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はじめまして。

 昨日、須田セツ子容疑者が殺人容疑で逮捕されました。
 皆さんご存知だと思いますから詳細は省きますが、例の安楽死事件です。
 ところで、前々から疑問に思っていたことなのですが、もし高価な生命維持装置をつけ続ければ、家の財産を食いつぶし破産してしまうとなった場合、生命維持装置を医師の承諾を得て外したら殺人罪になるのでしょうか。

 彼女の場合、どうも患者の家族がそれを望んでいなかったようなところが、取り上げられていますが、もし家族が真摯に「これ以上高価な診察を続けられたら、次は自分たちが死ぬことになる。だから、生命維持装置を外してくれ」と訴えたらどうなるんでしょう。
 判決で安楽死と認められるためには、1患者本人の承諾。2耐えがたい苦痛。等々が必要になるんですよね。
 経済的なこれらの基準に従うと、本人が承諾しなかったら問題外ですが、大体生命維持装置をつけるような患者に本人の承諾を求めることはほぼ不可能ですので、上記の二つの理由は完全に外れてしまうので、苦しいかなと思わなくもないのですが。

 脳死と判断されたら、ほぼ100%生き返らないのに、死ぬのを待つために効果な医療を続ける意味がどこにあるんだろうと思わなくもないです。
 結局、法は誰を保護しようとしているんでしょう。

 え~、ごちゃごちゃ書いてしまいましたが、言いたいのは3行目の質問です。
 殺人の場合は遺族が訴えなかったら、別に罪にならないのでしょうか。
 もちろん主たる罪は維持装置を外してしまった、主治医にあるんでしょうが、それに賛成した家族が罪に問われることはないのでしょうか。
 お願いします。

A 回答 (9件)

1.殺人罪は、親告罪(告訴しないと罰せられない)ではないので、遺族が訴えなくても、罪になります。


2.本人の同意は、意思がハッキリしている間に取ることを想定しています。もしもそうなった場合、誓約書を入院時点で書いているとか。
3.賛成した家族も、安楽死に当たらなければ、処罰の可能性はあります。ただ、情状酌量で執行猶予の可能性は高いですが、遺族は。
4.経済的なことは理由になりません。生命を第一に考えているからですが、その基準がきっちり線引きできないから、問題になってます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 1に関してはなるほどです。知識が増えました。
 2に関しては誓約書があれば一番いいのですが、いきなり意識不明になることもしばしばあると思うので、今のやり方では、無理なんだろうなと感じます。
 3に関してはやっぱり処罰の対象になるんでしょうね。
 4に関しては生きていればよしというのはどうかなと思うのですが。
 ありがとうございました。

 

お礼日時:2002/12/06 15:02

>高価な生命維持装置をつけ続ければ、家の財産を食いつぶし破産してしまう


というようなことはないと思います。
日本では医療保障制度というのがあって、その中に高額医療に対して援助をする制度があります。
一旦は病院側から請求された金額を支払わなくてはいけませんが、その後ある一定の額を超えた分のお金が戻ってくる仕組みになっています。
もしもどうしてもそのお金が準備できない場合には、融資制度もありますので、医療費が支払えなくて破産する、ということは殆どないと思います。

今回の場合には脳死の判断をされていなかったと思います。
家族が安楽死を希望しているのなら、まずは脳死の判断をすべきなのでしょうし、その前に患者本人の意思が未確認だったことも問題だと思います。
人間は生きている以上、必ず死を迎えます。
それが遅かれ早かれ、絶対的なものであり、また自然なものです。
今回のケースは積極的な殺人ではありませんが、間接的には殺人事件にはなるのでしょうね。
(家族に納得のいくインフォームドコンセントがなかったから、こういう事態を招いたのかもしれませんけど・・・・・)

>殺人の場合は遺族が訴えなかったら、別に罪にならないのでしょうか
以前私はICUで看護師として勤務してたことがあるんですが、そのときに20歳の男性が心肺停止状態で搬入されたんですね。
生命維持装置なるものをつけましたが、恐らく回復は不可能だろうということで、主治医の方からご家族の方に説明がありました。
その説明内容にはびっくりでしたね。
「お宅の息子さんはこれこれこういう経緯を持って搬入されました。これこれこういう処置をしましたけど、いまだ何の反応もありません。(心臓も機械で動いている状態だったので)まず100%助かりません。このまま治療を続けても膨大な医療費がかかります。脳死状態です。どうしますか?」でした・・・・・
それで家族の承諾を得て、生命維持装置を外しました。
もちろん家族が訴えたわけでもないので、殺人にはなりません。

