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いきなりですが、宇宙の存在って矛盾してませんか?
一般的に知られているのでは、ビッグバンによって宇宙はできた
とされています。しかし、ビッグバンが起こる前の世界はどうやって出来たのか。
また、の前の世界はどうやってできたのか。その前の世界は。
これが際限なく続いてしまいます。
しかし、何も無いところから「宇宙」という存在は生まれませんよね?
ですから、宇宙の存在は矛盾していると思うんです。

そして、そんな矛盾した存在の中にいる自分達人間の存在もまた矛盾していると思うのですが、どうでしょうか?

これは少し飛躍しすぎでしょうか?

A 回答 (20件中1~10件)

「できる前は?」ということは、「無から有になった」と考えている訳ですね?


しかし、「有る」という事の実態を知ると、それは無とオーバーラップするものである事が分かります。
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの中に、仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、相補的不確定性を伴う存在による宇宙が見えます。

しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもので、根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。
実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。
無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性」の相補としての「時空仮説性」。
「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。

即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
だから「その外」や「その前」は、何もなくて当然です(元々無いのだから)。
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個人的な意見ですが、ビッグバンは宇宙の始まりではなく、現在の宇宙が認識された瞬間に過ぎないと思います。



地球の科学者が提言する法則はあくまで地球上での常識の範囲内で予測(計測)された出来事をまとめたものでしょう。質量保存の法則もその通り。無から有を、というのが本当にありえないと言えるのか、前宇宙が存在したとしたらそれは質量を持っていたのかどうか、それも怪しいもんです。

自分たちの体のことですら5%程度しかわかっていないのだから
宇宙のことを理解するのはもっともっと先の話になるのかなと思います。
従って質問者様が感じている矛盾は、矛盾ではなく人類全体の宇宙への認識不足とも言えるんじゃないでしょうか。宇宙のことはまだまだ計測が始まったばかり。これからいろんなことがわかってくるんだと思います。
でも楽しみだなと思う反面、全部わかったら退屈だななんてことも思ったりします。
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たとえ宇宙以前の世界があったとしても、ビックバンが起こるとは限らないし、その必然性もよく分かりません。

所詮は、科学的思考から抜け出せないということではないでしょうか。そうしたことを知るために、哲学や宗教があるのではないでしょうか。もちろん科学も、そのうち一致してくるのかもしれませんが。
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質問者様の疑問は、私達が人間として産まれてきて一度は考える質問なのかもしれません。



  しかし、多くの場合その答えがわからないので、途中で考える事を止めてしまう場合が多いのではないでしょうか。

道理にかなった結論という方向性で考えてみたいと思います。


  宇宙には始まりがあったという点で多くの科学者の見解は一致しています。その始まりの前に何かの実在物が存在したという点でも、大方の見方は一致しています。 一部の科学者は、恒常的なエネルギーについて論じます。 それ以前の状態として、原始の混沌(カオス)を仮定する人々もいます。

 
  どのような語を用いるとしても、大多数の人は、何らかのもの、つまり始まりのない何かが、無限の過去から存在すると想定しています。



  ですからこれは、何かのとこしえの存在物と、とこしえの存在者のどちらを想定するか?という議論に帰着します。

 宇宙とそこにある生命の起源や性質に関して科学がこれまでに学んだ事柄を検討する時、これら(以下)の選択肢のどちらを質問者さまは道理にかなったものとみなされますか?


   1. 宇宙には・・・・A.始まりはない  B.始まりがある


 2.Bなら・・・・A.原因となるものはない  B.原因がある


   3.Bなら・・・・A.何かとこしえの存在物による  B.だれかとこしえの存在者による



いかがでしょうか?  ここに変な先入観や偏った心で観てしまう事のないように、どうかご判断ください。

    
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No.15です。



追伸. 下記の結論は、人間が矛盾を含んだ存在であることを否定するものではありません。そうではなく、宇宙の存在の根本原因が突き止められないであろう事と、人間の存在の矛盾を結びつけるのは、論理の飛躍であると言っています。以上。
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>しかし、何も無いところから「宇宙」という存在は生まれませんよね?



