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小学校高学年~中学半ばくらいまで約3年強、小5の転校先の学校と小6での転校先とそこを経由した中学でいじめられてました。

結論からいえば原因は自分にありました。不潔だったのだと思います。
物心ついたころには祖父母と住んでましたが、祖父母の感覚として、お風呂は週2回でした。基本的に毎日入るものとは思っていませんでした。あと洋服ですが、祖母の選んでくれた服が安っぽいダサい・・・破れたりしていてもつぎはぎで隠して着ている。ちょっとヘンな印象を与えていたと思います。

男子と一部の女子からいわゆる菌回しの標的にされ、本当に辛かったです。私は生きる価値がない、人に不快しか与えない存在だと。
くじ引きなどで近くの席になった人には申し訳ない思いでいっぱいでした。

中学の後半くらいからローティーン向けの雑誌などから、標準的とか平均的な事が分かってきて徐々にいじめに悩む事もなくなってきました。
まぁ、受験をひかえイジメをする方も、暇がなくなってきた事も要因と思いますが・・・。
けれど、原因は自分にあったとはいえ心についた傷は消えていません。自信が持てない事これが10年以上経った今も私を苦しめています。
大切なのは今だと思っていますが、努力して好結果を得ても自分が価値のある人間だと思えずに心を満たせません。

勝手にイメージしてみたのですが、激しい怒り憎しみという感情を誰かに向けることが出来れば、その誰かを許す事で一区切りつける事が出来る気がします。激しい怒りや憎しみを向ける事は悪いのはアイツ!!と100%誰かを悪く出来るからです。

しかし、不潔な人間に対する嫌悪感は私も持っていますし大人になり大人目線で当時の子供だった頃の自分や同級生を見た時に10歳~14歳の未熟な少年・少女がそのような違和感を覚える人物に対してとった行動として仕方の無い事だったようにも思えます。

でも、小学生の私がお風呂に毎日入れなかった事や、ダサい服を着ざる得なかった事、親と一緒に暮らしていなかった事、母親が死亡して居ない事やそれに付随してお弁当がダサかった事(小6からは祖父母とではなく父と暮らしていました)これも私のせいではありません。

祖父母の感覚でお風呂は週2日だった事、服がダサかった事、これも感覚の問題ですから、責める事が出来ません。服のつぎはぎに関しては物を大事に・・・というのも分かるのですが当時の標準からはかけ離れていました。

この辺りがモヤモヤしているのです。誰も悪くはない。けれども何をしても自分に自信が持てないという傷を負ってしまった・・・傷を癒す方法はないのでしょうか?

A 回答 (12件中11~12件)

難しい問題ですね。



読んでいてちょっと気になった部分があるのですが、それはsimbyさんの心の中でかつての状況が非常にリアルに”再現”され続けている事です。
その事と”自信が持てない事”は実は非常に関連が深い事だと思います。
言ってしまえば”卵が先か鶏が先か”状態?
”自信が持てない”から”当時の事が忘れられない”のか、
”昔の事が忘れられない”から”自信を持てない”のか。

simbyさんは非常に頭が良く、かつ分析的に物事を見られるようなので こう書いてしまっても御理解頂けるかな、と思ったのですが、
要はこのループを断ち切る事が出来るか、ではないかと思うのです。

ご自分で仰っておられますが、”憎しみに囚われる”事も1つの方法です。ただ、これは両刃の刃。自分自身を切ってしまう事もあるし、これに囚われてしまうと”人として”の生活を放棄せざるを得ません。
当然ながら進歩する事も出来なくなるので 我に返った時に”浦島太郎”になってしまう事も避けられません。
また、募る思いを実行に移してしまえばいわゆる”犯罪者”となってしまいます。これは建設的とは言えませんよね。
なので”悪魔の儀式”等と呼ばれる事も多いようです。

ではどうすれば良いのか。

ここから先は単に私の”経験”だけの話ですので御参考までに。

私はその後、趣味を見つけました。
最初は熱中する事で過去を忘れていたい、と思っていたのですが、やがてその趣味は私を捕らえて離さなくなりました。

暇な時には、食事と排泄時以外はずっとそればかりをやっていました。

同世代の人達が やれ車だバイクだ、女だグルメだと楽しみを拡げていた時にも私はその趣味の事しかやっていませんでした。お陰で趣味以外のありとあらゆる経験が人よりは遅かったのですがwww

そこまで熱中していれば当然の如く、ある程度までは認められるようにもなって行きました。まあ、あくまでもアマチュアではあるのですがw

「人に認められる」事は自信に繋がりました。
また、”同士”との交流も自然と出来、少なからぬ情報が私の助けになる事もしばしばありました。その事もまた生きる為の自信となりました。

ある程度の自信の付いた私は過去の事を、少なくともリアルに再現する事は無くなっていました。

つまり、私は”憎しみ”の代わりに”趣味”に囚われてしまったのですw

直接”経済”と結びつかない事を除けば、これは非常に建設的でもあり、また自分自身の心を癒してくれる事でもありました。
更に「人に認められる」事で自信を付ける事も出来ました。

勿論長年やっていれば楽しい事ばかりではありませんが、これは何をやっても同じだと思います。(因みに現在も続けていますw)

