
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
フランスに居住する民族が入れ替わったというより、フランク王国にいたゲルマン民族の一部が徐々にラテン化していき、現在のフランスを形成していったようです。
言語的には10世紀のカペー朝の時代には”ゲルマンの影響を受けたラテン語”が使われていたようです。(もちろん現在使われているような統一的なフランス語が成立するのは中央集権時代以降です)
民族的にはさらに前の民族大移動期から先住民族、ローマ人、ゲルマン系の混血が進んでいましたから、もはや現在のフランス人を指してゲルマン系とは言えません。
言語だけでなく一般にフランスがラテン文化圏と認識されるのは、ローマカトリックを信仰しつつ、文化芸術の面でローマ帝国期を連想させる威光を示したことの影響によると思われます。
参考URL:http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761568934 …
No.2
- 回答日時:
帝政ローマ時代、公用語(ラテン語とギリシア語)のうちラテン語を中心に話されていた西欧地域で、「完全にローマ化された地域」がラテン地域と重なります(イタリア地域、ガリア地域、イスパニア地域)。
西欧では近代にいたるまで帝政ローマを越える文化や技術を伴った文明は存在しませんでした。中国の歴史上、幾つものの異民族による帝国が、統治する間に逆に中国化されていったように、帝政ローマの文明が色濃い地域では征服者であるゲルマン系民族の「ローマ化」が進みます(ローマ式の生活様式や公用語としてのラテン語の使用)。
これに対して、ローマ帝国領でありながら、防衛上の拠点としては重要な地位を占めていたものの、ローマの文明が十分に浸透していなかった地域(ブリテン島・ゲルマニア地域など)では、征服者達は自分達の文化を色濃く残すことが出来ました。生活様式は部族固有のものを残すことが出来、言語も語彙などではラテン語から取り入れたものが多くありますが、文法構造においては独自性が色濃く残されます。
以上のように「ローマ」と言う「原西欧」による文化的影響力をどれくらい受けたかと言う違いが、同じ祖先を持ちながら、後に文化的に大きく異なるラテン系民族・ゲルマン系民族になった原因と考えられます。
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