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大学教員からです。
この10年大学での卒論履修や修士研究中、登校できなくなる学生が急増しています。理由のほとんどは、自分の説明や考察を否定されたり(実際には能力に問題があることも多い)、叱られたり、だらしなさを注意されたり、馬鹿にされた(と思ってしまった)り、などが原因のように思えます。また、研究室内の友人との関係もあるようです。しかし本人にとって、何が原因かは判らない場合が多いようです。というよりは分かりたくないのだと思います。彼らは小さいときから温室育ちで、プライドが高いので、一度落ち込むと自分からはなかなか立ち上がれないようです。このように書くと、教員がいじめている(教員失格)ように思う人がいるかもしれませんが、大半はそうではない場合のほうが多いと思います。対処療法としてのカウンセリングや心療内科がありますが、個人的には緊急時以外はコミュニケーションでリカバーするべきと思っています。そしてこのようなことにならないようにするのが大事だと思っています。しかし、半分以上登校しなかった学生を卒業させたり、修了させるのは問題です。多くの場合、このような問題に教員は関与したくないと思っているので、A評価をつけて修了させてしまうことが多いのが現状です。なぜなら、大学をでてから別の能力が開発されることもあるからです。
 世の中では、このような現状を憂いて、人を育てるための多くの方法が議論されていますが、実際に役に立つ常套手段なく、ケースバイケースだとおもいます。親身になって、見守り、相談してゆくことしかないように思います。しかし大学や大学院は、教育と最先端研究をする場でもあります。今の時代、卒論や修論は在籍すればよいくらいに考えなければいけないのでしょうか。
 これは非常に大きな現代社会の問題ですが、解決の糸口はどこにあると思いますか?

A 回答 (8件)

お話にならないものです。


>大学というのは文科省のためにあるわけではありません。
>本来は。(笑)
もちろんですよ。
ただ、こんなことを行ってたら変更申請でも何でもできないことになるんです(質問者様はご存知でしょうが)。
今後、大学卒業のの実質化を含めて、過去に認められていたことがどんどん認められなくなるでしょう。
大学は文科省に締め付けられているのですから。
文科省があんぽんたんだろうがなんだろうが(私もそう思いますが大学課程の実質化は避けられません)。
かつてよかったからよいというのは、学士に値しないといわれる日が必ず来ます。
自分の甘い認識で学部のハードルを低くすることはいずれ認められなくなります。
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お話にならない人が一部いるようですが、


大学というのは文科省のためにあるわけではありません。
本来は。(笑)
あのアンポンタンどもが作ったルールでおかしくなっていることはいくらでもあります。
この件だと、特に研究を念頭に置く必要はどこにもないのです。
というか、研究とは無縁の人が研究室に出入りしている実態がおかしいのです。
それに対してあのアンポンタンどもがまともな対策でも取ったのでしょうか。
じゃぁどうするか。
研究する人としない人に分けましょう。それだけのことです。
そもそも日程に無理がありすぎるのです。
大学生の立場になってみればいいのですが、研究室ってどんなところか全く判らないうちに大学院に行きますか就職しますかって言われるんですから。
それじゃぁといって3年から研究室に所属、なんてことにすると、どうせ学生を缶詰にするバカが出てくるのは必定で。
そういう理性や判断力の欠片もない、研究中心というより自己中心の教員が巷に溢れているのがそもそもの原因なのです。

学生に金を払うだけの予算がない?
研究費回したらどうですか?
自分で集めたお金を回したらどうですか?
それでやっと責任感が生まれるのではありませんか。
学生が不便をしようが体を壊そうがおかしな奴が研究室内を引っかき回していようが、金を払ってみてやっと、俺は知らないでは済まなくなるでしょう。
勿論、現状のシステムでやれなんてバカなことを言っているつもりもないのですがね。

それにクビにはできますよ。
この場合のクビとは、大学-教員間で行われる物ではなく、学生-教員間で行われる物ですから。
大学との雇用関係は維持、ということで良いのではないかと。
しかし、毎年のようにクビを切られる奴を大学が置いておくのか、ということとは別問題です。
学生がクビを切るというけじめに意味があるのです。