また、この手の傷を持った人間は 恐らく普通に生きてきた人よりも集中力が高いような気がするのです。これは若いうちは煙たがられますが、ある程度の歳になると「武器」にすら成り得ます。

古い言い方になりますが、自分をぶつける事が出来る事を持った人間は、皮肉にも普通の人よりも強くなれる事も少なくは無いのです。

自分に自信が持てなく、自分自身を愛せないのなら、それを”逃避”出来る事を探してみると良いかも知れません。

カウンセラー等は薦めないかも知れませんが、常にトラウマと向き合っている必要も無いと思うのです。

私のように逃避から新しい展開が起こる事も充分に考えられます。
またそれは大昔から数多くの人達が「芸術作品」として証拠を残しているのではないでしょうか。

先ずは何かを始めてみては如何ですか?
出来る事なら興味のある事を片っ端から試してみて頂きたいですね。
まぁ無理にはお薦めしませんが、そんな人もいましたよ、って事でw
長文失礼致しました。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
”自信が持てない”から”当時の事が忘れられない”のか、
”昔の事が忘れられない”から”自信を持てない”のか。

確かにどちらなのか分からないですね。自分としては今は誰かを憎んで、それを許す自信もあるのですが、実際に憎しみに囚われた時に許す事が出来るのかは未知な部分も大きいですもんね。

ただ、私自身も高校~大学は趣味に没頭し過去を忘れる事が出来た事もあるんです。私の大学時代は「自分探し」が結構スティタスのある言葉で、やりたくない仕事に就くよりはフリーターになって夢を追う方がかっこいい!!みたいな風潮がありました。没頭してましたから私もそういった道を選びました。むしろやりたい事がわからないけどとりあえず就職した人たちに対して優越感すら感じていました。

しかし、回答者様もおっしゃっている直接”経済”と結びつかない事の意味、そして夢では食べていけない事の意味を1年半後に知りました。

学生時代は正に非常に建設的でもあり、また自分自身の心を癒してくれる事でしたが、没頭すればするほどに減っていく貯金、私も馬鹿ではないですから、このまま行けば無一文になりご飯が食べられなくなるのを悟りました。ご飯が食べられなくては肉体的な死が待っています。でも趣味を手放す事は精神的な死を意味していました。そんな思いが錯誤し預金残高2万円になった時、私は肉体の生を選びました。

住み込みとして、逃げるように山奥のリゾート施設に行きました。
父は私を呼び戻そうとしましたが、表向きは自分の失敗は自分で取り戻すから助けは要らないと言いましたが、父の住む場所(私が小・中苛められていた場所)にはどうしても帰りたくありませんでした。

私が苛められていたころ住んでいた北関東の某県は、東京の大学に行く人じたい少なかった。まず、そこで得られた第1の自信(苛めていた人たちより勉強が出来るという自信です)

大学に入り趣味に没頭した第2の自信、これが音を立てて崩れていきました。息を吸って肉体は生きているけれど、精神は死んでいる。
やはり私は価値の無い人間だったんだ・・・そう思っていました。

補足日時:2007/12/18 22:08
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この回答へのお礼

山に来て半年経ってから、私は高校、大学、そして卒業後の1年半と9年近くその趣味の事しかやっていなかった。本当はもっと自分に向いてる事、合ってる事が有るかもしれないのに気づいていないだけかもしれない!!そう思って、今度は自分の興味と経済が結びつく分野を探しました。それが不動産です。
不動産業に就職したいとぼんやり思った私は宅建の勉強を始めました。

中学後半から高校までの私のスティタス→人より勉強が出来る
大学~挫折するまでのスティタス→趣味に没頭し、私は妥協せず夢を追う道を選んだ!

そして宅建と言う資格は合格率15%、人によっては簡単と言う人もいますが、当時の私にとっては、これが取得できれば新たなスティタス、自信が持てる!!という希望だったのです。思い立ってから試験まで短かったので1年目は惨敗、2年目で合格しました、車の免許やパソコンの資格など就職に有利とされる資格は取りました。
そしてその頃はすでに山を降りるには十分な資金が溜まっていましたから晴れて山を降りました。難航を予想していた就職活動も難なく決まり今では普通に東京でOLをしています。

けれども、資格をとれば自信がつくという思いは予想に反して大はずれでした。正社員になったら自信がつくというのも大はずれでした。

実は自信を持つと言うのは一般的に難しい事なのでしょうか?

お礼日時:2007/12/18 23:22

書かれている通りです。


質問者さん、祖父母、お父さんの皆さんが一生懸命愛情を注ぎ、あなたを育ててくれたのです。
唯一、周囲の子供たちに優しさが足りなかったのです。

しかし10年以上も引きずってはいけません。
自分が不幸になるだけです。
これからは自身の幸せのために、心の転換をしなければなりません。
気分を変えるには旅行が一番です。特に海外です。

是非強い気持ちで幸せを勝ち取ってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

海外ですか。1回も行った事がありません。飛行機が怖いのもありますね。
自分自身ひきづってるなぁ・・・と本当に感じます。幸せを勝ち取りたいです。

お礼日時:2007/12/18 21:44

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