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「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか? 」(一般的な結婚式での誓いのことば)

回答のある質問ではないでしょうが、色々な皆さんのご意見をちょうだいしたいです。

例えば夫が破産の羽目に陥ったり、犯罪で逮捕されたりすると、妻はもちろん子どもからも「父親失格」として見放されたりする家庭が多いです。
しかし夫が成功者として豊かな暮らしを与える際には、妻子は当然のごとく大きな家に一緒に住み、美味いものを食い、そして○○様の奥様、お子様として丁重に扱われ、はては遺産までも手中にする。

夫婦逆でもかまいません。
妻の実家が富や権力を持っていたら、当然のごとく夫はそのコネを利用したり、妻の実家に入り婿し会社の経営陣に加わったりする。
しかし一旦妻が、例えば万引きで逮捕でもされようものなら「バカもん。会社や世間に顔向け出来ん。離婚だ!」とか手のひらを返す。

親子でもそうです。
親や子どもが金持ちや社会的地位が高いとか、有名人にでもなろうものなら、それを利用して恩恵にあずかるのは当然として、世間では許容されます。

ところが悪くなろうものなら、やれ勘当だとか、親子の縁を切るとか。

家族の一人が犯罪者となって、家族にも誹謗中傷や迫害があったとして、世間ではよく「家族には関係無い」とか、「子どもにはなんの責任が無い」とか言います。

はたしてそれでいいのでしょうか。

親子夫婦だからこそ、一人の成功の恩恵に当然のように与るのだから、失敗の逆境もともに味わってこその「家族」なのではないかと思うのですが。
(もちろん、だから家族も晒し者や虐待しても良いと言ってるのではありません。事実としてそういう羽目になると言ってるだけです)

このような考えが間違ってるとしたら、どこがいけないのでしょうか。
お教えください

A 回答 (9件)

お礼と補足ありがとうございます。



僕の考え方は何も珍しいものではありません。
孟子の「恒産無くして、恒心無し」に近い考え方なんですね。
そして「恒産」って時代によっても個人によっても相対的なものなんですよ。

僕は50年近く前の地方都市の日常として、市街から少し離れた岩陰に置かれた浮浪者(当時はホームレスとはいわなかった)の生活の後や、河原のバラックで生活をする人たちのことを鮮明に記憶しています。
当時って、あんまり良いもの食べていなかったし、大したもの着ていなかった。
僕は、年々生活レベルが向上する時代に育った。

今の20~30代くらいの人って、「明るい未来」という感覚が薄いのかも知れない。
僕も妻も、30代初めの創業の頃、信じられないくらい金がなかったけれども、明るい未来は疑わなかった。
当然、将来は明るく豊かだと信じて疑わなかった。
「夢」ってのも「恒心」なんですよね。

■現実に貧しい境遇においても愛の存在ゆえに充分に経済面の不足を補った豊かな心で暮らしている者達の存在や、またその逆の境遇の人々があまりに多いという現実です。

どうなのかな?僕の感覚だと、やはり「恒産無くして、恒心無し」の場合が多いと思う。
そして、「夢」=明るい未来を信じることが出来ずに、一生貧しくて愛情が続き、幸せに暮らし続けることは、豊かな生活を前提に育った若い人たちには、ほぼ不可能なような気がします。

僕には2人の子供がいます。
下の子の将来の夢は、「国境無き医師団に入って、世界人類に尽くす」なんだそうです。
まだ大学にも入っていませんが、僕が下の子くらいの年齢の時は女にしか興味がなかったことを考えると、とてもまぶしいです。(笑)

この回答への補足

この場をお借りしまして、回答いただいた皆様にお礼申し上げます。

今回の質問はあくまでも賛同を求めるものではなく、私の所論を間違っているとする根拠をお聞きするものでした。
しかし残念ながら、No7&9氏を除いては賛同の意見と「手の平返し」という前提とは違うご意見しかいただけませんでした。

そこでお礼は勝手ながら、あくまで私個人的に「気持ちいいお話だな」と思える方を次点とさせていただきました。

ご回答いただいたのに否定するような感想を申し上げて、本当に申し訳ありません。
皆様にお詫び申し上げます。

補足日時:2008/11/09 12:15
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この回答へのお礼

