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頭が良いとはどういうことだと考えますか?
皆さんの考えを聞かせて下さい。

僕は短時間でたくさんのことを覚え、それを長い時間が経った
後でも思い出すことができることが頭が良いということだと考えます。

A 回答 (26件中11~20件)

記者個人の考えばかりではなく、日本語から鑑みると、博覧強記と云う言葉に行き当たります。

又、当意即妙と云う辞も思い当たります。
詰まり、色々の事を多数見聞きして知っている事そしてそれを嚢の中のものを取り出すが如く取り出せる。これが頭の良い人と思われていた節があります。
西欧書籍では索引を付けるのが当たり前の様の書籍や、訳書で原本には立派の索引があるのに付いていないと云う例は珍しくないです。まあ、制作上の理由もあるから一概に云えませんが、読者があまり必要を感じていないと云うのも理由の一つだと思います。この様のものに頼るのは恥ずかしい事だと云う意識もあったのではと思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
確かに博覧強記、当意即妙という言葉は日本語にありますが
本当に今で言う頭が良いという言葉の代わりにこれらの言葉が使われていたのでしょうか?
僕にはわかりませんが、頭が良いという言葉の歴史を探るのも
頭が良いという言葉を理解する上でもしかしたら助けになるかもしれませんね。
これは思いつきませんでした。

お礼日時:2008/11/13 19:35

 No.14です。

コメントをいただきました。

 ★ 一定の範囲で、その皆の状態に心配りができることと言っていますが / 後には99匹よりも1匹に気遣いをすることが頭が良いことだと言っていますね。 / これは矛盾ではないですか?
 ☆ たとえば
 ○ 九十九匹よりも一匹に 気づかいをするように 互いに 努めるようにすること
 ☆ こう言うべきところでしたね。これは むしろ 次の問いへのお応えでもありますが そうすると 上の《矛盾》も溶けると思います。

 ★ それと興味があるのですが、99匹より1匹を気遣うと、誰に足を / 引っ張られることが多いのですか? / やはり99匹にでしょうか。
 ☆ その一匹のその後によっても 足を引っ張られることがあります。ですから 気長に歩めば いいのですが 問題があるとすると それは たとえば経済的に成り立って行かなくなるような事態 これを引き起こす心配があるということです。多少は 世間の歩みにも 合わせて進めなければいけないかも知れません。
 九十九匹という表現で 世間ということを 言えるでしょうか。

 ★ また、聖なる甘えに浴するとはどういうことですか?
 ☆ 人に頼らず甘えず あたかも自分に甘えることができるほどに 最初に述べましたように 《百匹のあいだの関係性》を 確かなものにしていくことです。それは 誰もが そのときそのときの一匹について ふつうに 心配りをしている情況をとおして 得ることができると考えます。
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この回答へのお礼

更なる説明をありがとうございます。
少し理解ができました。

1匹を友人や家族に例えるなら、友人や家族を気遣うように
世間の人々も気遣うことが頭の良いことだ

ということですよね。
ただ、人を気遣うことで足を引っ張られるとはどういうことですか?
特に足を引っ張られることの例で経済的に成り立って行かなくなるようなことがあると言っていますが
具体的にはどういうことなのですか?
また、世間の歩みに合わせて進めるとはどういうことですか?

聖なる甘えに浴する、もとい百匹の間の関係性を確かなものにすることは
ふと思いついたのですが、隣人愛のことですか?
ここでいう隣人は世間や99匹、一匹というのは自分のことを指すことになりますね。

お礼日時:2008/11/13 19:15

 家族・地域社会・企業社会あるいは国あるいは人類社会 一定の範囲で その皆の状態に心配りができることです。



 後ろ向きに前へ進みます。あるいは しんがりにいるという位置づけを頭に描いて その集団で まとまって 巡礼の旅を 歩みます。九十九匹よりも 一匹に 気づかいをすることが 頭が良いことだと思います。

 こういう方針を打ち出し 実際に実践していると――ただし なのですが―― かえって 足を引っ張られることが 多くなります。ですから 甘やかすことではありません。一人ひとりが 最大限に 聖なる甘えに浴することができるようにと 努めることです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
一定の範囲で、その皆の状態に心配りができることと言っていますが
後には99匹よりも1匹に気遣いをすることが頭が良いことだと言っていますね。
これは矛盾ではないですか?

