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科学技術の発展で、例えば30年前は1時間かけてやってた作業が
エクセルなんかのソフトを使って、1分でできるようになっている
と言っても過言ではないでしょう。

では、なぜ労働時間が減らないのでしょうか?

ここからは私の仮説ですが、
現代人はより高品質な商品やサービスを求めるため、
それを生産するためには以前よりも時間がかかる
というのも理由の一つでしょう。

では、なぜ現代人は長時間労働に耐えながらも、
高品質な商品を消費するという選択をとるのでしょうか?

短時間労働で、安価な商品でいいという人もいると
思うのですが、なぜ長時間労働・高品質消費サイドに
全員が合わせることになるのでしょうか?

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A 回答 (31件中1~10件)

地球とか人類とかまでテーマを広げて考えていいのだと思います。

もうそうゆう時代に来ていると思います。昔の人も言っていたかも。

私の背景話ですが…
親と別世帯で暮らすことは、教育的に経済的にいいのか?生活レベルを維持するために共働きし、子供は託児所に、祖父母は老人ホームへ預けてしまう。それは教育的に経済的にいいのか?一方では失業者があふれているといい、一方では労働力が足りないから女性の社会進出を促進しなければいけないといい、一体どっちが本当なのか?共働きの片方が家庭に入ったらどうなるのか?ゆくゆくは夫だけの収入で生活できるようになりはしないか?もしそうなら、託児所や老人ホームのために働き始まったことは、実は他の誰かの私腹を肥やしているだけになってないか?本当は仕事やお金以外にももっと考えなければいけないことがあるのではないか?地域のためにやらなければいけないことがあるのではないか?協力し合える親族や仲間が近くにいれば、託児所も老人ホームもいらないし、現状でも夫だけの収入で大丈夫なのではないか?教育にお金を掛けることは必要か?大学まで行く必要がある人は本当はもっと少ないのではないか?大学のための学費や時間は無駄ではないか?社会全体としても高卒から労働力を得た方が得ではないか?いまや3Kといわれる仕事にまで大卒がどんどん入ってきている。その人生の歩みは本当にまともなのか?私の場合で言えば、大学で学んだことでためになったものは心理学とかの数科目程度です。それ以外は高校レベルに毛が生えたようなもの。何も4年間を費やして学ぶほどのものではなかったです。そしてそこで学んだことを活かした仕事に就いてもいません。人並み以上の職でもありません。むしろ高卒で就職した仲間の方がいいくらいです。なんと無駄の多い人生でしょう。高卒で働き始まった方がよほど社会のためになったかもしれません。
そんなある日、海外旅行をしてみました。たくさんの国と、都市部と農村部を見て回りました。そこで気付いたことは、農村部の人々はとてものんびり暮らしているのに対し、都市部の人々はせかせかして暮らしていることでした。ある片田舎の家にお邪魔したときは、地元の食事を振舞われ、彼らは地元の素晴らしさをうれしそうに話すのです。その家族の子供は建築系の大学に通っており、将来設計士になりたいそうです。父が大工でその後を継ぐということでした。父を尊敬し、地元のために生きようとしていました。しかもそれが過酷な生活の中で行われているわけではありません。とてもゆったりとした生活の中で営まれているのです。車やパソコンなど必要なものはあるし、どうしてこんな心の伴った豊かな生活ができるのか不思議でした。
日本に帰ってきてからは両親や祖父に質問してみました。昔はもっと大変だったのかと。ところが答えは、物がないだけで今みたいにせかせかした生活ではなかったというのです。競争はもちろんあったけれど、今のように他人よりも速く、多く、効率よくと絶え間なく要求されるような労働ではなかったといいます。更に、今のように仕事をしているのに将来が不安だという精神状態ではなかったといいます。
海外の片田舎の話も日本の昔の話も、それがすべてではないと思いますが、今の日本は全体的に心が病んでいるように思えてなりません。私の周りの親族も友人も皆不安を抱えています。仕事は大丈夫だろうか?子供は?教育は?親は?老後は?そして漠然と大丈夫だろうか?と、多くの不安を抱えているのです。あの海外の片田舎で会った家族の精神的に落ち着いて充実している笑顔を見せる者が、一人もいないのです。
私の経済に対する疑問が出てきたのは、こんなことがきっかけでした。

人は本来、もっと豊かに生きていけるのでは?それは楽して得られるものではないと思いますが、過酷を極める必要もないのだと思うのです。では何が原因でそれが可能にならないのか?ゆとり教育はゆとりにつながらないのでは?やらなければいけないことは利益の適正な分配ではなかったか?でも政治はその真逆の政策(大企業や経営陣側に有利な規制緩和)をしてきたのでは?利益はどこかに消えてないか?日本の特別会計は使い切っているのか?それとも溜め込んでいるのか?などと考えるに至った次第です。
更に、今日ではマーケティングは常識になりました。消費者を喚起させる力とそれにのせられる消費者意識に歯止めがきかなくなっていないか?豊かさは、もの作りに比例するのではなく、心作りに比例するのではないか?実はそんな力が経済学で導き出した計算より、飛躍的に豊かな生活を国民に導くかもしれませんね。私の未熟な脳の中身です。

個人的には、生命について、社会のあり方や宗教のあり方について、もちろん心理学や哲学からの見解も詳しい方がいたら聞きたいですね。
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>では、なぜ現代人は長時間労働に耐えながらも、


高品質な商品を消費するという選択をとるのでしょうか?

日本には長時間労働の正社員という働き方と
非正社員という働き方しかないからでしょうね。
間が欲しい所です。
正社員に働き方の選択肢があればいいのですが
現実はほぼ全員に長時間労働を強いてますしね。
日本でプライベートな時間を大切にしながら生活したいなら
非正社員になるしかないというのが問題ですね。
私も日本人はオランダの働き方を参考にすべきだと思います。
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非常に面白いテーマですね。

ただ、抽象的な議論に入る前に、客観的な事実の整理をしっかりしておいた方がいいかも知れませんね。

私は「労働時間は減っているはず」と直感的に感じてしまう方です。日本以外でも幾つかの先進国で働いたことがありますが、どこの国でもその感覚は似たりよったりだった気がします。

労働時間に関する国際的な統計としては、ILO(国連の専門機関の一つで労働問題が専門)が数年に一度とりまとめている「Key Indicators of the Labour Market」(労働市場の主要指標などと訳される)があり、最新版は今年の9月に出たばっかりです。そこで主要国の平均年間労働時間が過去30年間でどう変わったのかをみてみました。

国名(1980年、2006年)※単位は時間。   
日本 (2,121、1,784)
米国 (1,883、1,804)
カナダ (1,802、1,737)
ドイツ (1,810、1,435)
フランス (1,742、1,564)
イギリス (1,775、1,668)
スイス (1,804、1,658)

全ての国で減少傾向にあることがみてとれるかと思います。先進国の間では世界的なトレンドと言い切ってしまって間違いなさそうです。とりわけ日独仏の減少は劇的ですね。欧州の国々はこのほかにも、かなり短い労働時間を実現している国がたくさんあります(北欧とかオランダとか)。ここでは挙げていませんが、どこの国でも生活水準は80年代よりも向上しています。

一方、途上国のデータはさほど多くないのですが、それでも多少はデータの信頼性があると考えられるアジアの国々に目を転じると、バングラデシュ、スリランカ、マレーシア、シンガポール、タイの年間労働時間は、(データが90年代ですが)すべて2,200時間から2,500時間と、先進国対比では目に見えて多そうです。

以上のような客観的データを踏まえると、2つのことが言えそうです。
・先進国では、一般論として労働時間が減少している。劇的に減少している国も少なからずある。しかも、生活水準はむしろ上昇しており、単位労働時間当たりの生産性はかなり高まっていることが推測される。
・途上国の多くでは、先進国よりも大幅に労働時間が長い(言うまでもなく生活水準も低い)。教育インフラ等が整備されていない面もあるだろうが、先進国のようにハイテクを駆使できる労働環境が整っていないことも一因であろう。

このようにみてくると、やはり科学技術の発展は労働時間・労働生産性の向上の双方に明確に影響を与えていそうです。となると、もともとの質問をより正確な表現に直せば、むしろ「人はなぜ、30年前は1時間かけてやってた作業をエクセルで1分で出来るようになっても、ほかの仕事を見つけてくるのだろうか?」と問うべきなのかも知れませんね。

まぁ、それって、仕事上で改善点を見つけても、ほかにも改善できる点はないかと頑張っちゃうのとある意味同じなので、「どうして今まで以上に仕事の業績を上げたがるのか」をサラリーマンに問うのと同じような気もしないではないですが(正直、その点は自分にとっても疑問なんですが、うちの上司とかには「そんなの当たり前ヤロ!」と一喝されてしまいそうです)。
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>なぜ科学技術が発展しているのに、労働時間は減らないの?<



