現在私の職場にインド人のエンジニアが勤務していますが、近日中に、今度はバングラデシュ人がやってくることになっています。
国同士の関係、国民同士の感情等はどのような状況なのでしょうか?
インドとパキスタンは仲が悪いのはわかっているのですが、インドとバングラデシュの関係についてはいまいちわかっていません。
ご存知の方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

両国の関係は、現在は概ね良好です。


個人レベルでは、インド人と近隣諸国人、或いはヒンドゥー教徒とイスラム教徒でも仲良くやってますよ。特に海外では。
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共にムスリムなら関係はいいと思います。


ヒンドゥー対ムスリムになるとちょっと難しい。
インド国内のムスリムに対するより悪い印象になるでしょう。
でもパキスタンよりはまし。

それとは別に、インド人側のカーストが高いと問題が起こるかも。
いや反対に、お互いに離れるので問題ないかも。
職場の先輩、という立場でもあるので、
そのインド人の人となりによるところも大きいでしょう。
お互い離れているときは、無理に仲を取り持ったりしないことです。
それなりの文化背景があってしていることですから。
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 自分が子どもの頃はバングラディシュは「東パキスタン」と呼ばれていました。


 大阪万博の直後に独立戦争が起き(インドがこっそり支援して)バングラディシュが独立しました。
 だからと言ってインド人とバングラディシュ人が仲がよいとか悪いとかは関係ないと思います。
 一番の懸念は宗教がらみの話になった場合ですが、互いに外国に出稼ぎに来ているので、そんなことで言い争いになったりはしないかと思います。(酒が入ると分かりませんが)
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Q日本のミサイル防衛にTHAADが無いのは何故?

【ワシントン共同】米陸軍当局者は26日、米領グアムに配備した高性能の地上発射型迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)が完全な稼働状態に入ったことを明らかにした。との報道です。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130427/amr13042709290001-n1.htm
一方日本の場合イージス艦から発射するミサイルとPAC3でTHAADはありません。
日本の場合THAADは無くても良いのですか?


 

Aベストアンサー

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km にある化学圏) に突入してきた最終段階での弾道弾を撃墜する Missile です。

一方、日本が Aegis 艦に搭載している SM3 (Standard Missile 3) 161B Block IA は射程 400km、射高 250km で、先端部が Kinetic 弾頭と呼ばれる高機動弾頭になっているように、空気のない大気圏外での超高速運動能力を持たせたものとなっていて、THAAD よりも高性能な Missile になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=Clny6teU5ik&feature=youtu.be

最初に海上自衛隊に配備された「こんごう」の SM3 161B Block IA は高度 160km を飛行する模擬弾道弾の直撃撃墜に成功していますし、現在は日米共同開発になる Block IIA の地上試験を終えて来年に飛行試験、2018 年には現在の Block IA を Block IIA に置き換える予定になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=A6CIu9fRk3k

地上発射型で射程が 200km しかない THAAD では幅数百km 長さ 2000km 余りの日本列島に数十基の発射機を配置しなければならず、何時 Terrorism だの過激な反対運動の前に壊されるか判ったものではないのに比べ、SM3 は部外者など近付けない Aegis 艦の中にありますし、相手国の Missle 発射機から 400km 以内の海域に派遣すれば 1 隻で事足ります。

相手国が日本に向けて発射する Missile の Course は決まっていますので、日本列島近海に配置する Aegis 艦の数も数隻あればよく、既に海上自衛隊は上記「こんごう」型 Aegis DDG (Missile 護衛艦) を 4 隻、次級の「あたご」型 Aegis DDG を 3 隻運用していますので、2~3 隻が定期整備中であっても常時 4~5 隻は緊急配備に就くことができるようになっています。

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km ...続きを読む

Qなぜ満州族は中国を征服できたか。

昔清朝をたてた満州族は300万人程度しかおらず、当時の明は
3億人くらい人口があったそうですが、歴史の本を読んでもなぜ
1%程度の人口で満州族が征服できたのか、いまだに不思議です。
いくら明の国内が疲弊していたとはいえ。
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えなかったですよね。
ちかくには日中戦争でも日本軍は苦戦しましたし。

Aベストアンサー

色々理由はありますが、簡単に書くと・・・
1.明が一つにまとまっていなかったから。
2.優れた指導者が明におらず、清には優れた指導者がいたから。
3.清軍が分裂した勢力をうまく取り込んだから。
4.清が明より民衆に優しく、民衆としては自分やその家族が暮らしやすくなったから。

