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私は昭和2x年生まれです。先の大戦時には生まれていません。
香港の下町で日本人だといったら、老人になぐられそうになったことがあります。
たまたま父は香港攻略に参加していましたが、戦後生まれの私にも道義的戦争責任があるのでしょうか?
先輩達、何故あんな馬鹿なことをしてくれた?と言う気持ちはありますが、謝罪までは必要ないような気がします。ご意見をお聞かせください。
宜しくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

> 先輩達、何故あんな馬鹿なことをしてくれた?と言う気持


> ちはありますが、

 サヨク教育に偏向した知識だけに晒されてきたようですね。
 きちんと事実を調べましょう。

 「殴ったほうは忘れても、殴られた方は忘れない」なんてことを言っている人がいますが、現在の日本の公教育やマスコミのスタンスは、「殴ったことだけ必死で教え込んで、殴られたことや殴り合いになるまでの経緯は無視」です。

 思い当たること、多々ありませんか?
 あなたの受けてきた教育や、ここの回答に。

 そういう歪んだ状況は、世界のスタンダードなどではないということを、知っておきましょう。
 例えば、アメリカの学校で学ぶ歴史を、見たことがありますか?
 ピルグリムファーザースたちの輝かしい精神性や、ポジティブな開拓精神は強調されますが、ネイティブアメリカンへの迫害・虐殺などには触れませんし、ワシントンが黒人奴隷を多く抱えていたことや、カリフォルニアのヨハン・ズーターの事には決して触れません。
 それが、本来の公教育というものだからです。

 公教育の本来の目的は、健全な国民を育てることであり、そのためには自らの属する国や社会を健全に誇れることが必要です。卑屈にシャザイシャザイと言っている人間を、誰が健全だと思うでしょう。
 歴史においては、個々の瞬間の価値観で見たら、負の面が必ずあるものです。そんなものは、負の面があるということが分かるような分別が付いてから教えればいい話で、負の面だけ教えるという状況は、歪んでいるということを認識しましょう。

この回答への補足

ネイティブ・アメリカンは私達の先祖と同一民族ですね。
奴隷問題は明らかに「失敗」です。今アメリカはそのツケを払わされている。
#1の方に申し上げたように「まず差別ありき」が問題だった。
これから人類はこの問題は克服すべきではないかと思います。

私は左翼でも尾翼でもない一人の庶民です(笑)

補足日時:2007/10/07 14:58
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この問題、


イエスと答えようが、ノートと答えようが、
「どのみち」作業服だと思います。

1流企業でグローバルな活動を目指す者。
1級公務員を目指す者。
人の上に立とうとする方。

こう言う、
「言動に責務のある仕事。」
「言動に責任を持てる人間。」
以外はどう回答しようが自由だと思います。

それ以外の方は良く考えるべきでしょう。

10年程前、中国に仕事で1ヶ月派遣された方が、先方様より、
「何故日本は中国に戦争を仕掛けて来たのか?」

いきなりこう質問されたそうです。

※10年も前です。
当時は問題視されていないので
中国の教育内容など知るよしもありません。

当時は、(1人)人を頼む。こう言うと10以上呼んで来る。
人だけは多い。
このぐらいの見方であったようです。

私なら、
私は歴史に詳しくないので知りません。
と答えます。

明晰な方なら、相手がどう言うつもりで聞いてきているのか、
「探りを入れ、相手の希望する言葉をプレゼント出来るでしょう。」

愚者は問題を起こします。
信用も、仕事も、全て失うでしょう。

良く質問内容を見ましょう。
何を聞いているのかです?

#5様の回答は簡潔で素晴らしいと思います。
少なくとも、推薦状を書けるような配慮を日頃からすべきです。

この回答への補足

確かに中国の庶民の方々は何も知らないのではないか。そんな気がします。
しかし、これは怖いです。
何しろ人口が多い!

正常な時代なんて来る訳がないです。
いつの世も誤解・偏見・憎しみ・無知・傲慢・・・

少なくとも私には道義的責任はありません。
そう思います。

補足日時:2007/10/07 14:52
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>「自虐史観も問題がありますが、自国尊大(擁護)史観も問題ありなんですけどね」


