No.1ベストアンサー
- 回答日時:
「信ずるものは救われる」
救われるの意味
何をもって救われたとするか。これは大きな問題です。
1私が生きていることが救済である。
健康であっても、病気であっても生かされている事が
救われたのです。
2神(仏)に召されても、それは神(仏)の救済
条件: 何があっても”信ずれば救われる”と信じ続けること。
”信じても救われないのでないか”と疑いを持った瞬
間に、信じていない事になりますから救われなくなり
ます。
これで、必ず 信じるものは救われます。
ご回答有難うございます。
いきなり答え出ちゃいましたね。
私もほぼ同じように考えています。
ただ、もしかしたら救われない場合もあるのではないかと思い
質問してみました。
やっぱり信じるものは救われるのですね。
No.12
- 回答日時:
>こういった場合ですと、一般的に苦痛に導くと仮定されるものを、信じても救われることになりますね。
一般的に仮定されること(一般論)のことを、言っているのではありません。本当にそれが苦痛に導くと仮定するならば、救われないじゃありませんか。
本当に苦痛に導くと仮定されるなら、救われません。
本当に救われるなら、救われます。
いけない男を信じて救われるとするなら、救われます。
いけない男を信じて苦痛を受けるなら、救われません。
そこで、「信じるものは救われる」という言葉は、場合によってしか当たっていませんよ、と申し上げているのです。
「信じるものは救われますよね?」という質問には、「場合によってはね」としか言いようがありませんよ、と申し上げているのです。
再びご回答有難うございます。
>いけない男を信じて苦痛を受けるなら、救われません。
そういった場合もあるのですね。
最初から苦痛(その人にとっての)を与える人間を
信じるというのは理解しがたいですが
途中から性格が変わってしまった、状況・環境が変わってしまった
などの理由で、信じたものから苦痛が与えられ始めるとその瞬間から
救われないという事ですね。
何か考えるヒントになった気がします。
つまり信じ始めるだけではダメ。信じ抜かなくてはいけないという事ですね。
つまり信じっぽくて飽き易い人間なら信じていてもいつかは不幸が訪れる可能性があるということですね。
No.11
- 回答日時:
#9です。
私の表現が下手でちょっと補足したいと思い、またおじゃまします。>ただ回答者さんのおっしゃる、信じる対象はおそらく「自分自身の力」若しくは「努力」ではないでしょうか?
そう仮定した場合とそうでない場合とでは答えはまるで違いますよね。
私の質問の信じるは特に対象を限定していません。
「救われる」の定義も必ずしも願いがかなう・目標を達成するに限定していません。
幸福感・安心感など抽象的なものもありです。
なのでずれてきてしまうのでしょうね。
;「信じる」という行為が何であれそこには期待(=願い)が込められることになると思います。
無論、幸福感・安心感も範疇に入っています。
幸福を求める(幸福でありたいという目的がある)からこそ信じようとするわけでしょう。
ただ、要点は「幸福になれると私は信じる」と思っている(信じている)だけで幸福になれるのであれば誰も苦労はしないだろう、ということです。
「信じるものは救われる」という言葉は、
「信じるものは【他に何もしなくても全て】救われる」という意味ですから、つまり、論理性に欠けるという点を指摘させていただいたつもりです。
かといって、「信じる」という行為が全く無駄なことかといえば、そういうわけでもないだろうと。
(それを達成することによって精神的に救われたいと本人が意図する)何か具体的な目的を達成するためにせよ、あるいは単に幸福感や安心感を得るためであるにせよ、求める方向への推進力足りうることは確かであり、それ以上でも以下でもない、ということです。
幸せになれると信じているほうが、絶対的ではないが幸せになれる確率は高いという程度のことです。
#10さんのお礼に記されている内容についても少し触れさせてください。
>ろくでもない男を信じる女がいます。
傍から見れば悪徳業者のような男です。
しかし彼女は私のことを愛しているからこういう態度をとるんだ
と安心感、安堵感、悦楽感を得ています。
:まず、「ろくでもない」と感じる【だけ】の男を信じる女性はいないでしょう。
つまり、その女性にとってはどこか取り得があるわけです。
ですから、最初から「ろくでもない(男)」と注釈してしまうと話が混乱してしまいます。
