
各聖人は生きた時代が重なってる様ですが、法然聖人と日蓮聖人は重なってませんが。
各聖人たちはお互いを知ってたのでしょうか?
お互いの会った事は有るのでしょうか?
特に日蓮聖人は禅は魔界に入る 浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。
私自身凡人身では有りますが、確かに禅は難解で有りますが魔界転じて自覚が得られような気がするのですが、浄土系も取り様によっては現実逃避的に見えるのですがよくよく思案しますと立派な教えだと思うのですが。
聖人たち自覚の底は繋がっていると思うのですが、お互い面識が有り語り合えば解りあえた様な気がするのですが。
法然・親鸞両聖人は師弟関係の様ですから別ですが。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
>>法然・親鸞・道元・日蓮はお互いの面識は?
>>お互いの会った事は有るのでしょうか?
質問者ご自身がおっしゃるように法然上人と親鸞聖人は師弟関係にあったわけですから、面識はあったでしょう。道元禅師と日蓮聖人は、質問にある方とは面識はないと思います。
>>特に日蓮聖人は禅は魔界に入る 浄土宗真宗は無間地獄と言っていると認識いているのですが。
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」ってやつですね。この中でも、日蓮聖人は法然上人を中心とする日本浄土教に関しては非常に厳しい批判を加えていますね。
こういった批判が行われたことは親鸞聖人の弟子(親鸞聖人は「弟子一人ももたず」といっていますけど)唯円が著わした『歎異抄』第二条の中にもうかがうことができます。
おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。
このように関東の念仏者は何かを不安に思い、親鸞聖人をたずねたわけですね。ひとつには浄土教の教えを曲解した同門のものたちへの不安という内的な要因と、もうひとつは浄土教外部からの批判というものがあったと考えられます。その外部からの批判としてあげられるのが日蓮聖人であったろうといわれます。しかし、当時親鸞聖人はマイナーな人だったはずですから、日蓮聖人も直接会って話してやろうということは思ってもみなかったと思いますよ。
>>聖人たち自覚の底は繋がっていると思うのですが、お互い面識が有り語り合えば解りあえた様な気がするのですが。
これについては先にも述べている人がいらっしゃいますが、やはり末法の克服というのがその根底にあるでしょうね。「末法」とはわかりやすくいえば「修行できない、悟りを開けない時代」ということだと思っていただければいいと思います。
法然上人や親鸞聖人は、末法という時代に住む自分の弱さや愚かさや醜さを徹底的に見つめ、悟ることができない私であるという自己反省から出発します。そして、悟りを開くためには阿弥陀仏の御本願を信じ「南無阿弥陀仏」と称えて、極楽というすばらしい環境で悟りを開くしかないと考えます。
道元禅師はお釈迦様は誰もが悟れることを説かれている。また、お釈迦様ももとは凡夫であったはずだと考え、たとえ時代が末法であってもお釈迦様が悟られたときのように、座禅を組み座りぬくことこそ悟りへの近道と考えます。
日蓮聖人は天台大師智ギの経典理解に基づき、「法華経」を最高の経典と考えます。この真実の法門たる『妙法蓮華経』にこそお釈迦様悟りのエッセンスが詰まっており、さらには「妙法蓮華経」の題目の中に集約されているといいます。そして、「南無妙法蓮華経」と唱え題目を受け取ることこそ、末法に凡夫の中に仏の世界が展開される唯一の方法と考えます。
(乱暴な説明ですが、ご容赦ください。)
このように克服方法は違いますが、鎌倉新仏教と呼ばれる仏教の祖師たちの根底にあるのは「末法の克服」ということになります。
まぁ、だからといって分かり合えたかどうかはわかりませんが、影響しあったかもしれませんね。例をあげれば、日蓮聖人が若いころには法然浄土教はもうメジャーな教えですから、必ず学んでいたでしょう。そうでなくては批判することはできませんしね。日蓮聖人は最終的には法然浄土教を批判する立場になられましたが、法然浄土教から多大な影響を受け「南無妙法蓮華経」の題目を生み出したと考えるのが一般的ですね。
