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 幕末に京都在住の皇族か公家の方で泰霊院という方のことが知りたいのですが、どなたかご存知の方は教えていただけますか。
 私の先祖が京都から山形県鶴岡市に来たときに、お別れに形見の品を贈ってくれたのですがどういう方か分からず、是非知りたいので、お願いいたします。

A 回答 (2件)

またでてきました。



>御鳳鷲
これは鳳駕だとおもいます。これは鳳輦のことで天皇が外出するときに使う輿のことでたぶんご先祖はこれを担ぐ役「駕輿丁」をやっていたのではないでしょうか。
駕輿丁の上役である左右近衛府兄部に「長岡」という姓はないので、その部下ではないかと推測できます。

駕輿丁を総括しているのは「官方」壬生家です。御所に昇れる「公家」ではなくその下の地下官人と呼ばれる身分で、今で言う事務方トップの家柄です。

孝明天皇のお后や女官の中には「泰霊院」という女性はいません。

ここからは完全に私見なので聞き流してもらってもいいです。

ご先祖が杯をいただいた「泰霊院」は「駕輿丁」の上役である左右近衛府兄部のどなたかか、もしくは上役の上役である壬生家の女性ではないでしょうか。ただし、私が調べた限りでは壬生家の女性の中に「泰霊院」はいませんでしたが、幕末期の女性をすべて調べきれたわけではないので性格には分りませんでした。

もしほかにもわかることがでてきましたら、教えてください。がんばって調べてみます。

この回答への補足

度々ありがとうございます。御鳳鷲附と書きましたが、父が書き残した文には孝明天皇の御鳳の次の字がパソコンではないのですか゛、上に糸、言、糸で下が鳥の字、附とあります。なんと読むのかも分かりません。従五位の位だったとあります。盃は三重で三歌人、柿本、小野、菅原が書かれています。また、泰霊院と書きましたが、泰の字は巻の中に水の字が書いてあり、霊は雨の下に四のある霊の字です。今の当用漢字にないので、なかなか分からなくてすみません。是非知りたいので、お調べいただけると、幸いです。

補足日時:2008/07/10 19:09
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検索しても出てこないようですね。


ほかにヒントはありませんか?たとえば年号とか、その公家さんの名前など。
あと「泰」も「霊」もくずしじにするとほかの字と間違えやすい字だとおもいます。ほかの字という可能性はありませんか?

この回答への補足

回答ありがとうございます。色々と調べていましたら、京都新烏丸通りの長岡重恒の長男であることが判明しました。孝明天皇の御鳳鷲附という役職にあったようです。酒井公と一緒に京都から荘内にきたようです。泰霊院さまから形見に別れの盃を頂いたようです。そういったことで、泰霊院さまについて知りたいのです。孝明天皇の周りに泰霊院という方はいたのでしょうか。ご存知の方は是非教えて下さい。よろしくお願い致します。

補足日時:2008/07/09 21:16
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