

人と人との関係 これは なくなったのでしょうか。この無関係というかかわりを死と言ったのですが われわれのあいだでは 死がひろがっているのでしょうか。
たとえば《こんにちは》と挨拶するとき それは 《あなたと わたしとは 無関係である。これからも かかわりを持とうとは思わない。その点くれぐれも よろしく願いたい》と言い交わしているのでしょうか。わたしたちは それほど魂が弱ってしまったのでしょうか。(あるいは 魂の問題ではないと言うべきでしょうか)。
いやいや 部分的な悪い事例を見ているだけだと言うべきでしょうか。あるいは もっと別の見方があるのでしょうか。
どうかよろしくご教授ください。
〔焦点ないしきっかけは 上のように あいさつ言葉や会話内容です。その表現の奥に秘められた意図・こころです。かかわりを持つという感覚(その意味でのたましい)が弱っているのかなといったことです。〕
No.7
- 回答日時:
近隣、親子、家庭、友人の関係がなくても、頼らなくても生きていかれるように、制度や設備、その他の条件が整ってきている事は否めませんね。
そして情報も付き合いをしなくてもちゃんと接することができる。
生きているだけなら、どんなに人を無視していても生きてはいられる。そういう生活でいいなら。
外面や、付き合いはしていても、本心がどうか、ということを問題にしなくても、されないで、生きていられる。
こういう状況は確かに、現代に限らず相当昔から、古今東西に現存していました。
現代は現代の姿をとって、こういう状況の現象が出てきているのですね。
だから、ちょいと昔の日本人の違った姿を、今の意識で編集しながら思い出すと、ご質問のような気持ちに私も、誰しもなるものですね。
膾炙している『日の下に新しきことなし』で、古くて新しい悩みですね。
そして昔も今も、義憤したり、慷慨したりすることもありました。
そして昔も今も、そういうことばかりではないので、社会も歴史も、何処の国や民族も継続してきました。
ちゃんと、魂で生きていかれるように、生きていくように心してお付き合いもしていきたいですね。みんなで。
ご回答をありがとうございます。
部分的な事例を 針小棒大に捉えてもいけない――ごもっともだと思います。
たぶん わたしがこだわったのは 本心を隠さない事例に接したからです。
わたしの姪が わたしの母であるかのじょの祖母を訪ねて わが家に来たとき わたしの在宅を予期していなかったらしく 鳩が豆鉄砲を食ったように きょとんとしています。その以前にも かのじょとわたしは ほとんど会ったことがなかったのですが いらっしゃいから始まって わたしが挨拶をしても きょとんとし続けています。ゆっくりしていくとよいと声をかけて 離れたのですが 二・三日 泊まっていったその間 ひとことも口をきかなかったわけです。・・・
外面も本心も ないのです。しかも どうしたのかといぶかったのです。身内の恥かも知れませんが とは言っても かのじょは 今は 外交官です。
というわけで 《義憤〔も〕慷慨》もなく 不思議であり ふつうに捉えるとすれば わたしから見れば 死んでいるのではないかという素朴な感慨です。
といった情況です。
死んだ振りでもないようです。その後 一度 わたしは かのじょと電話をとおして話をしたことがあります。ふつうに そして 過去に何ごともなかったように 話をしました。今は亡き母の言うには 《ほんと今の子は挨拶をしないっ》です。ほかに分析することもないようでした。・・・
事例が片寄っていますでしょうか。
No.6
- 回答日時:
こうやって対話するほうが気楽だから、気楽なほうへ人は誘われているということでしょう。
核家族化や経済構造ひいては家庭の変化などいろいろと問題があると思いますがコンピュータの世界をモチーフにして考えてみます。下記に述べられている、でも、バーチャル世界。バーチャルは仮想と日本語に訳されますが、もうひとつ"実質"とも訳されます。バーチャルリアリズム=仮想的現実=実質的現実
人と人とのリアルなやりとりではないデジタルを介した情報のやりとりであっても情報交換に違いありません。表情が見えないならWebカメラがありますし、声が聞こえないならデジタル電話などSkypeなどのツールもあります。ブログはWeb日記とは異なりインタラクティブ(双方向性のあるテキスト)ですし、本気でSNSを利用すれば人はつかれます。実質を伴うやりとりだからです。