恐らく、貴方の質問は、21世紀・世界政治のメインテーマになると思います。
確かに、半導体の発明による科学技術の発達は目覚ましいものです。しかし、「ローマは一日にしてならず」ではありませんが、その技術による産業をもってしても、最初から今日のようなものの溢れる社会出来なかったわけです。このことをもって、消費の飽和状態(生活必需品の普及度100%)社会なぞありえない。と考える知識人がおおいようです。
つまり、「人間はもっとすばらしいもの、もっと便利なものを追求してきたので、労働力は余る筈は無い」として、労働時間の短縮は眼中に無いようです。

>短時間労働で、安価な商品でいいという人もいると
思うのですが、なぜ長時間労働・高品質消費サイドに
全員が合わせることになるのでしょうか?<

「地球温暖化」を理由の買い替え促進、これが最たるもので、一方では大型テレビで消費を煽る。矛盾していますね。
しかし、失業者やニート、所帯をもてない低賃金労働者等の貧困層は確実に増大しています。これは正しく、「科学技術の発展」がもたらしたものですね。労働時間の短縮以外に解決の道はないでしょう。
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No.27に加えて、思い出したことがあので・・・


食料は国内需給とほぼ同額分がゴミになっているようですね。ゴミといってはいけないかもしれませんが、ペットも年間数十万匹も処分されているようです。今はリサイクル活動などが盛んになったように思われていますが、実際はバブル期よりもゴミが増えているそうです。何かの本で読んだことですが、それは不況によりデフレが始まり、その状況下で企業の戦略が「価格破壊」になったことが原因だと書いてありました。物が異常に安く買えるようになったから、いらないものまでどんどん買ってしまう。その影響は、長時間労働であり、価格破壊が激化すれば賃金も減るし、酷ければリストラにもあってしまう。政府はその企業を擁護する方向だから、その勢いは加速するばかり。

ゴミをなくすということは、今は環境面で大きく問題視されていますが、もしかしたら、私たちの生活の豊かさに直結する問題なのかもしれませんね。消費が減ったからといって、そのぶん物を高く買えば経済的にもイコールでしょうし、そうなれば企業は安い原材料や労働力ばかりに走らずに国内雇用を増やすこともできるような気がするのですが。(あくまでも素人の発想です。)

ここまで話して更に思ったのですが、私たちの消費意識や価値観の流れについても「ゴミ」の発想は活かせないでしょうか?
私の頭の中に浮かんだものはテレビです。私の場合は意味もなくテレビを見ています。ほとんどが本当に欲しい情報ではないし、本当に面白いと思って見ているものではありません。全然つまらないなぁと思いながらも見ている場合も多いです。ということは、私はゴミみたいな情報のために時間を費やしていることになります。(それは私にとって呪縛のような力ですが、)そう考えると、ある一面、私の豊かさを奪っているのはテレビではないでしょうか。対象が物か情報かを問わず、なんか自分が消費ロボットのように思えてきました・・・
(でも問題は、どうして消費者の意識がその悪い方へ向いてしまうかですよね。ararkyさんの本題とズレてしまって申し訳ございませんでした。)
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ふと思ったことです。


大量生産、大量消費を求めるから長時間労働が必要になることは、皆同意見と思いますが、なぜ私たちはそれを素直に認めてしまうのでしょうか?ふつうは「大量生産、大量消費は仕方がない。でも、このままではいけないから○○しなければいけない。」という発想の仕方でしょう。直接的に「大量生産、大量消費がいけない!」とは考えづらいと思います。人間は欲求をベースとして生きているから当然といえば当然ですが、そこに焦点を当てるのも面白いかなと思いました。

そこで私の周りを見回してみると、目の前には大量のペンがあり、そのほとんどは使っていません。古いペンは全て書けませんでした。書籍も読まないものがたくさん。当時は読みたいと思ったのかもしれませんが、おそらくそのほとんどが一生読まないままでしょう。服も異常な量です。流行があるので着れないものもありますが、着れるものでもタンスの中で眠っているものがほとんどです。プリンターも2台。高画質のものが欲しいので新たに買ったのですが、良く考えてみると写真をプリントアウトするわけでもないので必要なかったものです。食器類や座布団なども来客用にたくさんありますが、実際に使ったことはありません。葬式などで必ず使うときはあると思いますが、おそらく一生に数回のことでしょう。昔はご近所や親戚の協力が当たり前だったので、自分で全部をそろえる必要はなかったそうです。時計も各部屋に置いても余るほどあります。クリアファイルや手帳も、机やイスも、ハサミやカッターも、ハンカチやタオルも、自転車も、毎日食べる食料や調味料も使えるものがあるのに・・・。

私は物を捨てられない性格なので、目に見えて無駄な物がわかりますが、たとえ目の前に必要なものしかない人でも、使えるものを捨てて新しいものを購入している人がほとんどではないでしょうか。そしてそのほとんどが本当に欲しいから買ったのではなく、単に安いからとか、お買い得だからと安易に買ったものばかりでしょう。私はそうでした。つまり、大量消費は私たちの欲求を満たしているのは事実でしょうが、本当に欲しいものを満たし、私たちを豊かにしてくれているかというとそうではないように思えます。大切なのは物が安くて大量に手に入れることができることではなく、物が高くても、必要なものが必要な分だけ手に入れば充分豊かになれるということでしょう。

この観点で考えてみると、私たちは要らないもののために、言い換えればゴミのために消費していると言えます。遡れば、ゴミのために生産活動をしているのであり、ということは私たちはゴミのために労働時間を費やしているのです。
そうなると、「なぜ現代人は長時間労働に耐えながらも、高品質な商品を消費するという選択をとるのでしょうか?」という問い自体が成立しないかもしれません。私たちは科学技術の発展により、本当は短時間労働で高品質な商品を得られるのでしょう。長時間労働が必要になってくるのは、あくまでもゴミのため(大量消費のため)に安易に購買活動をしているからかもしれませんね。
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蛇足になりますが。



a)景気循環と時短の関連性
b)そうはいっても、高所得なのに?
c)幸福感というもの

------------------------------
a)景気循環と時短の関連性
------------------------------
>景気が悪いことと、労働時間の伸びはあまり関係ないのではないでしょうか?
>景気が良くなれば労働時間は減りますか?
>バブル期は別に労働時間短くないですよね?
>この問題の本質はもっと深いところにあると思います。
仰るように、経済状況はすべては説明しません。
反面、(細かい点を突っ突くようですが)何も説明しないわけでもありません。
社会学者には社会学者なりの説明があり、
経済学者には経済学者なりの説明があるのですが、
どちらが正しいかといった判断は容易ではありません。

長期には成長率が高い方が労働時間は短縮される一方で、
短期では好況より不況の方が労働時間の短縮は行われる傾向もあるようです。
日本では、石油ショック後に深刻な景気悪化を迎えた1973~75年に
労働時間の大きい減少が起こっています。
他方、80年代後半のバブル景気の時期から労働時間は大きい減少を始めます。
これは不況期に入るまで続きます。
http://labor.tank.jp/toukei/jikan_kokusaihikaku. …

短期では景気拡張局面の方が、有効需要が拡大していれば、
企業は労働時間を減らすよりも実質賃金を増やす方を選好するかもしれません。
経済運営としても有効需要が拡大しているのに供給を大きく縮小すれば、
インフレ率が高まる危険性があります。
景気後退局面には、労働組合は賃金よりも雇用を削減されるのを恐れます。
ワークシェアリングの意図は、雇用者の労働時間を減らすことで
労働需要を喚起して、失業者の雇用を救済する事にありました。
もっともこれは必ずしも成功しているとは限らないのですが・・・。

長期の視点であれば、経済が成長している方が労働時間は減ります。
1970年代に技術進歩率が落ちて生産性の伸びが鈍化すると、
「気前のよい」福祉国家の思想は瓦解してしまい、
サッチャー・レーガン的な考え方が優勢な時代に変わりました。
「労働時間と賃金のどちらを選ぶか?」
といった質問でも、経済面の影響は決して取り除かれてはいません。
・低所得層ほど長時間労働でも賃金増大を望むアメリカ
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaa198601/i …
(ちなみに1970年代からアメリカの低所得層の所得はほとんど成長していない)
・時短よりも賃金を望むサッチャー時代のイギリス 対 依然時短の願望の強いオランダ
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaa198601/i …

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b)そうはいっても、高所得なのに?
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とはいえ、今日の日本人の財布は、
昔よりも遥かに豊かな状況にはなりました。
物価だけでなく企業の取り分や税金まで考慮したとしても、
一時期前の個人に政府・企業の取り分を足した規模に達していますし、
超長期で見れば政府・企業の取り分を足したものの何倍にもなっています。
日本でパートタイムで年間1000時間位しか働かなくても、
中国の年間3000時間超の民工(出稼ぎ労働者)よりも高い実質賃金を得ています。
オランダやフランスなどでは、
最低賃金が日本の2倍位あって社会福祉も充実しているため、
短時間労働でも選択可能な効用は一層幅広いかもしれません。

