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普通、日本でも欧米でも、食事時にクチャクチャとかズルズルとか音を出して食べることは、マナー上厳禁となっています。
ところが、日本食の場合は、唯一、麺類を食べる時だけば、大きな音を出してズルズルとすすることが、逆にマナーにかなっているとされているのを聞きます。
しかし、私は日本人ですけど、たとえ麺類であっても、あのズルズルすすって食べる音が非常に不快なのです。ましてや、欧米人には尚更、と思います。
この麺類をズルズルすするのは、本当に日本の食事マナーにかなっているのでしょうか?
私が思うに、この、麺類をすする音と言うのは、単に落語の中で、麺類を食べるのを分かりやすく表現するために「落語家」が使っているのを、一般的にそれが作法であると誤解したことによるのではないでしょうか。
また、本当にズルズルすする音が食事のマナーであるとしても、同席した人間にその音を不快と感じる人間(特に外国人)がいる場合は、音を出さないようにして食べるのが、正しいマナーではないでしょうか(マナーの基本は、相手に不快の念を与えないことにあるはず)。
私の勝手な憶測かもしれませんが、日本古来の食事作法に詳しい方がいらっしゃいましたら、ご回答よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

 


日本の他に箸を使う中国などもめん類はすすって食べます。
音を立てずに食べるならパスタを食べる用にフォークなどで口に入る様にまとめないと食べられません。
私は、音を立てない様に舌を起用にくねらせて食べる姿を見るのは悪寒が走る程嫌です。
外国人が嫌であろうとも、日本の作法では音をたてるのは問題ないのだから普通に食べられる方法で食べるべきです。
海外では素手で食べるのが作法の国もあります、郷に行っては郷に従えです。

私は音より、上品そうに手皿をするバカとか正しく碗を持てない人が多いのが気になります。

 

この回答への補足

私がこの質問で確認したかったのは、「郷に入って郷に従え」と言う前に、麺をズルズルすすって食べること自体が日本の正式な食事マナーではないのでは、と言うことです(単に落語の影響を受けているだけ)。
私は、普通の日本人で、麺類も普通に食べて来ましたが、別に「舌をくねらせて」無理しなくても、ほとんど音を立てずに自然に食べることができます(特に女性は音を立てずに食べる人が多いようです)。たとえば、数人で店にソバを食べに行っても、私が音を立てずに食べることで、他の者が不快になるのに出会ったことがありません。(何しろ、皆自分の食べることに夢中で、他の人間が音を立てずに食べても気が付かないのです。しかし、思い切りズルズルと音を立てれば、いや応なく、その音に気が付いてしまいます。)
こう説明しても、あなたには理解不能かもしれませんが、分かりやすく言えば、ラーメンの汁をすするのに、ズルズルと音を立てて飲むこともできますが、音を立てずに飲むこともできます。音を出さずに汁を飲むからと言って、別に無理してるわけではないのです。逆に、音を出してしか飲めない人間は、箸をちゃんと扱えない人間と同じく、不器用に見えると言うことでしょうか。

補足日時:2007/12/02 23:32
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マナーの問題というよりも、そのほうが自然だからです。



箸で麺類を食べる時、音を出さないのは、至難の業です。
音を出さないように神経を使っていると、味もわからないかもしれません。
食べるのに時間もかかりますから、駅などの立ち食いそば等も繁盛しないでしょう。

それよりも、箸を正しく持てなかったりする人が若い人等に見受けられますが、そのほうが気になります。

この回答への補足

今回の質問では、自然な食べ方についてでなく、正しいマナーをお訊きしたつもりなんですが・・・

補足日時:2007/12/03 18:46
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ラーメンや汁物に関して言えば、すする音を立てて食べるのと、すすらずにそのまま食べるのでは大分味が違ってきます。



これは科学的に熱くても汁と麺が絡み合ってる内に口の中へ入れて食えて尚且つ、湯気や風味がダイレクトに鼻の感覚受容器に作用しより美味しく感じると言う事です。2通りの食べ方をしてみればどちらがより旨く食べられるか分かります。

