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人間社会に限らず、動物の群れや集団もそれなりに秩序をもって維持されていますし、親子愛や仲間を害さないというルールも機能しているように思います。

人間社会の道徳も、人間の生物としての本能に根ざしたものなのでしょうか?

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A 回答 (13件中11~13件)

貴方の質問の答えにはなっておりませんが、道徳とは何かを他の国民と議論する時に参考になると思えることを書いてみます。



私はアメリカに住んでおります。アメリカで生まれた娘(E子)は私たち夫婦から完全な日本人として教育を受けました。娘は成人するまでアメリカの学校に行きました。その娘がアメリカの高校時代に経験したことです。アメリカでは今でも50%以上の人達が毎日曜日に教会に行き、神の創造説を信じ、従ってダーウインの進化論を信じないという事実を認識しながら、以下の話を聞いて下さい。

娘のアメリカの友人が言うには、E子は(標準的な日本人のように)特別な宗教を信じているわけではないと、いつも言っている。そのことから、その友人には理解出来ないことがある。何故なら、E子は道徳的に振る舞うことができるように見えるからだ。キリスト教を信じていない人間が道徳的に振る舞えるはずがないのに、不思議でしょうがない。

どうです、貴方が今後アメリカ人と道徳について議論をする時に、私の娘の聞いた意見を参考にしてください。そして、道徳とは何かと言う問題に対して、先進国と言われる国でも、これだけ程度が低い国があることを認識しておいて下さい。アメリカに長年住んで、貴方のような質問が出る日本て、文化的には遥かに進んでいるなと考えるようになりました。
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この回答へのお礼

お褒めいただいてありがとうございます。

私の質問が正解ならば…ですが、本能的集団行動が希薄になったために、道徳的にそれを補完するために宗教が利用されているという側面もあるのではないかと思えます。

お礼日時:2007/11/19 14:02

Q、道徳は本能に根ざしたもの?


A、否。歴史的・時代的な存在の反映です。

それぞれが、「ウン!これは善い行いだ」と考えることと行うことが道徳。
それぞれの行為の善悪の基準は、別に、法律で定められたいる訳じゃないです。
まあ、「各人の大脳皮質がおおむね標準的に善とみなすであろう規範=道徳」です。

しかし、それぞれの大脳皮質が何を価値あるものと判断するかは、時代によって変化。
しかし、それぞれの大脳皮質が何を理想と考えるかも、時代によって変化。
しかし、それぞれの大脳皮質が何を善行と認識するかも、時代によって変化。

さて、この<それぞれの大脳皮質が・・・>という点が問いの答えを示唆しています。
大脳皮質が未発達な犬猫の行動規範と人間のそれとの本質的な差とは何でしょうかね?
こいう発想をすると、「人間にとっての道徳とは何か?」が見えてくると思いますよ。

人間は、母系社会、家父長制社会、現代社会とその社会構造を変化させてきました。
そうして、その時々の時代文化というものを発展させてきました。
その過程で、道徳も生物的規範から文化的な規範へと発展したと言えます。
つまり、「より人間的な行いとは何か?」を時代と共に変化・発展させてきたのが人間。
現代の道徳とは、そういう人間が歴史的に到達し獲得したものでしょう。
そして、それは、これからも否定されて、尚、変化・発展するものでしょうね。

「犬や猫の親子愛より人間の親子愛は、もっと文化的」には、異論もあるでしょうね。
人間の道徳は文化的なゆえに、犬猫にも劣る非道徳的な行為もまた散見されますからね。
それもこれも、現代社会を切り離しては語れないでしょう。
「否。歴史的・時代的な存在の反映です」という理由です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それぞれの集団の道徳に歴史的、時代的な背景や思想が反映していることはよく理解できます。
その集団の思想やルールの傾向を道徳というのなら、本能とは無縁かと思います。
ただ各集団のそうした行動規範のようなものを突き詰めると、どの集団も共通して善悪や殺人の是非といった根源的で回答の難しい問題に行き着くように思います。

その部分の答えが「本能」なのかと思い、質問させていただきました。

お礼日時:2007/11/19 13:34

本能に根ざしたものとそうでないもの、両方あるのではないでしょうか。



「人を殺してはいけない」というのは本能に根ざした道徳だと思いますが、「お金を拾ったら交番に届ける」とか「他人に迷惑をかけない」というのはむしろ動物的な部分を抑え込むことによって無用なトラブルを避けるための知恵だと思います。
まぁ、無用なトラブルが発展して争いになるわけで、そういう意味では種を保存しようという本能に基づいたもの、と言えなくもないとは思いますが・・・。
性悪説の立場で考えれば、子供が誰に言われるでもなくやらないこと、怖がることというのは本能に根ざしたもので、親が止めないとやってしまうことというのは後付けのルールだと思いますが、いかがでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

道徳には根源的な道徳と、ローカルルール的な道徳があって、本能も種族維持本能と固体としての本能(欲望)があって、根源的な道徳は種族維持本能に根ざし、ローカルルール的道徳は固体としての本能を抑制するためにあるということですね。

よく分かりました。

お礼日時:2007/11/19 13:22

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