長々書き連ねましたが、まとまらぬ文章であることどうぞお許しください。文意を読み取っていただきたく存じます。
合掌 南無阿弥陀佛
歴史上の事実としては中々判らないのでしょうね。
日蓮聖人は4人の中で一番最後に出てきた人ですから、法然聖人・親鸞聖人の真意を理解できない或は曲解した一部多数・・念仏者の行いなどを見、日蓮聖人はこれは駄目だと厳しい批判をしたのでは、ないかと考えます、禅にしてもあの時代は飢饉疫病が大変だった時代で朝起きれば死体がゴロゴロだったそうですね、禅的な修業が出来たかと言うと難しいでしょうし、ましてや庶民は。
末法思想もお釈迦様の時代から大方1700年位たっているでしょうから釈迦の本意が伝わらなくなっていた考え方だと思います。
仏教はお釈迦様の教えから始ったのでは有りますが法華経が正しい、何々が正しいと考えるより、釈迦の教えが、後の素晴らしい聖人たちにより切磋琢磨し釈迦の教えを洗練さて、より素晴らしい教えであって良いはずで、法華経が釈迦の一番の教えで有るとか無いとかはナンセンスな感じがしますね。
今現代、日蓮宗の信者が幸福で、浄土系が不幸な人々が多いなどは有りえない訳で、日蓮宗の信者の中にも幸福な人も不幸な人も居るわけで。浄土系もそうで、事実を事実として見ないといけないと思いますね。
やはり親鸞聖人の教えが一番判りやすいですね、そして判りやすいですが深いですね。どんな宗教でも本質は「智で解決できずお任せする」が要のような感じがします。
有り難うございました。合掌。

No.2
- 回答日時:
教えてgooには僧侶も回答しているのだから
きちんとした回答がつくと思いつつ。
会ったことはないと思いますよ。
存在は知ってたとは思いますけどね。
分かり合えると言うよりもむしろ、
違いを強調していったと思いますよ。
念仏だ。いや、念仏よりも禅、禅や念仏よりも法華経。
共通していたのは末法という時代の危機感でしょうかね。
日蓮のそれは四箇格言ですね。
で、日蓮は法然を意識していたと思われますよ。
霊山浄土と題目の発想はどうかんがえても…。
あと、法華経が一番すごいと言うのは
天台の誰だったかが教相判釈やって、
そういう結論にしたんですよね。だから別に…。
一切経全部を無理やり釈迦の説教と考えるのも
今となっては、どうかなって気はしますが。
中国起源の経典もあるのに。
No.1
- 回答日時:
当時の仏教界は、中国で起こった宗派の僧侶やその拠り所とする教義をそのまま受け入れて、その善し悪しというか、高低浅深というものをさして吟味せずに、ただ中国伝来というだけで尊ぶ傾向があったために、様々な宗派が中国同様に広がったのですが、日蓮聖人は釈尊一人が膨大な経典を残したその経緯と、その真意がどこにあるのかをつきとめるために一切経を閲覧して、釈尊一代聖教の本意を掌握し、法華経以外はすべて法華経へ導くための一時的に、仮に説いた方便教経でしかなく、それらを拠り所とすれば、功徳善根どころか、その逆の悪業悪根になり大変な不幸に陥ると判ったため、念仏、真言、禅等の法華経以外を拠り所とする宗派を強く破折していったのです。
ところで、この破折は日蓮聖人が勝手に我見でしたことではなく、釈尊自身が法華経を説く時に、『衆生の性欲同じからざれば、種々に法を説くに方便の力をもってす』とか『四十余年には、未だ真実を現さず』あるいは『正直に方便を捨てて、ただ無上の道を説く』等、いろいろと今まで説いてきたものを何度も自ら否定、破折し、本来、仏法とは法華経であり、法華経以外は仏法ではないと言い切っているのです。つまりは、日蓮聖人の姿勢というものは仏法の本義、釈尊の本意に極めて適っていて、仏法の本来あるべき姿かと思われます。
ですから、日蓮聖人が、仏法というに値しないもの(いわゆる邪宗)を拠り所にする各宗の僧侶たちと語り合っても、おのずと法論となって、解り合えるというよりも法華経への改宗か否か、ということになるでしょう。
お聞きしたかった要はお互いの面識は有ったのでしょうか?で、あり特定の宗派の良し悪しではありません。
日蓮聖人の懐の深さ奥行きは各聖人と法について語り合えば判るお方だと信じております。合掌。
有り難うございました。
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