自分から言わせれば、ラーメンを蓮華に乗せて冷まして食う邪道な人間や一切音を立てて食わない人間に腹が立ちますね。だって同様にして食うと全く旨みが異なりますから、何を気取ってるんだと?せっかくラーメンの旨い店に行っても味を半減させてしまっていて味なんてどうでもいい味覚貧乏なんだと・・・。

そもそも、汁物をすすったりラーメンをすすって食べるのは日本の食事マナー上全く問題ありません。
ラーメン屋に行ってこんな事気にするなんて事聞いた事ありませんね。

>麺類を食べるのを分かりやすく表現するために「落語家」が使っているのを、一般的にそれが作法であると誤解したことによるのではないでしょうか。

貴方はどうしても麺をすすって食べる食べ方が何処かが発端があり其れを真似して出来上がった文化だとか思っているんですね。麺をすするのは不自然だと?断じて違いますよ。


>(マナーの基本は、相手に不快の念を与えないことにあるはず

その通りです。ですから、味噌汁をすすったりラーメンをすすりながら食うのは日本人では当然の食事作法。不快に思うのは極一部の貴方のような人間のみです。ですから皆不快には思わないのです。
ご自分一人が不愉快だから皆絶対に不愉快とは思わない方がいいですよ。地球は貴方の考え全てじゃないんですから。
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ついでに言えば、熱い汁物の麺類をすすらず食べる方が元来不自然な食い方だと思います。

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相手のマナー云々を言ってもどうにもなりませんので、どうしても気に


なるのであればご自分がそういう場所を避けるしか方法はないでしょう。

ラーメン屋に行って、隣の人に「私は麺をすすって食べるのはマナー
違反だと思うからすすらないで食べてくれ」なんて言えないでしょう?
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>あのズルズルすすって食べる音が非常に不快なのです。

ましてや、欧米人には尚更、と思います。

お蕎麦の話しですが、映画か何か実際の話しか全く記憶にありませんが、欧米人に蕎麦をすするのが正しいマナーであると蕎麦の食べ方を教えて、ズルズルと不器用にやっていた話しの記憶があります。

蕎麦をすすらないで食べるのは、結構難しい食べ方だと思います。
音を出さずにすするのは出来ます。
自分は音を出さずにそばをすすります。

蕎麦屋で、若い女性が蕎麦をすすらないで食べていたのを見た事がありますが、滑稽な食べ方でした。
はっきり言って、まずそうに食べているように見えました。

口に蕎麦を入れて、口に入らない分は歯で噛み切って噛み切った残りは、蕎麦の漬け汁が入った器に戻す。(落ちる)

これは見ていておかしかったです。
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何故に落語家が語源だと何度も仰るのでしょう?


根拠を示して頂けると有難いです。

誰も落語家の麺すすりのシーンなんて真似てはいませんし、誰も影響なんて受けちゃいません。一番楽な食べ方で尚且つ一番麺を良く味わえる食べ方だから自然とそうなっただけだと思いますよ。
そもそも大衆が麺をすする事をしていなかったら、落語家が「麺をすする」シーンなんて派生しませんよね。ですから、普通に考えれば順番が逆です。庶民の食べ方を落語家が真似し落語に取り入れたと考えるのが自然ではないでしょうか?

落語家の真似しながら食べてメリットなんて何も有りません。

又、他の方も仰っているように、わざわざ熱い麺をすすらずに、口に入れわざわざ麺を噛み切って食べている方がよっぽど不自然極まりなく食べずらいと思います。また見てて麺をすすらず、わざわざ何度も麺を口に入れ歯で噛み切ってちょこちょこ食べているのを見ていると逆に不味そうですし私は非常に汚く感じます。

「わざわざ舌を回してすする」と仰っていますが、舌を回したりなんかしながら麺をすする器用な人なんて滅多に居ませんよw

麺をすすって不愉快な思いをする人は少なくとも日本人では少ない。
つまりは、貴方が食事マナーは他人を不愉快にさせない為の物と仰っていましたが、でしたら大半の人間は麺をすする事には不愉快と感じません。

よって貴方が麺をすする行為が不愉快なのであれば、その場を避けるべきであって麺をすする人間をマナー違反云々と非難するべきではないと思います。
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色々調べました。



>この麺類をズルズルすするのは、本当に日本の食事マナーにかなっているのでしょうか?