それと興味があるのですが、99匹より1匹を気遣うと、誰に足を
引っ張られることが多いのですか?
やはり99匹にでしょうか。

また、聖なる甘えに浴するとはどういうことですか?

お礼日時:2008/11/13 16:28

1で投稿した者です。

質問者のdorirutinkさんが真摯な態度に思いますので再度補足します。長いのでゴメンなさい。
記述に先立って前提なのですが、頭がよいということと、天才、才能、能力をほぼ同義語として述べます。私は官僚ではありませんが官僚を擁護・批判するものでもありません。特定の個人を指しても例えとして使うだけですので、個別の見解に異論がある場合には別の質問を立てるようにしてほしいと思います。純粋に「頭がよいこと」を追求する質問者に失礼なことはしたくないのです。その上での私見です。
まず頭のよさはベクトルであるということですが、私は頭がよいと言われることも、頭の使い方も分からないバカだと言われることもあります。見る角度の違いで60度ズレていれば半分、90度以上ズレていればマイナスと見られるわけですね。価値観の違いということで自分自身では納得しています。例えば野球のイチローは天才と言われますが、野球を知らない人から見ればその天才度合いは半減するわけです。同じ価値観を目指す中から頭の良さを感じるというわけです。
芸術の絵画でも似たようなことがあります。埋もれた天才を発掘するのは絵画の才能があればこその話で、絵画の素養のない人はどの絵を見ても一般的な評価を付けることは難しいでしょう。天才は天才を知るのです。
エジソンの言葉を借りれば天才とは1%のひらめきと99%の努力であるのですが、野球では長嶋茂雄と野村克也がよく比較されます。野村監督は選手時代にホームラン、ヒット、打点で通算2位の記録を持っています。これだけでも素晴らしいのですが、その後もノムラスコープ、ID野球と今では当たり前になったものを発明しました。そんなすごい人なのですが、選手時代のスタートは才能がないと言われ、自分でも不器用だったと表現しているそうです。徹底的な努力によって才能を開花させ、そのプロセスの一端が人を納得させるという意味では非常に人間的な天才だと思います。よく使われる意味での天才とは、思考のプロセスが他人から理解されにくい長嶋タイプの人のことを指しますが、私はどちらも天才なのだと思っています。思考のプロセスが違うことで、人から見えないものが見えるという表現が成り立つのだと思いますが、それだけが天才ではないと思います。人を納得させるプロセスの天才というものもあると思います。
官僚がバカだと言う方もいましたが、官僚が努力しているベクトルは政策の実現です。実現された政策の担当官僚は官僚の天才と言えるでしょう。政策を批評する方は政策の才能、政策批評の才能があるということができます。政策の実現に関してどのような能力が必要か分かりませんが、多数決を勝ち抜くための納得を必要とする複合的な能力だと思います。総理大臣になった人も政策の天才ではなくて、総理大臣になる天才なのだと思います。誰もが総理大臣になれるものではありませんので。
男女関係でも言えると思います。あまり評価の対象になりませんが、エッチの達人や女性を口説き落とす達人、中には結婚詐欺の達人などがいます。こういう議論をする人達の価値観に当てはまらないためでしょうが、これも才能の1つだと思います。この例でも頭の良さの議論が自分の価値観の向く方(つまりベクトル)に流れてしまいがちなことが理解できると思います。IQも1つの指標ではあると思いますが、年齢の平均との比較なので合理的に全てが当てはまるわけではないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
あなたの回答はとても具体的で独創的ですね。
具体的というのは「頭の良さ」を明確に定義したからであり
独創的というのは「頭の良さ」の定義に広い意味での才能や能力を採用したからです。
今まで回答をくれた人の中で群を抜いて奇抜な発想ですね。
なぜかって、他の人達は頭が良いというと文字通り頭脳労働を前提とした話になっていますが
あなたは違う
野球の例えでもあるように頭の良さを能力として捉えているから
頭脳労働だけでなく肉体労働もその範疇に入っている。