「>一般的に苦痛を導くと仮定されるものを信じても救われてしまいますね」とおっしゃるとおりで、たとえばDVなどで一旦は別れても再びもとの鞘に納まってしまうカップルも多いようですし、いわゆる共依存症と呼ばれる精神疾患で相手に迷惑をかけられること自体に満足感を覚える(無論、無意識的にですが)というパターンもあります。
この場合、その不合理性に気づかせるのは恐らく容易ではなく、本人にとってはまさに「信じるものは救われる」という思いでいるのだろうと思います。
また、ここが重要な点ですが、実際問題として(精神的には)救われているというのが事実だということです。
(無論、強制されてる場合は別です)
つまり、自身を痛めつけることによって何らかの過去の罪悪感に対する償いをしているという構造がそこにあるわけです。
この場合、問題になるのは、一般的に見て男がろくでもない、ということよりも、そういった男を好きになってしまう女性の精神遍歴のほうでしょう。
そんな男を信じることで救われているというのは客観的に不合理ですが、救いというのはあくまで個人的な納得に過ぎませんから万人に通用する救いというのは恐らくないと思います。
その女性にとっての本当の救いはその不合理性に気づくことでしょうが、それに気づけないうちはそのろくでもない男が救いになっているわけですから、その男を信じることが救いという事実は動かせません。
なぜ気づけないかといえば、彼女の中に「ろくでもなさ」を容認する要素が存在しているからに他ならないでしょう。
つまり彼女自身が変わらないかぎりその関係性は続くでしょうし、結局のところ信じるということは、自分の内面を反映することになるように思います。
前回、「ただ【信じているだけ】で救われることはあり得ません」の具体例を所望されたのにお答えしていませんでした。
この例の彼女も相手を信じているだけですね。
何が欠けているかと言えば、信じているからこそ要求するべきこと、つまり対人関係において互いに琢磨するという、自然で基本的な義務というか言動に至っていないということでしょう。
いわゆる宗教を信じるというのは、大なり小なり基本的には罪償感に基づいているんじゃないでしょうかね。
その意味で、信じた時点では罪障の第一歩を踏み出したことになりますから、それをひたすら推し進める(信じ続ける)ことで、当初の罪悪感からは救われることにはなるのかもしれませんが。
ただ、それを以って全てが救われると錯覚してしまうという点に宗教の様々な齟齬が生まれてくることになるのではないでしょうか。
面白い題材でつい長くなってしまいすみません。
明日は天皇賞の予想をしなくちゃならない。
日曜は、絶対当たると信じて馬券を買おう。
救われるかな・・・。(^^;
さ、寝よ。
No.10
- 回答日時:
信じるものは、救われるのだろうか?
これは、心理学というより哲学的ですね。まぁ、どっちでも良いですが。
信じる事の対象にもよりますし、救われる事の定義を定めなければ、話になりませんね。
それが特に定められていない様なので、勝手に定義を仮定させて頂きます。「救われる」という時には、何か安心感、安堵感、悦楽的感である時の精神状態に至るであろうと思われる時に、そう言われますね。「救われる」を仮にそれ全体を含む漠然とした精神状態、であるとします(具体的に物質的な救いを指していないという事、心理学的話題に持っていくよう)。
救われるかどうかは、信じる対象が、自らの精神状態を、救われる精神状態に導くものか否かによります。
例えば、悪徳業者を信じるとします。悪徳業者は結果的に苦痛を与える事になります。苦痛の状態は救われる精神状態と、相反的な状態である事から、信じたからといって救われる事にならない事になります。
例えば、キリスト教を信じた事によって、何が起こっても救われる精神状態を維持できるとします。それが真であるならば、それは救われる精神状態に導くものであるので、信じるものは救われる、となります。
「悪徳業者(苦痛に導くものと仮定される)」を信じるものは救われません。
「キリスト教(救われる精神状態に導くと仮定される)」を信じるものは救われます。
だから、信じる対象によるのです。
ご回答有難うございます。
そうですか。ではキリスト教を信じた上で悪徳業者を信じれば
救われてしまうわけですね。
残念だな。
例えばこういったのもありますよね。
ろくでもない男を信じる女がいます。
傍から見れば悪徳業者のような男です。
しかし彼女は私のことを愛しているからこういう態度をとるんだ
と安心感、安堵感、悦楽感を得ています。
こういった場合ですと一般的に苦痛を導くと仮定されるものを
信じても救われてしまいますね。
No.9
- 回答日時:
#4です。
>達成とは何に対する達成なのでしょうか?
