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・「報道ってのは取材先の嫌なこともちゃんと中立的に伝えるのが役目なんだよ。なんであんたがたの偏向したイデオロギーを公共の電波が垂れ流さなきゃいけないんだよ。」
・「取材先の『期待』に報道が従うわけないだろ」

「ばか者」「あほか」「常識がない」などの侮辱的な表現を用いて相手を中傷した点や,マスコミ関係者が会社のアドレスを用いて業務とは関係のない不適切なメールを送った点については,厳しく批判されるべきかもしれないが,言っていること自体(上記の内容)は正論な気がするのは私だけでしょうか? 少なくとも,このバウネットとかいう団体のこれまでの言動をふまえれば,この団体に対して同情する気には全くなれません。

A 回答 (6件)

ニュースの話ですね。



言っていることは正論かもしれません。

でも思慮に欠けるメールであると思います。

一般人だとしてもそうですが、新聞社の編集局員が取材先にこんなメールを投げるとは・・・

また、送って問題にならないと思っていたのでしょうか・・・
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貴方にもお判りのとおり、不適切なメールで報道に携わるものとしてあるまじき行為です。


今回のケースですと、主義・主張は関係なく、「ばか」「あほ」などと中傷したことが問題でしょう。
(そもそも何故このようなメールを送信したのか判りませんが)
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少なくても送信した日経編集部員が「短絡的で考えなしのアホ」だけは確実です。



そのたぐいのメールを送る際に「会社のメルアド」使うこと自体がアホである証明です。
これが身元不明の使い捨てメルアドなら送信者が誰であるかはわからなかったでしょう。
(書いた内容からある程度の推測はできたでしょうが、そこまでです)

会社のメルアド・プロバイダメルアド使えば自分の身元が分かる事を考えていないだけで「短絡的で考えなしのアホ」と言える事です。
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>私だけでしょうか?


これが質問ですね?。最高裁でこの団体の主張は否定されましたし「取材先が願うような報道にする必要はない」ということは多くの人が同じ認識を持っているのではないでしょうか。
なお、この団体に対して不快感を持っている、あるいは主張に反対している人は多いですね。「まれにみるバカ女」という本にこの団体の女性が掲載されていたりします。
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ご質問者は、目先の事件の背景の、もっと大きな構図が見えていらっしゃらないかも知れません。

と言っても、私も専門知識はないので、「言論の自由」「編集権」「期待権」の三題話(?)に軽くまとめて回答といたします。

言論、出版その他一切の表現の自由は、手厚く保障されている(憲法21条など)。さて、仮にN新聞のM記者がある原稿を書き、デスクに「うちの社論と異なる意見だね」と言われ、ボツにされたとする。M記者が「言論の自由の侵害!」と抗議したとする。この場合、どうなるか。
新聞社の管理職は、「編集権」を振りかざすだろう。言論の自由は、国家が国民に保障するものであって、新聞社が記者に保障する義務はない。各記者が思い思いに書いて紙面を乗っ取っていいのなら、法人としての新聞社が持つ「言論の自由」が侵害されることにもなる。社論に反対なら、社を飛び出し、個人として自由に発信すれば? というのが、新聞社側の考え方のようだ。

日本新聞協会の編集権声明
http://www.pressnet.or.jp/info/seimei/shuzai/120 …

しかし、この「編集権」を濫用すると、社論がガチガチに統一されて、優秀な記者たちがやる気をなくし、去っていくかも知れない。紙面から自由闊達なところが失われて、読者離れを招くかも知れない。結局、社として困ることにもなろう。そこで、編集権に対抗して(新聞社内の)「内部的自由」という概念を提唱する記者もいる。
次に、この「編集権」を外部に対して適用してみよう。取材される側の言い分を、取材する側の考え方で編集して書くということになる。さて、ある大臣に取材して書いた記事に、その大臣からクレームが付いたとする。「オレが書いてほしかったのとは内容が違う」と。新聞社はこれに屈することなく、「政府による言論弾圧ですよ」と、編集権を楯にとるだろう。
それはいいのだが、これも場合によっては愚行にもなろう。「N新聞の取材なんか受けても、こちらの意図と違うことばかり書かれる」となれば、取材協力も得にくくなる。また、「表現の自由」が強い権利だからこそ、それに対抗する権利も少々設定しておく、という知恵があってもいい。取材される側の「期待権」である。これは、表現の自由や編集権に比べれば弱い権利で、実定法上、広く確立しているものでもないそうだ。それでも、期待権の存在をまったく認めないようでは、結局はマスコミが自分で自分の首を絞めることにもなるだろう。

【結論】
取材される側の「期待権」も少しは存在するが、かなり条件が揃わないと法的には認められず、取材する側の「編集権」の方が強い。なぜなら、「言論、出版その他一切の表現の自由」は、最大限尊重されなければならないからだ。しかし、それは万能ではない。今回の事案では、下級審で期待権が一部認められた。最高裁では逆転して認められなかった。つまり、「場合によっては微妙なところ」なのである。それを、「取材先の『期待』に報道が従うわけないだろ」と言い切ってしまうのは、極論であって、正論ではない。このブンヤさんは、言葉遣いのみならず、考え方も粗野である。
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「報道ってのは取材先の嫌なこともちゃんと中立的に伝えるのが役目なんだよ」



安部の圧力により旧日本軍の嫌なことをちゃんと中立的に伝えなかったのが問題になっているのですが?

「なんであんたがたの偏向したイデオロギーを公共の電波が垂れ流さなきゃいけないんだよ。」

別にバウネットの方からNHKに報道してくれとか流してくれとか頼んだわけじゃないのに、何で「垂れ流さなきゃいけないんだよ」なんて言われなきゃいけないんですかね?その公共の電波(NHK)の方から取材にきてどうして「垂れ流さなきゃいけないんだよ。」?

まるでバウネットが「自分達のイデオロギーを放送しろ」とNHKに強要したような言い草だが明らかに事実無根。そもそも偏向したイデオロギーを放送しちゃいけないのなら石原慎太郎の会見なんか絶対に報道できないはず。ニュースなどでも批判も検証もできない。本当に偏向していたとしてもどう偏向しているのか検証できない。

ま、こうゆう奴は右寄りのイデオロギーの方は報道しないとなると「思想信条の自由を妨害している」とか「不当な言論統制だ」とか言うんでしょうけど・・・。

結論といたしましては、この日経の記者はやっていることも言っている事も間違っています。

記者としても、社会人としても、人間としても。
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