> しかし、基礎力、本当の意味での研究力は全くつきません。

申し訳ないですが、それを言い出したら大概の研究室でそうなんで。
だって根本的に指導力が無いんですから。
お金を配ったって良いんです。学生がお金に群がったって良いんです。
それ以前に指導ができていれば良いんです。できるのかどうか。
手足のように扱き使うというのは、実は指導力がないのも一因です。
指導力がないから、何教えて良いのか判らないから、取り敢えず作業させとけ、ってことですから。
指導力さえあるのなら、きちんと指導して取り組ませる方が効率的なのですから。

> それ以外の大学は、結構レベルの高いといわれる大学でも、困難な状態にあります。

その結構の度合いに依りますが、勘で言うならMARCH辺りではもう苦しいでしょうね。
やっぱり大学入試は結構良い線で選別している、というのが私の印象です。
思考力が全然違っちゃってる感じです。勿論人に依りますけどね。
そういう意味からも、猫も杓子も研究研究というのはおかしいと思うのです。

> あまりにも幅広い(または低い)能力の学生がいる研究室での教育とは、どう考えればよいでしょうか

研究指導を主眼にしていては解決しないでしょう。
まずは研究したくない奴は来なくて済むようなシステムにしないと。
4年生になったら研究室所属、なんてのは、研究者育成のシステムであって、研究しようか就職しようかというような人のためのシステムではないんです。
つまり、自分たちで研究者用のレールだけ敷いておいて、そうじゃない奴が来て困る、と言っているんです。
レールがそれしかないから来ちゃうんですよ。
自分のところが研究者養成用の大学かどうか、学生が概ねどうかくらいは判るでしょうから、研究者養成用でないレールをきちんと引いて、思い切って本線をそのレールにしないとダメでしょう。
学生も不幸なら教員も不幸ですよ。
学生のできが悪いって当然なんですから。無い物ねだりしたって仕方ありません。

バカでもやる気だけある奴に対しては、
高校理数からきちんと教えられますか?
特にそれらの物の見方や考え方をきっちり指導できますか?
勉強に取り組む姿勢を正せますか?
対人関係を正すことはできなくても注意くらいはできていますか?
その他色々な取り組み方について指導できていますか?
と書いておきましょうか。
無い物は無いのだから、自分で作り上げるしかないのです。
大学人は、喉が渇いたなぁ雨が降らないかなぁと空に向けて口を開けているようにしか見えません。
そんなことは学生が、というのは東大京大に限った話かも知れません。あるいは大学に残れた奴に限ったことかも。
そういう大学なのかどうかは銘々がご判断を。
また、そういう指導をするかしないかはケースバイケースですが、指導する能力があるのと無いのとでは違います。
最近の学生はできが悪い、なんて言う奴ほど指導はできません。
理由は簡単で、指導ができればそんなことを言っている間に指導するからです。
また、指導していれば、相手の良い面が見つかるからです。

東京理科大の卒業生なんかを見ていると、
まぁ詰め込まれていますね。(いや、むしろあれが本来なのかも知れない)
しかし上っ面ですね。
本当にきめ細かく思考力を鍛え直したような形跡が無さ過ぎます。
入試での学力差が全く挽回できていない感じ。
MARCHもそんな感じ。
一般教養がちっとも教養になっていないことも槍玉に挙げてしまいましょうか。
だから、痛い目に遭ってから英語や般教(本当の教養)をやらないと。
もっとも、元が元なんで仕方がないと言ってしまえばそれまでなんで、それなら研究の何のと言わない方が、と思います。
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この回答へのお礼

