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江戸時代に限った話ではないですが、とりあえずここでは江戸時代の話でお願いします。
今でこそ私たちは本やテレビやインターネットで様々な作品を見ることができますが、昔はそんなものはなく気軽に絵画に触れる機会が無かったように思います。浮世絵は流通して庶民の文化として紹介されているのを見ますがではそれ以外の絵画はどうなのでしょうか?今の私たちが知っている応挙や若冲や芦雪や…そういった画家の絵を見る機械はあったのでしょうか?寺にあるものは庶民も見ることができたのでしょうか?

つまり、当時の絵を見てそのころの文化について語ることは可能なのでしょうか?絵から推察できるのはあくまで特別な身分の人々の文化なのでしょうか?
みなさまのご意見お聞かせくだされば幸いです。

A 回答 (2件)

お寺の襖絵なども、あまり高価なものは気軽に見れなかったかもしれません。

しかし、効果な絵は“客寄せパンダ”なので公開しないとお金も集まりません。日本の場合は限られた時期だけ公開していたかもしれません。
西洋の場合は、教会の天井の絵などは庶民でも見る機会があったと思います。そもそもは、字が読めない人に布教するための説明用の絵がはじまりですから。

絵に描かれた人
絵を見る人、
これは違いますよね。見る人が上流階級の人でも、描かれた内容はそうではない場合もあります。
平安時代の伴大納言絵巻では火事のシーンで痴漢をはたらいている(と疑わしき)人物が描かれていますし、下級役人の子供同士の喧嘩に親が手出ししている場面もあります。
安土桃山時代にはやった洛中洛外図ではさまざまな身分の人を含めて町の様子が描かれています。
京の川原でさまざまな遊びに興じる人たちを描いた絵もあります。
画家の興味が市井の人に向く場合も多いですし、権力者もそういうことに興味を抱くこともあったのでしょう。

とはいえ、戸籍もないような階級の人が描かれることはまれだと思います。

掛け軸、屏風、衝立、障壁画、天井絵など、印刷物以外の絵画は建物に付属するものが多いです。掛け軸だって床の間がなければ飾りません。
やはり絵画(肉筆画)は金持ちのものですね。(今だってそうですけど)

庶民が簡単に目に出来るのは、着物の柄くらいでしょうかね。

西洋の場合は、後期ルネサンス期のブリューゲルなどは、村のお祭りや狩の様子を描いていますね。
ルネサンスからしばらくは絵画は教会と権力者・金持ちのものでした。金持ちの層も広がったからでしょうか、市民の権力が増したからでしょうか、後の時代に風俗画が発達してきます。

絵は写真と違って、画家がわざと嘘を描くこともあります。
そういうことも考え合わせて、ある程度の推察は可能でしょう。
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この回答へのお礼

「客寄せパンダ」、なるほどそうですね(笑)
さまざまな方向からの見方がありそうですね。思っていた形とは違っても文化を語れることはできそうです。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2008/09/24 20:57

江戸時代は町人文化が盛んになった時代ですから上等な品に限らなければ今よりも身近に美術装飾品があったのではないかと思います。


掛け軸は床の間が無いと掛けられませんが床の間があれば何かしら掛けるものだったと思います。
七福神だとかそれこそ「下手物、安物」の類ですが絵師や細工師の手作り量産のものは相当あったんではないでしょうか。
祖父の家にもどうということもない掛け軸がたくさんありました。平凡なものは当然のように古びれば役目を果たしたとして捨てられたと思います。

で応挙、若冲、芦雪ですが
さすがに当時でも安くはなかったと思いますがちょっと調べたところではお寺さんに所蔵されていたものが多いですよね?
若冲については「画1枚を米一斗で売ったため斗米庵」と号したという記述がありました。
また若冲は師を持たずあちこちのお寺の襖絵を模写させてもらって勉強したとあります。今考えるより身近にあったのではないでしょうか。
江戸時代のお寺は寺子屋をやったり説法をやったり、公共的な娯楽や教育の機能を果たす場でもあったように思うのですがどうなのでしょうか。
今でも襖絵を画家に頼んで檀家にお披露目したりしているお寺がありますから手順を踏めば観ることはできたのではないかと思います。
お寺や作品によっての個別の研究が必要そうです。

例えば東照宮なんかは最初から庶民の拝観を当て込んで作られていますよね。江戸時代には一般公開されていなかった坂下門から先はものすごく地味です。

江戸時代の歌舞伎とか文学を見ると実名を仮名に換えればエライ人のお話でも題材にできたようですし、川柳や大衆的な芸能でも古典に題材をとっていたりするのには驚きもします。
江戸町人をどういう階層と定義づけるか議論の必要はありますしどの身分にどういう文化が受けていたのかは研究の必要がありそうです。

今残っている優れた作品だけを観て当時の階層ごとの文化を語るのは語弊があるとも言えますが。
あとその三人は京都の町人ですから江戸はまた話が違いますよね。
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この回答へのお礼

お答ありがとうございます。
ええとすみません、とりあえずその3人は思いついたのを並べたので特に意味はなかったです。でもそうですね、京都と江戸など場所でも事情が変わってくるのはわかります。
お寺については現代のそれと当時のとの人々との距離が違うというのは失念していました。なるほど!
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/25 16:37

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