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自分もですが、周りの知り合いも、
「何かを見てなら描けるけど、何も見ずになんて風景画もイラストも描けない(汗)」
といった人が多いです。
どうしたら想像で絵を描けるようになりますか?

あと、社会人にもなると仕事に追われて中々絵を描く時間て取れないと思うのですが
(絵を仕事にしている方等は別です)、
絵を仕事にしていないけど日頃絵を描く習慣のある方、
いつそのような時間を取ってますか?

絵を描ける人=時間・余裕がある人というイメージがあるんですが、
そういう人でなくても絵を描く機会を設ける事できますでしょうか?
考えてるんですけど思い付かないので、良い案があれば教えて下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

これは一種の才能で、私も分かりません。


私自身、イラストを描いてお金を貰っています、技術は高くないですけど、全く無いわけではありません。
ところが立体物を平面に描く、或いは平面的に描かれたもの、例えば漫画などを立体的に描くということが出来ないんですよ。
誰かがラフに描いてくれれば、それを見本にきれいに描くことは造作も無いです。

ところがうちの姉ですけど、美術の教師をしており、大学では油絵をやっていました。
見れば想像できるから、後はその通り手を動かせば描けると言いますし、クライアントとの打ち合わせに一緒に同席させると、話を聞きながら鉛筆でラフ画を描いていきます、私には出来ません。

それで周囲を見ますと、外科など手術をやる医者は可能です。
つまり耳鼻科にせよ眼科にせよ、外科手術は平面的な視野以外に、内臓の裏とか内側とかは、想像力で位置関係を把握して切っていきますから、これが出来ないと下手ということになります。
医学雑誌のイラストの打ち合わせに行くと、手術の上手な先生は大抵ラフ画をさらっと描いて説明しますが、下手な先生は口であれこれ言っているだけで、自分でもよくわからない人が多いような気がします。

体感的には、訓練半分、才能半分という気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
医者の話と関連付いた回答とは…。
想像してませんでした(笑)

お礼日時:2007/09/23 15:27

絵を仕事にしていない社会人です。



> 「何かを見てなら描けるけど、何も見ずになんて風景画もイラストも描けない(汗)」
> どうしたら想像で絵を描けるようになりますか?
私の場合は、記憶力と想像力で描いていると思います。
平面的にも立体的にも「変換(?)」できるので、デザイナーの知人はうらやましがります(ただし、デザイナーほど「正確」なものはできませんが)。
特に風景画は、あくまでも絵であって写真ではないので、現実と違っていても問題はないでしょう?
あとは、観察力だと思います。「見る」ことって大切だと思いますよ。

> あと、社会人にもなると仕事に追われて中々絵を描く時間て取れないと思うのですが(絵を仕事にしている方等は別です)、絵を仕事にしていないけど日頃絵を描く習慣のある方、いつそのような時間を取ってますか?
私にとって「絵を描くこと(私は手描き、パソコン両方します)」は、多数ある趣味の1つでしかないのですが、「時間があって描きたいときに描く」だけです。
社会人でもそんなに仕事に追われている人ばかりではありませんよ(笑)。
確かに、社会人になると休日以外は仕事ですし、残業もありますし、それによってお給料を貰っているので、学生よりは「拘束される時間」というものは増えます。
たとえ「休日」が定められていても、休日出勤や試験があったりします。
さらに、「家事労働に必要な時間」なんてものもあります。
ですから、なかなか時間を取ろうとしても難しいかもしれません。
でも、何とかなるものですよ。本当に描きたければね。

よく言われる「時間は作るもの」ということが正しいかどうかは分かりませんが、「まとまった時間がなければ描けない」と思っていたら、描けるものも描けないと思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答有難うございます。
上手く表現できませんが、とても参考になりました。
助かりました。

お礼日時:2007/09/23 15:28

●何故何も見ずに絵を描けるのか.......



 ひとつには日頃からの観察力と記憶力だと思います。何かを見たらきっと瞬時にそのものの姿や特徴などをしっかり頭の中のスケッチブックに描き込んでいるのでしょう。そして、何でも見て覚えておこうという積極的な意欲もまたそこにあるように思います。

 また、幾分かはモノの姿に関しての常識を理解している....といったこともあるでしょう。例えば馬がハードルを飛び越える際には前足と後ろ足は互いにくっ付く.....といったこと。これまで世に出た西洋の名画でも、ハードルを飛び越える馬は前足を前に伸ばし、後ろ足も後に蹴って伸びている.....といった大間違いで描かれているのですが。
 そこまでは行かなくても、4ドアセダンのクルマのドアはそれぞれのドアのどっち側にドアハンドルが付いているかご存知ですか....といったような決まりごと、こうしたことを沢山知っていればいるほど頭の中にあるイメージが正確になるものです。

