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1.恐怖とは何か?
2.どういう意味があるのか?
3.人はなぜ、恐怖を感じるのか?
4.人はなぜ、他人に恐怖をあたえるのか?
5.恐怖が続くと人はどうなるのか、狂うのか、死ぬのか?

以上について教えてください。
特に5.について関心があります。

A 回答 (5件)

1.恐怖とは何か?  


>>この答えは自分自身を知らない事に因ります。貴方と同じ状況に置かれた場合に全ての人が貴方と同じ事を考えるわけでは有りません。貴方の人生の見方から、貴方の結論が出ています。冷静になって、貴方と同じ状況に置かれても、それを恐怖にしない人が居る事も知る必要が在ります。

2.どういう意味があるのか?
>>この事の本当の意味は、貴方の感じ方で変わってきますが、本当の意味は貴方に気が付いて貰いたいという、貴方自身の心の現れとも云えます。それは貴方に「安心しなさい」と云う声です。貴方の中には「安心」と云う事と「不安」という二つの感情が在ります。今の貴方は全てに否定的になっていて、自分自身の肯定的な声を聞く事が出来ない状態になっています。それは「不安を追い出そう」としている事です。

3.人はなぜ、恐怖を感じるのか?
>>一人の人間の中に不安を感じる自我意識と云うものと、其の感情を抱かせているものが存在して、その存在を、自我意識が分からない事に因ります。その事によって不安を殊更に悪いもの、心の異物として追い出そうとする事に因ります。人間の心は誰でも同じように出来ています。

不安は追い出そうとした時にはもっと大きくなって恐怖と云う化け物になってしまいます。従って不安をただの雑念、誰の心にでも湧き上がってくる、感情の一つとして、相手にしなかったら、心から去ってゆきます。

4.人はなぜ、他人に恐怖をあたえるのか?
>>人はなぜ他人に恐怖を与えるのか?と云う事ですが、それを受け取る人が全て恐怖と感じているとは限らないと思います。受け取り方が千差万別だと思います。

5.恐怖が続くと人はどうなるのか、狂うのか、死ぬのか?
>>是ははっきり言って他人の事は、私には分かりません。ですが私自身の事でお答えします。私の場合は14歳で「死」の恐怖を覚えた事が在ります。ですがその日から「死」と云う事が24時間頭から離れなくなったことが有りました。それからというものは「生き地獄」の中にいるも同然の心持でした。

毎日が死刑執行の恐怖の中にいたからです、365日x18年間続きました。6,570回死刑になった気分で過ごしました。是は日数を重ねたら慣れるというものでは有りません。ものすごい恐怖の中で過ごした者です。

ですがこの苦しみから解放される日が来たのです。悟りを開いたのです。自分自身を知る「見性」するという機会が有りました。その事で今まで味わった恐怖感と云う意味がはっきりと分かりました。その恐怖は「自分自身が」作り出していた実態のない妄想だった事です。

不安や恐怖は全て自分自身が作っています。それは自分の中に不安を感じる「自我意識」と云うものと、不安を感じさせている「もう一人の自分が」いたという事です。つまり自分の中に「二つの意識」が有った事です。その二つの意識が対立と矛盾を起こしていた事が「精神疾患」としての私のノイローゼの症状である「離任感」と云うものを感情として感じさせていました。

その事から分かった事が在ります、自我意識は左脳に在る意識です。もう一つの意識は右脳に在る意識です。右脳に在る意識は無意識をつかさどっている意識です。精神疾患は右脳と左脳が、対立と矛盾を起こしているという事の表れです。従って人生問題に悩む事、精神疾患で苦しむ事、つまり悩みや苦しみは全てが左脳と右脳が対立と矛盾を起こしている姿と云えます。

是は私の想像ですが、この苦しみがもっと強くなっていたなら左脳と右脳は背中合わせになっていたという気がしています。それは「脳波」に現れるという事です。

精神疾患の完全開放、人間の苦しみからの解脱は自分自身を知るという事で完成します。是は禅問答が解けたという事と同じ事です。禅問答が解けない事は脳の機能の問題です。左脳の分別するという働きでは解決できない問題です。禅問答が解けた答えは「生死の問題が解決した」と云う事になります。それはなにものにもとらわれない心と云う事です。それは、もはや不安にも恐怖にもとらわれなくなるという事を意味しています。

悟りを開くという事は左脳の意識と右脳の意識がもう二度と対立と矛盾を起こさないという事を意味しています。心が争わなくなるという事です。心が静かになるという事です。この事は「神に会って神と和解した」と云う言い方も出来ます。

ついでにもう一言です、左脳と右脳が一つになるという事は聖書に因るところの天国に一番近いものは幼子と云う事です。幼子は元々脳の機能が分化出来ていないために左脳も右脳も二つに分かれる前だからです。

ついでにもう一言、一切衆生悉有仏性と云う事も、神と共に在るという事も同じ事を言っています。元々人は誰でも神、仏と共に居ます。それは右脳の中の無意識を司っている者です。右脳は本人が認知できなくとも確かに在るものだからです。右脳の無い人は殆ど皆無と云っても良いからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
「一切衆生悉有仏性」というお言葉は初めて知りました。
いつになるかはわかりませんが、回答者様が指南していただいた、
「禅問答」や「森田療法」ほか「宗教」や「心理学」に関する知識を体得できれば、今の苦しみから抜け出せるものか、私のような者が体得できるものかどうかわかりませんが、善処していきたいと考えています。

