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今朝、ニュースをテレビ放送で聞いていると、ある宗教団体の集会所で、六十三歳の女性が「気に入らない」という理由で、暴行(リンチ)を女性信者や幹部を中心に受けて、亡くなったという事件が報道されていました。
宗教の信者ということで、周囲が同じような精神構造の人間の集まりで、方向性が同じになると一挙に同じ方向に向くということは、わかるのですが、気に入らないという思いの部分に、なにかいじめの法則のようなものを感じます。
人間というのは、自分たちと違う言動の人間をはじき出すものなのか、抵抗しないと余計面白がって、惨劇を引き起こすのか・・。
私も、ある病院(公立)で、気に入らない奴がやってきたわね、とばかりに看護師たちにドクハラを受けた経験があるので、今回も似た様なことなのでは、と推測できるのですが、一方が強い立場にある場合にパワハラとして起こる現象ではと思います。
亡くなられた方のご冥福を祈ります。
この集団の女性心理、解明できる方、どういうことなのか、教えてください。

A 回答 (5件)

No.4です。



女性は群れを成し、群れに守られることで安全を確認しがちです。
逆にいうと、共通の敵を作り出し、共通了解で「あの人は敵」と全員の意見が一致すれば、あの人以外の自分達は安全であり、巣は安全であると安心する。

そのために、よく誰かを敵とみなし、一致団結したがる。


今までも、宗教団体内で、脱会しようとした信者に暴行を加え、脱会させないという事件はいくつもありました。


今回はそれとちょっと違って、娘夫婦が他の信者のアドバイスを受け入れなかったため、娘夫婦に暴行を加え服従させようとし、そして恐らく暴力に屈しなかったため、娘の母親である今回の被害者が呼び出されたようなんですね。

そしてどういうやりとりがあったのかまだ不明ですが、この呼び出した被害者に暴行が加えられた。

寿司店はこの宗教の勧誘の場として使われており、被害者のこの宗教に対する献身度はかなり高かったようです。

つまりこの宗教にとって被害者は敵じゃなかったはずです。

なのに、被害者までも制裁が加えられた。


親が殴られている現場を見れば、さすがの娘夫婦も屈すると思ったのでしょうか。


「あなたがちゃんと指導しないから」という理由で暴行が加えられたようで、暴力で服従させることができなかったというストレスの発散口として、親も子も同罪として、母親にも同等の罰を与えたのかもしれません。

この宗教は家族全員が入信しなければならないという掟があり、家族は一心同体=信者とこの宗教は一心同体 という巣という概念があったのではないかと思えます。

教祖が死亡してから信者離れは急速に進み、巣の存続も危うかったのかもしれません。
その危機感の中で、娘夫婦が一心同体で無くなったと感じ、常軌を逸した行動に出てしまったのかもしれません。


しかし、「子供が言うことを聞かないのは夫のせいとか親のせい」と夫や親に暴力を振るう女性など聞いたことがない。
口うるさく言う程度で、暴力はふるわない。

今回何故女性ばかりが暴行に加担したのか、私としては理解に苦しみます。
口で暴言ははけるが、暴力を振るえるなんて。


一つ考えられるのが、依存です。
殺人の割りは男性で、女性が殺人をする場合、男に捨てられたくなくて男の言いなりになり殺人をしてしまった というもの。
男性のように被害者憎しではなく、男に依存した生き方となり、男に依存できなくなるくらいなら殺しもする というもの。

女性信者たちはこの依存がこの宗教だったのかもしれません。

権威者の言いなりになってしまうというのは、男性にもあります。
オウムにしてもそうだったし、相撲部屋のあの一件もそうだと思います。

でも、今回は女性ばかりなことからとても理解しがたいケースです。
男性信者もいたようですが、暴行に加担したという情報まだまなく、男性信者は触れてはならないなにかを感じ、常軌を逸した狂乱の場をただ見守るだけだったのではないかと思われます。

逃げ場を失った女性たちの悲しい結末だと思えます。
逃げ場はあったのに、逃げなかった。
自らこの宗教に依存する道を選んでしまった結果、道を失ってしまい、人の命の大切さが抜け落ちてしまい、母性を喪失し、死ぬまで止めることはできなくなってしまったのではないかと。