衣食足りて礼節を知るって言うのは、たしかに人間の心理って言うか現実での行動をうまく表現した真実を突いている面があると思います。

しかし「恒産無くして恒心無し」における「恒産」っていうのは果たして経済的な「豊かさ」=「人並み以上に金持ちであることが精神の高さ・愛情の豊かさである」ことを意味しているのでしょうか。
私はこれを、あくまでも他者に依存することなく、自立した生活があってこそ、自立した精神が確立できるって程度の意味の経済力であると理解しています。

それにしても、貧乏な中にも優れた愛があると主張しようとしても、「糟糠の妻」という言葉があるように、やはりそこには後に一事をなすだけの「能力」というものが必要なのでしょうか。

貴兄はいつも知性の無い人間を、あたかも人間性の低さとニアリー・イコールで評価されるきらいがあります。
私自身はその考えにも、いささか素直に納得出来ないのですが、かと言って声を大にして「ディスアグリーです!」とは言い切れない自分がいることも事実です。

それにしても貴兄のお子さんは素晴らしいですね。
いつも感心しています。
いつか「お父さんの考え、そりゃ違うよ」とか言われて、バーニャ氏グッと反論に詰まる、なんて図を見てみたいです(笑)

ちょっと厄介な内容の質問かとも思いましたが、貴兄のご教示で素直に「今回質問してみてよかった」と思うことができました。
本当にありがとうございました

お礼日時:2008/11/09 12:12

健やかなる時も 病める時も..といいますが


実はそれだけでないのが「普通の人の生活」です。

仕事帰りに憂さ晴らしに深酒して泥酔して帰宅し、ソファでいびき
「風邪をひくから布団で寝て」と言っても「うるせ~」のひとこと
そういう状態で病気になったら「病める時も」とは対応が違ってしまいます。

「富める時も貧しい時も」も同じです
収入が下がったのに自分の趣味に多額のお金をかける
妻が身重なのに自分だけ友人をツーリングに行く 高いバイクは買う
こういうのは「富める」とか「貧しい」とかの比較を超えます

愛が冷めてしまうと、あとは坂道を転げ落ちるがごとく..です。

私は、結婚した相手が一生懸命仕事をしたのに会社が潰れ
6畳一間のアパート暮らしになっても
「苦労かけるけど、俺もがんばるから」っていう真摯な態度だったら
一緒に貧乏しても付いて行きます
でも「あ~あ..俺ばっかり貧乏くじだよなあ」と愚痴をたれるようなら
愛想がつきます。

貧乏になったから愛が醒めるんじゃない
病気をしたから醒めるんじゃないけど
順調な時に比べて逆境の時って人間性を壊し易いのかも.
そういう事もあるんじゃないかな...と思います

貧乏でも病気でも、毅然として男らしく戦ってくれていたら
私は愛し続けます♪
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この回答へのお礼

素晴らしいお考えだと思います。

これがまともな人間の気持ち・愛情だと思うんですよね。

でも世の中には金の切れ目とか不祥事程度で、愛するはずの家族をあっさり見限る人も居るのが悲しいです。

正直このカテでなにかにつけ「私なら離婚です」とか偉そうにほざく人間が嫌いです。
あんたの「永遠の愛」ってそんなもんかよ。ぷっ
とか思ってしまうのです。

お礼日時:2008/11/09 01:25

お久しぶりです。


「変態チックカール」愛好会東京西地区支部長を勝手に名乗っているbagnacaudaでございます。(笑)
最近はテニスエルボーがようやく癒え、変態チック・ハンマーカールで鍛えています。
ショルダーもアーノルドプレスを好んでいますし、「ひねり」を加えてちょっと違う刺激を求めています。

お返事の前に、今日は朝食後に、ちょっと「ニチャッ」とした「海」に仕掛けをたらした後、恋女房と二人で外出しました♪
子供達も大きくなったので、最近は夫婦二人で行動することが結構多いです。
ちょっと公に出来ない「舞台」を二人で見たり、食事したり、妻が前から欲しがっていたセーターを買って、最後に「今晩は何にしようか?」という話になって、「中華がいい!」という結論で一致しました。
で、豆チや様々な醤、白身魚や豆腐を買い込んで帰宅し、妻は今、料理の準備をしています。

