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自分はどうも、上達欲がありすぎてこまります。
あまり才能もないので、かならずしも、注いだ労力分の成果を伴いません。それなのに、上手くなりたい上手くなりたいとばかり思ってしまいます。巷の本を読んでも、金銭欲名誉欲色欲などに関する戒めはあるようなのですが、過剰な自己達成欲的な上達欲とか性格改良欲とかその類のものはないようです。この欲求は、どのような位置づけでどのような性質と考えればいいのでしょうか。特殊的ともいいがたいような気がします。

A 回答 (2件)

ご存知かもしれませんが、人間の精神性は


本能(快・不快)
自我(損・得)
超自我(善・悪)
の3層に分類できると言われます。
色欲は本能。
金銭欲は自我。
名誉欲も基本的には中身を伴なわないものとして想定されているでしょうから(本当の名誉は自然発生的に生ずるはずのものなので)、これも自我の欲求と言えるでしょう。
つまり、煩悩として忌避されるのは本能や自我のみに基づいて生きることへの戒めなのだと思われます。

超自我とは善を為し崇高なものを目指したいという欲求で、本能に対する禁制や自我に対する抑制によって顕現するものであり、いわゆる文化文明はこれによって進展(あえて発展とは申しませんが)してきたと捉えることが可能です。
おっしゃるところの「上達欲」は純粋な意味ではこの超自我的欲求に基づくと考えてよいでしょう。
ただ、すでに述べたように、この本質は禁制・抑制、つまり抑圧です。
この抑圧は他者によって為される場合(両親からの躾など)もありますし、自分自身に課す場合もあります。

しばしば問題になるのは、なぜ自分自身に対してそこまで抑圧するのか、という本人の悩みとなるほどの超自我性の発現です。
基本的には過去の経験による記憶が原因と言わざるを得ないと思います。
結果として何がしかの強迫性を伴なう場合も多いわけですが、精神の崇高性を求めることは人間本来の基本的欲求でもあり、それには少なからぬ苦痛が伴なうこともまた事実です。
つまり程度問題ということでありバランス感覚が必要になるだろうと私は思います。
芸術方面における本物のプロと認定できる方は、やはりこのバランスには欠けているはずで、無論そこにこそ彼らの価値があるとも言えるのでしょう。
人間の可能性を具現しているとも言えるでしょうが、本人自体が可能性そのものになるにはやはり飛び抜けたエネルギー、つまり偏った力が存在しないと難しいのではないかなどと推測したことはあります。
 
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はじめまして。



上達というのは、以前の自分と比べて向上していることを示す言葉ですから、自分が成長・向上している状態を目指しているのですよね。
(お書きになっている、上達欲、性格改良欲なども、同様ですね)

自分が成長・向上している姿を、自分を含め、誰かに見ていてほしいと感じたことはありませんか?


マズローの欲求段階説によれば、それは「自己実現の欲求」とされているようですね。おっしゃる内容に近いのは、このことではないかな、と。
http://www.innovetica.com/resource_02.html


ただ私個人としては、そういうのを、自己顕示欲と位置づけるのではないかと感じています。
あと、自分を良く見てほしいという思いであれば、承認欲求ということもできますし、異性に自分を良く見てほしいという心理が働いていれば、そこには性的アピールも含まれるのかな、と。

そういうことで、何かの参考になれば幸いです。
では。
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