 因果の話ですね。結果である宇宙に対して原因である前宇宙を求めるのは、間違った態度ではありません。ただし、前宇宙が我々の理解する宇宙と時間においてつながった存在であるという保証もありません。
 今の宇宙論が教えてくれるのはこれらの前宇宙というか、宇宙の前段階の状況に関する知見です。それらの仮説によれば、少なくとも、宇宙の誕生前には、我々の知覚する形の時間は存在しなかった、よって、「時間」は宇宙と共に始まったとされています。
 スティーブン・ホーキング博士などは、宇宙の外部に流れる時間を我々の体験する時間と異なる虚時間として表しています。
 ただし、もちろん、前宇宙が解明されたならば、それに対してもその成立過程を考えていくことになるはずであり、これは永遠に続く事になります。

>ですから、宇宙の存在は矛盾していると思うんです。

 解明が永遠に終わらない可能性を秘めている事と、矛盾とは異なった考えです。矛盾しているのは、「宇宙の存在に対する根本原因が存在するはずだ」という考えそのものです。
 宇宙の存在に根本原因が存在するなら、その原因が存在する事となった原因を考え始めた瞬間に、それは根本原因でなくなるからです。つまり存在を別の存在で説明しようとする限り、因果の連鎖からは逃れられないのに対し、それによって因果の連鎖から逃れられると錯覚しているのです。

>これは少し飛躍しすぎでしょうか?

 存在そのものの矛盾ではなく、思考の矛盾であると結論付けられますので、これは飛躍といえます。
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宇宙が矛盾しているかどうかはわかりませんが、人間は矛盾していると思います。


そこから、peqeさんの言葉を拝借すれば、
「そんな矛盾した人間の存在する宇宙もまた矛盾しているのではないか」と考えます。
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>何も無いところから「宇宙」という存在は生まれませんよね?
:「無い」というのがどのような状態を指すのか、ということは案外難しいことのような気もしてくるので、この理由によって宇宙が矛盾しているかどうかはなんとも言えません。

ですから、「>そんな矛盾した存在の中にいる」という前提を取り外した上で私見を述べてみるならば、
「>自分達人間の存在もまた矛盾している」という点は同感です。

人は生まれ、生きますが、向かう先は死です。
なぜか精子と卵子は合体するようにプログラムされており、やがて一個の人間が誕生します。
しかし、ある短い歴史を経た後やがて土に還ります。
つまり、合体を解除するために合体したことになります。
大いなる矛盾です。

人類が存続し続けることに何か意味があるかどうかは不明ですが、土に還る前に新たな合体が行なわれ、この矛盾は長きに渡って継続されていきます。
ただ、見方を変えると、種としての継続のために個の矛盾があるのかもしれません。
つまり、個における矛盾は種の維持のためという視点からは矛盾にはなりません。

では、種が維持されなければならない理由はあるのでしょうか。
これはわかりません。
しかし、種の維持に何の意味もない、と考えるのではなく、たとえば、宇宙のなんらかのバランスをとるためであると想定しても、強引とは言えないように思われます。
バランスをとらなければならないとすれば、それは、宇宙が矛盾しているから、ということになります。

そもそも矛盾とは調和するために存在するものと言えるはずです。
矛盾があるからやむを得ず調和しようとするわけではなく、調和する(あるいは、ある状態で拮抗する)ために矛盾があらかじめ用意されている、と考えることもできるかもしれません。

また、このように考えてくると、あらゆる事象の内部には矛盾した要素が必ずと言っていいほど存在していることに気づきます。
その事象がバランスをとりつつ存在するために、矛盾という物理学的作用が必須なのではないかとも思えてきます。
ある存在に矛盾が必須であるのは、矛盾した複数の要素によって存在することによって、外部からの突発的刺戟に臨機応変に対応しやすいためではないかという気がします。
 