閑話休題
僕と妻が結婚した当時、僕はサラリーマンでした。
その後、それなりの世俗的成功に恵まれ、まあ20数年前の新婚当時に比べれば、僕も妻も随分と物質的な豊かさを享受しています。
子供達にしてみれば、「生まれたときから」です。
これが彼等のベースです。

僕は、転勤族の父親と専業主婦の母の間に生まれました。
経済的には中の上といった所だったと思いますが、父は勤勉で子供の教育に熱心な人でした。
これが僕の生活の「ベース」になっています。

僕と僕の子供達では、最低限想像出来る生活レベルに「差」があります。
仕方がないと思うし、僕はある種の「責任」を感じています。

親って、子供達が努力すれば、少なくとも親が築いたレベル以上の生活を守ることが出来るように、物心両面の教育を心がけるのだと思います。
そして、僕は少なくとも今のレベルの生活を、喩え自分が経済的に破滅するようなことがあっても、妻と子供達には享受し続けてもらいたいと考えます。
万が一、自分が辛くなったら、自分だけ辛いことを選ぶんじゃないかなぁ。

僕の持論は、「経済力は、人を愛する能力の最も大きな部分の一つを占める重要な能力」言い換えれば、「金は愛の主要部分の一つ」であるという考え方です。
金を稼ぐ能力のない人間は、残念ながら「その程度」しか人を愛せない。
逆に言えば、「他の能力」で勝負すべきです。

愛情って、「自分が大切に思う家族を幸せにし続けることが出来る能力と技術を伴ったあたたかい気持ち」です。
であれば、能力が落ち、技術が衰えたとき、何か他のものを新たに提供するか、身につけるか、または、離れることによって最低限の「愛」を守るか?

■失敗の逆境もともに味わってこその「家族」なのではないかと思うのですが。

だけが、「道」ではないとぼくは思います♪
間違いではないけれども、他の選択肢も、間違いなく「愛」なのだと思う。
じゃなければ、人間は苦境に晒されないと本物の愛情を確認出来ないことになってしまう。
愛は能力と技術だ!が持論である僕は、これは間違った劣った人間の逃げ口上のような論理に思えます。

今夜はビールが美味そうなメニューです。^^
あんなにいっぱい豆チ買って、恋女房はどれだけ使うつもりなんだろうか?(笑)

この回答への補足

お説のお考えは含蓄深いです。
ただそうすると、どうしてもこの鈍い頭が錯綜してしまうのは、現実に貧しい境遇においても愛の存在ゆえに充分に経済面の不足を補った豊かな心で暮らしている者達の存在や、またその逆の境遇の人々があまりに多いという現実です。

私には経済力は「愛を守っていくための重要な要素」の一つである、いや、もしかしたら「重要な要素のひとつに『過ぎない』」ってレベルのものとしか思えないのです。

貴兄が劣った人間の逃げ口上のような論理に思えること。
これは失礼ながら、成功者の目から見る決め付けの部分も無いでしょうか。
貴兄は普段言われていますよね。「愛情って言うのは幸せな日常が育てるもので、愛情があるから幸せなのではない」って。
貴兄のようなお考えに至る方の家族との良好な関係が、たとえこの先万一事業の失敗等で破産の憂き目にあっても、それをもってご家族の皆さんから見捨てられるような存在には思えないのです。

なぜならそもそも金をメインとしている愛情は当然のごとく「金の切れ目がなんとやら」となりますが、貴兄の家族関係はその程度の失敗で家族の愛情が一編に雲散するような家族関係には思えないからです。

今の日本の社会における経済格差は、たしかに個人の能力ゆえのものもたしかに多いです。
しかし反面、個人の能力をはるかに凌駕した「運」の面もかなり存在することは否定出来ないと思います。

また例えば日本で悪徳医師でもすれば、いくらでも金儲け出来るのに、あえて途上国に行って貧しい境遇で医療活動する人も存在するように、経済力の多寡が、その者の能力を100%判定する基準にはならないのも事実です。

経済力は果たして愛情の能力の最重要ポイントなのでしょうか。
私には重要ポイントの一つに過ぎず、不可欠な条件と思えないのです。

あ、ついでにひとつ。
私は貴兄がすべての売春婦・風俗嬢を完全否定するお考えには断固オブジェクションです(笑)

補足日時:2008/11/09 01:15
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この回答へのお礼