>「殴ったこと」を認めてこそ「殴られたこと」も堂々と主張できるわけで「殴ったけど殴られたじゃないか」といっても感情論。

感情論なんですかね。
少なくとも、日本の朝鮮・満州進出は、ロシア帝国の南下侵略を防ぎました。
また、日中戦争が満州事変から拡大していった原因は、中国側のテロ活動もその一因です。
当時の国際情勢と、日本の置かれた立場も加味すれば、とても「感情論」で片がつくとは思えません。
「パネー号撃沈事件」等当時の事象を知るにつけ、日本が理性的に対応していたことがわかりました。
日露戦争に勝利し、満州への地歩を確立した日本に対し、欧米諸国が権益獲得のため、国民党・共産党・軍閥を支援し、妨害を図ったのです。
日中間だけの、感情論ではなく、冷酷な国際関係によるものということを知っておいて欲しいものです。
ちなみに、中国はミャンマー軍事政権やダルフール解放運動等、国連で制裁決議を受けている国等に軍事・経済援助をして、国連による紛争解決を妨げていることをお忘れなく。

この回答への補足

おっしゃる様に国際関係は
>冷酷
なんですね。
まあ考えてみれば当たり前かもしれませんが。

とにかく現在の中国(共産党)が鍵ですね。

補足日時:2007/10/07 14:47
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「自虐史観も問題がありますが、自国尊大(擁護)史観も問題ありなんですけどね」



韓国や中国の歴史教科書は日本語に翻訳されたものが出ていますのでぜひ読んでみて下さい。自分に都合の悪いことは省き、都合の良いことを膨らませて書いています。

アメリカなど先進国の歴史教科書はそのような夜郎自大なものではありませんが、「自国の良い所」を強調して教えるのは当たり前のことです。中国や韓国の「夜郎自大史観」は真似しない方が良いですが、「自国擁護史観での歴史教育」が世界標準であり、日本の歴史教育が異端であることは忘れないで下さい。

「殴り殴られ」という比喩ですが、世界史を見れば、強い国が弱い国を殴るのが当たり前でした。弱かった国が強くなって前に殴られた国を殴り返すこと、ゲリラ的に殴りこみをかけるのも良くあることでした。さすがに、第二次大戦後の先進国間では「殴り合いはお互い損だから止めよう」となっていますが、先進国でない中国やロシアは隙あらば弱い隣国や国内の異分子を殴ろう(殺そう)と虎視眈々です。先日は、根室沖で日本の漁師がロシアに射殺されましたし、中国の原子力潜水艦が沖縄近辺の日本領海を潜航して侵犯した事件は記憶に新しいですね。

さて「殴った、殴られた」を根に持つと際限がありませんので、西欧において
「戦争は講和条約等の締結をもって終了し、全てが精算される」
「他国の歴史教育には干渉しない」
という慣例が確立され、世界に広まりました。国際法の初歩です

それを知らないのか、知らないフリをして騒ぎ続けるのが中国・韓国・北朝鮮の3国(特定アジア3国)であり、それに真面目に付き合っているお人よしが日本です。

この回答への補足

私は特に北朝鮮をいかに軟着陸させるかが大問題だと考えています。
テポドンが何処を狙っているのか。
もう私は歳ですから、よくわかりませんが、
とても怖い。
日本が何をどうすべきか、日本の政治家は頼りないです。
アメリカこそ見て見ぬふりではないでしょうか。

補足日時:2007/10/07 14:40
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自虐史観も問題がありますが、自国尊大(擁護)史観も問題ありなんですけどね。


「殴ったこと」を認めてこそ「殴られたこと」も堂々と主張できるわけで「殴ったけど殴られたじゃないか」といっても感情論。
日本も中国も韓国もみんなどっちもどっち。
「殴られた」と怒っている人に「あんたも殴っただろ?」と言えば火に油を注ぐことにしからなない。
その点を配慮しなければいつまでも謝罪を要求されるし、「いつまで謝罪しなければ行けないのか」という理不尽さを押しつけられる。
「温故」ばかりで「知新」がないというのが現状なのでしょう。

この回答への補足

その通りです。大切なのは未来です。私は「もうイイカゲンにしませんか」と叫びたいんです。
若者達にヘンな偏見を持たせて、将来を築いて行って貰いたくない。
>「知新」
ですね。

補足日時:2007/10/07 14:35
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>自分達の国がかつてそのようなことをしたという歴史認識を持ち、そういうことへの配慮は必要だと思います。



日本には、このような自虐史観が蔓延っています。
では、中国は、チベット侵攻を、ベトナム懲罰戦争をどのように自国民に教えているのでしょうか?
かの国は、日露戦争の存在自体、教えないそうです。
自国に都合の悪い歴史は、完全無視です。
この戦争は、露骨な南下侵略政策を採り、沿海州・アムール川流域まで火事場泥棒的に清からロシア帝国が強請り取り、なおも満州・朝鮮半島領有を図ったため、日本が自存自衛のため、その企みを阻止したものです。
日本の満州・朝鮮進出の目的は、この目的に基づくものです。
かつてロシアに自国の領土を奪われ、何万人もの人々を虐殺されたことは、中国は同じように教えているのでしょうか?
教えていませんね。
「なぜ、戦争になったのか」ということは、教育すべきですし、過去の経験は学ぶべきです。
しかし、自虐史観にとらわれ、一方的な謝罪はすべきではありません。
既に決着していることです。
中国に限らず、世界中の国々で、侵略の歴史を持つ国は多いですが、日本のように、「だから謝罪を続けなければならない」と唱え続ける国はありません。

