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パスカルの「じぶんというもの、その存在こそ厭わしい」という言葉はどういう意味なのでしょうか?
文字通り、自分が一番嫌いということですか?

A 回答 (3件)

自分とは「自我」のことでは?



仏教でも無我(正確には非我)を到達すべき境地としていますし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自分と「自我」って違うのでしょうか?

哲学とか全く知らないのでよく分らないのですが・・・。
今回は大学入試の問題の文章でたまたま目にしたので質問しました。

お礼日時:2007/10/25 22:21

参考に


「有名な「人間は考える葦である」とは、人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙を超える、というパスカルの哲学者としての宣言を表している。それは人間に無限の可能性を認めると同時に、一方では無限の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも受け入れている。」 ブレーズ・パスカル『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
「じぶんというもの、その存在こそ厭わしい」、ここでの自分は「葦」としての自分と考えられますね。つまり「考える」自分だけであればもっと自由にいろいろな研究ができる、しかし「葦=肉体」としての自分が存在することは、食事も必要、睡眠も必要、創造性の足かせにしかなっていない。厭わしい! ということではないでしょうか。
天才のことはよくわかりませんが、何かに集中しているとき、ご飯ですよとか、お風呂ですよとかいわれるとわずらわしいですよね。集中が継続できる方でしたら肉体存在自体わずらわしくなるんでしょうかね。
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この回答へのお礼

つまり、本当だったら考えることをしていたいけど、生理的に食事や睡眠を欲してしまって、わずらわしい!っていうことですかね・・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/25 22:26

1年間の行動計画と立てたとします。


1年後に存在するのは、計画通りには行動できなかった自分です。
計画通りに行動できる自分というのは、存在せず、実際に存在するのは計画通りには行動できない自分のほうです。
それが、厭わしいということなんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

mmkyさんの解釈とは少し違うようですが、ceelee-boyさんの解釈も納得できますね!

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/25 22:29

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