>主たる罪は維持装置を外してしまった、主治医にあるんでしょうが、それに賛成した家族が罪に問われることはないのでしょうか。
安楽死についてはまだまだコンセンサスを得ていないのが現状だと思います。
倫理委員会の方の問題もあるでしょうし・・・・
脳死の臓器移植についてもまだまだ課題は残されているので、今後どう進展していくのかが注目されるところです。
上記の質問は、要するに当事者の誰かがチクらなければ分からないことです。(表現は悪いですが)
でも現実には在り得ることだと思います。
ただ事件になっていないだけなのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 一段落目に書かれていたことは今まで知りませんでした。
 なるほど、そういうところにも医療保険は使われているんですか。

 3段落目はNo.1の方とは違うことになっているのですが、どっちが正しいのでしょうか。

 最後の段落のコンセンサスうんぬんの所ですが、個人的にはこういう問題の場合はコンセンサスなんて取れるのかどうか、非常に疑問です。どんな意見になっても強行に反対する人する人が絶対出てくると思うからです。
 結局、苦しむのは家族なんだから、本人の意思が第一に優先されるのは当然ですが、本人が意思表示できない状態に陥ってしまったら、家族が変わりに判断したらいいんじゃないかなとも思いますが。
 ありがとうございました。

お礼日時:2002/12/06 15:11

例の事件について、当初から疑問に思っていることは、一介の勤務医が犯罪に問われかねないことを犯してまで得るもの、つまり犯罪があったとするとその動機は何だったのか、です。



全く思い当たるところが無いので、当被告が「殺人を犯した」とするには非常に奇異な感じがしています。遺族との遣り取りについて、最近になって看護士の証言が報道されていますが、それも不思議です。

病院が指示したことはなかったのか、あるいは遺族が同意した事実は本当に無かったのか、そのあたりが曖昧模糊としています。
全くの邪推かもしれませんが、「安楽死の要件から言えば、病院の指示も遺族の同意も正当事由にならないため、事実を認めると病院や遺族が殺人教唆をしたことになってしまったり、親戚から批難されたりするので、実は違う事実がありながら認めたくても認められないのではないか」と想像したりしています。

経済的な事情は全く理由にはならないのでしょうが、むしろ、回復の見込みが無い人の死期を機械によって人為的に操作することには非常に違和感を感じます。

以前に病院に見舞いに行った際、病院内で交わされていた会話に、他人事ながら極めて憤りを感じたことがありました。それは、「遠方の親戚がまだ到着しない。本家の人が見送った格好にしないと、後で連絡が遅かったと責められる。本家が到着するまでは生きていることにしたいので、装置は外さないで欲しい」というものでした。何とも、人の命を自分都合で弄んでいるように感じ、思わずその人たちを睨み付けてしまいましたが、あまりに亡くなられた方が哀れに思えてしまったのです。

法は情まではカバーできません。
命を弄ぶことが「法の定め」だとは思いたくありません。
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私が大学生のとき東海大学で安楽死事件がありました。

そういえば卒論のテーマにしたような気もします。
#年がばれる・・・
安楽死については世界の国でいろいろと議論されていますがやっとオランダで安楽死に関しての法律が整備されたような気がします。早くから安楽死に対して積極的だった国でさえやっと最近法律ができたくらいですから保守的な日本では安楽死が合法になるのはいつになるかわかりません。現段階では「判例」という次元でしか確立されていないのです。(実際には確立されているとは言い難い)判例が出るきっかけになった裁判でさえその被告は「安楽死」と認められなかったのですから。
少なくとも今回の場合「家族の同意」があったとはいい難いわけです。それに家族が望んでもある種興奮状態にいるわけですから医師は医師の立場で冷静に判断を下す義務があるわけです。それに医師は人を生かすことが仕事です、死なせることは仕事ではありません。
現行法では「死ぬ権利」は認められていません。百歩譲って「尊厳死」が認められるとしてもそれは本人が望むことであって家族が望むことではないと思います。突発的な事故でない限りどのように自分は死を迎えたいのかが決められるのであれば一番いいとは思います。
話しがそれましたが・・・。
殺人罪といった罪状はともかく今回の医師は医師としての義務を怠ったといっても過言ではないと思います。実際に医師の行った行為で患者さんが亡くなったのは紛れもない事実なのです。いまいちあの事件は詳細がわからないのでなんともいえませんが彼女は独断で患者さんを死に至らしめたのですから殺人罪に問われても仕方のないことだと思います。
殺人罪は訴えなくても罪に問われます。ただその事実が表に出てこなければどうしようもありませんけど。

