10代と話して驚いたこと

歴史小説などを読んでいると
「○○は単騎で敵陣に踊りこんでいき、次々を敵兵の首を飛ばしていった」
といった描写がよく見られますが
三国志や日本の戦国時代の当時の兵士の体格(腕力)、馬上という不安定な位置、今とは比べられないくらい切れ味や質の悪い武器、敵も常に動いている、鎧も着ている、などなど
とても不可能な芸当に見えるんですが、実際は馬上から騎馬兵や歩兵の首だけを落とせたのでしょうか?
やはり小説の過剰な描写なのでしょうか?

A 回答 (7件)

刀で斬ってると思ってるみたいですけど、戦場での主要兵器は弓・槍であり、刀なんか戦力外です。


なので馬上で戦ってる人は槍をもっていたのではないでしょうか。
首を飛ばすというのは大袈裟に表現しているのだと思います。
戦場では少しの怪我でもすれば絶望的な所です。
首が飛ぶor怪我をする=戦闘不能
首を飛ばさなくてもどこかに槍を突き刺せば戦闘不能状態です。
首が飛んだ人もいるかもしれませんが、周りの兵を戦闘不能にしていったということなのではないでしょうか。
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日本刀の切れ味及び質は物にもよりますが、昔だからといって悪くないです。

むしろ今より切れたかも。
あと戦国時代の日本人の体格は悪くありません。
小さいというのは幕末の日本人のイメージなんでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうなんですか、関羽は偉丈夫といいながら180cmくらいだったとか聞いたんでここ100年以外は皆小さいのかなと思ってました。

お礼日時:2008/12/09 23:10

乱戦になって偶然が重なる以外ないでしょう


騎乗して刀 相手が徒歩の場合でも 偶然の油断がないかぎりないでしょう 騎馬どうし
当時の馬は主に移動あるいは逃げる場合 走るより少し有利ですから
たいがいの場合 下馬して戦うようです 高価ですし
ポニーより大きいですが 木曾馬で20分も全速で走れないでしょう 
まあ あなたの推測どうり 相手も鎧兜で重くて 追えませんから
実際の遭遇戦は読み物のようにはいきませんでしょう
小説や読み物のいいとこじゃないですか
歴史なんて 昨日のことさえ わからないんですから
何百年も前のことなんかね
今も昔も強い奴や気合充分な奴はさけて 棚からボタモチを願いながら
ケガしないで 勝ち組で 相手が逃げるのを 我慢強く待つ
敵が背中を見せたとき どんなにほっとしたことでしょう
首は敵陣が崩れたときにね 我先にでしょう
そんなときに偶然うしろから スパット わかりませんわ  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
実際ほんとうの戦だったら誰もが恐怖ですもんね。
馬も自分がけがするとわかりながら敵陣なんて容易につっこみませんよね。

お礼日時:2008/12/09 23:08

実際には無理です。

例えば切腹の時の介錯をする人間は剣の達人だったそうです。剣の達人でなければスパッと首を切る事はできずに、なんども刀を首に打ち付けるハメになったそうです。普通は骨にあたって刃が欠ける可能性が高いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんども打ち付けられたらたまったもんじゃないですね。
骨ってけっこう固いもんなんですね。

お礼日時:2008/12/09 23:04

現代と古代でも、金属と物理の法則は変わらないので、


刀剣の質はほとんど変わりません。
刀剣の切れ味は、主に研ぎ方や手入れの度合いによります。
質の悪い武器をつかっていた・・というのが間違いです。
しかし人体の首を切断するとなると、刀剣のよしあし以上に
行為者の技量が求められます。
馬上から刀剣、矛を振り回して、首を飛ばすには、
相応の武器の重量(つまり位置エネルギー)と、それに加えて遠心力、加速度の
加わった武器をコントロールできるだけの筋力と、足場の安定が不可欠。
馬が移動するスピードも加味すれば、鐙があり、上記の条件を備えていれば、
徒歩の敵兵の首を飛ばすこと自体は可能でしょう。
ただ骨に刃が当たる可能性が高いので、刃がかげたり、折れたりする可能性もまた高いです。
騎乗兵同士でも、同様に足場と固定の問題さえなければ、地上のそれと同じですが、
位置エネルギーが減少するだけ、必要な力量が増えます。
鎧などの重い防具をつけているということは、重心が下がるということなので
防具のあまりない可動部である首をはねるのには関係ありません。

ただし不可能ではないということは、容易いということを意味しません。
刀剣という武器は、現代人が考えるよりは威力がありますが、
操るのが難しいし、現実的には出会い頭となるので、
たぶんに偶然が作用するでしょう。
かなりの大柄の男が、鋭利な長く重い刃物を移動中の馬上で振り回した時に、
悪い場所に悪い体勢で立っていて、さらにそれが頚骨の間にすっぱりと当たったら
首は飛ぶということです。
ま、現実的にはほとんど起らないといっていいでしょうが、
不可能ではないということです。
ちなみに弓矢同士が正面からぶつかるということも起りえるわけで、
ありうるとは、そういうことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
うーん、やはり難しいですか。
表現としてはひどい言い方ですけど、首がすぱっととぶくらいに
すごい戦いをしてほしかったですね。

お礼日時:2008/12/09 23:02

エライ人は必ず、戦場では家来を団体さんで連れています。


可児才蔵の場合は槍の名手ですから、馬上の敵に対しては槍で馬の足を引っ掛け、落馬したとこを袋叩きにしたものと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
集団で一人を倒すのが多いんですかね。
やはり騎馬も移動時のみに役に立つというのが本当みたいですね。

お礼日時:2008/12/09 22:56

小説はあくまで小説です


史書に無い部分を作者が想像し、迫力を出すための演出として書いているものです
史書の中でそういった描写は見たことがありません
あっても誰が誰を討ち取ったという程度ですね

史実でそれに近い描写というと、史書の名前はちょっと出てきませんが、関ヶ原の合戦の際、福島正則配下の侍大将可児才蔵が敵の首級を挙げた際、余りに多くの首級を挙げたため、持ち歩くことができなかったので、その首に自分のトレードマークであった笹を刺してその場に置いたというものですね
多分、相手を馬上から落とし、格闘して殺してから首を切ったと考えられています

まず紀元後1100年以前の中国ではありえません
なぜなら馬上の一騎討ちで首を飛ばせるような武器がなかったからです
関羽の青竜偃月刀や張飛の蛇矛などが有名ですが、これらは全て演義の創作です
紀元後1100年以前の馬上の武器は戟と呼ばれる物で、槍に鎌が付いたような武器だけでした
つまり相手を突き刺すか、鎌で引っかけて馬から落とす武器です
日本の戦国時代も馬上武器の主流は槍なので、相手を刺し殺すか馬から落とすことしかできません

ですが絶対にそんなことはなかったのか?と言われると、極々まれには偶然の産物としてあったかもしれません
しかし信憑性の高い史書にそのような記述は見たことがありません
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですよね、演出ですよね。
でもそうなると敵一人ひとりとまともに相手しなくてはならず騎馬の勢いもいったん敵に突っ込んだらすぐになくなってしまうような気がするのですが。簡単に首を飛ばせたなら敵陣を駆け抜けられそうですけどね。

お礼日時:2008/12/09 22:53

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