:救われたい、とその人が思っていることに関してです。
何も求めていない人にとってこの言葉は無意味でしょうから。
わかりやすい例で言えば、試験に合格したいと思ったら、合格できるということを信じることが得策である、といったようなことになるでしょうか。
>そもそも目的が達成したからといって救われるとイコールではありませんよね?
:ただ、救われたいと思っていない人を救うことは誰にもできないでしょう。
つまり、救われたいと思う人は何から救われたいのかという意識をすでに持っているわけで、それを叶えることが目的ということになります。
その願いを叶えるためにはまず信じることだ、という意味になる。
lmn74さんは、そんな願い(あるいは目的)が達成されたって救われるとは限らないんじゃないか、と言っていることになります。
私としては、そこまでの内容に関して責任を負って言及した言葉ではないだろうと言いたいわけです。
先の試験の話で言えば、テロの試験であっても良いのです。
一流のテロリストになりたいと願うものにとってこの言葉は有効だろうということになります。
テロリストの試験に合格したって救われないというのは、それこそ私見になります。
>通常あきらめた時点で信じる事をやめている
:ともおっしゃっていますが、それは少し違うように思います。
信じているがゆえに納得して諦めることが救いになる場合はあるでしょう。
>他人から見て「間違ったもの」を信じ、結果不幸になったように見えても、本人にとっては「正しい」ものを信じ救われているのかもしれませんよ。
:おっしゃるとおりで、私の述べた
「信じた内容が正しいものであったのか否か、まではこの格言は言及していないように思われます。」
という内容と特に矛盾点はないように思いますが・・。
>>いずれにしても、ただ【信じているだけ】で救われることはあり得ませんし
なぜそう思うのでしょうか?
具体的な例で教えていただければ幸いです。
;信じたことを実践しなければ効果が出ないに決まっているからです。
むしろ、そうでない具体例を挙げるほうが難しいでしょう。
再びご回答有難うございます。
ホントのこと言いますと回答者さんが
信じるだけでは救われないとおっしゃってくれるのは
うれしいのです。
私は信じるものは救われないでほしいのですから。
ただ色々と意見の相違があるようなのでついつい反論したくなってしまうのです。ホント困ったものですよね。
ただ回答者さんのおっしゃる、信じる対象はおそらく「自分自身の力」
若しくは「努力」ではないでしょうか?
そう仮定した場合とそうでない場合とでは答えはまるで違いますよね。
私の質問の信じるは特に対象を限定していません。
「救われる」の定義も必ずしも願いがかなう・目標を達成するに限定していません。
幸福感・安心感など抽象的なものもありです。
なのでずれてきてしまうのでしょうね。
もちろん最初にそう定義しなかった私の責任です。
No.8
- 回答日時:
信じる対象を神だと仮定してコメント
>信じるものは救われますよね?
いいえ、違います
また、「ご質問者様の希望する救い」と「神が行う救い」が別物である可能性も十分あります
>「信じていれば」何らかの災難も不幸はならず救われるのですよね。
「何らかの災難も不幸も」神が救う為に行った事であり、それに巻き込まれて苦しんで死んでしまう事が「救い」かもしれません
そう仮定すると「災難や不幸」は「救い」になります
この「救い」をご質問者様は希望されますか?
尚、「自分達を救ってくれる」と信じていても、神はそんな事全く興味ないかもしれません
神にとっては人間とゴキブリが同格にしか見えないかもしれません
そんな神にとって与える「救い」は人間とゴキブリの繁栄になるかもしれません
===
尚、信じる対象を神でないとするとかなり話が変わってきます
その辺りを定義してもらった方が回答し易いです
ご回答有難うございます。
私の質問の「信じる」は、神に限定していません。神の含まれますが。
言葉足らずで申し訳ありません。
ただ、私は神に救いなど求めていません。
宗教も信じていません。
むしろ信じている人の存在が不可解で仕方ないのです。
信じやすい人ばかり救われるのは何だか苛立たしいので
もしかしたら、信じていても救われない場合があるのではないかと思ってこんな質問をしてみました。
で、やっぱり信じる人は救われてしまうんでしょうか?