Webだからこそ本気で語りあえる一面も否定できない。ようは考えようでデジタルでも十分に魂のやりとりに活用できます。均質化した情報社会とはいえ、自由に使うツールに過ぎないということを、認識するしかないでしょう。目的ではなくツールに依存しすぎたせいで、どっか精神的な面も支配された側面があるから"死んだ"ように感じるのではないでしょうか。
主体と客体が分離したと人々が思った時点で、
魂と魂の関係は分離して、
"死"を意識するようになったのだと思います。
ご回答を有難うございます。
むつかしいですね。――《ようは考えようで》である。社会的動物である人間の自然本性が変わったわけではない。少なくともそういうふうに変わったと見るのは 時期尚早である。・・・
ほかの方のご回答にも 《日の下にあたらしきもの無し》との見方が示されていました。
これは むしろNo.3までの方がたのご回答に対してわたしが感じお応えした内容なのですが――つまりその意味で 同感する方向にあるのですが―― このことを全面的に提示されると 一歩 わたしは引いてしまいました。何故なのかと考えて むつかしいと思いました。
ううーんと一息つかせてください。特に反論も出ないのですが もう少し――どうなるか分かりませんが――考えさせてください。
《どっか精神的な面も支配された側面があるから"死んだ"ように感じる
《主体と客体が分離したと人々が思った時点で、/ 魂と魂の関係は分離して、/ "死"を意識するようになった》
――このあたりが よく飲みこめていません。しかも感覚の問題でないのか そうなのか にわかには分析できずにいます。
細かくは 《主体と客体が分離》《精神的な面も支配された》 これらの実際がよく飲みこめていません。
中途半端になりますが。
No.5
- 回答日時:
私が以前「教えて!goo」に回答した文の一部を再録致します。
人間は所詮自分の持っているDNAには敵いませんから、日本人も結局は死んだりしないと思います。その根拠が、以下の文です。人間は犬と同じように、パックアニマル(仲間を作る動物)です。人間も犬も数百万年をかけた自然淘汰の結果、DNAの中に集団生活をしなくては落ち着いていられない遺伝子情報が書き込まれてしまったのでしょう。その点、猫は全然違います。
うちにはアキという雌犬がいます。このアキを見ていると、彼女を不幸にさせるのは簡単で、ただ、彼女の存在を無視すればいいのです。その反対に幸せにするのも簡単で、彼女の存在を認めてやればいいのです。彼女は、決して自分の欲望を満足させようなどとは考えていないらしく「ねえ、私って役に立つでしょう。あなたを喜ばせることなら、何でもしますよ」と言いながら私たち家族に近づいて来ます。こちらの要求で彼女が何かをしてくれた時に、「いい子だ、いい子だ」と誉めてやると、シッポを千切れんばかりに振りながら喜んでいます。アキが幸福を感じているのは、私がアキの役に立っているからではなく、アキが私の役に立っているとアキが感じているからでしょう。
昔は子供達に「大きくなったら人の役に立つ人間になれ」と教えていたものですが、戦後教育を受けた者達が親になってからは、「自分を大切にしなさい」と言って子供を育てるようになってしまいました。パックアニマルである人間はいくら自分を大切にしても、喜んでもらう対象が他者でなくて自分である限り、幸福感を味わえるものではありません。人間のDNAにはそんな遺伝子は組み込まれておりません。自分を大切にせよなどと教えるのは、犬に向かって「猫になれ」と言ってるようなものです。
聞くところによると、問題児を立ち直らせるのに、自分より年下の身体傷害児や親を亡くしたかわいそうな子の面倒をみさせる方法があるそうです。その子のいわゆる兄や姉の役割をさせるのです。問題児は自分を慕い頼ってくるそのかわいそうな子の面倒をみているうちに、自分の存在にも意味があり、人の役に立つことが出来ることもあるのだと認識し始めます。そして自分に自信を持つようになるそうです。
以上が、以前私が載せた文と大体同じ内容です。
「私は貴方の邪魔をしないで生きて行くから、貴方も私の邪魔をしないでくれ」という言葉を良く聞きますが、これは人間とは何かをまだ理解できない中学生や高校生のレベルの未熟が頭が、論理なるものの存在に目覚めた頃に出て来る、全世界のティーンエージャー達がに共通に言い出す幼稚な言質です。邪魔しないとか迷惑を掛けないとか言いますが、人間はそこに存在するだけで必ず他の人の迷惑になっているのです。もし上の言質の通りだったら、「私は貴方の迷惑にならないために死にます」と言って、精神的にではなくて肉体的にほんとうに死んだ日本人にならなくてはなりません。