昔から神がかりな役をするのは巫女となっており、狂乱の舞を踊りますよね。
髪を振り乱し踊り「お告げがあった」など神託もどきの発言をする。
自分を見失うまでダンスをして気分を高揚させることをする。
興奮状態に身を置いているので、常識とか制御が効かなくなるわけです。
この興奮状態に陥った時、誰ももう止めることはできない。
こうなると普段暴力とは無縁の人も、制御がきかなくなり興奮の真っ只中に入ってしまいやすいと思います。

これが儀式として行うなら害は無いのですが、集団暴行として機能した場合、最悪死ぬまで殴る蹴るを続ける。
動かなくなっても興奮が収まるまでやり続けてしまう。

そういう稀なる集団興奮によるものだったんじゃないでしょうか。
殺意はあったのかは無かったとは思います。
が、暴行により死に至らしめたので殺人です。

周りで見守っていた人たちも、医者に連れていくべきだという冷静な判断ができたようですが、止めることはできなかったようです。
生贄の儀式みたいなもので、自分がターゲットにならないよう、保身に走らざるを得なかったのかもしれませんが、暴行を知りながら通報しなかった責任は免れない。
暴行があると知ったものは、通報するのが国民の義務ですから。

止めに入ることはできなくても、せめて警察に通報するとかできたと思えるのですが、娘の夫は教団からの報復を恐れ(教団がやったと真実を警察に喋ると自分達が殺されると思ったそうです。)自分達が殴ったと嘘の証言をするほど、他の信者も教団の別の面を見て、畏れをなしたのであないでしょうか。

現場に居た人が「まさか死ぬなんて」と言っていたようですが、全員 そのような気持ちだったと思います。
が、暴行はいけないという気持ちは芽生えなかったようです。
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この回答へのお礼

女性たちの所属している巣の発想、確かに巣の中に間違って生み付けられた異なる鳥の卵のように、足でかきだし、巣から落として割る、そういう行為だったかもしれません。
それがいなくなれば、自分たちは安全。そう思って、殴り続けたのかもしれません。
それと、集団興奮による、冷静な判断の喪失。何か異常なことが起こったわけですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/17 22:30

一体なにが起こったのか、まだ解明されておりません。



殺された寿司店経営の女性の職場は、勧誘に使われていたことから、彼女はこの教団にとって、重要な人だったと思われます。

女性の場合のイジメは、口裏を合わせて集団で無視をするとか、にっこりと笑いながら、その人だけ誘わないとか、直接ではなく間接的で陰湿なものが特徴としてあります。

今回の場合、女性ばかりで暴行を加えたというのが事実だとしても、私は信じられません。

マインドコントロールされた者は、殺して遺体を切り刻む時、何の感情も無く実行できてしまう。


ホロコーストで残虐な行為がなぜできたのかという研究がありました。
殺した人たちは善良な市民で、家に帰れば殺した子供と同年代の子供がおり、溺愛していた。
その人がどうして残虐な行為ができたのかということで、アメリカの大学が実験をやったんですね。
「罰を与えると間違えなくなるかの実験に協力してください」として、普通の人に参加させ、被験者の人が間違えると電気ボルトを流すように被験者にさせた。

実はこの実験の本当の目的は、どこまで人は命令に忠実になり残虐な行為ができるか だったんです。

実際は被験者に電気ボルトは流れておらず、演技で流れて苦痛を味わっているかのようにやってもらったんですね。

参加者の中には、途中で「もうできません」というのですが、「あなたの協力がすばらしい成果を生むかもしれないんです。協力してください」と貢献度を掲げることで、役に立っているという感覚により、またボタンを押し続けたんです。

そしてなにより、白衣を着た権威者が言うのだから、自分のやっていることは大丈夫だ って思ったわけです。

最後までボタンを押し続けた者も結構いたらしいです。

これが何故普段善良な市民が残虐な行為ができたのかの検証実験。


もう一つ、やはりアメリカの大学で実験がありました。
ESというタイトルでドイツで映画化されました。
参加者を無作為に「看守」と「囚人」に分けた。
驚くべきことに、看守役の人は残虐になり、自分の命令に従わない囚人に暴行を加えだした。
それもカメラで実験が監視されていると知っているので、カメラの死角で暴行を加えるようになり、囚人を暴力によって服従させだしたんです。
それに気づいた実験の主催者は直ちに実験を中止し、二度とこのような実験をやってはならない としたんです。


