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今問題のパレスチナですが、国連の分割決議によってイスラエルに領土が分け与えられ、中東戦争により他の地域がイスラエルのものになったりアラブ周辺国のものになったりしていますが、そもそも何故「パレスチナ」という国は存在しなかったのですか?
もしくはもっと早くアラブ周辺国に平等に領土を分配していれば、イスラエル建国の余地もなかったように思えるのですが。
どこの国にも属さない地域に人が住んでいるというのが不思議なのですが。
その辺についてよくわからないので教えてください。

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A 回答 (7件)

>そもそも何故「パレスチナ」という国は存在しなかったのですか?



第一次世界大戦後~第一次中東戦争まで、あの地域は「イギリス委任統治領パレスチナ」という国(植民地?)だった。
もし現地に住んでいるアラブ人が独立をしたければイギリスという大国を相手にするという無茶をする必要があったのだが、イギリス側はずっとフサイン=マクマホン協定という約束をそのうち守るからと言い続けていたのだから、当時のアラブ人はわざわざ不利になる独立戦争を仕掛ける必要を認めなかった。
イスラエルが独立戦争(=第一次中東戦争)をしかけたのは統治していたイギリス軍が撤退した翌日なので、それまでにユダヤ人以上の極めて精緻な準備していなければ、その機を狙ってアラブ人による統一パレスチナみたいなのは建国できない。
イスラエル建国後はパレスチナ人の代表ということになっていたPLOはオスロ合意(1993年)のあたりまでイスラエルという国を認めておらず、自分たちの領土はイスラエルの領土全部を含むと公言していた。
それゆえイスラエルを含まない領土で独立宣言をするということはイスラエルを承認することと等しいのでそんなことはできず、かといってイスラエルを含む領土で独立宣言をすれば他国から認めてもらえないという、極めて面倒なことになっていた。
ゆえに少なくともオスロ合意以前に「パレスチナ」という国をつくるきっかけが無かった。

>もっと早くアラブ周辺国に平等に領土を分配していれば、イスラエル建国の余地もなかったように思えるのですが。

第二次世界大戦後の時期にはかなりの数のユダヤ人がアラブ人の不在地主から土地を買って入植していた(これが結果として追い出される小作人のアラブ人との揉め事の火種となった)訳で、それを無視することは無理だった。
当時人気だった民族自決主義とか、自国からユダヤ人を追い出したい西欧諸国の思惑とかもあって、あの地域にユダヤ人地域を作るのは不可避だっただろうと思われる。
で、イギリスが統治権を国連に譲った後、国連決議181号でパレスチナを分割統治することが決まった。
ユダヤ人によるイスラエル建国はそれを根拠としている訳で、ユダヤ人地区をアラブ人が占領できるくらい極端に狭くしているとかでなければ似たような結果になっただろうと思われる。

>どこの国にも属さない地域に人が住んでいるというのが不思議なのですが。

実はパレスチナ自治政府を「国家」として承認している国が結構ある(日本は未承認)。
そういう国からすると現在のパレスチナは立派な「国」なのです。
ですからパレスチナは「どこの国にも属さない地域」というのは微妙に違う気がする。
このあたりが「国家」という概念のややこしいところ。
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お礼日時:2009/02/06 01:08

>どこの国にも属さない地域に人が住んでいるというのが不思議なのですが。



別段、不思議ではありません。
アラブの現国境線は、イギルス・フランス・イタリアなど近代ヨーロッパ各国が植民地支配をした境界に過ぎません。
そもそもアラブ人は、放牧民です。
決まった土地を定めず、季節毎に移動していました。
ヨーロッパでは、第二次大戦まで「ジプシー」と呼ばれる国を持たない民が存在していました。
アジアでは、モンゴルの遊牧民が有名ですね。
(小さな地域では)日本でも、明治まで「サンガ」と呼ばれる山の民がいました。
彼らは、日本全国の山々を移動して暮らしていました。
歴史的にも古く、平安時代には文献に記録がありますし、豊臣秀吉も「サンガ」民族であったとの説もあります。

現在でも、パレスチナ人だけでなく「マルタ騎士団」が存在します。
彼らは「領土」を持ちませんが、96カ国と国交を樹立していますし、国連にオブザーバーとして加盟していますよ。
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お礼日時:2009/02/06 01:07

一寸違った観点/考えから書いてみます。


1.現在のイスラエルに数多いアシュケナージの祖先は現在のパレスチ  ナ地域(カナン)に住んでいたユダヤ人種ではないようです。
2.現在のイスラエルが建国されるまで、パレスチナ地域にはユダヤ
  アラブ(パレスチナ)人種などが平和に仲良く1000年以上も
  居住していた筈です。
3.イギリス/フランスが第一次大戦とその後に現地のユダヤ人とパレ  スチナ人の両方をだましてユダヤ人にはユダヤ人国、パレスチナ人  にはパレスチナ人の国の建国を約束して、自分たちの戦争や支配に  協力させたのです。

従って、ユダヤ教を信じる東欧等からの異民族(ユダヤ人ではない)に
カナンの地を支配する権利は歴史にオ見ても不合理でしょう。

人類が生活するのに、国と言う考えは絶対に欠かせないことなのでしょうか? 支配者が勝手に個々は自分の土地だと言ってそこの住民を支配して、搾取して富を蓄え、それでも我慢できなくなり、隣の自分と同じような支配者を倒しその地配置を自分のものするのです。それが戦争の始まりでしょう。