それでも年間の労働時間の平均減少幅が1%に達しないのは何故か、
短時間労働で余暇を選好する方に人口が殺到しないのは何故か、
という疑問であれば、社会学や心理学の範疇かと思います。
「高品質」の消費に心理的に適応しているからか、
周囲の「高品質」の消費に合わせなければ劣等感が生じるからか、
短時間の労働者がフルタイムの労働者よりも格下に置かれるからか、
周囲の労働者との共同作業があるからなのか、何なのかは分かりません。

ただ、ここでも政治経済面からのアプローチの
必要性がなくなったわけではありません。
労働時間を選ぶ市場は充分に存在しないのではないかとか、
短時間の労働者の時間給が長時間の労働者を格段に下回っているとか、
(実際、準固定費があるため、短時間の労働者は、
時間当たり賃金を大幅に落とさなければ採算が取れない)
短時間労働の雇用・社会保障が不安定であるからとか、
色々と説明のしようはあるかもしれません。
ここの回答は誰も労働経済学の観点から説明していないようですが、
労働経済学のテキストを読んでみるのも手助けにはなるかと思います。

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c)幸福感というもの
------------------------------
>現状、総幸福感の向上を伴わない経済膨張が進み、
>いつか人類は地球環境とともに滅びてしまうのではないかという
この点なのですが、「総幸福感」というのは、
その計測・計算・個人間比較に絶対的な基準を打ち出すことができないため、
(ブータンのような例外を除いては)単一の目標にはなっていません。
古来功利主義の哲学者は多くの基準を打ち出してきましたが、
未だに見解の一致は見ていません。
自己申告の生活満足度などの主観的幸福や、
生理学的な客観的幸福の計測もありますが、
いずれも多くの限界を抱えています。

長時間働いて高賃金を得るのと短時間働いて余暇を得るのは、
どちらが「良い」か「悪い」かは、おそらく経済学で本質的な分析にはなりません。
その2つの効用に対する選好を前提として、利益を追及する過程が対象になります。
幸福に意味がないというのではなく、分析ツールとしての混乱を避けるため、
この種の価値判断を取っていないということです。

他方で、経済学者は必ずしも市場の成功だけを絶対視しているわけではありません。
私は経済学者ではないから経済学自体を語ることはできませんが、
今日、市場がどのようにして失敗するかを研究して、
それへの対処策を見出そうとしている経済学者は少なくありません。
環境破壊・地球温暖化への対処も、
経済学者が真剣に議論しているトピックの1つです。
環境経済学という分野もあります。
差別や階層の問題には社会学者が大いに議論を行っていますが、
所得面の不平等に関しては経済学者が大いに議論を行っています。
多くの開発途上国の環境問題や不平等は深刻を極めるため、
開発経済学者はこれらの難題に取り組んでいます。

経済学ではなく現代思想では、ハンナ・アレントのように
労働の「価値の無さ」を主張した人もいます。
ガルブレイスの依存効果(巨大企業の広告等が消費者の欲望を創出する効果)も、
主流派経済学よりも現代思想でポピュラーな議論のように思います。
福祉の思想家には、最低限の生活に必要な労働は倫理的に「強制的」な労働であり、
「自発的」な労働と分けられるとする人もいますが、
こういった主張をめぐっては大いに意見が分かれます。
ロールズ、ノージックからアマルティア・セン、ピーター・シンガーのように、
倫理学の観点から政治経済にアプローチする議論も盛んになされています。
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そうですね。

ご指摘の通りだと思います。

「景気が悪いことと、労働時間の伸びはあまり関係ないのではないでしょうか?
 景気が良くなれば労働時間は減りますか?
 バブル期は別に労働時間短くないですよね?
 この問題の本質はもっと深いところにあると思います。」
についてのararkyさんなりの見解があると思いますが、それを伝えてもらえると、もっと皆さんが答えやすいのではないでしょうか?活性化というか、ararkyさんの求める本質に向かっていくかもしれません。(それが間違っているか否かは関係ないと思います。おそらくみんな帰結するところはararkyさんと同じだと思いますから。でも、質問者だからそんなこと答える必要はないといえばそれまでですが。)

「なぜ長時間労働・高品質消費サイドに全員が合わせることになるのでしょうか?」ということについて問うと、それは人間の行動心理を探っていかなければわからないことだと思います。
学者のような話はできませんが、私が思うには、その根本は競争心理、、自尊心が深く絡んでいるように思えます。そして、間接的には国柄・文化があるゆえの惰性の力も大きいと思います。その惰性も、就労時間や仕事のこなし方を伝統的に引き継いでしまう直接的なものと、何を欲し、どう生きるかという判断を、惰性で伝統的社会に組み込み、他の選択肢もあるにもかかわらずその中で生きることを惰性で決めてしまっているという間接的なものがあると思います。
またもう少し惰性について掘り下げれば、あらゆるものを欲しがり、あらゆる趣味・娯楽も楽しみたい、自分も向上したい、子供の教養も高めたいなど、それらは自己の欲求でもありますが、同時に社会環境に感化された欲求なのではないかとも思います。つまり自己ゆえの欲求ではなく、それは自ら欲しているようで、実は社会によって欲せられている欲求なのではないのでしょうか。自分は自分であるようで、実は日本社会という大きな渦の中で惰性的に流されているだけの存在なのかもしれません。惰性の中で生きてきたから、いざ本質の話になると自分の核がわからない。わからないから人生の途中で戸惑ってしまう。私の生き方は本当にこれでよかったのかと。「高品質消費サイド」の立場で「長時間労働」を強いられている私は、またその社会は本当にこれでいいのかと。
もちろん私もその一人なのですが、これ以上のことは私の経済に対する思いができあがった背景の話になってしまうので、どんどん話がそれてしまうし、話そうとしても私がまだ上手くまとめられない未熟な状態なので止めておきます。
全然まとまらない文章で申し訳ございません。

この回答への補足

質問者です。お礼を書きましたが、もう少し付け加えたく捕捉に書かせていただきます。

>についてのararkyさんなりの見解があると思いますが、それを伝えてもらえると、もっと皆さんが答えやすいのではないでしょうか?

そうですね。失礼しました。ただ、私は「惰性、競争心理、自尊心」というものが一つの原因になっているということ以外わからないというのが現状です。なので、現状、総幸福感の向上を伴わない経済膨張が進み、いつか人類は地球環境とともに滅びてしまうのではないかという、かなり悲観的な考えになってしまっていますね。だから、この問題の原因を自分なりに解明して、どうすれば解決できるか考えていきたいなと思っているんです。(地球とか人類とかまでテーマを広げちゃってすみません。)

>もちろん私もその一人なのですが、これ以上のことは私の経済に対する思いができあがった背景の話になってしまうので、どんどん話がそれてしまうし、話そうとしても私がまだ上手くまとめられない未熟な状態なので止めておきます。

そういったお話をしていただければ非常にありがたく、無理強いはしませんが、同じ疑問を持っている人にとって非常に役に立つと思います。

補足日時:2007/10/17 12:49
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この回答へのお礼

度々のご回答まことにありがとうございます。
以前の私のお礼の書き込み、失礼でしたね。
申し訳ありません。

惰性、競争心理、自尊心、このあたりがやはり人間にとって
大きな問題のようですね。

blublueさんのように冷静に世の中を観察し、
深く考えて生きていらっしゃる人がいると知り、
勇気づけられました。

ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/17 12:38

そのことは、この前の国会でも持ち上がってましたね!