明が一つになって清に対抗できていれば、清が明を倒す事などできませんでした。
しかし、あまりに明の腐敗が酷く重税で民衆を苦しめており、あちらこちらで大規模な反乱が起きました。
しかも、兵士に与える筈の給金、食料までが上官に不正に搾取されるなどして、兵士達が反乱に加わっています。
明の宮廷では清との戦いや反乱軍鎮圧のための軍費を賄うために、民に臨時の重税をかけ、それに反発した民衆が反乱を起こし、それを鎮圧するために新たな軍の徴集と新たな税が取り立てられるという、重税、軍拡、反乱という最悪の悪循環の拡大再生産が繰り広げられました。
つまり、この時、明は軍の全てを清軍にあてる事ができなかったのです。
また、明の第17代皇帝の崇禎帝が有能な人材を処断してしまったという失敗もありました。
名将の袁崇煥を処刑したのは大きな失敗でした。

「袁崇煥」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E5%B4%87%E7%85%A5

そして反乱が拡大していき明の軍が反乱軍に敗北し首都北京も攻められた結果、明の第17代皇帝、崇禎帝は李自成率いる反乱軍の前に自殺します。
つまり、この時、明は内憂外患の状態であり、清軍が首都に攻めてくる前に、既に首都は反乱軍に占領され、皇帝は死亡していたのです。

そして清と対峙していた明の呉三桂将軍は、皇帝の死を知った結果、明を見限り敵対していた清軍に味方しました。もともと清軍は呉三桂を味方に引き入れるために、大きな褒美を申し出ていたようです。実際、後に呉三桂将軍は大きな領地と地位を得ています。
他の明の将軍の中にも呉三桂将軍のように清に味方するものが出ました。
皇帝が死に反乱軍が首都を占領したとあっては、自分とその部下達の身の振り方を考えねばなりません。清での新たな成功と生活を望んだというところでしょう。
なお、清軍は明と戦う時に兵士に「抵抗しない者は殺すな。捕虜から衣服をはぐな。女を奪うな」という命令を出したり、首都北京に入った時も、兵士に民家への立ち入りを禁止して略奪を戒めたり、明の官吏に対してはその身分の保証をしました。
さらに占領した後の政策としては民衆に対して税の大きな軽減を行っています。明の時は臨時の税が何種類もありましたが、それを全て廃止し、税自体の軽減も行いました。
つまり、民衆にとっては明の時代より住みやすく、生活しやすくなりましたし、官吏も身分を保証され安堵しました。
これでは抵抗の意思も鈍ろうというものです。

首都を占領した反乱軍は李自成が皇帝となり順王朝を始めますが、呉三桂将軍らに攻められ倒されます。
明を回復しようという動きは南部にいた明の王族を中心にありましたが、圧制により民衆の支持が得られなかった事もあり、呉三桂将軍や元明軍の将軍とその部隊が主力となって平定していきます。

つまり、腐敗して内部分裂を起こしていた明を清がうまく料理したというところです。
もし、呉三桂将軍らの元明軍が味方しなければ、清の中国制圧はかなり難しくなったでしょう。
もしかしたら失敗したかもしれません。
味方に引き入れる事に成功した清の方策が旨くいったというところです。

ところでモンゴルが中国を制圧した時は、中国は西夏、金、宋の三ヶ国に分裂しており、やはり一つにまとまっていませんでした。
モンゴルはそれを利用して、互いに争わせたりして、各国の力を弱め制圧していきました。
金を滅ぼした時は、宋と共同で攻撃しています。モンゴルは一カ国づつ料理していきました。

いつの時代にも中国の北には常に北方民族がいます。しかし、全ての時代で全ての北方民族が中国を支配化に置いてきたわけではありません。成功する時は必ずと言っていいほど、その時の中国が数カ国に分かれているとか、内部分裂などしており、そこにつけこんでいます。

なお、呉三桂将軍が清に味方した事については、女性が原因であるという話があります。
陳円円という好きな女性がいたけれど、首都北京を占領した反乱軍の将軍に奪われ、それに怒った呉三柱将軍は清に味方する事にしたという話です。
「陳円円」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%86%86%E5%86%86

色々理由はありますが、簡単に書くと・・・
1.明が一つにまとまっていなかったから。
2.優れた指導者が明におらず、清には優れた指導者がいたから。
3.清軍が分裂した勢力をうまく取り込んだから。
4.清が明より民衆に優しく、民衆としては自分やその家族が暮らしやすくなったから。

明が一つになって清に対抗できていれば、清が明を倒す事などできませんでした。
しかし、あまりに明の腐敗が酷く重税で民衆を苦しめており、あちらこちらで大規模な反乱が起きました。
しかも、兵士に与える筈の給金、食料までが...続きを読む


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