせいかこっちのせいか。誰にもわからないけど、
あちらのせいにして「楽になる」ことはなんだか自己を偽っているようですっきりしません。

>もしそれを問題だと思うのならば、それを問題とするルールが自分の中に
隠れているのだと思います。

そうなのでしょう・・・

楽に生きたい。全てが自分の至らなさのせいではない。
運とか偶然とか、タイミングとか相性とか、エクスキューズはいろいろ用意されているじゃないか?

でも以前他の心理士に言われました。
上記のものは関係ない。
全ては必然なのです。と・・・

カウンセリングを受けると言うことは私にとって却って混沌の度を増すばかりなのかもしれません・・・

すみません。また勝手に感じたことを書かせていただきました。

いつもご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/26 04:20

それは、恐らくその臨床心理士の受け答えの「技法」でしょう。

「技法」である以上、「人のせいにする」のが悪い根拠云々は、カウンセラーにとってこの際関係ないのです。

もし相談者(あなた)が、
「○○は、自分のせいではなく他人、社会のせいだ」
と、100%反対のことを言ったとしても、その人は、
「ご自分のせいではないということを、ちゃんとわかってらっしゃる訳ですね。」
と答えていたように思います。

つまりカウンセリングでは(流派?にもよるとは思いますが)、相談者の言うことをまったく否定せず、カウンセラーの意見も挟まず、まずは相談者の感情をそのままに受け入れることによって、相談者自身に自分の感情を、良い悪いにかかわらず、一旦はあるがままに”再確認させている”のです。

悩みの種類にもよりますが、悩みの大半は、他人(外部)からのアドバイスでなく、自分自身(内部)で答えを見つけなくては本当の解決にはつながりません。実際に、相談者さんは「悪いのは自分のせいだ」と自らいいながら、「そうですね」と肯定されたら、「本当に自分のせいか?」と、自分の意見を自分で問い直しています。

問い直すということは、実は相手に「そうじゃない」と否定されたかった、つまり「自分のせいじゃない」という無意識の感情があったからではないでしょうか。その、「無意識レベルでの感情」に気づかせるためにも、カウンセラーはあえてオウム返しに相談者さんの意見に答えたのではないかなと思います。もし言葉上、意識上は「自分のせい」と言っていても、無意識のうちに「自分のせいでない」と思っているなら、前提条件が違うので、いかなるアドバイスも無意味になるでしょう。

身近な話では、親が子供の話(悩み)を聞く際も、いつもいつもは現実的に無理ですが、一旦親の意見を挟まず、
子供「今日○○のことがあったんだ。」
親「そう、○○のことがあったんだね。」
子供「私、△△だと思った。」
親「へえ△△だと思ったんだね。」
.....(中略)....
親「じゃあ、どうすればよいと思う?」
子供「こうしようかな。」
という会話を経て、極力解決方法を子供自身に考えさせよ、という手法があります。親から無理やり導かれた解決方法は表面的で、本当の解決につながらないからだそうです。

早急に口出ししたい親としては、このまどろこっしさそのものが「修行」であり、おそらくカウンセラーは、職業柄その訓練も受けているのではないでしょうか。

質問の直接の回答にはなりませんが、是非ご一考ください。
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この回答へのお礼

>実際に、相談者さんは「悪いのは自分のせいだ」と自らいいながら、「そうですね」と肯定されたら、「本当に自分のせいか?」と、自分の意見を自分で問い直しています。

>問い直すということは、実は相手に「そうじゃない」と否定されたかった、つまり「自分のせいじゃない」という無意識の感情があったからではないでしょうか。

・・・ここは微妙なところです。
もう少し私の心理を分析すると、
現在の(過去の)自分の不遇は誰のせいでもない。
と思っていることは事実です。けれどもそういう風になんでもかんでも自分が悪い。

「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ♪」的な視点から救い出して欲しいと言う願望があったと思います。

#9さんは、自分のルールを変えるのに誰の許可も要らないと仰っています。けれどもやはりもっと楽になっていいんだよというメッセージを、許可を求めているのだと思います。

余談ですが親子の対話。
母に言わせるとこういうのとは正反対な
>早急に口出ししたい親
だったそうです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/26 04:32

心理士というものは基本的に話を聞いてあげる、というスタンスをとるように訓練されているのではないでしょうか。


だから、あなたが人のせいにした発言にしても、すべて受け入れてくれたと思います。

人のせい、が一般に悪いこととされているのは、それが現在「人としての美徳」と多くの人が認めているからだと思います。
この世界は多くの人が認めれば「善」、多くの人が非難すれば「悪」となります。
ただ、それだけです。真に善と悪など存在はしません。
だからこそ、かえって苦しむ人もいるわけですが。


loser_blueさんは相変わらず悩んで投稿されてますね。
たいていの人は、怒られたりしたとき逆切れして他人のせいにします。
でも、あなたは自分のせいという。
それも、他人のせいと言いたいのをがまんして自分のせいにするわけでなく、自分で納得して自分のせいだと言う。