大企業の利益の背景には、ワーキングプアの存在があることを。
戦後、日本は仕事の斡旋による仲介料(ピンハネ)を禁止して、直接雇用をすすめてきたのに、今はすべての業種で派遣労働が自由になってしまいました。
そのことについて、福田総理は「働き方の多様化であって、政府は推奨しているわけではない」と逃げていました。やはり、国民を苦しめている法律を変えるつもりはないのでしょうね。
別に、私は大企業をこらしめましょうと言っている訳ではありません。むしろ、どんどん儲けてもらって構わないと思ってます。でも、非人間的な労働者の扱いや、利益分配があまりに偏っていることは、格差をますます助長するだけだし、それはやめてほしいと願っているだけです。その倫理観を無視した中では、いくら利益が上がっても、国民生活は豊かにならないからです。そして、国民に利益が還元されなければ、当然需要も拡大されず、その中では企業は引き続き徹底したコスト削減(もちろん人件費削減)によって利益を得ようとするばかりだからです。

この内需拡大の重要性も国会で話が出ていましたね。
「現在の景気回復といわれているものは見せかけのもの。デフレ下での計算だから、数字にごまかされているだけ。今は需要が徹底的に不足してる。内需拡大を図らなければ、絶対景気は回復しない」と。
あまりにも当たり前のことだと同感します。
古臭いと思われがちな話でしょうが、その原則を無視して、その場しのぎの政策を打ち立てても何も変わりません。
分かりやすい例え話をすれば、
預貯金がないところに、いくら金利を操作しても、国民にとっては何も変わりません。購買意欲も何も喚起されないということです。
そうゆうことを言うと、大企業へ融資が拡大するとか何とかという、屁理屈が必ず出てきますが、結局国民の需要が高まらなければ、根本的な景気回復にはつながりません。大企業側だけの都合を考えても、国民の生活が伴わなければ、経済は先細りになるだけです。現に今がそうなっていますね。今の社会は、企業が徹底的にコスト削減し、国民を苦しめて、やっとこ維持しているようなものです。その状況では、引き続き企業はコストカットを、行政は緊縮財政を続けるしかなく、ということは、企業からも行政からも国民への見返りはなく、この不況の悪循環からは抜け出せないということです。
この状況を景気回復へ転換させるためには、やはり企業が利益が出たならば、それは労働者にもきちんと還元することです。そして、政治はその方向へ導く政策を推し進めることです。

では、なぜそれができないのでしょうか?なぜ政治は大企業よりの政策を進めるのでしょうか?
そのことも、この前の国会で面白い話を挙げてましたね。
それは「今の政治は日本経団連に頭が上がらないから。そして自民党が大企業から政治献金を受け取っているから」といっていました。
どういうことかというと、
日本経団連は、政党に対して政策評価という通信簿をつけて、その点数を目安にして、大企業は政党に献金を行うのだそうです。
その通信簿はA~Eの5段階の評価になっているそうですが、それには模範解答があって、あらかじめ日本経団連が発表する優先政策事項が挙げられているということです。それに沿って政策を出すと良い点が取れる!つまり、政党が大企業からお金が欲しければ、日本経団連が示す大企業有利の政策をとらなければならないということです。

やはりそこにメスを入れなければ、折角の皆さんのすばらしい意見も机上の空論になってしまうのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
大変勉強になるご意見なのですが、過去の書き込みを見ていただいた上でのご意見をいただければと思います。
というのは、私の質問は、短期的な景気に関わらず、労働時間がなぜ減らないかという、もっと一般的な問題です。ここでは、場所が日本であるとも明記しておりません。それだけ一般的な問題として質問させていただいているからです。
景気が悪いことと、労働時間の伸びはあまり関係ないのではないでしょうか?景気が良くなれば労働時間は減りますか?バブル期は別に労働時間短くないですよね?この問題の本質はもっと深いところにあると思います。
ちなみに、経団連と政治の絡みは私も問題だと思います。(この質問とは別に)ただ、あまり私たちが「景気、景気」というのは、経団連の思うつぼなのではないでしょうか?

※まだお礼をしてない回答がありますが、後ほどよく考えさせていただいてからお礼もうしあげたいと思います。

お礼日時:2007/10/15 10:03

調べものの途中で立ち寄った経済素人です。



大変興味深い資料の数々を拝見しました。

No.20の回答で少しふれられていますが、日本においては、労働組合が企業と癒着しているところが多いので、「時短か賃下げか」という選択に埋没しているのではないかと感じています。

どこかで、非正規雇用の増大による労働者の収入減がほぼそのまま大企業の収入増である統計を見たことがあります。
つまり、企業がひとり勝ちしようと思わなければ、時短は可能なのではと思わせる数字でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

一つ不思議なのは、「企業がひとり勝ち」していますが、
実際企業のどのあたりの人たちが「勝っている」のでしょうか?

大企業に勤めている友人がいますが、長時間労働に苦しまされているように見えます。また、私もかつて大企業と呼ばれる企業で働いていましたが、皆長時間労働をしていました。

どの層が勝っているのでしょうか?私にはあまり「勝っている者」の存在が見えません。この問題は、みなが「敗者」になるしくみだから、問題なのではないでしょうか?

お礼日時:2007/10/15 09:47

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4、僕はイヌ、ネコの方が人間より幸せそうに見えるの ですが、だとしたら人間が作り出した科学技術や哲学 や文明は何の為だったのでしょうか。

科学技術の進歩で幸せになるのならば、21世紀より20世紀の人間の方が不幸であり、20世紀より19世紀の人間の方が不幸だったのですか?そんな事は無いと思います。

科学技術の進化は功罪いずれもありますが、功<罪ではないかとの思いにとらわれています。
しかし、今、僕が利用しているインターネットも科学技術ですよね。

長文すみません。
僕は、気楽に哲学や科学を語れる友達がいないのです。

皆さんの率直なご意見、ご批判を是非お聞かせください!

暇人の質問をお許しください。

私は、今、数学や物理学、機械製図の勉強をしている者ですが、最近、人間の幸せは科学の進歩とはイコールではないのではないかと強く思っています。

1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になったはずですが、排気 ガス、交通事故、車社会のために子供たちが外でのび のびと遊ぶ自由を奪ってしまったなど考えられないで しょうか。

2、また、パソコンの開発により、人間は大量の仕事を 効率よく短時間で処理する事が可能に...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。

 人間の幸せは科学技術の発展とイコールではないのではないか、ということですが、もちろんつながりません。正確には、第1に、物質的豊かさは満たされることは、精神的豊かさを満たすことにはならないということです。
 第2に、科学技術の進歩には、たえずマイナスの要素がつきまといます。具体的側面でも、思想的側面でもそうです。こういうのを専門的には、「逆機能」と呼びます(社会学)。

1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になったはずですが、排気 ガス、交通事故、車社会のために子供たちが外でのび のびと遊ぶ自由を奪ってしまったなど考えられないで しょうか。

 自動車の開発によって、移動が効率的にできるだけでなく、ヒトとモノの輸送がスムーズにおこなえるようになった結果、経済的発展だけでなく、人々の可能性が拡大されている。これは順機能です(つまりメリット)。
 しかし、みなが便利さを追求した結果、車は大衆化し、大量の排気ガスをはき出しました。結果はご存じのように、環境破壊・交通事故など人災を創造するなど、逆機能(デメリット)をもたらしています。


2、また、パソコンの開発により、人間は大量の仕事を 効率よく短時間で処理する事が可能になった。本来な らば、その余った時間は自分の時間を得られるはずな のに、逆に仕事量が増え、トータルで考えれば、以前 より仕事量は変わらないか、以前より増えたのではな いか?

 このことは情報社会化と名付けられた現象です。順機能はあなたのおっしゃる通り。結果的には、経済・政治・文化的領域において、さまざまなメリットがもたらされています。インターネットのネットワークの力は、国家や企業などが有力な情報を独占していた事態から救っただけでなく、さまざまな世界市民が結びつき大きな勢力となっているというのは事実としてあります。
 逆機能については、説明はいらないでしょう。いろいろ思いつくはずですから。


3、イネの品種改良で、害虫や寒さに強いイネを作り出 して、以前より人間の飢えなくなったことは多分幸せ な事だと思いますが、その結果、人口爆発によって地 球上の人類全員分の食糧を供給できないのでは?

 これは農業の産業化と関わっています。品種改良という市場は、いまや大企業のものです。
 農業系企業は、品種改良しては地元の農家へと売り込み、必死に営業しています。基本的には、ファッションのブランド戦略と何ら変わりないと思います(笑)
 品種改良の重点は、たしかに育てやすさ(害虫などに
強い)という点もありますが、もう1つは「おいしさ」にあります。企業では、トマトであれば、トマトの甘さを数倍にすることで、おいしいトマトを作り上げてしまいます。正直なところ、人間の舌の感覚でおいしいものに作り上げているので、普通のトマトはこれにかないません。ですから、歯止めはききません。
 ただ食糧供給危機は、すでに発生しているといえるでしょう。とりわけアフリカではそうです。品種改良の問題は、遺伝子組み換え大豆がそうであったように、元々自然であったものを改変するわけですから、健康上の害を及ぼすような逆機能は生じるでしょう。
 とはいえ、この場合は明らかにわれわれの感覚では、順機能が大きいですね。