No.7
- 回答日時:
「信じるものは救われる」とは聖書の一節から出た言葉だと思いますが、決して神を信じたら病気や、けが、災難から逃れられる、宝くじが当たったり金儲けができる、御利益があるということを言っているのではないと思います。
聖書には「耐えられないような試練はない、それと共に逃れる道も備えてある」と書いたところがあります。キリスト教は「努力しないで御利益も何もない」と教えていると思います。「信じるものは救われる」というのは「神=イエス・キリストを自分の神として本当に信じるなら、救われる=キリスト教でいう「罪から解放される、即ち救われる」という意味のようです。
新興宗教や仏教などでも何か信じれば御利益があるようなことを言っています。「ここの寺社はこうした御利益があります。」などと最もらしいことを書いてあったり言ったりしていますが、悪いですが、人間が作ったような木や石の神仏に何の力があるのでしょうか。地震や火災などがあったとき、仏やら釈迦が我々を助けたなんて話は聞いたことがありません。それどころかそれらを助け出すのは人間様、事実、近年に起きた地震のときなどそうした光景を報道していましたが、全くばかばかしいというか、こっけいな様子です。
ご回答有難うございます。
ホントにその通りですよね。
わたしも宗教は全く信じていませんし
元来、疑り深い性格なので何でもかんでも簡単に信じる人を見ると
バカじゃないの?と思ってしまいます。(お守りにもお賽銭にもびた一文出しません)
ただ客観的に見てどうかというより信じている人自身の
精神は必ず救われるのかどうか疑問なんですよね。
No.5
- 回答日時:
信じるものは救われる、と言いますが、この世の中、理不尽なこと、不公平なことばかりです。
それを人間に納得させる方便が宗教であり、信じるものは救われるというわけではないでしょうか?
ご回答有難うございます
理不尽なこと、不公平なことばかりというのは、
回答者さんにとって、ですよね。
それは回答者さんが「信じていないから」と取れますよね?
また理不尽な事、不公平な事ばかりでも「信じるもの」は救われる
かもしれませんよ。
例え傍から見れば宗教が、理不尽な世の中を納得させるための方便であってもそれを信じている人にとっては幸福で救われる素晴らしいものということになるという事ですよね?
やっぱり信じるものは救われるのですね?
No.4
- 回答日時:
信じるということは疑問を抱かないということでしょう。
疑問を抱かなければ全身全霊で打ち込むことが可能になりますから、何にせよ達成される確率が高くなるということではないでしょうか。
仮に達成されなくとも、全てを出し切ったわけですから『その目的に対しては』後悔することはない。
どちらにしても救われる(=諦めがつく)、ということだと思います。
しかし、信じた内容が正しいものであったのか否か、まではこの格言は言及していないように思われます。
いずれにしても、ただ【信じているだけ】で救われることはあり得ませんし、何を信じるのかは個人の責任に帰されるものでしょう。
ご回答有難うございます。
う~ん…
>何にせよ達成される確率が高くなるということではないでしょうか。
達成とは何に対する達成なのでしょうか?
そもそも目的が達成したからといって救われるとイコールではありませんよね?救われるの取り方にもよりますが…。
>どちらにしても救われる(=諦めがつく)、ということだと思います
確かに諦めがつくというのは救われるのいち形態ではあるのかも知れませんが、通常あきらめた時点で信じる事をやめているのですから
「信じるものは救われる」とは別問題ですよね。
>しかし、信じた内容が正しいものであったのか否か、まではこの格言は言及していないように思われます。
私は常々絶対的に正しいものはないと考えています。
その人にとっては正しいと思うなら客観的に見て「正しい」「正しくない」と決める必要なんてないのではないでしょうか?
他人から見て「間違ったもの」を信じ、結果不幸になったように見えても、本人にとっては「正しい」ものを信じ救われているのかもしれませんよ。
>いずれにしても、ただ【信じているだけ】で救われることはあり得ませんし
なぜそう思うのでしょうか?
具体的な例で教えていただければ幸いです。
考えるヒントになるかもしれませんので。
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