先日放送されたドラマ「吉原炎上」を観ました。
その中で登場する吉原では私の知識にある吉原と相違点があったのでいくつか質問させていただきます。
1、遊女は置屋に所属していて、そこから客の待つ揚屋に派遣されるの が遊里のシステム(現代の出張風俗のように)なのにドラマでは、
遊女が所属しているのも客にサービスをするのも同じ妓楼でなされ ているようだった。
2、花魁とは、座敷持ち以上つまりトップクラスの遊女の呼び名のはず なのに妓楼の遊女全てを「花魁」と呼んでいた。
3、花魁道中は、遊女が客の待つ仲ノ町の揚屋へ出向くのを遊女が旅に 出るという演出にしした廓の一大イベントであるのに、ドラマでは
単なるパレードのように描かれていた。
以上がドラマを観て疑問に思った点です。ドラマは明治四十年代の吉原舞台となっていたので、上記で挙げた吉原の習慣は江戸時代までで、明治期になると吉原も様変わりしたのでしょうか?
わかる範囲で教えて下さい。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
結論としては、明治時代の吉原では、「女が所属しているのも客にサービスをするのも同じ妓楼でなされているようだった」で正しいようです。
明治時代になり、「人身売買」「奴隷制度」という欧米の批判(不平等条約の根拠『日本は野蛮国』という主張を正当化)に対して、政府は娼
妓解放令を出しました。
しかし、遊郭の実体は変わりませんでした。
遊郭の妓楼(後述する「茶屋」)の所有者兼経営者は「貸し座敷」の主人に変わりました。
妓楼の主人に前借金をして、年季奉公人として妓楼に住み込んで春をひさいでいた女郎は、妓楼の主人から前借金をチャラにしてもらい、改めて「貸し座敷」の主人に前借金をして、貸し座敷の中に部屋を借りて春を鬻ぐ女郎に変わりました。
要するに、実体は何も変わっておりません。
インターネットで国立公文書館の所蔵史料を閲覧できます。
国立公文書館 アジア歴史史料センター
http://www.jacar.go.jp/
ここで、キーワードを 「公娼 私娼」として検索すると、
【 レファレンスコード 】 A05020127200 「公娼と私娼」という、内務省警保局 (現在の警察庁に概ね相当)が昭和6年に作成した資料
が閲覧できますが、遊郭を構成する店は「貸座敷」、女郎は「貸座敷」経営者に前借金を負い、貸座敷経営者と「娼妓稼業契約」を結ぶ仕組みであったことが見て取れます。
この史料(218ページ)で12/218~13/218とした時に、「貸座敷営業者で全く娼妓を置いていないのは石川県、京都府、滋賀県に約300あり、これらは貸座敷営業者とはいうもののそ東京地方の待合と同じ」旨の記載があります。これこそが、質問者様の言われる「出張型風俗」を示していると思われます。
23/218では、一覧表形式で「東京市浅草区新吉原 娼妓 2,557人 (貸座敷)営業者 295」と記載があります。
この218ページの資料の中で、「東京市浅草区新吉原の娼妓は貸座敷営業者とは独立している」旨の記載はありません。
78/218では、「吉原遊郭においては遊興費の7割5分を営業者が取り、2割5分を娼妓の所得とする」旨の記載があります。これは、娼妓が営業者=貸座敷と契約を結んで営業していることを示すと思われます。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2888233.html
での回答で
* 「揚屋」で宴会をし、床入りも「揚屋」でです。なので「花魁道中」のとき、遊女は「マイおふとん」を置屋の男に持たせて行くのです。
* ところで「揚屋」は江戸前半期に流行った、ゼイタクな作りのエッチ用ホテル兼宴会場ですが、あまりにお金がかかるので、「揚屋」ほどの高級感はありませんがリーズナブルなおねだんで使える「茶屋」が江戸半ばからはやり始めました。「茶屋」は、自前でも遊女を抱えています
と言う記述がありますが、この「茶屋」が、娼妓解放令により「貸座敷」に転業したのが、明治以降の吉原であるようです。
http://www.ippusai.com/hp_home/edo_tokyo/edo150. …
「明治5(1872)年10月2日(太陽暦11月2日)、明治政府は人身売買を一切禁ずる布告を行なった。いわゆる「娼妓解放令」である。
当時、吉原には、妓楼が189軒、娼妓が3448名いた。
楼主たちは「娼妓解放令」を骨抜きにするため、妓楼を「貸座敷」という名目にし、娼妓には鑑札を渡し、客と座敷を借りて遊ぶ、という営業形態をとることにした。したがって、明治の遊廓は、実態は江戸時代と変わらないが、名目上は「貸座敷」だったのである。
この明治の吉原を、最も情緒抜きに描いたのは、フランス人作家P・ロティであろう。明治18(1885)年に日本を訪れた彼は、『秋の日本』の中で、次のように描いている。
それは無数の身動きをしない蝋細工の陳列だろうか? 素晴しい人形のコレクションであろうか? あらゆる偶像の展覧会であろうか? そこには女たちが、反射灯の光を浴びながら、例の細格子のうしろの、張店や台の上に居並んでいる。街の外れから向うの外れまで、何百人という女たちがずらりと居並んでいる。プロシャ兵のような端正さで、そうして一人残らず同じポーズをとりながら。
ロティが書いているように、細い格子の後ろに遊女が座っているのである。格子越しに何人もの男たちが、遊女の品定めをしている。
これと対照的に、夢の仙境として吉原を歌ったのが、福地桜痴作るところの大門の聨である。「春夢正に濃し、満街の桜雲 秋信先ず通る、両行の燈影」
この絵で描かれた妓楼は、すべて日本建築であるが、中には洋風を取り入れた文明開化調の建築もあったことが、当時の写真からうかがえる。
この絵の描かれた3年後、明治44(1911)年4月9日、江戸町2丁目美華登楼から出火、折からの激しい南風に煽られ、吉原は炎上することになる。
有名な「吉原大火」である。この火事によって、明治の吉原は終焉を迎えた」
三階建ての巨大な「妓楼」(貸座敷)の一階の道に面した「顔見世」に、女郎がズラリと並んでいる様子は、多くの写真に残っています。このような巨大建築の妓楼は、売春の場と女郎の住居を兼ねていたと判断するのが妥当なようです。
なお、明治時代の吉原では、吉原大門からすぐに入った所に「妓楼紹介所」のような店「引手茶屋」があり、一流の妓楼を利用するにはまずここに入って仲立ちをしてもらう必要があった、ドラマでも明治末の吉原大火でそういうシステムが消滅したという話もあります。
http://www.0105.jp/~mizuki/yosiwara3.html
に、「江戸時代の吉原の変遷」について詳しい記述があります。分かりにくい記述ですので引用は控えますが。
詳細なご説明、たいへんありがとうございます。
なるほど、明治に入ると吉原もだいぶ様変わりしたのですね。
そういえば、ドラマには禿の姿はなかったし、吉原太門もモダンな形になっていました。
考えてみれば、江戸期においても吉原は何度も変節を遂げてきたので時代とともにシステムなども移り変わっていったことは理解できます。
男の憧れとして、江戸時代の吉原には一度いってみたいですね!(笑)
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