それであなたという人間を考えたのですけど、こんな刺激的な発想をする理由が二つばかり思い浮かびました
(1)あなたは言葉や常識に縛られない天真爛漫な人である

(2)普通なら頭と身体を別々に考えるものだけど、あなたは二つとも
同じものだと考えている。

話が脱線してすいませんが、こんな人かなぁと思いました。
面白い意見をありがとうございます。

お礼日時:2008/11/13 16:15

過去と現在から如何に正確に未来を予見できるかが


基準になると思います
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この回答へのお礼

予見というと、科学が頭に浮かびます。
科学者は様々な自然現象から法則を見出してきました。
そのため法則に基づき、人は未来に起きる特定の自然現象を予見することが可能になりました。
ならば、法則だけ知っていれば頭が良いのでしょうか?
それとも自然現象に限らず、人の未来の気持ちや経済の動向なども
過去や現在から予見しなければ頭が良いとは言えないでしょうか?

決してからかっているわけではないのです。怒らないで下さい。
でも、私は手に持ったリンゴを、手から離すと地面に落ちると
予見することができます。
これは過去の経験から私が知っていることです。
では、それで頭が良いと言えるのでしょうか?
問題は予見する内容によって、頭が良いかどうかの基準が変わってくると思います。

お礼日時:2008/11/13 15:45

僕は職人さんのことだとお思います。



記憶力がいい人や勉強してる人は確かに材料としての知識はたくさん持ってるでしょう。でもそれだけでは材料倉庫の管理人でしかないと思います。

職人とはその材料である知識を自分で加工して自分の作品として作り上げ使用できる人です。

いい材料があっても腕が悪ければいい作品は仕上がりません。
いくら知識があっても自分の意見として活用できなければやっぱりダメですよね。

極端な話、勉強の1+1=2がわかっても実社会の1個+1個=2個がわからないなんて話はよくあることです。

逆に、腕がよければ限られた材料からでもいい作品はできます。
応用のきく人ってのはあたえられた材料を自分で加工してよりいいものを作り上げることのできる人でしょう。

数学なんかで公式ってあるじゃないですか
三角形の面積=底辺×高さ÷2
こんなのは頭のいい人が凡人でも理解できるようにしてくれたものですが、勉強ができる人はこの公式を覚えています。
でも、頭がいい人は四角の半分だってことに気がつけるんでしょうね。
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この回答へのお礼

材料が知識であるならば、仕上がる作品とは何のことでしょうか?
僕が推測をするに、例えば数学において公理から定理を導くようなものだと思ったのですが、当たっていますか?

また、知識を自分で加工するとは、どのようなことでしょうか?

質問ばかりで申し訳ありませんが、実社会の1個+1個=2個というのは
どういうことなのでしょう?
理解が足りなくてすいません。

お礼日時:2008/11/13 15:33

#8です。

私の表現力の未熟さ故にこちらの言いたいことが伝わっていない所もあるようですが、こんなバカなことを言っているのには何か根拠があるのか、それとも単なる的を外した見当違いな意見なのかなどと言うことを考えながら、この問題の一側面を探る切っ掛けとしてください。
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この回答へのお礼