役割を与えると、善良な市民でも残虐になれる。

ある宗教では、古代信者になったものは全財産を教団に寄付しなければならないとしたんですね。
ところが、土地を売って入信した夫婦は一部を自分のものとして残していた。
それに気づいた幹部はそれを指摘し、夫婦は死亡した と文書に書いてある。
その当時は神が全財産を教団に寄付しなかったものは、神が殺していたのか。
いえ、古代であってもちゃんと法は機能しており、幹部は殺人容疑で逮捕されました。

その教団はエッセネ派の中のクムラン宗団の影響を受けたと思えるんですね。
確かにクムラン集団は、クムランにて住み込みで暮らす信者の財産は、共同財産として貰い受けていました。
しかし、全部じゃなく、信者も自分の財産を持ち続けてもよかったんです。

その宗教は後に、土地の権力者の息子は聖職者にならなければならないとしたんですね。
するとその人の親が死ねば、全財産はその宗教のもの。
こうやって巨大化していったわけです。
でも聖職者になったとしても、結婚して子供がいれば、その人が死ねば妻や息子に財産が移る。
それを畏れたのか、聖職者に離婚するよう法律で決めたんです。
それでも同意しなかった場合、公開リンチ。
ええ、聖職者のその人にリンチして、離婚を迫っていたんです。
それでも、リンチに対して屈しなかった場合、処刑。
その後は、愛と癒しをスローガンに掲げているので、やばいと思ったのか、結婚そのものを無効であると宣言してしまったんです。
財産 全部没収のため 聖職者は独身と制度化されたわけです。

どうです 恐ろしいでしょう 宗教というかパワハラって。

暴行を加えた女性たちの心理が一体どのパターンなのか というより、一体どういういきさつで、暴行を加えることができたのかまだ事件が解明されていないと なんとも判断のしようがないです。


宗教はそれを絶対としなければ信仰できませんよね。
絶対 つまり 他に比べるものが無く、選択肢が無いんです。
だから信者になったものは、ボスが命令したものしか実行できないんです。
宗教には選択肢が無いから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/17 22:20

強いストレス状態にあるときに良くあることです。


日本の例では、東京大空襲の時の朝鮮人集団暴行
米国の例では、日本人強制収容、QQQ等
欧米の例では、魔女裁判

権力を持っていない人間の場合には、実験ノイローゼとして物に当り散らしたり、身近な人間に暴行を加えたりします。
権力を持っている人物の場合に、このような集団暴行事件へ発展します。

低福祉社会では、日常的におこります。
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この回答へのお礼

<低福祉社会では、日常的におこります。

この一文が利いていました。つまり私が行っていた産婦人科が、公立の癖に低福祉病院というわけですね。
おまけに連中のヒステリー、八つ当たり、殴られるという蛮行、これは連中が権威を持っていないからで、宗教団体のほうは、権威を持っているから暴行事件になったということでしょう。

何となく読めてきました。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/17 22:16

10ken16さんに追加して。



集団特性として、「個人にかかる責任の分散化」があります。
つまり、1人の時より集団の時の方が、
心理的に感じる罪悪感が軽くなります。
(単純に言えば「罪のワリカン」です)

そのため、集団の場合には行動がエスカレートしやすくなります。
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この回答へのお礼

なるほど、集団だからエスカレートが激しく、殺してしまった。誰も助ける人や、異を唱える人がいなかったわけですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/17 22:11

女性心理というわけではなく、


自衛や防衛の心理が偏った形で顕れたのでしょう。

要するに、誰かがスケープゴートになっている間は、
自分がそうはならない。
一方で、それに同調しておかないと、
今度は自分がその立場になる。

要するに『いじめ』を傍観することで追認することと
全く同じ構造だと思います。

無論、歪な宗教的価値観や、
女性ゆえの同姓に対する冷淡さ、残酷さはあるでしょうが、
本質的には、学校などでの『いじめ』と同じです。

学校などもそうですが、問題が潜在化しやすく
法による介入が困難で、一種の違い封建的空間になりかったことが、
問題を深刻化したのだと思います。
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この回答へのお礼

わかりやすい回答をありがとうございました。
弱いものいじめに違いないということですね。

一人が命令すれば、全員がスケープゴートにする。それが極端に起こったと理解すればいいでしょうか。

お礼日時:2007/10/17 22:09

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