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現在の皇太子殿下について、下記のような話を何かで読んだことがあります。

* 浩宮殿下(昭和の時代)の結婚相手に内定していた旧華族(恐らく五摂家)の令嬢がいた。
* しかし、何らかの理由でその縁談は実現せず、紆余曲折の結果、旧華族ではない小和田雅子さんが皇太子妃となった。
* 「将来の皇后に内定していた」旧華族の令嬢は周囲に「私はいったい何だったの?」と嘆いたとのこと。

昭和の末ごろですが、浩宮殿下(現・皇太子殿下)のご結婚については「候補に目された令嬢が、皇室に入るのを嫌ってどんどん結婚して消えていってしまう」と言った報道がなされ「このままでは浩宮殿下は誰とも結婚できないのでは」という雰囲気があったと思います。

「『お妃が決まらない』という報道は目くらましで、将来の皇后にふさわしい令嬢が早期に選定されており、マスコミは報道を控えていた(もしくは、マスコミに完全に秘密が守られていた)」
ということでしたら興味深いことですが。識者の方のご教示をお待ちします。

実際、
「川嶋紀子さんと礼宮殿下(当時)が大学時代から結婚を前提とした交際をしており、皇太子殿下・妃殿下(当時)も承知しており、紀子さんは早い時期から宮中に招かれていた。しかし、婚約内定が発表されるまで、マスコミには一切報道されなかった」
事実があるわけで、皇室関係の報道についてはマスコミも節度を持っているようです。

なお、勝手ながら、回答して頂ける場合には具体的な個人名は出さないようにお願いいたします。その方のプライバシーに係わる事ですので。よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

 個人的な記憶ですが、そもそも雅子妃殿下が皇太子妃として不適切だとの考えが多方面であり、複数の女性が候補に挙げられたのは、皇太子に諦めていただく為だという話を聞きました。



 妃殿下の祖父の江頭豊氏は、水俣病問題を引き起こしたチッソ株式会社の社長で、被害者との交渉などにおいて極めて不適切な発言を繰り返し、事態の解決を遅らせたとの批判を受けています。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A0%AD% …

 ちなみに、チッソは2007年11月19日の新救済策の受け入れを拒否しています。
   http://www.chisso.co.jp/topics/minamata/index.html

 後藤田正晴氏は、患者の憎悪が皇室に向くことを危惧し「皇居に莚(むしろ)旗が立つ(当時、患者とその家族は「怨」と大書した旗を掲げデモをしていた)」と反対したそうです。
 (ただし現時点では、水俣病患者から皇室に抗議行動がされたことはない。)

 妃殿下の体調不良も、上記のような理由で好意的に迎えられなかったと言う事が原因の一つに…。

この回答への補足

「大物外交官の娘で、父が外務事務次官就任を目前にしている時期に外務省にコネ入省した」小和田雅子さんが「将来の皇后」にふさわしくないことは、冷静に考えれば分かったはずです。

江頭豊氏の問題は雅子さんには直接は関係ないことですからひとまず置くとして、皇室関係者の間で「小和田雅子は論外。皇太子殿下に何とか諦めて貰わないと国家の一大事」という意見が多数出てもおかしくないですね。それでも小和田雅子さんが皇太子妃に決定してしまったのは「宮内庁の幹部に複数いた外務省出身者の画策」「皇太子殿下自身が雅子さんに強くこだわった」ためと聞きます。

約20年後の現在、すんなりと皇室に入られた紀子殿下は、姑である皇后陛下と円満な関係を築いておられ、公務に積極的に取り組んでおられ、何よりも悠仁親王殿下を含む三人のお子様に恵まれています。お二人の内親王殿下も、テレビなどで見る限り立派に育っておられるようです。

一方、雅子殿下は「愛子内親王殿下の話題」の時だけにマスコミに登場する有様で、公務はほぼ全て皇太子殿下が単独で行っておられます。どう考えても異常なことです。

「そもそも雅子妃殿下が皇太子妃として不適切だとの考えが多方面であり」
が正解だったようですね。国民として残念なことです。

補足日時:2008/10/19 17:35
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