コメント再びありがとうございます。
おっしゃること同感の部分が多いです。確かに無能力教員は多数います。しかし、現実はそれで教育をしなければいけないのです。
「高校理数からきちんと教えられますか?
特にそれらの物の見方や考え方をきっちり指導できますか?
勉強に取り組む姿勢を正せますか?
対人関係を正すことはできなくても注意くらいはできていますか?
その他色々な取り組み方について指導できていますか?」
これは大学教員として最低限のことですね。最近は、それが出来ないのに、企業から研究費を取ってくる教員がいるのが困るということですね。口先三寸で結構お金を取れてしまうようです(ひがみかもしれませんが)。お金もなくて能力もないという教員も多数いますね。問題は、教育能力はあるものの、研究費が取れない教員です。彼らを見ていると、ジリ貧になるしかないようです。しかし、それでも大学教員は、学生を育てる義務があるのだと思います。研究をする大学として認められないようなところでは、tekcycleさんの言うとおりで、教育者に徹すつ必要がありますね。ちょうどその中間体の大学が悩ましいところです。そこでは学生を一人ひとり見ながら、こまめな教育をしながら研究を進めるということしかと思います。ただこれを実際に出来る人は少ないでしょうね。
研究をする人としない人に分けるという案ですが、学生にも教員にも当てはまることですね。このような考えは、現在主流ではありませんが、ある程度でてきています。日本全体として、大学内として、これをうまく導かないと混乱が起きます。カリスマ性を持った日本の指導者が必要だと思います。また、処遇も大事でしょう。これまでの文部大臣は全てだめでしたからね。特に有馬さんは日本の高等教育における諸悪の根源でしょう。10年後の改善(悪?)に期待したいですね。

お礼日時:2007/12/27 11:27

こんにちは。

大学院の2年生です。

教授や研究室で指導を行う講師や、ポストドクターの口癖は、
「子供じゃないんだからもう一人でやれ」
です。確かにこれは正しい事だと思います。
社会に出て行く為の準備期間として、学生は、
受身で勉強していては駄目だと思います。
しかし、私立大学の学生は理系で、年間150万も払っている事を
忘れないで貰いたいです。
お金を貰っている企業なら、確かに自分から進んでその企業に
貢献しようとしなければいけないと思います。
しかし、学生側がお金を払っているのです。
少しは教えてあげようとしてもいいんではないでしょうか。
確かに学生側がお金を払ってやっているという意識を持つのは問題
ですけど。

私は、私立大学の大学院ですが、
授業があったのは、1年の前期のみで、
それ以降は研究だけです。
研究室でも指導の先生は不在の時が多いですし、
教授もあまり顔を見せてくれません。
これはどうなのでしょう。
学費は、ただ単に研究室の場所を提供してる、場所代に
過ぎないのでしょうか。

それと、私の周りは殆どが、
研究室に入る前から友達関係だった友人と一緒に研究室に
入っております。
そして、隣に席を並べ、
まるでどこかの仲良しクラブかのように、
楽しそうに研究をしております。
こういう人がかなり多いです。
これでは、一生懸命将来の事を考え、悩んだ末に入った学生が、
失望してしまうのは当たり前だと思います。

教授は、何をすべきかをもう一度考えなおしてもらいたいです。
学生側も自覚を持つ必要はありますが。
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この回答へのお礼

学生からのコメントありがとうございます。
どこの大学か分かりませんが、もしもそのような状態が本当なら、本来の(昔の)理系の大学卒業にはならないでしょうね。でも、半分以上の人が大学に行く時代、このような現象は当然の結果だと思います。一方教員にも問題があるとは思います。そうなら、そこは研究をするべき場ではないということだと思います。研究もどきをして、世の中に出るということになるでしょう。私が取り上げたのは、超トップクラス大学(東大、京大、東工大くらいかな)それ以外の旧帝大(?)や、旧二期校、理科大、上智といわれる大学あたりですかね。本当に研究者になりたいなら、超一流大学に是非挑戦してください。それなりの大学でも、その素質を持った若者はたくさんいます。大変な努力は必要ですが、すばらしい学生をたくさん見てきました。もしも教授に教育研究能力があるなら、素質ある学生には他大学を進めるか、こまめな研究指導をするでしょう。是非がんばってください。

