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私は「無知の知」というと
自分が知らないということを知る、という自覚の意味だと思っていたのですが、
どうもその「知」というのが
>ソクラテスの無知とは、善美のことがら
(徳)についての無知であり、それは「徳のなんであるか」についての無知である
と言ってるサイトがあったのでちょっと分からなくなりました。
これがそのサイトです。ページなかほどにありました。
http://www.eleutheria.com/philosophia/data/667.h … 

ソクラテスのいう「知」とは普遍的な知ではなく徳についてだけを指すのでしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

軽く読んでみたけど、リンク先の方の文章において徳(アレテー)は当然ですが、真理から導かれるということが書いてあります。

だから、別に間違いではないのでは。(中略)の先をよく読んでください。貴方と他の回答者の読解力が足りないのでしょう。

ソクラテスにとって、偽りの徳を語るソフィスト達を攻撃することは、「徳」の無知を指摘することでもあり、「真理」の無知を指摘することでもあります。徳は真理の具体的な事象でしょう。
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この回答へのお礼

>僕は今まで誤解していたが、「無知の知」というのは「善美(徳)について知らない」という意味であるらしい。決して専門的な知識や常識的な知識について知らないという意味ではないという。

って書かれていましたので気になったんです。
専門的・常識的なことも当然「真理」に含まれますよね?
それだとこのサイトが間違ってるってことでしょうか?

ご指摘の箇所は
>カントの『実践理性批判』の体系全体が一個の定言命法に収斂する如く、ソクラテスは、断片的に知りえた倫理的諸真理を一挙に集約する何か根本的な洞察を求めていたに違いないのである。そして、その根本洞察は、カントの定言命法の背後に「われわれのうちなる神」が要請されていたように、ソクラテスの場合にも、ソクラテスの深い信仰と結びつくものでなければならなかったであろう。それを、ソクラテスは見ていたには違いないが、理論化することが出来なかったのである。その理論化の不能が、「ソクラテスの無知」である。」

でしょうか?
これってこのサイトの人の推測ですよね。

お礼日時:2008/02/14 09:33

勘違いだと思いますよ?


Wikipediaにも一般的な意味で載っていますし、その記述をした人が勝手にそう思っているだけでしょう。
軽く読んでみましたが、自分の思い込みや決め付けを勝手に普遍の真理と思いこんで語るという、三流哲学屋にありがちな文章でした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
Wikiは気になったとき確かめてみました。
私もそれで合ってると思うんですが、ここでの意見も割れていますので
まだ自信がないですね。
Wikiも完全に信頼できる記述というには不安ですし。

お礼日時:2008/02/14 09:37

ある種のバカでしょうか?


素直であれば、何でも受け入れることも出来ます。
意見、知識、思いやり、思い入れ、情など。
他人への配慮も。

で、質問者さんの「徳」もそなわるでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
回答者さんも「徳」に「真理」が含まれるという点で
間違ってないという立場でしょうか。

ですが、
>>僕は今まで誤解していたが、「無知の知」というのは「善美(徳)について知らない」という意味であるらしい。決して専門的な知識や常識的な知識について知らないという意味ではないという。

って書かれていることを考えると結局このサイトが間違っているということでしょうか?

お礼日時:2008/02/14 09:42

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