貴兄のご高説は、もちろんその全てに賛同するわけではありませんが、いつも一考の要有りと刮目して拝読しています。

「愛情とは自分が大切に思う家族を幸せにし続けることが出来る能力と技術を伴ったあたたかい気持ち」「経済力は、人を愛する能力の最も大きな部分の一つを占める重要な能力」
というお考えも幾度かお聞きしました。

考えの浅薄な私にとって、これは今までに無い切り口からのお考えでありました。

高名な空手家・大山倍達師の好んだ言葉に
「正義無き力は無能なり、力なき正義は無能なり」
という言葉があります。
貴兄のお考えは、大山師の言葉を別の表現に改めたものとも思えました。

回答ありがとうございました
補足のほうにも書かせていただきます

お礼日時:2008/11/09 01:14

質問者さんのおっしゃること、割と賛成です。


甘い汁だけ吸って、つらくなったらすぐ離れていくっていうのは、「手のひらを返す」みたいで利己的だということですよね。ビジネスなどではなく愛情で結びついた関係なら、そんな理由で切り捨てるべきでないと。

ただ、現在の世の中では、冒頭の誓いの句を完全に理解して、想像して、覚悟した上で結婚する人は少ないというのが実情であるようです。(1)勝ち馬に乗るだけ乗って、趨勢が不利になったら切り捨てる。これは、マスコミなどに代表されるように、今の世の中の流れみたいです。
(2)責任を他人に求める。「現実に生活できないから仕方ない」「稼げない旦那が悪い」「犯罪を起こす旦那が悪い」と、何か問題が起こるとまず他人の責任(アラ)を探す。「そんな相手と一度一生添い遂げると誓ったのは自分」という自分の責任への発想が出てこない。
そもそも資本主義、自由競争の社会というものが、営利の最大化を礼賛するものですから。恋愛や家族愛も生活があった上でできることなので、愛情だけを現実社会から切り離せないという人もいるでしょう。

良し悪しではないと思います。あなたのように道理を重視して、「覚悟」を持って「責任」を果たせる人間も存在する。一方、好意的に解釈すれば現代の多数派も状況に対して「柔軟」であり「合理的」と評価することも可能です。

ただ、No.6さん同様、いくら甘い汁を吸っても子どもには責任はないでしょう。「自由には責任が」というなら「責任には自由が」付いてくるべきです。子どもは自分の意志で親を選べたわけではないですから。

質問者さんが、ご自身と同じく苦楽をともにする意思のある伴侶とめぐり合えることを(あるいは現在の伴侶がそうであることを)お祈りします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今回の質問は決して賛同者を募るのが目的ではなく、もしこのような考えに間違いがあるとしたら、どういう点が考え違いなのかを知りたいってのが目的です。

でも賛同していただくこと自体には、感謝の気持ちを持ちます。

ところで子どもの責任についてですが、幼少時はまだしもある程度の年齢になったなら責任(家族の一体性と言う意味の)はないのでしょうか?

良いとこに生まれれば、大きな家に住み、良い塾にでも通わせてもらい、良いものを食い、そして親の企業を継いだり、親のコネで就職したり、はては遺産まで貰う立場なのですから。

お礼日時:2008/11/08 12:11

いまひとつピンときませんでした(苦笑)



>夫が破産の羽目に陥ったり、犯罪で逮捕されたりすると、
>妻はもちろん子どもからも「父親失格」として見放されたりする

>ところが悪くなろうものなら、やれ勘当だとか、親子の縁を切るとか。

そもそも、こうなる前から「夫・父親失格」だし、親子関係もよくないからこういうことに
なるんじゃないでしょうか(汗) 

運の善し悪しは別として、
例えば「地位」とか「名誉」を自分だけのもの……と考える人は、どこかで破綻すると思うんですよね、
自分がのことだけ考えて、家族などは眼中なし、人の苦しみがわからない、人とよいことを分ち合えない、
そういう人が破産したり犯罪者になったりすると、それまで周囲は何のありがたみも感じていなかったから
(主に精神面で)とたんに「ポイ」です。でも、家族のありがたみを感じながら一生懸命仕事をして、自分の
富や名誉、それ故に自分が受けるよい待遇、全てを「家族のもの、幸せの材料」と考えている人ならば、
常に意識の中に「家族」のこともあるわけで、無謀な行動には走らないと思うんですね、自分がやらかす
よいことも悪いことも、自分だけの問題じゃないと思えるから。そんな思いやりをもった生活の中で、
会社が倒産してしまったり、交通事故などで人を死なせてしまった……などの犯罪者になったとしても、
家族に見捨てられることはないと思います。