お礼日時:2007/12/27 10:58

そのような場合


>A評価をつけて修了させてしまうことが多いのが現状…
確かにそうです。
私は某旧帝大理化出ですが、二年後輩に箸にも棒にもかからないのが居おりました。別にバカじゃないのですが、化学と相性が悪かったのです。
担当教授は「化学で職に就かないと約束すれば卒業させてあげる」といって卒業させたとのことです。
彼は後に米国の大学に移り某公立大の英語の教授になりました。
有名な例では手塚治虫先生が「絶対開業しない」約束で阪大医学部を出たのはマンガ好きなら皆知っていますよね。^o^
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この回答へのお礼

コメントありがとうございました。
「化学で職に就かないと約束すれば卒業させてあげる」とまでは言いませんでしたが、私もそのようなことを経験しました。本人の長い人生では、いつその能力が開花するか分かりませんから。

お礼日時:2007/12/27 10:42

まず、教員の方ですから当然わかっていますが、学生にお金を払うのは全く現実的でありません。

そんな予算はありえません。1人に5万円払ったら1人分で60万。校費では足りないか、1人分でなくなっちゃいます。5人いたら1万円ずつでもパンクですよ!
あと、学費払っているから首にできるとお思いですか。私大でも国から補助金が出ています。学生だけの教員ではありません。
あと、物理やってて銀行就職だったら研究しなくていいかというと、ダメですよ。銀行就職するのはかってですが、物理学科を卒業するなら、せめて卒研くらいきっちりやらないと。物理で卒論をするということで、その学科は文科省に認定されているんですから。また、物理学科卒といえないじゃないですか。
ところで、指導力の問題ですが、正直言って、高校じゃないんですから、自分で研究しようっていう姿勢は持ってほしいと思います。その上で、もちろん指導はしなくちゃいけません。
でもぜんぜんやる気のない学生はどうでしょうね。本当はほっといていいと思います。ただ、現実的には、気持ち程度、学生に満足感を持ってもらうために、雰囲気程度、指導するようにはしています。
そのへんは、さじ加減でしょう(同業者でした)。 
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この回答へのお礼

昔のように大学に進学する人が10%以下の時代にはその通りですね。しかし現状は同じ学年の半分の人が、大学に進学する時代です。それに加えて、教員に与えられる校費(研究費)の激減が拍車をかけていますね。大卒や院卒の意味合いが時代とともに変化せざるを得ないように思えます。この辺を日本という国が変えられなければ研究(を通しての教育)=大学という図式は成り立たなくなっているように思えます。指導能力のない教員は論外と考えますが、可能性のある学生には、その能力を伸ばすべく真摯に教育しながら、研究活動には能力のない(失礼)大半の学生には、他の道へのガイドをせざるを得ないでしょう(本来の道ではありませんが)。問題は、研究やネームバリューへの憧れだけあって、自分の無力を認めない若者をどうするかだと思います。個人的には、教員に能力があることが前提ですが、学生ととことん話し、まる投げ方式でなく直接指導するしかないようにも感じます。

お礼日時:2007/12/27 10:38

以下、たぶん一般論です。



まずは教員自身が指導力を身に付けることです。
専門のことをよく知っているのと指導力は等号で結ばれません。
学生側については、その大学のレベルや学生のレベルによってかわるでしょう。
特に真ん中から下の大学だと、入学者の選抜方法に問題があることも少なくないと思いますので、学生側の原因は一概には言えません。
大学の教員は、自分自身に指導力があると思い込んでいるふしがありますが(あるいは指導力という概念自体を持ち合わせていないか)、見る人が見れば、9割方お話にならないということはすぐに判ると思います。
結局問題ある学生は能力に問題があるのに、根本から解決できていないのです。
それは学生を労働機械にしてしまって、その上で研究しろ成果を出せ、問題点を解決しろと言っているからなんで。
まず問題点を解決させなくては。(成果だってろくなのが出やしないはずです)
なぜ却下されたのか、どうなっていたら受け入れて貰えるのか、そういうところが指導できていないのではないでしょうか。
学生が自分でやるもんだ、それが当たり前だ。
それは指導者の怠慢です。怠慢が常態化しているだけです。指導力がないんです。指導が必要だということに気付かないし、方法論も無いのでしょう。
上っ面の指導ではとても治らないような学生がよ~く放置されていますよ。
人格的に問題があるような者を量産しているのも、指導力の問題が大きいです。
ダメなものはダメという指導がないのです。放ったらかし。
まず指導力を身に付けることです。
精神医学的側面はその後のことだと思います。
指導力がある人が、その判断に基づいて、この学生のここは指導しなくて良いな、ということがあるだけで、デフォルト放置は間違いです。