この回答への補足

歴史に対して何処まで遡って、裁くかは大変難しい問題ですが、少なくともこの戦争に対して教育は併記両論でいかないとマズイと思います。
謝罪し続けることこそ馬鹿ですよ。

補足日時:2007/10/07 14:28
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言い分は夫々にありますが、中国を侵略した事は事実です。


東京裁判という場で、少なくとも一つの結論が出たので、その決着に基づいての今までがあれば、罪を償った事或いは減刑になったでしょう。
今の構図を例えて見ると、失火で隣家を燃やして一旦謝ったが、原因を作った隠居父さんが「失火が原因でない」と言い続け、家を建て直して裕福になった息子が未だに詫び金を払っていると言う気がします。少なくとも息子には責任は無いのですが・・・。

この回答への補足

「切り札」になっているのですね。それを言えば幾らでも謝ると思っている。
利用しているのですよ。「タカリ」です。
東京裁判は現在考えれば、まったくの「仕返し」でしかない。当時の国際法の不備もありますが、
「平和に対する罪」という言葉を使うなら、原爆や空襲は無辜の国民に対する無差別攻撃ですから、同罪だと思います。

補足日時:2007/10/07 14:21
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「殴ったことは忘れてしまっても殴られたことは忘れることがない」



昭和20年の8月、日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告したソ連は満洲と北朝鮮に攻め込んであらゆる物を略奪し、日本女性を仮借なくレイプしました。お金も持ち物も衣服も全て略奪された日本民間人(女性と子供がほとんど)は多くが餓死・凍死しました。中国人に身売りして生き残ったのが中国残留婦人・中国残留孤児です。
「ソ連は日本を殴りました」

第二次大戦後、日本に自らの意思で残留した朝鮮人は「第三国人」として武器を奪われている日本の警察を無視して無法の限りを尽くしました。警察署が武装した朝鮮人に襲撃された事件も複数記録されています。
「朝鮮は日本を殴りました」

中華人民共和国はチベットに侵攻し、多数のチベット人を殺し、チベット仏教の寺院を破壊し、チベットに漢民族を大量に入植させてチベットを中国化しています。
「中国はチベットを殴り続け、チベットは瀕死の状態ですが国際社会は傍観しています」

この回答への補足

ソ連は間違いなく日本を侵略しています。
在日の問題はタブー視されていますが、問題は問題なのですから、事実を重視すべきと考えています。
私個人としては、差別感は全くありません。
子供の頃、隣家が朝鮮の方で大変お世話になり、生涯の恩人と思っています。
中国共産党の今後は憂慮すべき問題でしょうね。

補足日時:2007/10/07 14:14
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仮定ですが、質問者様のお父さんが殺人罪で死刑になったとしましょう。

質問者様はお父さんの殺人罪には全く関与していません。

少なくとも法律的には質問者様には何の責任もありません。
で、「道義的責任はあるか?」
そんなもの、あるわけないです。

そのように考えれば、「戦後生まれに道義的戦争責任はあるか?」の答は「あるわけない」であることが自明です。

「先輩達、何故あんな馬鹿なことをしてくれた?」
世界史を学べば、昭和20年までの大日本帝国がしたことは特に馬鹿なことではないとわかるはずです。もっと馬鹿なことをやった国はいくらでもあります。もっと世界史を真剣に学ばれることをお勧めします。

この回答への補足

大日本帝国は馬鹿なことをしたと思っています。
「どうせやるなら勝つ戦争をしろ!」というのが私の真意です。
少なくとも昭和17年春、東京に米軍偵察機が来ていますね。制空権を取られているわけです。相撲で言う「死に体」になってしまった。あの時点でもう負けだったと思います。

補足日時:2007/10/07 14:09
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殴ったことは忘れてしまっても殴られたことは忘れることがない


そういうことだと思います。
戦後生まれには道義的責任はありません。
しかし、自分達の国がかつてそのようなことをしたという歴史認識を持ち、そういうことへの配慮は必要だと思います。

この回答への補足

私が本当に言いたいのは、少なくとも昭和16年12月8日の時点で100%負けると言うデータが出ていながら、何故開戦というミスをしたか?ということです。
国家戦略とは精神主義でなくデータ中心主義でなくては危険です。
二度と同じ失敗をしない事ですね。

補足日時:2007/10/07 14:03
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