No.1
- 回答日時:
専門家でも意見が割れる質問です。
1)ローマ法が契約の概念を重視し、近代的な資本主義のシステムを既に確立していたかのように見えることもあります。事実、ローマと漢は、信用取引をしていたと言われています(クレジットカードを使うのと同じで、現金をいちいち持ち歩かなくとも、相手の支払能力を信頼して取引を行うことです。日本が貨幣の鋳造はおろか、物々交換ですら限られた範囲でしか行っていなかったころ、ローマと中国は、既に、高度に資本主義的な仕組みを持っていたというわけです)。また、オリーブの収穫のため、日雇い労働者の市場が出来るなど、一見、活発な商業活動が行われていたかのような証拠もあります。他方で、当時の人口構成を調べると、現代人の考えるような資本主義世界とは言えず、多数の市民階級が商業ベースで生活をしていたとは言えないようです。
2)属州のうちでも、現在のトルコにあたるアナトリアを支配したことは、穀物生産力の拡大の上で、決定的な役割を果たしました。パンという食べ物は、もともとはギリシアやローマのものではなく、ギリシア人も「パンを焼くなら、アジア人の方が上手だ」と言っていたほどなのです。ローマは地中海世界の支配を完成させたのち、都をローマからコンスタンチノープル(今のトルコ領イスタンブール)に移すわけですが、この遷都の背景に、アナトリアの豊かな麦を、効率よく支配したいという思惑もあったようです。麦の値段が下がったかどうかは知りません。なお、後にローマが東西分裂し、コンスタンチノープルは東ローマの首都になるわけですが、イタリアの一都市であったローマは東ローマ帝国の領土の外となり、東ローマはギリシャ化が進むことになります(公用語がラテン語からギリシャ語に切り替えられたりします)。
ご回答ありがとうございます^^
商業については微妙な線と言うところでしょうかー…
アナトリア支配で生産力が…!そうなんですか!
いろいろありがとうございました~
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
征服戦争辺りの話ということなので、共和制ローマの後期辺りだと思いますが、その事を前提に私なりの回答をしてみたいと思います。
>1富を得た市民?達は商業の方に行ったのでしょうか?
「富を得た市民」というのは、「エクィテス」という人々が中心でした。
この「エクィテス」は日本語では「騎士」と訳されることが多いのですが、所謂、中世ヨーロッパでいう「騎士」のイメージとはまったく異なります。
どちらかといえば、「商人」や「お金持ち」ってイメージのほうがしっくり来る感じですね。
で、そういったお金持ちにはそれなりの義務が課されていました。
それが、軍につくときに自己負担で騎兵の提供が義務つけられていました。
これが、一種の直接税(所得税)に当たってました。
で、徐々に領土が拡大すると経済が活性化され、それによってさらに富みを蓄える人々が増えていきました。
(余談ですが、ローマ社会は日本の江戸時代における士農工商のような厳密な身分制社会ではありませんでした。緩やかな身分制であり、運と実力があればのし上がることも出来ました。逆もまた然り。奴隷すらも解放され、解放奴隷となり、その子供には立派なローマ市民権が与えられました。)
その後、これら富を得た市民は、そのまま経済界のドンとして元老院議員と通じて間接的に政治に関わる者も現れます。(まぁ、現代日本でいえば経団連みたいな感じ)
他にも、法律改正などによって元老院議員への道が開け、議員の議席を得るモノも現れました。
これらの人々を、「ノビレス(新貴族)」と呼ばれ、王政時代が続く名門貴族階級とは区別されて呼ばれていました。(ただし、元老議員としての資格は対等です)
やがて、この「ノビレス」からはコンスル(執政官)になる者も現れます。
それらの人々は、「ノウス・ホモ(新人)」と言われました。代表的な人物にガイウス・マリウスやキケロがあげられます。
そのキケロの親友・ティトゥス・ポンポニウス・アッティクスは、元老議員にならなかった伝統的なエクィテスの家柄に生まれた典型的な人物でしょうか。
>2属州統治を行ったことで穀物等の生産量、値段等は変化しましたか?したならどういう変化でしょうか?
経済構造の変化という意味なら、大きく変っていきました。
代表的な例でいうと、シチリアやカルタゴ等を併合する内に、安い小麦が本国のローマに輸入され、それによってイタリア国内の小麦生産者が淘汰され、変って葡萄栽培が活発化したという構造の変化も起こりました。
シチリアや北アフリカは農業地として豊饒な土地であり、イタリアよりも小麦の生産に適していたため、安価な小麦がイタリアに流入したんです。
日本の農家が、中国産やアメリカ産の安い作物に価格面で押され苦しんでるのと同じ状況ですね。
上手く葡萄栽培に切り替えられた人は良かったのですが、殆どは農業を辞めて都市に流入して貧困層を形成しました。これら貧困層への政策が緊急課題に昇るほどでした。
他にも、ギリシア方面を征服してからは、オリエントからギリシアの工芸品や嗜好品、文化・芸能などが輸入されブームとなりました。
こうした、ギリシア・ブームに眉をひそめ「ギリシア文化は、人を堕落させる」と言う人たちもいたようです。
そして、帝政期移行前後にはいると「食」文化も異様な加熱ぶりをみせました。
珍鳥・珍魚を食卓にならべた飲めや歌えの大騒ぎ。食べて飲んで、お腹いっぱいになったら、吐き出して、またおおいに食べて飲む。
そんな祝宴が毎日のように、誰かの家で開かれていたそうです。(もちろん、裕福層の人々に限りますが)
そんな文化が、ローマの堕落に繋がったとする人も居ます。
いずれにせよ、領土の拡大が経済構造を変化させ、それが人々の生活を変えたと言えなくもありません。(もちろん、複雑な相互関係ですので、全てがこうだ!!と断言はできませんが。)
長い!凄い!!
政治にかかわる人もいたんですね(1)、参考になりました。
説明が解りやすかったです!
ご回答ありがとうございました~!
No.3
- 回答日時:
ローマ史を語るときりがないのでご質問に簡潔におこたえします。
ローマにおいて富というのは権力か領地からの収奪によるもので、商業でというのはあまりなかったのが現実です。
富裕層はすでに形成されて、社会は彼ら、国家からの恩恵(パンの無償配布、サーカス(戦闘競技など)の提供によって成立していました。
これらの恩恵を受けるのがローマ市民でローマの市民権というのは貴重な財産でした。
これがパクスロマーナでした。
勿論この恩恵に浴さない貧困層も存在しました。
属州には食料供給を担う所、鉱山などが多い所、富裕で収奪の対象となる所などいろいろあってそれぞれローマの繁栄に寄与したのです。
穀物の生産に適した所は主にアフリカ、エジプト、パレスチナでした。
これらは商取引よりも税として国庫乃至領土からの収入として領主に収められたようですから価格は比較的に安定していたと思われます。
こんどは解りやすく簡潔に!
語るときりがない…凄いですね!
あ、安定してたようなんですか^^
ご回答ありがとうございます、参考にさせていただきました。
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