日本食の麺類の食べ方のマナーになっていました。


>同席した人間にその音を不快と感じる人間(特に外国人)がいる場合は、音を出さないようにして食べるのが、正しいマナーではないでしょうか(マナーの基本は、相手に不快の念を与えないことにあるはず)。


この考えに関しても正しくない考えだろうとのことも書いてありました。


・大きな音を出す理由のひとつは、熱い麺を空気と一緒に吸い込んで、口の中で温度を下げる効果があるから。

他の回答者さんの述べている通りです。


特に海外では、その国の常識やマナーをきちんと守ります。
自分の国の習慣がすべて正しいのではない。
世界にはいろんな国があり、なにが正しい、何が悪いということは一つの国の習慣だけでは判断できない。
世界は広いので決める事は出来ない。



手で食物を掴んで食べる国もある。
中国はその家の主が自分の箸で食物を最初に食べて「怪しいものは入ってない」との意味がある。


食事のマナーというのは、その土地の食文化によっても異なるもので、こちら側の常識があちら側では非常識、またその逆もある。


日本では古来より、蕎麦や茶をすする音を「美味しそうな音」と捉える事などから食事中の音に関してのマナーは海外とは違う。

これは日本が島国である他国との人の行き来がほとんど無いからというのもあるでしょう。
独自の文化である。


日本のようにラーメンや蕎麦は音を立てて食べる文化もある。食文化の数だけマナーもあるわけで、その違いは尊重しなければならない。

日本に欧米人が来て、蕎麦や茶を音を立てて食べるのが日本の作法だと教えたら、多分それに納得し、四苦八苦しながらそのマナーを行うだろうと想像します。
日本に観光の為だけに来日する裕福な欧米人は、日本の文化を楽しみ体験する目的があるなら、むしろ楽しんで行うだろうと思います。
またそのような欧米人は、その国の文化を大切にするという考えを持つという常識はわかっていると思います。

自分の目線で物を見ないと思います。

自分の目線で物を見るから、欧米人が見たら不快に思うと考えてしまうのです。

自分が手で摘んで食事をする文化の国へ行ったら結構楽しんでその文化をエンジョイすると思います。
日本ではお箸の文化の国なので普段出来ない事が出来て楽しいと思います。
(堂々と手づかみで食事が出来る)

欧米人も同じ感覚だと思います。
それが人の目線、その国の人の立場になって物をみることです。
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 私は麺類は「音を立てても問題はない」でけであって「音を立てなければならない」というものではないと思います。

だから「音を立てて食べるのがマナー」という言い切るのは違和感を覚えますね(私も自然に出た音ならおいしそうに聞こえますが、いかにもわざとらしくすする音は下品に感じます)。

 さて、日本の食事マナーには仏教修行の影響を受けている部分が多くあります。寺院の修行道場での食事(仏教では「じきじ」と読みます)は、朝の粥飯(しゅくじき:粥を食べる)と昼の飯食(ぼんじき:米などの飯<めし>を食べる)の2回の食事を正式とします。
 ただし体力を使う修行期間であれば、夕刻には薬食(やくじき)といい、体の調子を整える薬として日中の残り物や麺を食べることも認められます(ここでいう麺とは“小麦粉を練ったもの”という意味)。