結局、自分はどんな時も「家族の中のひとり」、自分の身体であっても、自分だけのものじゃないんだ、
という一体感をもって生きている人は……っていうか、そういう感覚がもてる家族は、ですかね、
どんなことがあっても放り出されたりしないと思うんです。

結論としては、全て「人間性」が招く結果でしかないってことなのかな。
>家族の一人が犯罪者となって、家族にも誹謗中傷や迫害があったとして、
>世間ではよく「家族には関係無い」とか、「子どもにはなんの責任が無い」とか言います。
家族(大人)には関係あるけど、子どもには責任がないでしょうね。
でも、こういう場合、子どもが、そういう親をもった自分、という運命を
受け入れて暮らせるかどうか……それも親の人間性なのかなって思います。
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この回答へのお礼

No2の方への内容と同じになってしまうのですが、夫・父(妻・母)が貧乏になる前からそもそも失格だと決め付けるなら、金持ちな時期には贅沢を享受するのは、まるで「いいとこ取り」で、まるで夫を金づるとしか見てない鬼畜な考えじゃないですか?

また
>そんな思いやりをもった生活の中で、会社が倒産してしまったり、交通事故などで人を死なせてしまった……などの犯罪者になったとしても、家族に見捨てられることはないと思います。

今回の質問の内容はあくまでも見捨てられるケースでの話しです。

回答ありがとうございました

お礼日時:2008/11/08 12:05

人間皆、生まれながらにして不平等です。


○○太郎先生のようなお坊ちゃまもいれば、小学生のうちから新聞配達で生活費を稼いでいる人もいます。
どのような親を持つかによって人生大違い。
どんな人と結婚するかでも人生大違い。

でも、幸せの価値観は一人ひとりの心の中にあります。

毎週日曜日、教会に足を運び、貴方自身で質問の回答を見つけてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2008/11/08 11:59

誓いの言葉は、誓いでしかありませんよね。


努力目標とでも言いましょうか。
禁煙の誓いを立てるなんて息巻いても、なかなか守れないのが人です。
特にこの文言はキリスト教の結婚式に神父に問われるものなので、頑張って無理なら、神様も許してくれるでしょう。

質問の趣旨とは離れてしまいますが、何かを手に入れると、別の影の何かもオマケよろしく付いてきます。
例えば、大金を手に入れたら、大金に群がる金の亡者がついてくる。
おべんちゃらを言ったり、ゴマをすって少しでも恩恵に与ろうとする輩が湧いてきます。
本人ですら騙されているのに気づいてないなら、明日の転落を誰が知るだろう。
金持ちが必ずしも幸せとは限らない。

質問者様は栄光を享受したのなら、転落の辛苦も味わうのが家族のはずと思ってらっしゃるのですよね。
もしわたしが父親なら、妻や子供が不幸のどん底に落ちていくのなんて見たくありません。
自分一人で充分自己嫌悪なのに、妻や子供が苦しんでいるのを見せられたら、立ち直れない。
そして自分一人でなら、何でもしても這い上がっていけるけど、妻や子供がいるなら足手まといです。
別の人生を歩めるのなら、しばらく一人にして欲しいと思う。

いつも賄賂を受け取って更迭される官僚や、汚職に手を染める人を報道で見ますけど、自分の亭主がある日突然収入が増えたり、接待ゴルフに夫婦同伴でどうぞなんて言われたら、わたしはうろたえます。
「なんでそんな美味い話あるの?」って詮索しまくると思う。
何の不思議も感じずに享楽に浸る家族だから、悪に手を染めるのか、悪に染まりやすい体質だから、そういう妻と廻りあうのか…。
難問ですね。
すいません、難しい質問だから内容がとりとめなくて。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