この世界をその視点一つで硬直して見つめてしまっていますね。
あなたがあなたのその視点から抜け出せないかぎり、苦悩から解放されない。
しかし、その視点で世界を見つめ、理解してしまっている。それも緻密に。
確かに成り立つのです。あなたの視点での世界観は。
いえ、どんな理由付けの視点でも、その視点からの世界観は構築できます。

私も昔、1つの視点にとらわれ、すべてはその理論で世界はめぐっていると考えたことがありました。
すべてを憎んだのです。人を観察し、心理を分析し、そしてその行動は確かに私が予想したように動く。
人とはあまりに自分勝手な生き物だと、そういう視点で見つめていた。
この世界はそういうふうに成り立っているものだと、確かにその理由で世界は構築できる。
憎み、呪い、、しかし、ある時、思考の壁を越えたのか、何が起こったのかわからないけれど、私は違う意識状態、神秘なるものを体験し、瞬時にして「すべて」を理解しました。
ただ、これはオカルトの領域に入るでしょうから深く述べません。
これ以降、私は憎み呪った世界観から解放されました。
そして、それまでの苦悩の体験は、他人の嘘を見抜くのに、物事の実行力に、そして苦しんでいる人の気持ちを疑似体験できるようになりました。

苦しみは私にとって必要なものだったんです。

あなたの苦悩は、解放されたときに大いにあなたの力となるでしょう。
でも、私はあなたを解放する術を知らない。
多くの人の助言はあなたを解放へと導く手助けとなります。
しかし、それは誘導だけであって、本当はあなた自身でしかあなたを解放することはできません。
あなたにしかあなたを救えないんです。
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この回答へのお礼

>loser_blueさんは相変わらず悩んで投稿されてますね。
本当に情けないことです・・・

皆さんが暇潰し程度にお考え下さってお答えを寄せてくださっているのなら却って幸いです。
回答に責任を持たない回答者って言うのはいるでしょうけど、
質問に責任を持たない質問者になってる気持ちです。
何故ならこれだけ皆さんにお付き合いいただいても
全然変化も進歩も見られない私ですから・・・

chokmahさんの個人的な「神秘体験?」は今はおいておくとして、
私が「硬直した視点」から物事を、世界を眺めていることは否定しようのない事実だと思います。

>その視点で世界を見つめ、理解してしまっている。それも緻密に。
確かに成り立つのです。あなたの視点での世界観は。
いえ、どんな理由付けの視点でも、その視点からの世界観は構築できます。

その通りだと思います。
どんな世界観でも可能だと思います。
その人がそう信じている状以上・・・

ご回答、お気遣いありがとうございます。

お礼日時:2007/08/26 03:46

ご無沙汰しております。



結果には原因があるわけですが、心理的には原因が常に同じ結果を出すとは限らないと思います。ある出来事(原因)に対して、もうだめだ(結果1)と思うか、やり方を変えてもう一度やってみよう(結果2)と思うかはその人次第です。つまり、自分自身の経験や考え方も結果に影響する要因、つまり原因の一つになるからですね。

会社、上司、同僚が原因だとしてもその結果を出したのは自分なのですから、そういう意味では自分の出した結果に対して自分自身に責任があるんじゃないでしょうか。「人の所為にすることは無駄だ」というのも一理あると思います。

人のせいにするのは、他人が変われば今の自分の状況が変わると思うからかもしれません。
他人や環境が変わるのを待つのではなく、原因の一つである自分を変えて行きましょう、というのが臨床心理士の言わんとするところじゃないでしょうか。

何が悪かはとりあえず置いておいて、結果を出したのは自分であるといいう意味で、今の状況は自分のせいであるのは受け入れられるのではないでしょうか。

この回答への補足

本来「心理学」のカテとはズレますが、私をご存知の方がいらっしゃるということで、このカテに「生きがいについて」という質問をしました。
カテとしては「人生相談」でしょうか・・・
よろしかったらお立ち寄りください。

補足日時:2007/08/28 01:16
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この回答へのお礼

shift-2007さん。いつもお付き合いくださってありがとうございます。
ちょっとズレてしまうこましれませんが、
shift-2007さんのお答えに共通して感じるのは、
主観的観念論なんですかね?
つまり世界は自分の主観が創り上げたもので、自己の外に独立した世界など存在しない。という考え方ですかね。

無論そこまで極端ではないにせよ、
どこか「実存主義」哲学に通じる精神を感じます。

お答えを読んでの印象を書かせていただきました。
見当違いだったら申し訳ありません・・・

お礼日時:2007/08/26 04:05

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