とても参考になる意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/13 15:27

こんばんわ★


>頭が良いとはどういうことだと考えますか?
皆さんの考えを聞かせて下さい。
そうですね・・・私の場合たくさんの考え方が出来たり人にはない見方ができる人が頭の良い人だと思います。
簡単に言えばIQが高い人ですかね?普通の人には見えてない物が見えてる感じです。
dorirutinkさんの言われる人は私の中では賢い人って感じです。
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この回答へのお礼

思いついちゃったのですいません、
普通の人には見えてない物が見えているというと
霊能力者とか、精神的な疾患で幻覚が見えているような人とか・・

それは置いといて、IQというと調べてみたのですが
算出法は「精神年齢 ÷ 生活年齢 × 100」(出典はWikiです)
みたいですね。
僕はIQテストをしたことがないからわかりませんが
早熟な人ほど頭が良いということになりますね。

早熟な人と言えば、少し前、たぶんNHKでデジタルネイティブの
紹介をしていました。
その中で13歳で教育用のカードゲームを販売する会社を設立した
子供がいて、その子がカメラに向かって喋っていたのですが
やっていることも喋っている内容も子供とは思えないものでした。
この子を見たとき早熟で、そして本当に頭の良い子なんだなと
肌で感じました。
その子のIQは知りませんが、きっと高いものだろうと思います。
IQが高いと頭が良いというのはもしかしたら誰もが納得する回答かもしれませんね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/13 10:25

#4です。


>ハードウェアが記憶力や、計算能力、情報の処理能力にあたるとすれば
ソフトウェアは何にあたるのでしょうか?

ハードウェアは記憶力や、計算能力、情報の処理能力その物ではなく、その容量や速さの問題です。 一方、ソフトウェアはある問題を解くときのプログラムやアルゴリズムのことです。そのことに関して、私は面白い経験をしたことがあります。私はアメリカに住んでいる自然科学系の学者です。1990年代にソ連が崩壊した後に、ロシアからアメリカに沢山の科学者が流れて来ました。ソ連のコンピューターはアメリカのそれとは桁違いにハードウエアが劣っていたので、彼等は問題を出来るだけ解析的に解き、また、優れたソフトウエアを開発することに力を入れて来ました。その結果、ロシアの物理学者の質の高さは、アメリカの学者と比べて桁違いに高いという印象を、彼等と議論した時に私は個人的に得ました。事実、その後アメリカの主要な大学では、ロシア系の学者を雇うことにして、多くのアメリカ人が職に就けなくなっています。

>また、そのソフトウェアはハードウェアによってインストールできない
ものがあったり、インストールしても正常に動作しない場合があったりしますか?

これもコンピューターとの類推で考えてみると分かると思います。記憶や、計算、情報の処理の基本的な操作はどんなコピューターでも同じなので、速さのみに頼るような効率の悪い間抜けなソフトウエアでない限り、どんなハードウエアでも、ソフトウエアは動くはずです。逆に言えば、性能の悪いハードウエアを持ったコンピューターを持っている方ほど、優れたソフトウエアを捻出して、それに頼って計算しているのが現実です。

>ちなみに僕のハードウェアは芸術との互換性がどうもないみたいです。

ソフトウエアは後天的なので、貴方の生き様や生活環境などの経験の積み重ねで磨かれて行くものです。ですから、貴方の文章は、「僕はまだ若く、また、今までの生活環境で、目から鱗が落ちるような経験や、素晴らしい人との遭遇という貴重な経験がほとんどないので、ハードウエアの能力しか試されたことがなく、したがって、芸術を理解するほどには僕のソフトウエアはまだ成長していないようです」ということを、見当違いで曖昧な概念を使って表現しているようです。

