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自分の命が助かったことによって、人生観が変わったことがある方はいらっしゃいますか?

どんな風に変わりましたか?

A 回答 (9件)

命が助かったことによって、人生観が変わったことですネ。



僕が食事が食べれなかったときのことです。
医者から胃に黴菌が入ったといわれて。
それで、お菓子も食事も一切食べてはいけないと言われました。
その日からカロリーメイトのジュースだけで過ごすことになりました。
一ヶ月くらいカロリーメイトのジュースだけで過ごして。

点滴をうつようになりました。
そしてそのときに思ったことは。
「食事を食べれるだけでも嬉しいことなんだ」
「自分で生きてきたと思ってたけれど、生かされていたんだ」
ということを悟りました。

注射を打たれてなんとか病気が治って食事が食べれるようになりました。
その日から食事のご飯粒の一つたりとも残さず食べれるようになりました。
ご飯が食べれるのは当たり前なことではない、幸せなことなんだ。
ありがたいことなんだということが分かりました。
また、ご飯一粒でも恵みのなかでのことだということが悟れました。

食事に関しての人生観が変わりました。
食事も当たり前に食べれるのではない、生かされているからこそ
食べれるのであって、命に恵まれていなければ食べれないのだと思いました。

食事を大切にするように変わりましたね。

私の人生観が変わったことについて話させて頂きました。
命が助かることによって、自分の力で生きているのではない。
ということが悟れましたネ、また食事に対しての人生観も変わった出来事でした☆
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この回答へのお礼

食事で1か月も食べられなかったことがあるんですか。それはとてもおつらかったですね。

御回答者様のお話を聞いて、改めて御飯の大切さが分かりました。食事に関して、私も価値観が変わりました。私もご飯一粒大切にします。

皆様の御回答を読んでいると、人生観がいろいろと変わられるようですね。

大切なアドバイスを下さってどうもありがとうございます。

お礼日時:2008/05/24 22:54

私は若い頃凍結した坂道でハンドル操作が不能になり70キロで大型トラックと衝突しました。

昔の車は今よりの車体が固くフロントが完全大破程度でしたが車内の衝撃はすさまじく、気がついたときはあの世にいったと思いました。
幸い先輩からシートベルトをするように常に注意されていたため、習慣になっていて、後遺症は残りましたが、命は助かりました。
そのころ、以前から今の営業の仕事はどうしても自分には合わないと悩んでいて、職人的な仕事に憧れていました。以前からその職人的な仕事をするため、通信教育と独学で勉強していましたが、とても実現させることは困難だと感じていました。

しかし、この事故で一度死んどるんじゃから、イパツ勝負したらんかい~と、会社を辞めて、アルバイトしながら何とか希望の仕事ができる会社に入る事が出来ました。
今は独立して細々ですが、けっこう充実しています。
独立してはじめの頃は苦しい事も有りましたが刺激があり、やはり、思い切って良かったと思いました。

人生はたった一度きり、どうせいつか死ぬのなら、リスクのあるワクワク感を味わいたいと思います。但し、リスクと無謀なことを認識することは当然ですが、目標に向けコツコツやれば、それなりの結果が得られると確信しています。
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この回答へのお礼

大型トラックと衝突したんですか、奇跡的な生還ですね。(そのときの)営業の仕事はやめなさいというメッセージだったのかもしれませんね。

自分は一度死んだ人間だという自覚があると、御回答者様のようにとても強くなれるんですね。頑張って努力して、自分の思う希望の人生を生きることができて、一度死んだことが返って良かったと感じられる御経験談ですね。

御回答者様は後遺症が残っておつらいことがあるかと思いますが、充実した人生を送れるということはとても幸せですね。

目標に向かって地道に頑張ればそれなりの良い結果を得られるとのこと、私も御回答者様のようにコツコツ前向きに頑張っていきますね。

貴重な御経験談、どうもありがとうございます。

皆様、事由はそれぞれ異なりますが、前向きになったり、強くなったり、共通して肯定的な結果が多いですね。

お礼日時:2008/05/25 13:48

はじめまして。

こんにちは。
 はい。結論は「命が助かる=死ぬ思いをした」経験がある程、人間が強くなれると思います。ただ、残念ながらそのハードルを越えられなかったり、それを生きるバネにできず苦しむ方もいると思います。
 あと、何が本当に大切なのか、また相手の気持ちになって考えることが少しはできるようになると思いました。友人、知人を見ていてもそうです。