 さらにもうひとつは、ひとえに訓練の結果.....でしょう。正しいプロポーションで描けるか、適度なパースペクティヴ(遠くのものが小さくなる描き方)を付けられるか、立体的に表現できるか、正しい陰が描き込めるか、あるいは三面図からその物体を立体として描くことができるか.....とか。こうしたことは、幾分かは持ち前の才能ということもありますが、訓練によってかなり確かになることは事実です。

 そうしたことで、頭の中にあるものを思い出しながら描こうとしたり、あるいは、まったく想像の世界のものを描こうとする時、あそこはこうなっていて、ここはこんな風になっていた.....とか、たぶんこうなっているだろう....などと、どんどん思い出しながら描き進めるのはとても楽しいことです。

●いつ描くのか......
 
 わたくしの場合、仕事はデザイナーですが、だからと言って一般の方々と基本的にはなにひとつ違いはありません。

 絵を何時描いているのか.....、小学校から大学まで学生時代には授業の間、ノートの端にいつも絵を描いていたものでした。人はそうした絵を「落書き」だと言いますが、自分にとっては無駄な落書きなんかではなく、絵のひとつひとつが自分の創造性の表現として、そして細密画の持つ美しさの表現としても、とても貴重なものに思えていたものでした。

 デザイナーとして社会に出たのちはイメージスケッチだとかレンダリング(完成予想図)などと、絵を描くこともまたまさに仕事のひとつです。それでもなお、ダラダラと続く退屈な会議の間などでは、手帳やメモ用紙に思いつくままの「落書き」をしたなるのです。その落書きがなにかのアイデアに結びつくということもなく、筆の運びの訓練になるとも思いませんが、なにかとても描きたくなってしまうから描くといった感じ、やはりそこには芯から描くことが好きといったことでもあるのでしょう。

 しかし、これがちゃんとしたまともな絵画、油彩であったり水彩だったり、そうしたやや本格的な絵ともなりますと、さすがに忙しい社会人の身とあってはなかなか時間をひねり出すのは難しいものです。ですが、本当に描きたいとなれば、ほかの何をさしおいても意欲的に描き始められるはずです。

 たとえば、水彩で風景を描こうというなら、もし、とても美しくて描きたくなるような場所まで移動していたのでは少なくとも休日も一日全部がそのために費やされてしまうことにもなるでしょう。しかし、そこまではともかく、今住んでいる街の風景だとか、お部屋に飾られた花束だとか、そんな身近なものから一枚の絵にする、そうしたことであればほんの1時間か2時間ぐらいなら誰でもなんとか時間を作りだせるはずだと思うのです。

 もっと大作、たとえば大きなキャンバスに描く一点の油彩、もしそうなったらなにも一日で仕上る必要はありません。思いついた時にちょっと筆を取る、そうして、何日も何日もかけて一枚を仕上げる、そして日差しがやわらかい日曜日の午前中などには少し余計に描き込んでみる....、そんな考え方であれば絵を描くのに「時間がない」ということはないはずです。

 つまり、絵を描く機会とは、そのまま絵を描く意欲という意味に置き換えてもいいと思います。意欲という欲望が強まれば、きっと何を差し置いても手を付けたくなるでしょう。と言うことは、まずとにかく「描こうと思う」ことからすべてが始まるのだと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
とても詳しくて一つ一つに「心」が感じられます。
ヒントもたくさん与えて下さって嬉しいです。

お礼日時:2007/09/23 15:35

一言で言ってしまうと日々の積み重ねと、若い頃に身に着けた


技術です。
何も見ずにというと大げさですが、過去にみた資料や画像を
頭に記憶してるだけです。
ある程度の絵レベルなら訓練で習得可能です。そのような絵は
過去の情報を組み合わせて描いてる場合が多いのでたまに
つじつまの合わない絵ができてしまうのですが、そこは
技術でごまかしているので気付かれないことが多いですね。
絵を描く時間についてですが、たぶん普通に生活されている
方からみるとおかしいと思われるのですが、コーヒーを
飲んだり、タバコを吸うような感覚で時間があると
ちいさな紙にデッサンしたりクロッキーのようなもの
を描いてたりしているので意識して時間を作っている
感覚があまりありません。子供の頃TVゲームを
勉強のあいだにふと息抜きに数分遊ぶ感覚に似ている
感じです。悪くいうと中毒ですね。
絵を描くのがだんだん好きになっていくとその「中毒」
の言葉がわかると思いますが・・・
学生の頃はよく通学途中の電車の人をクロッキーしたり
ノートに落書きしたりして描いてました。
あまり肩に力を入れず、たしなむ感じで続ければそのうち
習慣になっていくと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
>過去にみた資料や画像を頭に記憶しているだけ
なるほど。
色んな意見がある中、これも大事な一つの意見だと感じました。

お礼日時:2007/09/23 15:37

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