因に、情報の処理や計算を出来るだけ速く正確に行うことを要求される職業があります。その典型が官僚です。彼等にとっては、既存の処理能力の迅速さが勝負であり、何か全く新しい発想を産み出すことは重要でないどころか、害にさえなります。そのような方に要求される能力は、主にハードウエアの能力です。一方、情報処理や計算の速さは余り重要ではなく、ただし、情報処理能力がたとえ遅くともかまわないから、まったく新しい発想で物を考えることができ、提案することを要求される職業があります。その典型が学者です。情報処理能力が余り遅いというわけには行きませんが、それでも政治家に要求される能力は学者に似ています。その場合は、ソフトウエアが勝負です。

日本の教育では、有能な官僚を見いだすことに最大の努力が払われているようで、受験体制では常にハードウエアの能力が試されているようです。その過程で、ハードウエアでは今一だが、ただし優れたソフトウエアをもっている多くの若者たちが挫折しているようです。
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この回答へのお礼

度々のご意見ありがとうございます。
ハードウェアを能力そのものでないとすると、容量や速さですか。
それはどうも納得できません。
思ったのですがやはりハードウェアというからには実体のあるもので
なければならないでしょう。
PCで言えばマザーボード、人で言えば脳とか。

それと、ソフトウェアは後天的なものと仰いましたが
僕はそれだけとは思いません。
先天的なソフトウェアとして本能というものが人にはあるからです。
この先天的なソフトウェアはOSといったところでしょうか。

また、性能の悪いハードウェアというと記憶障害や知的障害を持っていたりする人に例えられるし

コンピュータと人って面白いくらいによく合致するのですね!

>見当違いで曖昧な概念を使って表現しているようです
僭越ながらそうではないです。
芸術をソフトウェアとするならば、記憶容量が足りてOSさえあれば
インストールができるはずです。
それともflash playerを使うにはjavascriptがインストールされてなければ
いけないということでしょうか。

それとは別に考えたのですが、ソフトウェアというものに相当するものは
知識であると思うんです。
知識とはなにも本から得られるものに限ったんじゃなく、もっと広い意味で
例えば歩き方や走り方、しゃべり方なども含めたものです。
もっというと知ることができるもの、頭の中に入っていれば記憶そのものですね。
ちょうど記憶は新しく覚えることも忘れることもできるし
ソフトウェアもインストール・アンインストールができますしね。

ともすると、人は五感から常に(休止していない場合を除いて)何かしらの
情報をインストールされていることになりますね。
突飛だとは思うでしょうが、創造というのはこの様々な記憶が折り重なって
生まれるのかもしれないとふと思いました。

お礼日時:2008/11/13 09:48

No.3 の回答をさせていただいた者です。


少々追記させていただきましたので、ご参照くださいましたら幸いです。

以下引用開始:
>自分自身を幸福にできることが頭が良いということですか・・
>でもそれなら、幸福のあり方によっては環境をコントロールしなくても
>幸福になることはできると思います。
引用終わり:

自分だけの幸福を求めるなら、自己の殻に閉じこもり、外部の接触と関係のない世界を構築し、満足感を得ることは可能でしょう。
自己と他者の幸福を求めるなら、上記のようにはいかず、他者を幸福にするための努力と実行が必要になります。妻や子供の幸せを願い、具現化するためには、環境をコントロールしなければなりません。

環境に立ち向かわず、自己完結するなら、友人もできず、結婚もできず、高齢になれば誰からもサポートされません。

それでも「自分はこれで幸福だ」と思うなら、人間社会は緩慢に崩壊します。
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この回答へのお礼

確かにその通りですね。
僕の読みが浅かったです。
>自己の利益、他者の利益に関しての意思決定を持つ
と書いてあるのを見落としてました。
あなたにとって幸福とは家族みんなが幸せでいることなのですね。
僕も同感です。結婚はまだですが将来は結婚をして子供を作りたいと
思っています。
そこで家族みんなが笑って過ごせたらこれほど幸せなことがないだろうと思います。

ただ、今の社会を見ていて考えたのは
少子高齢化や未婚率の増加はあなたの言う緩慢な崩壊への序章なのかもしれませんね。

お礼日時:2008/11/12 12:38

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