研究生活が合わない学生は当然いると思います。
大学に行く目的が研究生活でなくても全く構わないと思いますし。
大学はそれだけの所ではないでしょう。
理系は、(教えている)自分が研究者だから学生もそうなのだという思い込みが強すぎるように思います。
院試も早すぎます。就職も早すぎるんですが。
研究がどんな物か判らないうちに院試では。
修士1年卒でも出られるような何かを考えた方が良いかも知れません。(中途終了とかね)
別に研究生活が合わなくて就職の道を取ったとしても、それがダメな人かというとそうとも限りませんから。
もう1年無駄に過ごすのなら就職してしまった方が。
カリキュラム全体も問題で、研究生活を送ってみるのかどうか判断してから就職活動ができるようにしないと。
だから、研究室所属は3年生から。
でも、こうすると、また学生を缶詰にするバカが出てくるんで問題あるのですが。結局研究室運営の問題に行き着きます。
缶詰にしないなら、語学なんか3年に回してしまえば良いんです。
専門の勉強を先にさせて、早く研究というものがどういう物かを知らせないと。
できれば般教も減らすべきですが。

私も雇用には賛成です。
大学は人事管理というか人間管理がお粗末すぎますから。
研究をやらせすぎることを改めないと、本当に理系から人がいなくなります。
労働基準法で縛りをかける方が良いし(もっともかかってませんが)、それで起きた事故は労働災害として表沙汰にする方が良いです(殆ど表沙汰になりませんが)。
学生が自主的にやっていることだから知らない、なんて甘えが通用しているようでは。

4年卒業には事実上卒研を課す必要はないと思います。形式上の卒研で。
やりたい奴がやればいい。
卒研が無くても大学をもっと充実させることは可能です。
こいつら未来の手下だ、と思っているから研究だけしていれば良いような風潮にしてしまっているんで。
修士に関しては、間違って修士に来てしまった人は穏便に出せば良いのではないでしょうか。
研究するんだと行って修士をやっている人間には厳しくすれば良いでしょう。
例えば、修士終了時に論文を受け付けて貰えるか貰えないかで分けるとか。
物理やっていて銀行に就職するなら、論文なんてどうでも良いわけです。ところが、修士の研究分野を行かして就職するなら大事でしょう。
そこは分けた上で会社側の判断に任せる方が良いと思います。
そのかわり、ドクターに行きますと言っているにも関わらず、能力的に十分でないのに(バカ丸出しなのに)、手取り足取りでも働いたからご褒美に修士をあげよう、ということは厳に慎むべきかと思います。
賢くなるまでちゃんと指導すべきです。

なお、クビ、というのはもっともですが、じゃぁ今はどうなっていなくてはならないかというと、指導力のない指導教官の方がクビ、ってことです。
本来学生が解雇しなくてはならない指導教官はいくらでもいるように思います。(学費払ってるんですから)
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
教員の指導力、もっともなことです。ほとんどの場合、大学教員は研究能力で判断され採用されてきましたから。また、30-40年前は大学で勉強や研究をしたくないものは、去ればよかったのです。今は50%のひとが大学に進学し、また修士の定員も多くなっています。ですから、能力のない人もある人も、やる気のある人もない人も、進路が代わったけど卒業だけはしたい人などたくさんいます。その中で、如何に研究指導をするかということになると思います。東大京大東工大では、研究指導ということに焦点を当てた教育が可能です。しかし、それ以外の大学は、結構レベルの高いといわれる大学でも、困難な状態にあります。
確かに学生は教育を受けるためにお金を払って大学や大学院に来ています。教員(大学)はその人たちを教育する義務があります。そこであまりにも幅広い(または低い)能力の学生がいる研究室での教育とは、どう考えればよいでしょうか。それを一人前にするのが教育者であるかもしれませんが、人それぞれの能力は違います。少しでも研究を経験させることによる教育で、本人の将来の役に立つように指導するのが良いと考えています。「賢くなるまできちんと指導する」と言うのは当然のことですが、難しいことですね。
指導力のない教員が多いというのは、事実です。最も心配しているのはお金を稼ぐことだけがうまく、学生にばらまき、企業と組んでいる研究です。手足にしかならないがお金をいただけるので学生は喜ぶし人気も出るのです。しかし、基礎力、本当の意味での研究力は全くつきません。反面教師という意味ではつきますがね。そして、残念ですが、指導能力のない教員を解雇できないのが現在の日本の大学です。
こんな中、少しでも学生の身になって指導しながら、研究を楽しみ、教育が出来ることを願っています。