歴史的なことから見れば、本来のユダヤ人種(パレスチナ地方に昔から在住の)と在住アラブ人主(いわゆるパレスチナ人)とかにしか権利は無いはずです。
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お礼日時:2009/02/06 01:07

そもそも、イスラエルとパレスチナが紛争を終結できないか、なぜパレスチナという地域名なのかは


皆さんの説明どおりですが、この問題は「歴史」を抜きには
考えられませんので、離散までの経過をみると

1 BC1800 アブラハム(イスラエルの開祖)が神よりさずっかた       「カナン」の地(現在のイスラエル)に定住する
2 BC1600 アブラハムの子孫ヨセフを長とする12部族が
        定住していた
3 BC1700 エジプトに移住奴隷となる
4 BC1200 モーゼによる「出エジプト」 十戒を授かる
5 BC1200 カナンに散っていた部族が連合し定住
6 BC1300 ぺリシテ人(パレスチナ人)がカナンに「侵入」し敵        対した
7 BC1000 ぺリシテ人が北部を制圧
8 BC 900 イスラエルの「ダビデ」がぺリシテ人を退けイスラエ        ル王国を統一、ソロモン王に引き継がれた
9 BC 700 北イスラエル滅亡 移民が定住
10BC 500 南イスラエル滅亡 バビロニア捕囚
11BC 100 ユダヤ人のマカバイ家によるイスラエルの回復
12BC 004 ヘロデ王による統治、イエス誕生
13AD  66 ローマとのユダヤ戦争
14AD 132 ローマ人はユダヤ色を一掃しようとユダヤ人がもっと        も嫌うぺリシテ人の名前をとりこの地を「パレスチ         ナ」となずけたのでユダヤ人は離散を余儀なくさ          れ世界各地に離散していった

世界に離散したユダヤ人がシオニズムにより帰還した以降は皆さん
の説明どおりです
つまり古い話ですがイスラエルもパレスチナもこの地を統治したことがあり権利を主張しているのですが、神よりカナンの地を授かったとされるユダヤ人の主張のほうが古く強いようです
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お礼日時:2009/02/06 01:07

どこの国にも属さない地域に人が住んでいるというのが不思議なのですが。



これが人間の歴史的には、不思議な状況。
17世紀以降のヨーロッパで生まれた思想です。

オスマントルコと、歴史上呼んでいますが、19世紀のヨーロッパ以外の地域での基本は、○○家が偉い!と認めている集団が世界中に分布していたという感じです。

日本でいえば、琉球が清にも薩摩にも服属したような、朝鮮が清を宗主国としながら、ほとんど独立国のような、アイヌの人々が松前藩に服属してようであり、オホーツクの方は関係なかったり・・・

んで、中東あたりでいえば、オスマン家が偉いとします。
という集団が東欧から、西はアルジェリアあたり東は現在のイラクあたり、南はイエメンあたりまであったという感じ。
アラビア半島の内部は、サウド家が「オスマンなんかシラね」と言ってました。

第一次世界大戦からの話は、ほかの方の通り。
おまけで言えば、メッカのハーシム家は権威としてはマホメットの一族なので、オスマン家より上。アラビアのローレンスの話も、「ハーシム家が言うことは聞きますよ」というアラブの各部族の成功話です。
なので、現在のヨルダンの名前は、ヨルダン・ハシュミット王国(ヨルダンのハーシム家の王国)だったりする。昔のイラクの王様もハーシム家出身だったりする。
なので、民族が!とか国家が!とかの目線で見るとわからなくなります。
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お礼日時:2009/02/06 01:06

パレスチナに限らず、いまの西アジア(中近東)地域は、英国や仏国米国などの強国によって「人工的に」国境線を引かれた国がほとんどです。


第一次世界大戦期に交わされた、英・仏・露の間でオスマン帝国領の分割を取り決めた「サイクス・ピコ協定」がその元凶です。
これによって、その地域に住む民族や宗派、自然などを無視した地図上の国境線が引かれます。
その結果、西アジア地域ではアラブ人同士の争いが絶えず、その争いを利用して私腹を肥やす欧米露の思惑が絡み、不安定化が続いている地域と言えます。
結局、パレスチナ問題もこの延長線上にあると言えるのです。

オスマン帝国時代までは、シリア地方として一地方であったのが、英仏露などによって、シリア・レバノン・ヨルダン・イラク・イスラエルなどに分かれていきました。
当然、民族・宗教などの同一性を無視した為に、各国ともに安定していないといえます。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2009/02/06 01:06

古代や中世の話じゃなくて現代の話ですよね?


20世紀初頭の時点では、パレスチナはオスマントルコ帝国の一部でした。第一次世界大戦で、オスマントルコがドイツ側についたため、イギリスを中心とした連合国、アラブ人、入植していたユダヤ人などがオスマントルコと戦い、戦後はイギリスの委任統治領(一種の植民地)になります。
戦争中に、イギリスがアラブ人とユダヤ人にそれぞれ矛盾した約束(国を建てる)をしたので戦後もめて、国連に解決がゆだねられ、国連の決議で分割が決まったということです。

「どこの国にも属さない」ではありません。オスマントルコ→イギリスです。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2009/02/06 01:05

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