 私は、お恥ずかしい話ですが、片親で育つ形となり、国民の皆さんには申し訳ありませんが、私が就職するまで生活保護のお世話にならないとどうにもならない状態で、ここまで生かさせていただいております。
 母は、何度も急性肺炎を起こし、経済的に大変厳しく、世間の風当たりも厳しかったので、銭湯の帰りに倒れて、幼い頃に困った経験をした思い出が鮮明にあります。母は、何もわからない人間だったので、この保護の制度を知らなければ、とっくに我が家は無理心中となっていたと、当時も今も思っています。

 おかげさまで、今は自立することができましたが、大した仕事も何もしていないのに「うつ病」にかかり、車で港に行ったり、縄を用意したりと自殺を考えましたが、自分は臆病な人間だったのが幸いしたことと、まわりの皆さんにまた助けていただき、今現在があります。

 大切に子供を育てることに否定はしませんが、死ぬまでとは行かなくてもある程度の苦労は必要と思いました。
 お付き合いをしていて、良し悪しは別にして、苦労していない人は明らかにわかります。
 戦後の諸先輩の苦労があって、こんな豊かで便利な生活が成り立っていると私は思っています。悩み苦しみ工夫をして、死ぬ思いをして、今の日本の技術があると思います。
 これからはどうなるのでしょうね。大事に大事に、何も苦労しないで子供が大人になったとしたら…。いろいろと考えることがあります。
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この回答へのお礼

こんにちは。

人間として強くなれるんですね。何が本当に大切かが分かったり、相手の気持ちになって考えられるようになったり。

御回答者様は大変苦労をなさって、ハードルを越えるか越えないかの経験もして、多くの人達の苦労や死ぬ思いがあり私達の生活は成り立っていることが、改めて分かりました。

親子の愛情を知らないで育ったらかわいそうですが、かわいい子には旅をさせた方がいいですね。

もし御回答者様がそのときハードルを越えてしまっていたら、私はこうして大事な話を聞けなかったでしょうから、聞けて良かったです。御経験談と御意見ありがとうございます。

私の事を申しますと、1回だけ地獄を見てしまったことがあります。そこは、真っ暗な世界で、やっぱり行きたくないと思い、頑張って引き返したので生還しました。それ以来、間違っていると思えることは何もできなくなりました。生きている間に正しい行いや良い行いをたくさんして、天寿を全うするときは明るい天国に行く、と決めています。

それから、生死と直面して人生観が変わった人は思ったより多くいるんだなぁと思いました。

皆様の御回答、本当にありがとうございます(全員にお礼のポイントをしたいです)

お礼日時:2008/05/25 12:58

人生観が変わったまでは、いかないのですが、



昔、学校の柔道の授業中、友達に絞め技をされたときに、首がしまって、一瞬気絶したらしい(よく覚えてない)時に、突然、それまで怖くてしかたなかった幽霊が、あまり怖くなくなりました。
その気絶したらしいとき、まさに走馬灯のように昔の記憶がながれ、あれもしといたらよかったとか思い、その瞬間に死ぬ覚悟ができて、死ねばみんな一緒だと感じたのです。
そう感じた時まで、とても一人で寝ることもできないような私でしたが、問題なくなりました。

どんな人間も死ねば、一緒って考えたら、とてつもなくすごいことを除けば、たいがいのことはできるという自信がでました。
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この回答へのお礼

気絶した(らしい)ことがあるんですか。お話の様子ですと、単なる気絶というよりも、一瞬あっちの世界に入りかけた、という感じですね。走馬灯って話には聞きますが、実際にあるんですね。