お礼日時:2007/12/26 15:05

1)やはり、そのまんま東知事も言うように日本も“兵役”が必要かもしれない。

日本は極めて大きな国家予算を自衛隊に投じているわけだから、これを利用しない手はない。

何年か前にドイツに留学させてもらい、ドイツの大学院生に混じって研究をしました。彼らは兵役があるから、日本の大学院生より1,2歳年上なのですが、精神年齢は日本の大学院生よりも5歳か10歳は上な感じがしました。当然、登校拒否なんて一人もいなかった。

まあ、兵役が理由じゃなくて、社会的な影響かもしれないけれど。

2)大学院生に関しては、雇用関係にしちゃえばいいのでは。
つまり月5万とか8万円とかを払うことにする。休んだ日はその分差し引く。
 本当に病んだ子はそれでも来なくなると思うけれど、症状の軽い子は
学校にくるドライビングフォースになるのでは。
 また雇用関係ならば、大人の関係でしょ。教授の命令に再三、従わなければ、首ということもありえるわけだし。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。雇用関係は一案ですが、日本の
現状では不可能ですね。今、東大、東工大をはじめとするスーパーCOE大学では博士課程の学生は授業料無料という方向に向かっており、旧帝大と東工大の責任はますます大きくなります。それ以外の大学では教育破壊がおきることは必至で、10-20年後の日本の底力が失われることを危惧しています。

お礼日時:2007/12/26 14:36

 私が学生だった頃は、まだパソコンが高価だったし(一部私大では配布などありましたが、理系研究用のスペックでは…)、大学のモノを使わせていただくのが一番でしたから、研究をするには大学に行かなくてはなりませんでした。


 あと、就職にも教授からの口添えなどがありましたから、優秀じゃないなら努力しろというのがまかり通っていたと思います。

 ですが、今では学生がそれなりのスペックのパソコンを持っており(かなり安くなったし)、何かあればメールで連絡が来る。
 就職も、大学の力というより個人の努力となってしまっては、研究室につなぎ止める力はないでしょう。

 私の研究室の准教授に聞いたのですが、バブル時代もひどかったそうですよ。学生は研究をしない。就職先が決まっているから(大手)大学は卒業させるに決まっている(学校推薦があった時代だし)。卒論は助手の研究にちょっと手を入れればいいと考えているのが多かったそうです(全ての大学ではないでしょうけど)。

 ですが、卒論なら中間発表などを行っていれば、ある時期に辿り着くべき位置には至っているのではないでしょうか?
 修士なら、卒業のためには学会に論文提出をすることとなれば、嫌でも研究しなくてはならないし(発表となると、査読ではねられるかもしれないし…)
 その中で反論されて腐るようなら、修士なら卒業させる必要があるの??ですけどね。
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この回答へのお礼

「その中で反論されて腐るようなら、修士なら卒業させる必要があるの??ですけどね。」とは言いますが、
なかなか修了や卒業させないというのは、難しいですね。どこを最低ラインとするかですが、残念ながら最低ラインは半分は大学に来ることくらいでしょうか、、、

お礼日時:2007/12/26 14:43

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