4、僕はイヌ、ネコの方が人間より幸せそうに見えるの ですが、だとしたら人間が作り出した科学技術や哲学 や文明は何の為だったのでしょうか。

 極端な動物学者たちは、イヌ・ネコをはじめ、動物園という存在を忌み嫌っています。それは、本来動物たちには動物たちが生きるべき空間の広さというのが、あるはずだからです。大草原をかけめぐるべきトラは、檻のなかに閉じこめられ、彼らの身体に影響を及ぼしていないはずがない…と。
 実は、人間もこれと似たような状況です。人間自身もおのおのが生きるべき空間や時間というものがあったはずです。しかし、人間をはじめ動物には、高い適応能力があります。少々の環境の変化には動じないというものです。
 科学技術の発展は、人間の社会的環境をめまぐるしく変化させました。かつての哲学者・科学者は、進歩という「大きな物語meta-narrtive」に大きな夢を抱き、その可能性を信じていました。しかし、そうしたhumanism(人間中心主義)は、たとえば「環境」という視点に欠如していました。結果はご存じのとおり。
 こういうことを、かのカール・マルクス(社会主義思想の根本的提唱者)は「疎外」と呼びました。疎外とはいくつか意味がありますが、その1つは、「人間自身は、自らの生み出したものに対して対立する」ということです。
 たとえば、核爆弾です。これは、人類と科学技術が生み出した最強の兵器です。いまや人類を崩壊させかねないものを、人間自身が生み出してしまったのです。核に関しては、ご存じのとおり日本においては悲しい歴史があります。人間が人間自身が生み出したものによって、自滅する。なんともバカらしい話です。
 

→ 科学技術の進歩で幸せになるのならば、21世紀より20世紀の人間の方が不幸であり、20世紀より19世紀の人間の方が不幸だったのですか?そんな事は無いと思います。

 こうした観点は、さまざまな呼び名がありますが、一般的にはダーウィン思想を起点として「進歩史観」といいます。つまり、「野蛮から文明」へ、「宗教から科学」へ、などなど、世界が悪いものから、より良き方向へと移っていくという考え方です。
 今では、これはほぼ否定されていますが、ほんの少し前まで、過去においてはこれはきわめて有力な発想でした。マルクスは封建制→資本主義→社会主義という時代のパラダイム転換があると本気で考えていました。しかし、マルクスは産業化がもつ多大な影響力を十分に分かっていなかったのです。つまり、科学技術の進歩。
 それは無理もなく、20世紀以降の急激な科学技術の進展など誰も予想していなかったといういうべきでしょう。
 また日本においても、福沢諭吉は日本は野蛮から脱して、西欧の文明化へと早急に到らなければならないと述べています。これは植民地化されることへの懸念でもありました。
 ある意味で、科学技術の世界的進歩は、自衛の強制でもあったかもしれませんね。
 こうした進歩史観は、今ではほぼまったく否定されるか、改変されています。


 時代は、「科学技術の進歩」という大きな夢を抱くときから、「いかに科学技術をもちいるか」という再考のときへと移っています。
 世界は、近代への反省を求められ、修正せざるをえなくなっています。功罪はありますが、だからといって基本的に科学技術を捨てることはできないのが現状です。
 
 ある論者は、科学の進歩は、人間の進歩を意味するのではなく、退化であるとしています。というのは、かつての全生活を担っていた人間のほうが、肉体的にも精神的にも高い能力をもっていたからです。今われわれが用いている科学技術のなかで、どこか人間は進化したように見えるのですが、実際はより高度な人工物が溢れているだけです。

 科学技術を捨てることができないのは、われわれが退化したがゆえであるともいえます。社会は、いまや巨大な科学技術とそれに基づいた市場なくして、生きられないのです。都市が突然機能停止するなら、人間は暴走し収奪しあうでしょう。彼らには、作物を育てる技術も、木の実をとる技術も、火をおこす技術もありません。

 とすれば、やはり科学技術の放棄ではなく、科学技術の利用について、より正しい方向性を考え、導いていくほかないといえます。

 こんにちは。

 人間の幸せは科学技術の発展とイコールではないのではないか、ということですが、もちろんつながりません。正確には、第1に、物質的豊かさは満たされることは、精神的豊かさを満たすことにはならないということです。
 第2に、科学技術の進歩には、たえずマイナスの要素がつきまといます。具体的側面でも、思想的側面でもそうです。こういうのを専門的には、「逆機能」と呼びます(社会学)。

1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になった...続きを読む

Q日本人の労働時間は、なぜ減らない?

パソコンや携帯など、便利な道具は増えたのに、なぜ日本人の労働時間は、減らないのですか?

少し前のデータですが。

2011年の日本人1人あたりの総実労働時間は平均1728時間、英国(1625時間)、フランス(1476時間)、ドイツ(1413時間)、などに比べると長時間労働が依然続いている。オランダ(1379時間)に比べると、実に349時間もの大差となる。一方、2011年の日本の労働時間1時間あたりの生産性は41.6ドル。米国(60.2ドル)、フランス(57.7ドル)やドイツ(55.8ドル)に比べて、日本は生産性が著しく低い(数字はいずれもOECD調べ)。これは、長時間労働→疲労の蓄積→生産性の低下、という世間一般の常識にも適うものである。

日本人は、マスコミや役人に洗脳されて搾取され続けるしかないのでしょうか?

Aベストアンサー

政治も行政も、企業の味方ですから。

Q無能すぎてできる仕事がない場合。

※長文です。

25歳、女です。

能力が低すぎて、これからどの方面にすすめばいいのかわからなくなりました。


新卒で入社した小売業(スーパー)では、
仕事に時間がかかりすぎて、いっぱいいっぱいでした。
終電に間に合わず、タクシーを使ったり(自費)、泊まり込んだりしていました。

ただ、会社というか、業界自体が長時間労働は当たり前だったので、
そのことについてはあまり責められずにいました。

実際、優秀な人も、そうでない人も、100時間越え残業は当たり前でした。
残業の中身が違うかもしれませんが・・。

周囲から努力は認められていたのですが、数年後、バイヤーなり店長なりを任されたとして、
今より忙しくなったとき、やっていく自信がなく、リーダーシップもないので、約3年で退職しました。




そして今年、事務の正社員として採用されましたが、試用期間2週間で辞めてしまいました。
一切パソコンを使用しない、手書き伝票などを書く事務でした。

チェック項目が複数あり、さらに得意先や商品などによって記入のパターンが複雑に変わる為、
何度もミスしてしまいまいました。

業務メモも見て、間違えないようにしようとするも、
ひとつに注意すると他の項目で間違えるという有様でした。

仕事を教えてくれない会社もある中で、
2週間、隣に椅子を持ってきてずっとつきっきりで指導してくださった先輩や上司をひたすら苛立たせてしまい、毎日怒られてしまいました。

直属の上司は、辞めると告げた時笑顔になって当たりが柔らかくなったので、本当にストレスをかけさせてしまったのだと思います。


販売が無理で、事務が駄目となると、次はどうすればよいのか、わからなくなりました。

保育士や介護などは、学生時代のボランティアで、まったく接し方がわからず、
すぐに馴染んでコミュニケーションを成立させていた同級生を見て、向いていないのが判明しています。

私としては、もう一度、違った形の事務に挑戦してみて、それが出来なければ、バイト生活で暮らすしかないと思います。

しかし、若いうちはよくとも、年を取ると仕事がないから何か技能を身に着けて正社員でがんばるのが一番いいとも思います。

仕事ができない人は、どのように働けばよいでしょうか?

※長文です。

25歳、女です。

能力が低すぎて、これからどの方面にすすめばいいのかわからなくなりました。


新卒で入社した小売業(スーパー)では、
仕事に時間がかかりすぎて、いっぱいいっぱいでした。
終電に間に合わず、タクシーを使ったり(自費)、泊まり込んだりしていました。

ただ、会社というか、業界自体が長時間労働は当たり前だったので、
そのことについてはあまり責められずにいました。

実際、優秀な人も、そうでない人も、100時間越え残業は当たり前でした。
残業の中身が違うかもしれませんが...続きを読む

Aベストアンサー

>仕事ができない人は、どのように働けばよいでしょうか?

まず、質問を読んで感じたのは、
「自分は仕事ができない。」「能力が低い」と思い込んでいる
点がまず誤りです。

見た感じ、販売もできれば、事務もできそうです。

会社には会社独特のルールや文化があって、
まずはそれに慣れるほうが大変なんですか。
前の会社の事務だってそうです。
複雑怪奇なルールがわからないからと
自分の能力を卑下することはありません。

販売だって長時間の残業に耐えたり、
それを当たり前と受け止めるあたり、
仕事の素養はあるんですよ。

大切なのは、「その仕事が好きになれそうか」
「一生続けられそうか」「会社の人間関係は良好か」
を見極めて、行けそうだと思うなら、
しんどかろうが、つらかろうが3年くらいは続けることです。

そういう意味では、最初のスーパーはよかったし、
辞めたのも正解です。

多少、給料が安くてもバイトよりも正社員でとってもらえるうちは
正社員でいったほうがいいですよ。
大切なのは一生続けられそうな仕事をみつけることです。

大した能力はなくても会社の生き字引でその人がいないと
会社が回らないみたいな人はたくさんいますよ。
とにかく一番大切なのは辞めないことです。

それと、女の子は仕事の出来不出来ももちろん大切ですが、
ほがらかで、明るくて、元気で、少しくらいの失敗なら
大目にみてあげたくなるような子のほうが長生きします。
あまり、ネガティブに考えすぎないほうがいいってことです。

>仕事ができない人は、どのように働けばよいでしょうか?