もちろん夫(妻)自身が、家族を不幸のどん底に一緒に落としたくないと、自ら離れていこうとする気持ちは分かります。

しかし今回の質問の対象は、家族側が不幸になった当事者を見捨て離れていくケースの話しです。

お礼日時:2008/11/08 11:58

そもそも、はたしてそうなのでしょうか。



家族や配偶者が縁を切るまでには、たいてい、そうとうの紆余曲折があったりするもので、それは部外者の目には見えなかったりするものだと思うんです。

例えば、夫が破産したり逮捕されたら、妻としては、まずは精神的ショックを受けるので、しばらくは夫と口がきけなかったり、つい、暴言を吐いてしまうということは大いにあり得ます。しかし、多くの妻は、自分を立て直し、夫がそこに至った経緯に思いを寄せたり、夫が立ち直るための手助けを始めたりします。

中には逮捕の瞬間から縁を切る配偶者もいるでしょう。しかし、そういう場合は、逮捕に至るまでに家庭内暴力だの浮気だの家計の持ち出しだの、いろいろな苦労が課せられていて、その限界が「逮捕→離婚」という形に現れたのかもしれません。

一方では、見放すことも愛だったりします。パティ・ボイドは自伝で、ギタリストでアル中だった夫エリック・クラプトンとついに離婚をしたのは、アルコール依存者の家族の会を通じて、「時には見放すことで相手は自立する」という愛の鞭を学んだからだと書いています。また、相性の合わない結婚が、配偶者を依存症などにおとしめているなどと気付けば、愛しているからこそ去ったりするものです。もちろん、そこまでしないにしても、身内だからこそ「離婚だ!」と叱咤することで活を入れ、結局は離婚しないということもあります。

ちなみに、富や名声だけでつなぎとめられている家族は稀なのではないでしょうか。確かに富や名声があれば、家族が不自由ない暮らしができるので不満が生じにくいというのはあります。反面、配偶者が家庭の富を使い果たしたら、家族は飢え死にしますので、離縁せざるを得なくなります。しかし、例えば妻に富や名声があっても、家庭をないがしろにしていれば、家庭は妻を見放したくなるわけで、だからこそガッポリ儲けているような有名人が、三下り半を突き付けられることが少なくないのです。

さらには、犯罪者の家族に対する誹謗中傷に、世間が「家族には関係無い」「子どもにはなんの責任が無い」と言うことについて。確かに関係なくはありません。しかし、犯罪を生むのは、なにも家族だけのせいではありません。それに家族だって、それまでにさんざん工夫を重ねてきたかもしれないし、あるいは、まったく兆候に気付かなかったかもしれない。例えば覚せい剤中毒などはややこしくて、誰も気づかないうちに本人が中毒になってしまうもので、そうなると飴だの鞭だのを与えて厚生施設などに入れても、立ち直るとは限らないのですよ。

というわけで、確かに結婚の契りを交わしたのなら、そう簡単に相手を見放すべきではないと思いますし、大して考えもせずに簡単に離婚する人も確かに多く、それは嘆かわしいことです。しかし、夫婦や家族というものには、はたから見ているだけではわからない深い事情があるものだと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

ただ、今回の質問の対象はあくまでも手の平を返すように離婚・離縁をする人の話であって、それまでにいたる暴力や浮気などが沢山あって限界をむかえるというケースや、愛があるから突き放すというようなケースの話しではないのです。

またそこに至るまでにすでに破綻の原因の8割9割が既に存在し、愛情が残存してないのなら、それこそ愛情が存在しないのに、経済的社会的恩恵だけは享受しているってのは、それこそ「厚かましい」のではないですか?

お礼日時:2008/11/08 11:55

夫婦の一方が、逆境に立たされた時、愛の深さがわかるのではないでしょうか。


小室哲哉氏が逮捕されましたが、桂子夫人は、離婚しない、と言ったそうです。それは、やはり奥さんの方に深い愛があったからではありませんか。
三浦和義氏の奥さん良枝さんもそうです。疑惑の中でも、支え続けたのは、深い愛と立派さがあるからではありませんか。

世の中には、鬱病の夫を支え、働き続ける妻もいます。病の夫でも支え続けるのは、やはり夫婦だからと思います。

病める時も健やかなる時も、当たり前のことです。逆境の時こそ、人の真価はでます。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りだと思います。

このカテでも何かって言うと「私なら別れます」とか言ってる人見ると、「あんたの永遠の愛ってなんなの?しょせん自己愛かよ」と思ってしまうのです。

本当に逆境の時こそ人の真価はあらわれますね

お礼日時:2008/11/08 11:48

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