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城内の守備にあたる女性は薙刀を使うことが多いようですが、何故槍ではなく薙刀なのでしょうか?
逆に武士は大抵槍を使います。武士が薙刀を実戦で使うことはなかったのでしょうか?

A 回答 (9件)

江戸時代以降の「女性の武器」としての薙刀というのは、一口で言いますと「遠心力を利用して相手を殺傷する武器」です。


# 鎌倉時代以前の、通常の戦場の武器としての薙刀とは別の武器と考えて下さい。

女性は男性より非力です。その場合に、薙刀の長い柄を使えば、刃が動くスピードを上げることが出来ます。現在の素材を使って「女性用の薙刀」を作るとすれば
「カーボン製の釣竿の先端にカッターの刃をつけたようなもの」
になるでしょう。これを一振りすれば、カッターを手で握って振るうより遥かに深い傷を相手に与えることが出来ます。

江戸時代以降の女性用薙刀が実際にどのようなものか触れたことはありませんが
「柄はなるべく軽い木または竹を使い、刃以外の部分は可能な限り軽く」
作ってあったと思われます。

No3の方が言われるように、薙刀は様々な使用法がある武器です。その訓練を積み、「女性としては強力な筋力をつけた」女性が集団で薙刀を構えていれば敵兵も容易には接近できません。この場合、「落城の間際に、城主夫人の侍女たちが薙刀で敵兵を防ぎ、城主夫人や娘たちが自害する時間を稼ぐ」といった事態が想定されています。

足軽の槍と同じく、女性の薙刀も「集団での使用」が基本です。また、女性の集団が薙刀を持って敵陣に突撃する、といった「攻撃的な使用」は想定されていません。あくまでも「最後の自衛のための武器」です。
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この回答へのお礼

鎌倉期以前の武器=男性仕様(使用)が静型(前出)、女性用の薙刀はbuchi-dog様のおっしゃる別物で、それが巴型(同)ということなのでしょうか。
「しなり」があり、遠心力があり、引っ掛けたり、刃の裏でも切ることができ、しかも石突きまである。薙刀は思っていたより強力ではありませんか。この質問を始めた時は、正直「非力な女性の武器」というイメージでしたが、改めなければなりません。
しかも現代人より武道において優れた中世の女性(武家の女)ですから、幼少の時から何か武道を教えられていたことでしょう。
組み合わされて考えるとやはり侮りがたいイメージですね。
最後の自衛手段・・・悲しさも感じます。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/05 21:41

ポールアームとは長柄武器を全般にさしていいます。


グレイヴなどなぎなたに似た形状ですが、内側に刃のついたギザルメというのもあります。斧、スパイク、フック、槍をかねた複雑な形状のハルベルト、ビルなどがよく使われました。切れ味の良い刃物ではなく重さで振り回す斧のようなものです。騎士といえば剣と思いがちですが、ポールアームは騎士も兵士も一番使用頻度の大きい武器でした。地上から馬に乗った騎士を引っ掛け引き落とす、立っている相手の足を絡めて倒す、突く、殴って鎧ごと叩き潰すとさまざまな使い方ができますが、それゆえ占有面積が大きくなります。そのご、弓兵や騎兵といった各兵科を使い分けるようなシステムができ、敵騎兵の防御用としてパイクという6mもの長槍部隊にかわりました。日本と同じです。

森林の中での戦闘はかなり特殊です。まず、視界が悪く指揮官は全体を見渡せません。また仲間での共闘もできません。したがって自分の判断で相手と戦わねばなりません。立ち木の中では振り回し系の武器は使えません。両手剣も扱いに困難です。短いなぎなたであれば使えるでしょうが長いものは無理です。なぎなたは僧兵専用というものではなく多くの武士が使いました。刃先の形と大きさはずいぶんと変化があります。初期のころは大きく反り返りも大きく馬の足などを狙います。
しかし江戸時代のものは馬を切る必要もありませんから、刃先は小さく薄く、軽くなっています。
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この回答へのお礼

shizumo様、再度の回答ありがとうございました。
ポールアームなど西洋の薙刀、槍系の武器の発達も日本に似たところがあるようですね。(結局長槍系に変わっていった)
それにしても、あの西洋の鎧を叩き潰すとは、恐るべき武器です。

>初期のころは大きく反り返りも大きく馬の足などを狙います
>しかし江戸時代のものは馬を切る必要もありませんから、刃先は小さく薄く、軽くなっています

僧兵の薙刀については、場所が場所だけにやはりそんなに長くはなかったということですね。
江戸時代と平安、鎌倉期のものは刃先の大きさが違うということもわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/08 08:51

No.6の方も書かれていますが江戸時代のなぎなたと鎌倉時代のなぎなたはまったく違います。

江戸時代はすでに戦国武術は廃れ甲冑を想定したものではなく素肌の剣法になっています。これら武士に対して屋内で守りを基本に考えると小型のなぎなたほど良い武器はありません。武士たちは使い慣れた刀を使用するでしょうが(忠臣蔵でも刀が主体だった)
足を狙ってロングレンジから切るなぎなたは大変厄介です。また、刀で二人を相手にするのは大変難しいのですが、軽くてレンジの長いなぎなたは背中さえカバーできればそれができます。城主が落ち延びる時間稼ぎには非常に有効な武器です。槍は集団で効果を発揮しますがなぎなたは個人戦では強力です。刃のついた長柄武器~西洋のポールアームははるかに重いですが、ドイツの流派だと基本想定が複数相手なのです。
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この回答へのお礼

