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私は現在、ある大学の法学部3年で、主に刑法の死刑制度について研究しています。
そこで、来年の卒業論文にそなえて皆さんの意見を参考にしたいと考えています。
アンケート内容は以下の通りです。

(1) 死刑制度に「賛成」or「反対」

(2) (1)の回答の理由


なるべく多くの方からのご意見をお待ちしております。

A 回答 (18件中1~10件)

1)反対です


2)下記の通りです
卒論がんばってください^^
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(1) 死刑制度に「賛成」or「反対」


 基本的に反対です。
(2) (1)の回答の理由
 犯罪抑止力に疑問があります。死刑を望んでの犯罪の発生、犯罪実行時は刑罰を考えていなかった、どうせ死刑なのだからと更なる道連れを望んでの被害拡大の可能性などが理由です。死刑を無くしても犯罪は増加しないとは思えませんが、死刑在置により別の人が犠牲者なる可能性があるとの危惧が消えぬ以上、とても賛成できません。
 冤罪の可能性は0%にはなりません。死刑でなくとも冤罪は許されませんが、殺人を駄目だといっている国家が冤罪死刑しては洒落になりません。
 個人的には例え罰金だろうが懲役だろうが、単なる謝罪で済もうとも冤罪は真っ平ご免ですが、死刑されたら無罪を訴える事さえできなくなってしまうので尚更です。冤罪で死刑確定なんてされた暁には「加害者も被害者も恨んでやる」、「惨い目に遭った上に無罪の人間を理不尽に殺す原因にされてしまった被害者に申し訳ない」、「被害者の家族を加害者と同じ穴の狢にしてしまった上に復讐の機会を奪ってしまった」、「俺が死刑宣告された事で真犯人が安心できるとすれば犯罪を庇った事になるのかな?」云々、矛盾だらけの感情に苛まれそうです。下手すると冤罪だからこそ死刑にして欲しいとか、死刑される事で冤罪を証明しようとか、意味不明な事を望みそうで怖いです。
 逆の立場になった場合、遺族には謝罪できても冤罪死刑されてしまった故人には謝りようもないので、被害者になった上に無実の人を死に追い込まざるを得なくなった十字架まで背負っては生きていけない気がします。「全て加害者だけが悪いんだ」とか、「冤罪を証明できなかった奴が悪いんだ」とか思う事ができれば別ですが、私にはそのような考えは持てそうにありません。

 惨い犯罪を犯した者に生きる資格なしとの気持ちも拭い切れないので、逆を言えば犯罪抑止力があり、死刑による別事件が発生せず、冤罪の危険性が完全な0%であれば、死刑に反対する理由はないのですが・・・。
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反対です。



理由
1.近代法の理念に反しているから
近代法は権力者の暴走を禁止し、同時に個人の私権を最大限尊重する理念を元に誕生しています。
私権の制限の弊害をなくすため、近代法治国家では身体罰・拷問を禁止しています。日本を含め刑法に身体罰(鞭打ちとか手首切断とか)がある法治国家はありません。
しかし死刑は究極の身体罰です。
死刑を廃止するのは、近代法治国家として当然の帰結です。
理念として死刑に反対です。

2.厳罰化の限界
最近、立て続けにひき逃げ死亡事故が増えています。
特に注意が必要なのは、すぐに車を停め救護していれば命を失わないですんだ可能性の高い事件があることです。
これは飲酒運転の厳罰化がむしろ犯罪を助長した例です。
このように刑事罰には負の作用もあるのです。
現在の日本は、戦後史上犯罪がもっとも少ない時期です(少年犯罪も含む)、この時期に厳罰化を前提とした死刑を増やすのはとても納得できません。
死刑を廃止した国の動向でも、死刑存続が治安維持に有効であるというはっきりした結論は出ていません。
ならば、上記の近代法の理念にそって死刑を廃止すべきです。

3.個人の負担する責任という点において
紛争のある地域では少年兵と言うものが存在します。10歳ぐらいから麻薬などを使って洗脳し、人殺しを快楽であると教えるのです。
もちろん日本にはこのようなことは存在しませんが、育児放棄などで物事の善悪をきちんと学べずに成人する人も存在します。
このような人が犯罪を犯したときに、すべてを個人の責任にするのはどうでしょう。
日本は法治国家であり、貧困などの自分では解決しきれない問題については、社会がセーフネットを構築するのが原則になっています。
福祉の世界では介助(つまり私権の発露の介助)があるのに、刑法に同様なセーフネットが無くてよいのでしょうか。
特に未成年を死刑に処すような刑法のあり方はとても疑問です。
この点の議論が死刑論争の争点にならないのがとても不安です。
よって死刑反対です。

4.裁判員精度について
私は裁判員制度が出来るから、死刑を廃すべきとは考えません。
むしろ裁判員精度が開始され、死刑の重さを国民が検討するいい機会になればよいなと思っています。

わたしは法学部に学んだ経営者です。クビを切ることも経験しております。解雇だけでもその人の生活、家族の生活を考えると躊躇するのです。ましてや人の命を奪う死刑を軽々しく「適用すべし」とする、80パーセント以上の世論には到底与することができません。
よって日本の死刑全体の議論・世論を踏まえたうえで私は死刑に反対します。
もちろん被害者の方には同情を禁じえませんし、私が被害者の立場にたったとしたら「殺してやりたい」と願うでしょう。しかしこれは厳密に「死刑にしてほしい」という意味ではありません。
法治国家である以上、法律は精緻に社会学的な治安の予防・維持の効果をもって実行すべきです。
少なくとも被害者ではない第三者が、軽々しく被害者の感情を思って「死刑」などと発言することのほうが不謹慎だと思います。
もし死刑にしたら、被害者が生き返るなら死刑に賛成してもよいです。
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1. どちらかというと反対寄りです。