 特に禅宗の修行道場では「うどん供養」と称し、うどんはお代わり自由で、またすする音を立てることも許容されます。そもそも仏教では食事(じきじ)は修行の一つであり、食堂(じきどう)では私語はもちろん、食器や漬物の音を立てることすら禁じられます。そんな生活を送る中で、(仏教的な意味で)正式な食事ではないうどんを食べるときは、普段の緊張感から解放される時間なので、すする音を立てることが許されるのでしょう。
 そのような背景から日本では麺をすする音に関しては、黙認されているのではと思います。また「落語云々」とありましたが、江戸っ子あたりがそばを早くソバを食べることで粋を競っていたかもしれませんね。だから自然と音がたつ。
 どちらにしろ「音を立てるのがマナーだ!」というものではなく、基本的に音を立てない方に越したことはないが、ある程度の音なら許容されるというものでしょう。ましてや、無理やりに下品な音を立てて食べるのは不作法でしょうね。

 なお中華料理でも麺類を食べるときは、レンゲに載せてから口に運ぶのが正式で、直接すすり込んだり、音を立てるのは晴れの席のマナーではないそうです。
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「蕎麦をすする音」って今結構話題となってますよね。

それが原因で婚約破棄というのも凄いことだと思うのですが、人によっては我慢できない不調法なのでしょう。ご質問の「日本の作法として」という問題ですが。多くのご意見にあったように「作法」は地域や時代によって様々です。日本の食事の作法も時代と食生活とともに随分変ってます。今の日本の伝統的な文化の基本としてあるのは中世末期に一般化した「儒教道徳」と「禅宗」だと思います。実は「儒教」と「禅宗」は何の係わり合いも無いのですが、その二つの融合体が今の日本の伝統文化と言ってもいいと思います。その中で食事の作法として採用されたのは「禅寺での食事」だったのです。禅宗でも食事の作法としては基本的に「無音」であることを要求しています。唯、そのなかでたった二つだけ音を出すことをことを許容しているメニューがあります。そのひとつが「タクアン」でもう一つが「麺類」です。タクアンは禅宗の食事にとって必須の食材です。食事の最後にご飯を食べた後のお椀に白湯を注ぎ、タクワンを使ってお椀にこびりついた飯粒をきれいに洗い流すというのが作法なのです。試しにタクワンを無音で食べてみてください。絶対にポリポリという音は出てしまいます。一方「麺」に関しては基本的には「うどん」だったのですが原料の小麦粉が育ちにくい地域にも修行の場所が広がるに従ってその範囲は「蕎麦」にも及んだようです。もともと「うどん」の場合禅宗では「うどん供養」と称し音を出してもOKというメニューでした。そんな伝統が今も日本で「麺類は音を出して食べてもよい」という根底にあるのだろうと思います。もう一点、味について日本の麺類とイタリアのパスタだけを比較します。もちろん「bestbook」さんもその両方を食べたことを食べたことがあると思います。今では「スープスパゲッティ」というレシピもありますが、元来のパスタのレシピはかなり味も濃くソースの粘度もあるものです。それに対して日本の麺類の基本的なソースは「汁」です。丼に入った温かい麺も「ざるソバ」などのつけ汁もサラサラとしたものです。つまりパスタはフォークやスプーンで麺に絡めることが出来るソースを用いているのに対して、蕎麦やうどんは、麺の一本一本の間に生じる毛細管現象によってスープ(ソース)を一緒に摂取する形式なのです。蕎麦やうどんのツユには粘度がありませんから、麺を掬い上げたとたんにツユはもとの器に落ちていってしまいます。だから「麺ごとツユを啜り口の中でその融合を味わう」という食べ方になるのです。その時に音が出てしまう。そのメカニズムを知っていたので、音に厳しい禅宗でも「麺類」を食べる時の音は許容していたのでしょう。行儀とか作法と言うものは、時代や環境とともに変っていくものです。私は西洋式の行儀作法が必ずしも絶対とは思わないし、ではカレーは左手の3本指で食べなさいと言われても困ってしまう派です。大切なのは、料理はリラックスして楽しく・美味しく頂くこと、そして、一緒に食べる方に不快なことは出来るだけ慎むことだと思っています。
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