お礼日時:2008/11/24 08:58

学問としては素人ですので、個人的な考えを少し・・・



1.恐怖とは何か?
  自らに何らかの危害の可能性を感じた時の心の状態。

2.どういう意味があるのか?
  それを感じることにより、自らに及ぼす危害を回避する
  ための心のセンサー。
  例えば野生の動物が、天敵を発見すると恐怖し、その場
  から離脱するように・・・

3.人はなぜ、恐怖を感じるのか?
  2と同じ。

4.人はなぜ、他人に恐怖をあたえるのか?
  威嚇の結果が、他人に恐怖を感じさせたのでは?
  野生的に言えば、テリトリーに侵入した他者を威嚇したり
  自らが怖い時に威嚇(この場合は虚勢かも)するような事
  なのでは?
  人は、手足もそうですが、物や言葉も武器に使いますね。

5.恐怖が続くと人はどうなるのか、狂うのか、死ぬのか?
  知りません。
  しかし、野生的に考えれば、1~4で恐怖を感じているの
  であれば、それは本能的に「やばい」とセンサーが機能し
  ている状態ですので、その場から離脱する事が最善のよう
  に思います。
  例)
  転職する。
  転校する。
  引っ越す。

その他。
例えば、やられたから、やり返すのような考えや、せめて一矢
報いたい、みたいな考えは、結局相手に対しても4の行為をし
ているので、堂々巡りで結果的に力関係の優劣で勝敗が決まる
と予想します。

先日、小生の義兄が会社でのパワハラを苦に自殺しました。
しかし、それで何かが変わるような事は無く、ろくな謝罪も無
く「勝手に死んだ」と言うような扱いをうけ、親族が悲しむだ
けの結果に終わりました。犬死です。

あまり負の方向に考えない事をお勧めします。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/24 08:47

 正直、あなたとうまく接する事が出来るかどうか、不安です。


 お礼の文章が何かを含んでいるかのように思えました。

 >5は私の人生そのものです。
 これは、僕の回答が、あなたの人生そのものだった。と、いうことでしょうか?
 また、僕の回答を見てどう思いましたか?

 >自殺してはいけないといいながら
 誰が、あなたに言ったのでしょうか?

 >ある宗教団体、検察、警察に取り返しのつかない目に遭っています。
 具体的にどのような目に遭っているのでしょうか?
 そして、その証拠はあるのでしょうか?

 >世のため、残り少ない自分のために我慢してきました。
 何が残り少ないのでしょうか?
 何を我慢してきたのでしょうか?

 >しかし今日も攻撃され、ここまでバカにされるのなら
 どう攻撃され、どうバカにされたのでしょうか?
 そして、誰にそういう風にされたのですか?

 >事を起こすべきではないか
 何を起こそうというのですか?

 >失うものは何もない
 どんな状況においても、人間失うものは、あると想われます。
 なにかを、起こしてからでは手遅れになる、と、いうことも考えられなくもないと想います。
 「気持ち」が昂ってるのでしょうか?
 
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専門家ではないので、主に想像から答えてみたいと思います。



1 悲観的な想像 (不安が進化したものと思います。)

2 恐怖を感じることで現状および未来をなんとかしようと思い、未来を変化させる可能性を持つことが出来ると思います。
  生きるうえで重要な防御本能にもなるのでわないか、とも思います。

3 未来のことを考えるから。 
  すべてのことに対し完全に自信を持つことができないからかもしれないと思います。

4 他人の気持ちが解らない、と同時に他人の気持ちになれないから・・・。 
  身(心)の痛みを知らない。 
  自分のほうが大事だから。
  他人を思いやる気持ちをもてないから。 
  他人の事は嫌いだが、他人とかかわりを持ちたいと思うから、またはかかわらなければいけない理由があるから。 
  これは説明になってないかもしれませんが、TVのバラエティー番組で芸人の方が言っていたのですが、「いじめられてる人の顔見るのが気持ちいい」というニュアンスのことを言っていたように記憶しております。ですから、単に人に苦痛を与えることに快感を覚える人もいるのかと思います。その人の深層心理までは解りません。 等々
  ・・・難しいですね・・・。 

5 恐怖を懐き、それがひとつひとつ現実になっていく過程で、恐怖が増幅していけば、狂う事・精神に異常をきたすことも充分考えられると思います。
  強い恐怖を擁いていても、自分や他人・いろいろな物事に、完全な絶望を擁いていなければ、生きていく事を選ぶと思います。
  救いがたい恐怖と完全な絶望に見舞われた時、人は自ら生きることを放棄すると思います。肉体的にも精神的にも。

未熟な回答だとは思いましたが、思ったことを思わず答えてしまいました。
どうも、失礼しました。

この回答への補足

5は私の人生そのものです。

自殺してはいけないといいながら、ある宗教団体、検察、警察に
取り返しのつかない目に遭っています。

世のため、残り少ない自分のために我慢してきました。
しかし今日も攻撃され、ここまでバカにするなら、
事を起こすべきではないか。
失うものは何もない。

補足日時:2008/09/19 21:43
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初歩の初歩ですけど、『夜と霧』(著者:ヴィクトール・E・フランクル)を読めば、手がかりはつかめるでしょう。



参考:「読書ノート 『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル)」
 http://www.din.or.jp/~honda/tokio14g.htm

この回答への補足

昔、すでに読んでいます。
殺される恐怖を感じても仕返ししてはならない。
でも後日、著者は、悪人に間違った解釈を宣伝され、心を痛めたそうです。
ぼくは、すべてを失いました。
最後の手段をどうすべきか?

補足日時:2008/09/19 21:41
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