現行法では罪を免れることは難しいでしょう。医師に依頼をした家族がどういった罪に問われるかは実際に裁判にかかるかは別としても無罪放免という感じにはならないと思います。たとえ家族に頼まれてもやっていることは理解できるわけですから同じ、殺人罪に問われる可能性があると思います。

自分の死に方を決められるような世の中になるまでには相当の時間を要すると思います。こういった問題が起こってくるのは「医学の発展」がもたらした弊害だと思いますね。

また話がずれてしまいました。なかなか話が難しくて・・・実際には無限ループに陥るほど難しいないようですから人によって答えは変わってくると思います。
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私は、ニュ-スを見ていて疑問に思ったことがあります。


家族の方がインタビュ-されていましたが、何故モザイクがかけてあるのですかね、家族の訴えで警察が動き担当の須田医師が逮捕されたのに、もう一方の当事者がマスコミにでないというのは、私に言わせれば無責任と言わざる得ないと感想を持ちました。
確かに、死に対しては、様々な議論があると思い、なかなか難しい判断ですがなんか今回の事件、裏があるのではないかとうたぐってしまいます。
実は、私のいとこは今年亡くなったのですが、ずっとガンで闘病生活をしていて、入退院の繰り返し看護婦が目を離した数分の間に生命維持装置を自分で外してしまったのです、でも苦しんでいる姿を見なくて半面安心しています。
でも、この事件を考えれば家族が訴えれば殺人罪になってしまうのではないのでしょうか。
う~んなんか分からなくなってきたけど、死に対して法律が介入するより、自分自身の考え方が反映できればよいと思いますがどうでしょうか。
ちなみに、私は家族に対しては、脳死状態になってしまったら、延命治療はしないようにいっており、臓器移植もしないように伝えておりますけど、実際そうなったらどうなってしまうのか疑問はあります。
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3行目の質問(笑)ですけれども、理由は裁判の時の情状酌量にはなると思いますが、本質的には関連無いので外しますと、


『生命維持装置を医師の承諾を得て外したら殺人罪になるのでしょうか』ということになります。医師が承諾するか否かはおいておいても外せば死亡することがわかっていながら外すことは殺人と同じです。これは紛れもありません。たとえ医師がやったとしても殺人は殺人です。繰り返しますが情状酌量と罪かどうかは別物です。

一般の医療で問題となることが多い議論なんですが、大切なのは『延命するかどうか最初に決めておくこと』なんです。一度延命をすると決めて、走り始めたらもう止まれないのがこの手の議論です(延命の機械も最初は治療の方法のひとつです。治療法を選ぶのは自由なんだけれども選んで「それが無ければ死ぬ」となってしまったらもうやめられないんです)。

だから普通は患者の容態がおもわしくなくなったときに医師が家族に前もって確認します。『患者さんの病状では回復は見込まれません。機械に頼れば肉体を多少でも長く生かしておくことは出来ますが、機械の都合上お話などは望めないし意識も落としてあげないと苦痛でしょう。こういう状態でしたら延命は可能ですがどう考えられますか…ご家族としてはどうして欲しいですか?』と。たいていの家族はココで延命を諦めますし、そういう方向に導くのも我々の仕事なのでたいていはその様に進むんです。ですが家族が「延命」を選んだらそれまでです。患者の肉体の余力が続く限り生かすのが私たちの仕事です。患者は意志を明らかに出来ませんし、たとえ明らかにしたって制度上やめられるものではありませんし、患者が死んだ後訴えるのは患者ではなくってその遺族ですから…ね。途中でやめることはこの国の制度の中では許されないことなんです。