西洋にも似た武器ポールアームなるものがあった。ドイツ流。初めて知りました。江戸時代のものと鎌倉期のものの違いは大きさだったのでしょうか。
もう一つ疑問があります。屋内で使用する武器として有効であるとのことですが、これは山野(杉木立などの中)で使用することにも有効であるのでしょうか。僧兵が使用したのはその有効性ゆえからと考えて良いのでしょうか?鎌倉期から戦国期にかけても僧兵だけは薙刀を使っていたようなのですが、どうなのでしょう。やはり形状は変化していったのでしょか。
槍は団体、薙刀は個人で有効。大変よく分かりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/07 18:41

薙刀の長さは日本家屋の天井の高さより短いです。

全長の中ほどを利き手で握って振り回すので屋内でも天井につかえることなく使用できます。槍は薙刀より長く、その上、刀の場合のように柄の端を握るので室内での使用は無理です。このように屋内での守備に適していたので薙刀が選ばれたのだと思います。
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この回答へのお礼

室内での使用に適した長さも、薙刀の利点ですね。
確かに槍は室内で振り回すには不適当です。
敵は刀を振るうので、適度な長さの薙刀は、別の回答者様の回答のように、距離を持って戦うには理にかなっていますね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/05 21:45

#1さんと#4さんの補足を書き込みます。



南北朝以降戦国時代にかけて足軽等の集団戦に比重が移ったことが,槍が主力になった原因でありますが、お二人の触れていなかったもう一つの重要な側面があります。槍は,槍先だけを金属にしておけば良いので,薙刀や刀の比べて少量の金属があれば造ることが出来ます。そのおかげで、多量の足軽を使うことが出来るようになった。身のこなしばかりでなく、多勢に無勢、技や身分がなくても数に任せて戦争に勝つことが出来るようになった重要な理由の一つは,間違いなく槍のおかげでしょう。
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この回答へのお礼

逆に多くの兵に武器を持たせるための槍の開発であったわけですね。
また突く、ことが一番手軽で農民にでも出来る戦法といえますね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/05 07:40

薙刀には男性用の静型と女性用の巴型があります。


巴型はは反りが大きいので、少ない力で切り付けやすく非力な女性でも十分に武器として使えます。
また刀に対して柄が長くリーチがあり接近戦でつかまれて倒されとどめを刺されたり
同じ長さの武器で戦うよりも負傷する可能性も低くなります。
また槍は直線的で攻撃範囲が狭く突く力が必要です。
それに比べて薙刀は横、縦と攻撃範囲が広く遠心力を使えば
小さな力で大きなダメージを与えることができるのです。

戦場で男性が槍を使うのは“一撃必殺”が戦い抜く条件となるからです。
刀を携えているので同じような武器は必要なく切るより一撃のダメージが大きい槍が使われていました。

そんな薙刀ですが鎌倉時代末から室町時代にかけては戦場の主武器でした。
しかし応仁の乱頃より戦いの主流が歩兵(足軽)による密集戦に変わり
やがて槍にとってかわられたようです。
密集した戦いでは柄の長い同じ武器でも振り回すよりも突く方が有利となります。

非力な女性でも扱いやすい薙刀と力がある男性が一撃必殺として使う槍
こういう理由でそれぞれが使う武器となったわけです。
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この回答へのお礼

>少ない力で切り付けやすく非力な女性でも十分に武器として使えます
>非力な女性でも扱いやすい薙刀と力がある男性が一撃必殺として使う槍 こういう理由でそれぞれが使う武器となったわけです

疑問が解けてスッキリしました。遠心力で斬るのですか。
時代背景で武士も戦国期以前は使っていたことは、他の回答者様もおっしゃっていましたね。攻撃範囲の違いが出ているのですね。
槍はだんだん長く進化していますね。足軽の登場も見逃せません。
静型とはあの静御前と巴型は巴御前と関連があるのでしょうか?鎌倉期を思わせる名前ですね。
薙ぎ払うとはまさに薙刀の使用法のことですね。

詳しい回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/05 07:38

薙刀は江戸時代は女性用の武器であったと言われている。


柄は樫で、断面は刀の柄と同じような楕円形である。
薙刀の刃は先端が両刃になっており、先端で引っかけて、刃の背でも切ることが出来る。
従って単に刀剣に柄を付けたものではなく、その用法には独特のものがあり刃と反対側の柄先端の石突きも鋭い。
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この回答へのお礼

江戸時代の女性の護身術のような教育が根底にあったのでしょうか。
薙刀の反対側に石突きがあるとは知りませんでした。また刃の背でも切ることが出来るのですね。
しかし女性には重そうですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/05 07:27

槍以前には戦場では薙刀を使用していましたよ(それ以上に武士は弓を使っていたようですが)。


槍の登場は南北朝時代(日本史においては短い時代ですが武器の発達の歴史においては非常に重要な時代であったとされています)と言われています、一方薙刀は平安時代には既に広く使われていました。
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この回答へのお礼

南北朝時代は武器の発達期だったのですね。案外新しいので驚いています。
そういえば、僧兵なども薙刀ですね。これと何か関連があるのでしょうか?どうも女性は(チカラの強い僧兵に比べて)槍の方が良いような気がしますが、どうなのでしょうね。
武士も使っていたのは確かなようですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/05 07:24

女性がなぜ槍を使わなかったのかは知りませんご免なさい。


薙刀は刀に対するに有利な武器として好まれ、武士が実戦で薙刀を使って居たことは有りました、平安、鎌倉時代くらいまでの古い時代です。戦の形態が一騎打ちから次第に集団戦法を主とするようになると薙刀よりも槍の方が有利となり(槍壁突撃などの戦法をとる)薙刀は実戦では使われなくなった様です。
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この回答へのお礼

鎌倉時代に使っていたのですね。なるほど集団で槍襖を作る時には槍が有利ですね。
薙刀は女性には重いのでは、槍の方が向いているのではと思っていますが、どうなのでしょうか?
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/05 07:21

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