ですから、人間とは何かを理解した人の言質は正しくは「お互い迷惑を掛け合って生きて行く他に手はないのですから、その迷惑を何とか楽しい方向に持って行くようにして、お互いに協力しあって生きて行きましょう」です。迷惑を掛け合いながら自分とは違った個性の存在を認め「和して同ぜず」なら、孤独感や疎外感を味わわずに生きて行けます。もちろん、言うは易く行い難しですが。
ご回答をありがとうございます。
もうかなり昔だと思いますが 個人主義ということをよく言ったりする人が 時々 見受けられました。これは 《「私は貴方の邪魔をしないで生きて行くから、貴方も私の邪魔をしないでくれ」》と字面では同じですが その当時においては けっきょく 共同体生活における悪い側面としての馴れ合いに対して 批判し拒否しているということでした。つまり――わたしの見かけたそういう人びとに限れば――大筋ではおっしゃるところの《「和して同ぜず」》を 目指していたと考えられます。
ですから 《「自分を大切にしなさい」》という標語が 日本人をだめにしたというご趣旨だと受け取りましたが これが《同ぜず》の側面に重心があるのではなく 《ただ自分がかわいい》だけの幼稚な思想だとすれば おっしゃるとおりのことなのだと思います。
つまり どうなのでしょう?という含みになりますが。つまり 今 にわかにはわたしに判別がつきにくいように思うという意味ですが。つまり そのように主張される側面が事実としてあるようにも思うということにもなりますが。・・・
これだけでは お応えとして 人情味が薄いという自責の念がはたらきました。それで むしろかえって ちょっと毒づくようにお尋ねしてみようかと思います。
もし《DNAには適わない》のでしたら ちょっとやそっと《「自分を大切にしなさい」と言って子供を育てるようになってしま》っても ゆくゆくは 放っておいても またそのDNA法則に従った人間とその社会生活に戻るという見通しになりますでしょうか。
(初対面の人に対してですので 中毒を起こす気遣いはないようにと表現したつもりですが そうは言っても もともと わたしは 心はよいのですが 口がわるく出来ています。そこのところ くれぐれも あしからずよろしくお願い申し上げます)。
No.4
- 回答日時:
ANo.2です。
縁側の論理はとても共感を得ますね。
しかし、それはたまたま出来たものでもなく
文明や情報化社会がもたらす
必然性だと私は考えます。
それは現代人の持つ「魂」が
相対的に弱体化したのではなく
縁側理論で言うところの「雨」が
相対的に強力化したことに由来すると
思うからです。
それはあなたの言う
共同体のホンネとタテマエとの使い分けの
崩壊をもたらすということにもつながります。
「雨」強力化してホンネとタテマエとの使い分けが
機能しなくなった。
建前では「先生や親の言うことを聞いて勉強がんばるのよ」と
言われた子供は、本音の部分では「教師は痴漢や汚職をして
親は外で不倫をする。」と言うことがネタバレしてしまった
現代社会では建前はなんの効力も持ちません。
そういう意味で昔の共同体は情報が未発達な分
建前がうまく機能しており、
教師は聖職としてあがめられ、
父親は家長として威厳をもっていられました。
まあ、どちらが健全な世界かどうかは
別の議論となると思いますが・・・
くれぐれも参考まで
ご回答をありがとうございます。
ホンネとタテマエや オモテとウラの使い分けが それとして 今でもはたらいていると思ったのは わたしの見方が甘かったようです。
昔もそれとしてずる賢さがあったので 今も ちがった情況においても また死んだ振りをしていても したたかに生きていくのかなと単純に思いました。
そう言えば 《ネタバレ》したあと とうとう 開き直る人びとが出て来ましたね。人生も会社も公約も何もかも いろいろだから 目くじらを立てなさんなと。これが 通りました。・・・
でも考えようによっては すべてがネタバレし 情報があまねく行きわたる情況でのほうが もう心配もなくなり 人と人との交通も ざっくばらんに行けるとも 思われて来ます。ううーん これも甘いのかなぁ。・・・
《まあ、どちらが健全な世界かどうかは / 別の議論となると思いますが・・・》と締めくくられているとおりなのかも知れません。・・・
No.3
- 回答日時:
広がってはいますが、そのことに気がつかれた方もいるようで、「絶滅」まではいかないようです。
戦後、「楽」を追及した日本人は、あらゆる機械を生産してきました。
それを、「楽」をするために使いすぎた日本人は「ロボット人間」になってしまったようです。