まず、質問を読んで感じたのは、
「自分は仕事ができない。」「能力が低い」と思い込んでいる
点がまず誤りです。

見た感じ、販売もできれば、事務もできそうです。

会社には会社独特のルールや文化があって、
まずはそれに慣れるほうが大変なんですか。
前の会社の事務だってそうです。
複雑怪奇なルールがわからないからと
自分の能力を卑下することはありません。

販売だって長時間の残業に耐えたり、
それを当たり前と受け止めるあたり、
仕事の...続きを読む

Q科学が進歩した例を教えてください!(急ぎです!)

こんな時間ですが急ぎでお願いしたいです!すみません!
他にもこのような質問はいくつかお見かけしたのですが、私が理解できなくて、分かってないのにまとめとして提出はできないので、わかりやすくお願いします・・・!

このレポートでわたしにとってのわかりやすいかなと思うのは、
こんな科学が発展したから、こんなことが可能になったよ!のような感じです。
たとえば医学が発展したから救える命が増えました、のようなものです!
できれば細かくお聞きしたいです・・・!

わかりにくい文章で申し訳ないです!
回答お願いします!!

Aベストアンサー

ちょっと長く書きます。
科学の進歩というのは、複層的なものです。

たとえば、印刷という技術は1450年グーテンベルクが印刷機を発明し、本を大量に安く作れるようになりました。本を安く大量に作れる、ということは、それまで本を読んだことがない人達も読めるようになったわけですが、本を読んだことが無い人たちは、そもそも「文字が読めない」のです。

本が大量に印刷された後、何が起きたかというと、聖書が大量に印刷され、各地の教会で配られ、特に若い世代を中心に聖書を使って文字を読む、ということが行われました。つまり15世紀を境にしてヨーロッパでは識字率が向上し、それが大航海時代に海図を読んだり、天測したりという人々を大量に作りだし、その後の植民地支配時代の幕開けとなっていったのです。

現代でいえば、面白いのはコピー機です。特に日本や中国の漢字文化圏ではコピー機の登場はパソコン並みの威力がありました。
元々、英語などのアルファベットを使う国では、文章をコピーするのはそれほど難しいものではありませんでした。タイプライターがあるからです。昔の手打ち式のタイプライターは女性の花型職業で、文章をコピーするためにはカーボン紙を神の間に挟んで打つことで、3枚から5枚ぐらい複写できたのです。
一人が最初の原稿を5枚一度に打ってコピーし、次に5人で5枚打てば25枚のコピーが2回の手間で出来てしまいます。しかし、日本語のように漢字を使う国はどうしようもありませんでした。

それが変わったのがコピー機です。コピー機のおかげで自由に資料を複製することができるようになりました。FAXも同じように使えるため、今でも日本の会社にはコピーとFAXがあるのが普通です。
外国から見ると「これだけITが進んでいる日本でなぜFAXがまだあるの?」と驚かれるのですが、日本語(漢字)の都合上、パソコンで打つだけではダメな時がたくさんあるのです。
ああ、これは、技術の進歩というより、文化的な限界のほうですね。

じゃあ、もう一つ人工衛星について、
人工衛星の技術の最初は、戦争中にドイツが開発したV2ロケットにあります。このロケットはドイツからイギリスまで飛んで攻撃できるため、ドイツが開発しドイツの敗戦後は技術と技術者がアメリカとソ連(ロシア)に移っていきました。戦後、アメリカとソ連が宇宙競争できたのは彼らドイツ人が居たからです。
このロケットの能力を高めると、宇宙まで飛んで行けるわけで、まず人工衛星を運ぶ技術ができたわけです。

次に人工衛星のアイデアですが、これはアーサー・C・クラークというSF作家が考えだしています。この人のおかげで人工衛星を使った国際通信などができているわけです。

逆をいえば、人工衛星を使った通信はアイデアが先にあって、技術があとからやってきました。パラボラアンテナ(お椀型のアンテナ)は人工衛星に使うために開発されたのが最初です。
これによって、国際間の宇宙中継ができるようになり、日本で初の人工衛星を経由した国際中継はアメリカからのものでした。実はこれにはエピソードがあり、日本初の国際宇宙中継はケネディ大統領暗殺シーンだったのです。

今では、どこでも誰でも地球の裏側の出来事が見られるようになっていますが、日本での最初はかなりショッキングなものだったのです。

あ、そうそう、実は「地球が青い」というのはガガーリンが宇宙遊泳してから初めて分かったことです。人々が「青い地球」を知ったのはもっと遅く、アポロ計画で月から地球を撮った写真が公開されてからです。有名なアニメである鉄腕アトムには、このアポロ以前の地球が出てきます。白黒テレビの時代の鉄腕アトムの最終回、アトムが原子爆弾を太陽に投げ込むのに地球を振り返ってみるのですが、まだアポロ計画以前だったため、なんとなく青く塗られたボールで表現されていたのです。

つまり、技術の進歩というのは、最終的に人類の知覚を変えてしまうのです。最初に書いた印刷は「誰でも文字が読める」という変化をもたらしました。これによって誰でも文字で遠くの人でも意思疎通が可能になったわけで、今のインターネットやLINE並みの大変化だったといえます。

また地球の姿を多くの人々が見たことで、戦争の規模が縮小された、という意見があります。「宇宙船地球号」という取替の効かない星に私たちは住んでいるのだ、という意識が芽生えたと言われています。昨今の温暖化問題に対する意識も「青い地球」という意識が下敷きになっているのです。

この意識の変化を支えているのが、技術です。

ちょっと長く書きます。
科学の進歩というのは、複層的なものです。

たとえば、印刷という技術は1450年グーテンベルクが印刷機を発明し、本を大量に安く作れるようになりました。本を安く大量に作れる、ということは、それまで本を読んだことがない人達も読めるようになったわけですが、本を読んだことが無い人たちは、そもそも「文字が読めない」のです。

本が大量に印刷された後、何が起きたかというと、聖書が大量に印刷され、各地の教会で配られ、特に若い世代を中心に聖書を使って文字を読む、ということが...続きを読む

Qなぜ劇的な技術進歩で生産性が向上してるのに労働時間は劇的に減らないのか?

子供の頃から疑問に思っていたことなので、質問させていただきました。


同様の質問がちょうど、10年前(2007年)にこの教えて!gooにあり
それがとても話題になり、たくさんの回答がついて
興味深く読ませていただきました。

なぜ劇的な技術進歩で生産性が向上してるのに労働時間は劇的に減らないのか?

この疑問に対して、
前回2007年の回答を参考にさせていただいて
・社会全体は豊かになっている。事実、労働時間も少しは減ってる。
 →昔の貧乏より、いまの貧乏のほうが豊か
・人の中流意識が平均を保ちたいと願うから、余剰になった時間も労働し、稼ぐことを選んでる
 →"数十年前の普通の生活=現代では貧しい生活”を受け入れたくない
・機械やシステムなどの生産性向上で失業する人が出、一方で勝ち残って豊かになる人が出る
 →格差増大

などが分かり、とても納得しました。

一方で、10年前よりも現在の2017年は状況も変わり、
技術的にも社会制度的にも大きなトピックが出て
前回の議論では語られてなかったので
改めてみなさまの考えを聞かせていただけると助かります。

一つは技術革新として、ディープラーニングを始めとする第三次人工知能ブームも起こり
AIでの囲碁・将棋戦や自動運転車が台頭し、AIが人間の仕事をやってくれる可能性を真剣に議論されてます。*もっとも、”AIが人間の代わりに働いてくれる!”という楽観論調ではなく
”AIが自分の仕事を奪って失業する・・”という悲観論調ですが(^_^;)

さらに社会制度に関しても
【ベーシックインカム(BI)】(政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想)が新聞に出るようになりました。

BIは欧州で試験的に導入され、一部の政治家が政策としてたり、
経済界でもホリエモンさんや
経済評論家の山崎元さんが支持するなど、

”労働時間どころか 働かなくても生活できるようになる!”

という可能性が現実味を帯びてきてます。

なので、

今回質問させていただいた

Q.なぜ劇的な技術進歩で生産性が向上してるのに労働時間は劇的に減らないのか?

という疑問に対して、

個人の いまの感想としては

A.待っていれば、そのうち実現するのでは?
(でも、早く実現するためにはどうしたら良いの?) と漠然と思ってます。

実現する方法は
ベーシックインカムは可能性の一つだと思いますし
技術的特異点というのもその可能性の一つかもしれません。

他にも別の可能性があるかもしれないです。

一方で、
 「いやいや、労働してこそ人間らしい生活だ。
  働かなくなると人間、ダメになる。社会として成立しない」というご意見の方も
いらっしゃるかもしれないです。

みなさんはどのようにお考えですか?