中にはとても不幸な事例があります。心筋梗塞の治療などで人工心肺を使うことがあります。そのときに元の状態に戻ってくれればよいのですが、不幸にして心筋広範壊死となって心臓は絶対に元に戻らない事態になった…心臓移植はそんなに簡単にできるものでないし、人工心肺の維持可能期間はとても短いのです。目の前にいる患者は普通にお話してご飯も食べているのだけれど医学的に救うことは絶対に出来ない…今は機械で生きているのは間違いない…さて…^^;

こんなことも実際の医療ではあることです。
命を大切にすることと弄ぶことは違うこと、無駄な延命など最初からするべきでない…というのがある意味答えです。

で須田先生の件に対する私見ですが、もし起訴事実が真実なら常識的に殺人罪でしょうね(弛緩剤を注射したら死ぬことは理解しているだろうから)。我々医療者はどんなに患者が苦しそうでも可哀想でもやってることが無駄に思えても、一度はじめた延命や治療は放棄してはならないんです。それがこの国の中でのルールです。もし裁判で安楽死やら尊厳死を認める結果が出てこようともこれだけ騒がれてまでその領域に追随して踏み込む阿呆は少ないでしょう。法的な整備がなされれば別です。理念はわからないでもありませんが、この国で生きている以上、国全体のルールが変わるのを待つしかありません。
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NO2の者です。

お礼をどうもありがとうございました。

現在の日本の法律では、心臓死を「死」と定義しています。
脳死を「死」とする場合は、臓器移植法で定められていますが、自分の臓器を他人に移植してもよい、という生前の意思表示があった場合に限られています。
そのため脳死の場合は「死」ではないので、この段階で医療者側、もしくは家族が積極的に「死」に導く行為を行った場合には、殺人罪に問われるものと思います。
どんなに家族が安楽死を懇願したとしても、現在の段階ではまだ認められていません。
以前、ある医師が確か末期癌(?)の患者の家族から依頼されて、塩化カリウムを注射して死に至らしめた、という事件がありました。
多分そのときも殺人罪に問われたと思いますが(このとき家族も罪に問われたかどうかは記憶していません)、その頃から安楽死に対して少しずつ前向きに動き始めたように思います。
でもその脳死問題にしても、もうかなり長い間議論されているにも関わらず、なかなかコンセンサスを得ないままです。
日本人の感覚で言う「死」の概念と、医学上の「死」の概念が違うため、本当にこの間でもがいている多くの方がいらっしゃるということも事実でしょう。
azariさんが地団駄踏みたいお気持ちも分かりますが、現場を経験している者には尚更口惜しい思いがします。

私が前回述べた中のものは、よくよく考えてみたら、その20歳の男性は心臓死の状態にあったわけで(機械が心臓の役割をしていたので)、ただ主治医が彼に対し人工呼吸器を停めるとき、家族に「いいですか?死にますからね、これを外したら死ぬんですよ。」と言いながらやっていたので、もう少し言い様があるんじゃないか?と思ってしまいました。
要するに先日亡くなられた高円宮殿下のような状態だったわけです。(病名は違いますが)
混乱させてしまって申し訳なかったです。
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何度もすいません。


私大きな勘違いをしていました。
須田容疑者は筋弛緩剤を投与していたのですね。
わたしはてっきり呼吸器を止めただけ、だと思っていました。(言い訳がましくて申し訳ないですが、新聞とニュースを見ていなかったので、うろ覚え中で回答してしまいました。)
筋弛緩剤を打ったらどうなるかくらいは、もちろん理解していたと思います。
「間接的殺人」ではなくて、やっぱり殺人罪に問われても仕方のない状況ですね。

余談ですが、これは内部告発によって家族に知らされたものなのでしょうかね?
このまま野放しにしておくと、どれくらい犠牲者が増えるのか・・・・という殺人行為ばかりやっている医師がいるんですけど、どうにかしたいくらいです。
内部告発を保護してもらえるような法律ができないと、私も内部の秘密をバラしたことで我が身が危ないんで・・・・・
法治国家ってこのへんが厄介ですね。
本当に失礼しました。
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難しいことは言えないのですが


一番いけなかったことは、家族、親戚一同の中に
一人でも安楽死に反対する人がいたら、
するべき事ではない。という事だし、
訴えた側も、きちんと話し合いがされていないのに、
人ひとりの生き死にを、医師に伝える(伝わってしまった)
のを、恥じるべきだと思いますが・・・。
どうでしょうか。
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