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先日友人と話をしている際、会話の中で私が「キミは強がって生きているように俺の目には映る。キミは本来は弱い人間だと思うよ。」と言ったのですが、友人はそれに対して「そう思われているとは心外だ。」と言ってきました。

私の考えは、人間はみな弱い生き物で、弱さをカバーする為に知識を得たり、嘘をついたり、他人を求めあったり・・・の行動をしていると思っていて、「弱い」という事は様々な事柄に負ける可能性が高いかもしれないけれど、必ずしも「悪い」という事とリンクしているとは思っていないのです。
少なくとも「弱い人間」=「ダメ人間」では無いと思っています。
更に若干論点がズレますが、弱いことによって負けてしまってもそれで全てが終わりだとは思っていません。
もちろん強いこと、勝つことの方が良いとは思いますが、負けは負け以外の何物でもなく、仮に負けてもその事実を受けとめられればそれでよいと思っています。
私の友人の解釈では「弱い」=「ダメ」ということらしく、弱い人間と称された事を、ダメの烙印を押されたように感じたらしいのです。

私はこの件で、人それぞれの感じ方の違いに改めて驚いたのですが、あるいは他の方々は「強い人間、弱い人間」という表現にどのような感覚を抱いているのか知りたくなりました。
簡単なイメージでも結構ですのでできるだけ多くの方の意見が集まれば嬉しく思います。

A 回答 (11件中11~11件)

そりゃ、「強がっている」なんて言われたら心外でしょう。


「キミ」と言う様に限定しておいて(「人間と言うように総称してはいない状態で」)「弱い」といわれたら、そりゃ怒りもするでしょう。
後の文章では「人間」というように総称して、弱いと言っていることについては良いでしょうけれども「キミ」と言うように名指しされたらたまったものじゃないでしょう。
私も友人のように「弱い」=「駄目」と解釈します。
「強い」=落ち着いている。やさしさがある。余裕がある。というように解釈します。強いからやさしくいられる。
しかも「強がっている」と言うことは「強く見せている」ということであり、余裕が無く背伸びしている状態ということではありませんか。また、たとえそうであってもそれを(その姿)を知られているなんて、舌かんで死んじゃいたいということではありませんか。途中の総称した考え方を友人言ってからの最初の言葉であれば救われますが、そうでない場合は「友人」はかわいそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>「強い」=落ち着いている。やさしさがある。余裕がある。というように解釈します。強いからやさしくいられる。
なるほど、この定義で考えると対局に位置する「弱い」はかなり「ダメ」ということになってしまいますね。

>舌かんで・・・・・「友人」はかわいそうです。
わざわざそこまで心配していただいて恐縮ですが、話の前後の流れ上、この友人の場合はそういったことにはなりません。
かなり頻繁に人生談議をまるでディベートのごとくしていますので、この時も、「どう見える?」の質問に対しての私の意見として答えたまでですし、その後も私の考える「弱い人間」の定義も補足説明しています。

お礼日時:2003/02/25 01:07

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