いまの私の考えだと漠然としすぎてるので
みなさんのご意見を聞かせていただいて参考にさせていただけると助かります。

子供の頃から疑問に思っていたことなので、質問させていただきました。


同様の質問がちょうど、10年前(2007年)にこの教えて!gooにあり
それがとても話題になり、たくさんの回答がついて
興味深く読ませていただきました。

なぜ劇的な技術進歩で生産性が向上してるのに労働時間は劇的に減らないのか?

この疑問に対して、
前回2007年の回答を参考にさせていただいて
・社会全体は豊かになっている。事実、労働時間も少しは減ってる。
 →昔の貧乏より、いまの貧乏のほうが豊か
・人の中流意識...続きを読む

Aベストアンサー

実は「○○が人の仕事を奪う」というのは産業革命以降なんども言われてきていることなのです。

「チャーリーとチョコレート工場」という映画がありますよね。ジョニーディップ主演の物は実はリニューアルで、オリジナルは1971年製作の『夢のチョコレート工場』になります。この映画は「機械化によって仕事を奪われた労働者」が隠れた主題なのです。

つまり1970年代(実をいうともっと前)から「○○ができたので、仕事がなくなる」とずっと言われ続けており、事実、仕事は無くなっています。たとえばコピー機ができる前はタイプライター係がたくさんいて文書をタイプで量産していましたが、今はそういう仕事はないわけです。
 でも、結局は別の仕事が生まれて、仕事の量そのものが減るわけではない、ということが繰り返されてきたのです。

私はAI革命で混乱はあるにしても、結局新しい仕事が生まれてくると思っています。

では、なぜ仕事そのものが減らないか、というと答えは「資本主義の体系では、富を生み出す活動(生産活動)に従事しない限り賃金を得られないから」です。

簡単にいえば、仕事をしないとお金をもらえない、ということです。

資本主義の世界では、投資家は儲けるために投資を行い、その結果社会の富が増大します。そのやり方から言えばAI化は「富の増大のためにAI化に投資する」ということになります。AI化すればその仕事に人は要らなくなりますので、AI化した職場で働く人はいなくなり、そこから発生する富を受け取る労働者もいなくなる、ということです。

そうなると労働者はほかの仕事に就くしかありませんが(これが無くなることもないでしょうが)、投資家は従業員の数や給料を少なくして利益をあげるわけですから、結局労働者はいつまでたっても「仕事をしなければお金を稼げなくて生活できない」ということになります。
 さらに言えば、仕事をしない人が増えれば、いくらAIが大量の生産品を作っても売れない、ということになります。

ですから、今の仕組みのままでいけば仕事が少なくなることはありえず、労働時間も短くならない、わけです。今の仕組みで労働時間を少なくしたいなら、会社が利益を削って(労働時間が短くなれば結果として利益は減少する)時短を行うか、税収を上げて、ベーシックインカムをするかないわけです。

ですからもし「労働時間を短縮しつつ、生活が成り立つようにする」ようにするなら、別の方法が必要になります。場合によっては資本主義が終わるような流れになるかもしれません。

たとえば、どこで見たかは忘れましたが「産業ロボットを個人資産にしよう」というアイデアがあります。もし、あらゆる労働に耐えられる汎用ロボットができたなら、ひとりに1台、生まれた時にロボットを資産として渡す、というアイデアです。
これをすれば、自分の代わりにロボットが働いて自分に生産された富の一部が入ってきます。つまり投資というか本来人間が持っている「労働力」という個人資本をロボットで代替えしよう、ということです。

これがうまく行けば、それほど豊かではないがロボットの稼ぎだけ自分はバックパッカーとして世界を回るユーチューバーで有名になるとか、自分は勉強して医者になってロボットの稼ぎよりもよいとか、そういう選択肢が生まれるかもしれません。

とにかく、富の生産に自分個人が関わらなければ、生活費が作れない、と社会構造を変えないと労働時間の短縮はムリでしょう。

実は「○○が人の仕事を奪う」というのは産業革命以降なんども言われてきていることなのです。

「チャーリーとチョコレート工場」という映画がありますよね。ジョニーディップ主演の物は実はリニューアルで、オリジナルは1971年製作の『夢のチョコレート工場』になります。この映画は「機械化によって仕事を奪われた労働者」が隠れた主題なのです。

つまり1970年代(実をいうともっと前)から「○○ができたので、仕事がなくなる」とずっと言われ続けており、事実、仕事は無くなっています。たとえばコピー機ができ...続きを読む

Q日焼け後で、皮がボロボロ取れている最中ですが、早く皮が全部とれるには?

非常に日焼けをしたのですが、やっとほてりも収まったところで、顔の皮がボロボロ取れ始めてきました。
「これは皮が顔のほとんどがむけるな」とは分かっていたのですが、顔が水虫みたいな皮がまだらに細かくむけ、その無数の細かくむけた皮が全体的にみると顔が白く見えてします。
ローションを塗ると、その白く見えるの直るのですが、すぐに乾燥してまた、白くなります。
要するに早く全部の皮がむければいいのですが、
お風呂で、体を洗うヤツでゴシゴシやれば全部取れそうですが、なんかヒリヒリしそうで、かつ、真っ赤になりそうで恐いです。
何かいい方法ありますか?
それともやはり、我慢して自然にボロボロ取れるのを待つしかないですか?
3日後には何とか見れる顔になっていたいのですが・・・

Aベストアンサー

こんにちは、

皮がむけるというのは日焼けで皮膚の表面の細胞が死んでしまったカスということですから、新しい皮膚の細胞が再生しないことには話しになりません。

むりやり皮をはがすと、皮膚が再生しきっていないので、赤くなったりひりつくのは仕方ないです。
なので無理やりはがすのは厳禁。
できることは少しでも皮膚の再生が早まるようにケアすることくらいかなあ。

私なら、できるだけ刺激のない敏感肌用や無香料の乳液や美容液、クリームでしっかり保湿をこころがけます。とりあえずメーカーブランドといません。男性であれば、ドラッグストアなんかにあるニベアなんかでもいいともいます。

やけた肌は極端に乾燥していますから、ローションだけだと水分だけなのですぐに蒸発してしまします。
ローションの水分を閉じ込めるためにも、そのあと乳液やクリームでふたをするようにすると効果も違います。

乳液タイプのほうがのびがよいので使いやすいかもしれませんね。乾燥を感じたらマメにぬるようにしてやると、新しい肌の保護もかねるので古い皮がはがれるのが早まると思います。

もちろん、お風呂あがりは肌がやわらかく特に敏感になっていますので、乾燥を感じる前にローション、乳液でのお手入れは忘れないようにするといいと思います。
もし、ごしごししたくなったら、乳液をたっぷりつけてマッサージするように手でやってみてください。もちろん、体洗うタオルなんか使わないで下さいね。
皮膚が乾燥しているはずなんで、一回たっぷりやっておくと粉ふき状態が改善されると思います。

こんにちは、

皮がむけるというのは日焼けで皮膚の表面の細胞が死んでしまったカスということですから、新しい皮膚の細胞が再生しないことには話しになりません。

むりやり皮をはがすと、皮膚が再生しきっていないので、赤くなったりひりつくのは仕方ないです。
なので無理やりはがすのは厳禁。
できることは少しでも皮膚の再生が早まるようにケアすることくらいかなあ。

私なら、できるだけ刺激のない敏感肌用や無香料の乳液や美容液、クリームでしっかり保湿をこころがけます。とりあえずメーカーブ...続きを読む

Q生きるのが面倒です。

 正直、あまりにも人生がついてなくて生きるのが面倒です。
 自分の人生は終わっているように思っており、
 いっそ人生のジョーカーである殺人・自殺のカードを切ってしまおうかと思ってしまうほどの自分の中では絶望レベルです。
 親はそんな自分に「もっと辛い思いをしても頑張っている人もいるんだから」としか昔から言いません。
 そこで思ったんですが、不幸な人の例として例えば不幸な事故・犯罪の被害者となり自分の人生で大切なものを失った人は何の為に生きているんでしょうか?。
 先日、殺人事件で娘を失い時効を迎えた遺族の方がドキュメントで取り上げられていました。その方は「あの時に自分の人生は終わってしまいました」と言っていました。
 彼女は何の為にこれからの人生を送ればいいのでしょうか?。何のために生きているんでしょうか?。ただ延命のためでしょうか?