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地表という平面は「世界の果て」という概念で矛盾を呼びます。


しかし、地表が球体の表面だとわかると矛盾がなくなる。

同様に、宇宙という三次元空間は、「宇宙の始まり」という概念で
矛盾を呼びます。
しかし、宇宙が閉じた時空と考えれば矛盾がなくなる。

すなわちビッグバンというのは、成長する宇宙という概念の
生み出した仮説であって
宇宙の果てに対しての説明。
実際に宇宙は膨張などしていない。ましてやはじまりなどはない。
時間を直線的にとらえる三次元的な思考において説明しようと
するから、そういう膨張説が出てくるだけ。

もともと意識の数だけ宇宙は存在するのだから。
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うーん。



小麦粉が浮遊していて、 卵が浮遊していて、牛乳が浮遊していて、フライパンが浮遊している。

小麦粉と卵と牛乳がランデブーした状態にフライパンがペシっと張りつき、ボーン。
ホットケーキのできあがり。


宇宙に水素が浮遊していて、酸素も浮遊していて、あるとき水素2個と酸素一個がドッキングしたら、別物になった。
水です。

でも小さすぎて見えない。
霧くらいになれば見えるし、水溜りになれば、はっきりと水が肉眼で確認できますね。

じゃあ 水たまりが無い状態の時、水素と酸素は我々の周りに存在していなかったか?
いや 存在していたが、人間が認識できるレベルの状態ではなかった ってことですよね。


地球。
やがてむぎゅーーーっと中心に向かって縮小します。
どれだけの大きさになったときが臨界点だったかな?
サイコロ? 野球ボール?
ま そのくらいまで小さくなったとき、ものすごい高熱が発生し、ぼっかーーーん

また それらパーツが高熱から冷やされて固まりになり、くっついて子度はどんな惑星になるんでしょうね。



まあ 要するに風船みたいなもので、全ての部品はその中に入っていて、くっつくことで、いろいろな物になるわけでしょ?
だって 水素2個と酸素1個で水って別ものになるんだから。


じゃ 風船みたいなものだとして、その風船って限定がある以上、その限定の外に何があるのか?

その外にさらに大きな風船がある?
じゃあ その大きな風船の外になにがあるのか?

って永遠に謎なわけです。

人間の持つ能力において、大きなものへの探求は苦手の分野。
いまだに宇宙開発は遅遅として進まない。
漫画だと とっくに 人は空飛ぶ車に乗っていることになっているが、現実その時代になっても、まだ地べたはっています。


でも人間はマクロは不得意だがミクロはわりと得意。
そのミクロの中に宇宙を見るわけです。

その宇宙の外にいるのは、私。

例えば人体も1つの宇宙。
私は宇宙。
内部で勝手にいろいろなものが動いている。
時にはピロリ菌が癌を作ったりして、この小宇宙を滅ぼしたりしますが。


>そんな矛盾した存在の中にいる自分達人間の存在もまた矛盾していると思うのですが、どうでしょうか?

うーーん 別に。
小宇宙は至るところにあり、小宇宙がそれを含む宇宙の中にいて、さらにそれを含む宇宙がいて、、、、
発生と消滅を繰り返しているわけで、、、

あまり気にならないです。
だって、私そのものが宇宙なんですもの。
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矛盾しているのは宇宙ではなく、人間の思考です。



そもそも、人間の心の外に、人間の心とは無関係に、物質的世界が存在しているという証拠はどこにもありません。物質とは、もともと、人間の思考が生み出した概念であって、実体ではありません。すなわち、物質とは、物質現象(我々の心に具体的に感じ取られ、観察できる対象)を説明するために、思考が生み出したモデルに過ぎません。その証拠に、電子、原子、素粒子について、科学が言える事は、その「数学的性質」、すなわち、「量的および幾何学的性質」だけです。宇宙が矛盾しているように見えるのは、物質現象を説明するための数学モデルが不完全だからだと思います。
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