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一例として、ある人間が、凄く感動し感銘したものを、ある人間は退屈で嫌悪感を感じる(これはもちろん立場が逆転する場合もある)とまでいう感性差はどうにかならないのでしょうか?同じ「種」なのに、あんまりではありませんか?こんなことだから、戦争もなくならないし格差もなくならないし相互理解も共同意識も持てない。いいことないではないでしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

私は上座仏教を学んでいるものです。



まず思考が捏造することが大きいですね。

まず、同じ刺激があるとします。

ここで感じた刺激を「好ましい」「好ましくない」「どっちでもない」に今までの心の経験などで振り分けられますね。

ここまではたいした問題ではないと思いますが。

このあとに「怒」「欲」のトッピングを思考が引っ張ってくるように感じます。このあとは際限なく思考による捏造が始まります。

そもそも同じ感覚を持っている人自体いないでしょうし、有る程度の際は仕方のないことだとは思います。「好ましい」「好ましくない」「どっちでもない」までは問題がないと思います。

上座仏教ではこの初期データの捏造をなくそうとします。まず、欲怒りは強く実生活で問題を引き起こしますので、慈悲喜捨の心に切り替えて落ち着きを取り入れます。その後、観察能力を高めることで、捏造の原理を見つけ消していきます。

これを皆が試みれば、争いはなくなっていくと思います。

なかなか試みないでしょうが…

私の解説だと拙いので、スマナサーラ長老の書籍や、サンガ出版から出た「仏法」などを読んでみてください。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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この回答へのお礼

はじめに直覚した正直な気持ち、それを欺くものがすぐ湧いてきますね。それは全く同感です。「思考」の始まりです。仏教的実践は少し知っていますが、確かに心を素直にするということは大事ですね。生きる力でもあります。いわば、船底に付着した貝を取り除くこと。

お礼日時:2008/03/11 09:53

そうでしょうか?


私は人間が根本的に感動する
ポイントってそう変わらない気がします。
本当にバラバラだったらあらゆる芸術やその研究って
意味をなさないと思うんです。
知識の前提の差とか文化の差はあるでしょうけど
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この回答へのお礼

そうですね!本当に深いレヴェルになるとそうかもしれません。しかし、実用的に効いてくる日常レヴェルで、かくもバラバラな価値観は決して利益になると思いません。必要悪かもしれませんが。もうちょっと、ばらつきを抑えるとよりよくなる気がします。

お礼日時:2008/03/11 09:50

一度読んだ本をもう一度読むと、全く違った印象を受けたりします。

同じ人でも印象が違うのだから、別の人ならさらに違う印象を受ける。逆に考えれば、違う人同士が同じ感想を持つほうが奇跡みたいなものじゃないでしょうか。その意味では人間の個性も大したことない気もします。相互理解もそこそこあって、中には違う感性もある。お互いに会話できるだけいいんじゃないでしょうか。

生物学的には、皆違うから発展(あるいは進化?)できるというのもあります。皆同じなら、そういう生物もいる以上、それなりの生き方はできるでしょう。しかし、それが至上というわけではないです。極論を言えば、一つの個性しかない生物は、適した環境では全員が生き残れますが、適さない環境では絶滅します。

皆同じ思考というのは、皆同じDNAを持ってる大腸菌みたいで個人的には好きではないですね。多様性も何もない、全部灰色で塗られた絵みたいです。違う色が無数ある中で、たまたま自分と似た色を見つけることができた瞬間を幸福に思えばいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

後に皆様にお礼を書きます。

まさにそのとおりです。違った色合い完成があるので、生物種的には強まると言うことがあります。しかし一方では、相互理解不能、憎しみ悲しみの存在もあります。

人間の業と言うものなのかもしれません。

お礼日時:2008/03/08 08:07

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