死ねばみんな一緒なんですね。みんないつかは死ぬので、生きている間にあれこれしておきたいですね。

できるかできないか分からなくて自信のないことって多いですが、自信ができたって、とてもいいですね。

皆様のどの御回答を読んでも、とても為になるお話ばかりです。

アドバイスどうもありがとうございます。

お礼日時:2008/05/24 23:07

病気そのものは盲腸と、たいしたもんじゃなかったんですが、ちょいとこじらせてしまいましてあと数日遅れていたら命に関わっていた、という状態になりました。


それまではよくリストカットやる人みたいに「死ぬことなんて怖くねぇ。ただ死ぬ理由がないから生きているだけだ」なんてうそぶいていましたが、実際病気になってみると一生懸命治そうと頑張っちゃいました。

この経験をしてから、素直に「死ぬのは怖い」といえるようになりました。生きてる間にベストを尽くそうなんて、そりゃたまには思うことはあっても四六時中は思えません。でも、「死にたくないなァ」ということは四六時中思っています。
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この回答へのお礼

盲腸で、数日遅れていたら危なかったんですか。間に合って良かったですね。
確かに、いざ病気になると、治そうと一生懸命頑張ってしまいますね。不思議なものです。

死が怖いことを本当に知ると、死にたくないなぁって思えるんですね。

とても参考になりました。御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/24 22:41

父は心臓発作で倒れ、母は胃がんで胃の大部分を切除しました。


生還してから二人とも以前より小さいことに拘らなくなりました。

人間なんて生きていてナンボ・・・ってことで
毎日の生活やレジャーも以前よりずっと前向きに
大胆に楽しむようになり、夫婦仲も良くなりましたね。

僕はスピードの出し過ぎが原因の
交通事故で死にかけて以来、怖くてスピードを
出せなくなってしまいました(笑)
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この回答へのお礼

御回答者様のお父様とお母様が生還されて良かったです。小さなことにこだわらなくなるんですね。ずっと前向きになれて、結構いい世界が待っている感じですね。

御回答者様も、事故のとき死ななくて良かったですね。私もスピードには注意しますね笑

とても参考になりました。御経験談どうもありがとうございます。

お礼日時:2008/05/24 22:26

助かった…というのでは無いですが、わかったことはあります。


それは
「生死はいつでも、お互い「ものすごく近い場所」にある」
ということです。

人の死というものは、ものすごく「いい加減」に訪れるときがあります。
また「勝手に向こうからやってきて」何の理由も無しに「スパッ!」と「魂の尾っぽ」を切っていかれる時もあります。
戦争で流れ弾に当たってみたり、他人を助けて自分が亡くなってしまったり…そういう「現実」を見るとき、いつも「生死」は
「簡単に動ける場所にある」
そう、感じます。

しかし「死」というものが「流動的」だと感じたとき「生きる」という意味が初めてわかったような気がしました。
感謝、とか愛情とか、そういった言葉が「薄っぺら」ではないと…使うべきときに使う言葉なのだ、と認識し始めたのも、それからのような気がします。
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この回答へのお礼

生きているのが当たり前な毎日になっていますが、生死はお互い隣り合わせなんですね。

とっさに他人を助けて自分が亡くなってしまうニュース、現実にありますね。いきなり車が突っ込んできたり、いきなり災害に遭ったり、死は勝手に向こうからやってくることがある、と思うと、毎日生きていること自体が感謝に思えますね。人にも優しくなれそうです。

とても良い御回答を聞けました。どうもありがとうございます。

お礼日時:2008/05/24 22:10

命が助かるとか、そんな大げさな体験はないのですが…



としまえんとかにあるプールの、一番高い飛込台から飛び降りたら、
何か、自分の細かい悩みや疑問やコンプレックスが、くだらないと思えました。
何というか…死ぬのがこんなに怖いなら、人生できるだけ楽しんでから死のうと。。
それから、超プラス思考人間になりました。

質問者さんも、やってみては?
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この回答へのお礼

プールの高い飛び込み台から飛び降りたんですか、すごいですね。
こわくて、私には出来なさそうです。

生まれ変わって?超プラス人間になれるんですね。

御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/24 21:00

子供ですが、ちょっとやそっとでは驚かなくなりました。

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この回答へのお礼

精神的にタフになりそうですね。

御回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/24 20:39

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