Aベストアンサー

目的や大義が無くても、人というものは生きてゆくものだ。
それは、動物だから。

動物ではなく、人として、目的のある人生を送りたいのに、その目的というものが絶望的に存在しないし、今後も発生することも考えがたい、という場合もある。

だから、1年間に3万人も自殺者がいるんだよ。この国には。
自殺を否定したところで始まらない。
現実がそれを追認しているのだから。

だから「自殺しろ」といっているわけじゃないよ。

わたしだって、既に目的を失っているけど、生きている。
実は、一回自殺を試みて、失敗してしまったのだ。
芥川龍之介の時代なら、薬だけで簡単に死ねたんだろうけど、今の世の中、極めて死ににくい。

こうなると、ある意味「敗者の生き方」だが、生きていること自体が目的なのかもしれないと逆転の発想をしてみることもある。
つまり、「手段」だと思っていたことが、実は「目的」なのじゃないかとね。
強引なのはわかっているが、そう思うことでしか慰められない。

例えは悪いのだけれど、順調に成長して、何の苦労も無く勇者になって、何の苦労も無くひたすらモンスター倒してゴールドにも恵まれて最強の武器をそろえることも容易で、最後の敵の大魔王まであっけなく倒すことが出来るようなRPGって、面白いのだろうか?
(そんなもん、クソゲーでしかない。)

なれば、現時体験として絶望的な不幸に見舞われてもゲームのリセットボタンを押さずに続行する勇気のあるゲーマーというのは、真のゲーマーではないかとも思えるのだ。

というのは、言い古された理想論だけどね。
現実はそこまで甘くない。

生きていれば、これまで想像も出来なかった何かの喜びを味わうことも出来る。
しかし、生きていれば、地獄の苦しみを継続して受けるだけかもしれない。
その差し引きでマイナスの方が多いと判断したら、人生やめちゃえば楽かもしれない。

ただねぇ・・・それは「かもしれない」という予想範囲に過ぎないのも確か。
どっちにベットするかは、本人次第だ。
リセットボタンは、自分が握っている。
自分が握っているからこそ、敢えて押さないというのも、人生だな。

目的や大義が無くても、人というものは生きてゆくものだ。
それは、動物だから。

動物ではなく、人として、目的のある人生を送りたいのに、その目的というものが絶望的に存在しないし、今後も発生することも考えがたい、という場合もある。

だから、1年間に3万人も自殺者がいるんだよ。この国には。
自殺を否定したところで始まらない。
現実がそれを追認しているのだから。

だから「自殺しろ」といっているわけじゃないよ。

わたしだって、既に目的を失っているけど、生きている。
実は、一回...続きを読む

Q人類が今になって発展した理由

人類の生活はこの何百年の間に急激に発展していますが、なぜもっと昔に今のように発展することができなかったのでしょうか?
紀元後2000年ほど経っていますが、紀元前にも何千年と月日は流れていたのですよね?
その昔の長い年月の間の発達の仕方と、ここ何百年の間の発達の仕方にすごく差があるのはなぜなのでしょうか?
その年月も含めて(人類の誕生から今まで)、それだけの長い月日がないと今の発展はありえなかったということなんだろう(徐々に発展していたからこその今)とは思うのですが、この急激な発展に比べ、昔の発展が緩やか過ぎる気がしてなりません。

フと思っただけの全くの素人の質問なので、説明の仕方や用語等の不備はすみません。
上のような疑問が解決できるようなHPがあれば教えてください。
もちろん、この場で回答していただければ嬉しいです。

Aベストアンサー

成長曲線、という言葉があります。

勉強にしても、習い事にしても、努力に対する成果の比例は一定でないというものです。はじめのうちは、努力に対する成果が乏しいのですが、努力が一定の地点に達すると(ディッピングポイント)、成果が加速度的に伸びて、ついには少ない努力でも大きな成果が出る状態に達してしまいます。

そういう意味では、人類進化の歴史もまた成長曲線だと言えます。
現時点から見た場合、ディッピングポイントは「産業革命」でしょう。

それまでは、何を生産・創造するにしても、人力の限界までしかできなかったのに対し、産業革命によって機械化された動力を得ることで、人力を超えた生産・創造が可能になりました。(=世界の中心が、人口が多いアジア・中東からヨーロッパに移るきっかけでもありました。)

この人力を超えた生産能力が富の集中を生み、富がさらなる技術革新をもたらし、技術革新が生産能力のさらなる向上をもたらす、という連鎖を起こし、加速度的に近代化されていきました。

それまでも、農業革命や、金属加工の開始、貨幣経済の発達、印刷技術の発明など、数多くの歴史的要因がその当時のディッピングポイントとしてそれまでと比べて加速度的な進化を遂げたことがありましたが、現在の私たちから見れば、それらは産業革命と比べると小さなインパクトになってしまっています。

ですから、もし昔の人たちが歴史を知っていたら「昔はゆるやかだったのに、ここ最近で人類は飛躍的に進化している」という、私たちと同じ感覚を持ったと思います。

ちなみに、21世紀にはいったあたりから、産業革命を発端とする進化の連鎖が以前ほど明確に現れておらず、歴史の変わり目になりつつあるような気がします。インターネットを始めとした情報の発達が国や地域の垣根をなくし、ここ数百年で蓄積された膨大な先進国の富が、国を越えて有望な地域への投資となり、結果としてアジア・中東・アフリカ・南米といった出遅れていた地域が、自力で近代化するよりはるかに早いスピードで成長しています。

欧米+日本に偏っていた富が、こうした流れで急激に地域間格差がなくなりつつありますので、次の進化モデルが始まったのかもしれませんね。(もちろん、副作用も多くもたらすのでしょうが、大局的に見て進化の方向に進んでいるのは間違いありません。)

成長曲線、という言葉があります。

勉強にしても、習い事にしても、努力に対する成果の比例は一定でないというものです。はじめのうちは、努力に対する成果が乏しいのですが、努力が一定の地点に達すると(ディッピングポイント)、成果が加速度的に伸びて、ついには少ない努力でも大きな成果が出る状態に達してしまいます。

そういう意味では、人類進化の歴史もまた成長曲線だと言えます。
現時点から見た場合、ディッピングポイントは「産業革命」でしょう。

それまでは、何を生産・創造するにしても...続きを読む

Qパソコンが普及したのに残業が減らないのは?

パソコンがこれだけ普及したのに、労働時間が減るわけではないのは何故ですか?

パソコンがない時代と比べて、革新的に
効率化が進んだはずなのに労働時間が極端に減った訳ではないのは何故ですか。
例えば、四十年前と比べてパソコンの処理速度や通信技術は目覚ましい発展を遂げてるのに、東京の満員電車の乗車率が200%越える現実は全く改善されていない。21世紀はロボットが代わりに働いてくれると思ってたのに普及してるのはお掃除ロボ位ですよね?

パソコンやネットは生活を便利にしつつも、仕事を増やしてはいないですか?

Aベストアンサー

大体皆さんの御回答で行き渡っていると思いますが、整理してみると、
・器械に使われていないか
・管理方式そのものが改善されたか
・便利になった時間が多売やコスト削減につながっているか
・密にあるいは迅速になった情報は経営管理の上で活かされているか
などに絞られてくると思います。

下々では、仕事の出来ない者がひまなだけです。

Q疑わしい場合は罰せず 痴漢は適用されない?

日本の犯罪は「疑わしい場合は罰せず」が原則なのですよね?
なぜ痴漢は女性の一方的な言い分が通り、冤罪が発生するのですか?

Aベストアンサー

”日本の犯罪は「疑わしい場合は罰せず」が原則なのですよね?”  
    ↑
ハイ、そうです。
無罪推定とも言われます。

罰することが出来るためには、犯罪事実を認定する
ことが必要ですが、その犯罪事実認定は証拠によって
なされます。

 刑事訴訟法317条
「事実の認定は、証拠による。」

その証拠の信用力をどう評価するかは裁判官が
決めます。

刑事訴訟法第318条
「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる」


で、裁判官が、被告が犯人かどうか判断できない
場合はどうするか、という問題が起こりますが、
そのときにこの
「疑わしきは罰せず」
が適用されます。

つまり、犯人かどうか判らないときは無罪にしろ、
罰してはダメ、ということです。

また、この原則は立証責任にも現れます。
被告は何もする必要はありません。
立証責任はすべて検察にあります。
こういう意味もあります。


”なぜ痴漢は女性の一方的な言い分が通り、冤罪が発生するのですか?”
    ↑
常に通るわけではありません。
通り易い、というだけです。
それに冤罪は痴漢だけではありません。
殺人だって冤罪はあります。

痴漢は、その性質上女性の証言が信用されがちに
なるのは確かです。
これは米国でも同じで、日本だけの問題では
ありません。
だから、米国の弁護士は、陪審員を女性にしたがる
のです。
女性は女性に厳しいからです。

”日本の犯罪は「疑わしい場合は罰せず」が原則なのですよね?”  
    ↑
ハイ、そうです。
無罪推定とも言われます。

罰することが出来るためには、犯罪事実を認定する
ことが必要ですが、その犯罪事実認定は証拠によって
なされます。

 刑事訴訟法317条
「事実の認定は、証拠による。」

その証拠の信用力をどう評価するかは裁判官が
決めます。

刑事訴訟法第318条
「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる」


で、裁判官が、被告が犯人かどうか判断できない
場合はどうするか、という問題が起...続きを読む


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