いつのまにか、「人のあら捜し」をして喜び、悪口を言いながら「自分だけは悪くないといいながら何もしない」人間になってしまったようです。
漢字や、年表、公式などの「記憶力」だけを重視してきた「教育」の問題でもあるようです。
「人間らしく生きること」・・・会話をし、笑い、泣き、他人の痛みをわかり、他人を助け、他人と協力し、創造してゆく。を教える教育のありかたを考え直してほしいものです。
「エスカレーターを階段のように上る大人たち」が、「ルールを守る」ことの重要性に気がつかないとだめですね。
小さなことからの改善が広がれば、「死」は防げると思うのですが。
ご回答をありがとうございます。
教育には 一にも二にも 賛成です。子どもたちの共同自治を進めて欲しいとさえ思います。
人は楽を欲し たしかに便利になったせいで 自然の感覚を呼び覚まされるようなことが少なくなってきた。ゆえに 人と人との交わりも希薄になった。――もっともだと言わなければならないかも知れませんね。
《「絶滅」まではいかないようです。
《小さなことからの改善が広がれば、「死」は防げると思うのですが。》
――このようにお聞きすると たしかに新しい時代と社会も来るのかも知れないと思いました。
《小さなことからの改善》 これを重ねて引用させていただきつつ。
No.2
- 回答日時:
文明や情報社の進展と共に
あなたの言うように
人間の「魂」が疲労しているのかも
知れません。
社会性動物としての「人間」にも
共同体、準拠集団への帰属主体しては
既に「死」を迎えつつあるのかも
知れません。
それらの「魂」は「霊魂」となって
仮想空間へとその行き場を求めます。
それがセカンドライフなどの
仮想空間であり、この教えてgooなのです。
人は人との関わり合いを求めながらも
人との関わり合いに傷つき人を拒絶する。
俗に言うヤマアラシの論理が
そこいらで蔓延し
殺しあってるのかもしれませんね。
くれぐれも参考まで
ご回答をありがとうございます。
No.1へのお礼欄に一般的な感想とお応えを書かせていただいたのですが matrix256さんのおっしゃるところでは
人は人との関わり合いを求めながらも
人との関わり合いに傷つき人を拒絶する。
というご指摘に注目しました。つまり 《関わり合いを求め》ているという事態です。
《まだ》と言うべきなのでしょうか 《求めている》のなら 何かがきっかけになり 何らかの新しい事態につながるかも知れないと思ったりします。
思えば 共同体の時代は終わったとは よく聞かされたものです。もうあまり言わなくなっているということは ほんとうに終わったのかも知れません。
共同体としての生活にも けっこうホンネとタテマエとの使い分けはありましたので 全体として また 新しい時代が それとして拓けるかとも思われるのですが。
《人びとは 素朴な人と人のつきあいに 疲れていて それは死を迎えつつある》という側面も あってこそ 新時代が拓けるというものなのでしょうか。(わかりませんが)。

No.1
- 回答日時:
ネットやメールが浸透してきたせいか、リアルでの人との付き合いや挨拶などは、若い世代から希薄になってきていると感じます。
ご回答をありがとうございます。
三人の方のご回答(No.1~3)を読ませていただいて 共通に思ったことは 縁側の論理です。
昔は 畳の和室で 外に対しては 雨戸をもって閉めるわけですが その外との間に板張りの縁側がありました。部屋の障子を開けると 縁側があり 雨戸のすぐ内側にはガラス戸があって 外とは そのように一定の緩衝地帯をもって隔てていました。
現代人は 人間関係からの雨を凌ぐためなのか 人とのあいだに 何らかの縁側を うまい具合いに こしらえたと言うべきなのでしょうか。つまり おっしゃるように ヴァーチャル世界が あたかも 人と人との仲人となっているのでしょうか。
このように 緩衝器というのでしたら まだ 分かるような気もしますが。つまり 一休みなのだという状態として。
ただ 年取った人びとのほうから そのように仲介物を必要とし始めたというのでなくて 若い世代から このクッションを必要とするようになって来ているというのは どうなのでしょう?
つまり それでしたら 初めから――子どもの頃から(?)―― 人と人との膝突き合わせての直接の交わりを経験していないということなのでしょうか。(わかりませんが)。
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