2. 理由は単純に法律が人を殺すことを禁止しているのにその法律が
 人を殺すという矛盾です。
 また、死刑にしたからといって必ずしも被害者や遺族などが報われる
 わけではありません。
 勿論、中には死刑にして欲しいと望む人もいますがよほどの凶悪犯
 でもなければ死刑にすることが果たして最良なのかどうかという
 疑問も感じます。
 死刑になりたいから人を殺したという人も中にはいますし、死刑制度に
 よる抑止効果はある程度あると認めても好ましくないなと感じます。

個人的には死刑制度反対の立場だけど、可能かどうかとか現実に廃止
した場合の問題とかもあり、難しいです。
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たまには「反対」にしてみようかな。



とは言え、もっともらしい理由など思いつかない。

そうだなあ。

死刑は求刑でき、判決として刑罰にできるとして、
死刑囚が「いや」と言えば死刑にならない、と言うのはどうだろうか。
そうなると、一生牢屋暮らしになるのかなあ。

これは、「賛成」に入るのだろうか。
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1) 死刑制度に「賛成」or「反対」


基本賛成です。

(2) (1)の回答の理由
犯罪抑止力・再犯防止・被害者遺族の感情の緩和

100歩譲って終身刑があれば死刑廃止でもいいです。
ですが、今以上に施設や費用がかさみます。
税金の無駄という観点からは何ともいえませんが…
加害者に結構な労働をして自分の食費を稼いでくれれば
この制度もいいのかもしれませんね。

ただ人権だの人の命を奪うなという死刑廃止論者は
所詮他人事に見ているのかなと思ってしまいます。
自分の愛する恋人や家族、友人が無差別に殺され犯人の謝罪も無い
これって更正も何もないでしょう?反省すらしないのに…。
被害者の人権はないのに加害者の人権は
主張するというのが納得できません。人を殺すという事は
取り返しのつかない事で、何をやっても償いきれないものだと
感じます。何らかの事情で情状酌量があれば死刑になりませんし。
自分の私利私欲の為に何の罪もない人が殺されるっていうのは
被害者にしても被害者家族にしてもやりきれない気持ちです。

死刑になりたくないのなら、人を殺さなければいいのです。
これってそんなに難しい事なのでしょうか??普通の方なら
できるはずなんですが…

後は刑務所をもっと居心地の悪い所にしてほしいです。
入りたくないっていうような刑務所にすれば抑止力にもなるでしょう。
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(1)個人的には反対です。



(2)自分が重罪を犯した時に死刑を受けたくないからです。
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死刑は絶対に反対


何故ならば、人は自然に生まれてきたのです。
それを、法の基だとは云え、殺人は反対です。
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賛成???



死刑制度を否定する論理が見出せない。

非常に単純化して述べます。

死刑制度は個人の復讐の国家による代行システムです。
人は他者からいわれなき危害を加えられ場合、復讐心を持ちます。
その究極は殺人です。
個人の復讐としての殺人を容認しては社会秩序が保てません。
よって一定の手続きを経て国家が代行する形態が死刑制度です。
国家は国民により形成され、国民の大多数が死刑を容認しているが故死刑制度は存在します。(原理として)
よって殺人を否定する国家が死刑という殺人を行うのは矛盾だ、との論理は成立しません。

以下は死刑を否定する根拠とはなりません。
冤罪が含まれる。 別問題である、より厳密な精査が行われる要があるのみである。
死刑囚が反省し悔い改める機会を奪う。 基本的に無関係である。悔い改めなければどう責任を取るのか、死刑になるが故の逆の事例もある。
抑止効果は認められない、これも基本的に無関係である、又それは明確に計量できず、効果ありとの意見もある、ヤクザの発言、厳罰化により行動は抑制される、例、拳銃発砲で無期なら躊躇するとの発言。
死刑制度にも敷衍する事ができる。
国際的に死刑制度は廃止されてきている。 利益誘導である、大多数の国が核を保有すれば日本も保有するか、の論理が導き出される。

又死刑反対派は極刑を望む被害者へ、加害者を死刑にせず許しなさい、とする、権利はない。又その論理も無い。

日本人は宗教、規範を有せず、何ゆえ、人を殺してはならないか、根拠、論理を持ち得ない、よって反対派は死刑を明確に否定する論理を構築できない。

殺人を禁じる唯一の根拠は宗教による戒律のみです。これを他者に強要はできません。

被害を受け、加害者に極刑を望む被害者に、それを否定する論理を私は構築できません。
制度としての死刑はこれが原点です。
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(1)反対です。



(2)加害者が死んでしまうからです。

  刑罰はそれを受けた人間、事後後悔をしないと意味がありません。人間として立ち直るかどうかはどうでもいいです。とにかく「おれはなんて事をしてしまったんだ」と心の底から思わせ、懲らしめないといけない。
 加害者が死んでしまう「死刑」は、刑罰の中では最高ランクの刑のように感じますが、実は違うと私は思ってます。
 死刑執行の寸前は怖いでしょうし震えるでしょう。しかし、執行されてしまえば、本人は「後悔」し「謝罪」する心さえなくしてしまうのです。
 ある意味では人殺しという罪を犯した大罪人を、一番楽にさせる刑罰なのです。
 自殺をする人は苦しみから逃れるためにするといいます。
 死ぬ権利を剥奪して、刑務所の中で苦しんでもらえばいいのです。
 死刑判決を受けると懲役とは違うので作業がないのです。
 死刑を廃止する、そして累計刑にして、懲役120年という判決を出せるようにする。
 
 私は死刑廃止論者です。
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